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少年小説 アンパンの丘  作者: 丸山寛之
4/6

第4章

少年小説 アンパンの丘    丸山寛之


 第四章


   1


「打った! 打ちました!」


 と、アナウンサーが絶叫した。


「よしっ!」


 公平が、ゲンコツで空気を叩く。


「あ、ファール、ファールです。三塁線、惜しくも切れました」


「なにいうてけつかんのや! ちっとも惜しいことあらへん!」


 村田がわめく。


 あの労作の日から四日後の日曜の午後である。


 尾っぽ館の生徒室では、殊勝にも村田と公平が机に向かっていて、つけっ放しのラジオは、巨人対阪神のデーゲームを実況放送中である。


 いましもランナー柴田を二塁において、二番高田が痛烈な当たりのゴロを放ったところだ。


「いやあ、もう10㌢右寄りだったら文句なしのヒットでしたね」


 アナウンサーが解説者に話しかける。


「そうでしたね。まさにウンプテンプでしたね」


 解説者がおかしな相槌を打つと、アナウンサーもそれにつられたのか、


「ことわざに、勝敗はあざなえるナワのごとしというのがありますが、まったくそのとおりでしたね」


 と、これまたどうかと思うようなことを言った。


「あれぇ? ヘンなこと言うなあ」


「巨人びいきのアナウンサーやよって、程度低いんや」


「カンケイない!」


 しかし、運否天賦という成語も、禍福はあざなえる縄のごとし(勝敗は──は、マチガイ)ということわざも、どちらもこの場面にはそぐわない表現だった。


 解説者は、たんに「不運な当たりだった」とか「ツイてなかった」とでもいえばよかったのだし、アナウンサーはたぶん、打球のフェアとファールの差は、「ナワ一本の幅しかなかった」といいたかったのだろう。


 公平は、辞典を引いて自分のかんがえが正しかったことをたしかめた。


 こういうことになると、日ごろ『眠狂四郎』や『子連れ狼』で養った国語力!がモノをいうのである。


 それにしても─と、この数日来のデキゴトをふり返ってみて、公平は思うのである。


「おれのばあいは、禍福はあざなえるナワのごとし、というよりは、一難去ってまた一難だったなあ」


 図書室で『上手な山羊の飼い方』という本を中上光子にすすめてゲキリンにふれたかとおもうと、彼女の父親の〝ヤギ校長〟に、竹の浦洞窟のほこらを壊した現場を見つかり叱りとばされるやら、労作をサボったことで、松山先生に油をしぼられるやら、まるでつるべ打ちに打たれたピッチャーみたいだった。


 もっとも、油をしぼられたといっても、頭ごなしに怒鳴られたわけでも、ながながと説教されたわけでもなかった。


 たいていの人は怒ると声が大きくなるものだが、松山先生は異様に青ざめた顔で、感情の激発をけんめいに抑制しているようなほとんど聞きとれぬくらいの低い声で、ただひとこと、


「みんな、心配したんだぞ」


 それで全部だった。


 ポンカン山の労作の途中で、尾っぽ館の三人の姿が見えないことに気づいたとき、みんなの考えの結論は、山道ではぐれて迷ったにちがいないということだった。


「そげンいえば、あんし(衆)はいっばん後ろから来よったど」


「分かれ道をまっごうて(間違って)あさってン方に行ったとじゃなかか?」


 松山先生は、即座に作業を中断して全員で三人を探すように指示した。


 だが、三人は道に迷ったのではなかった。


 脱走して、竹の浦洞窟の探検をやっていたのである。


 それを知って、松山先生は激怒した。


 けれども、先生が、フラチな生徒たちを前にして発したことばは、


「みんな、心配したんだぞ」の、ひとことだけだった。


 その一言は、しかし、いかなるめ木よりも強い力で生徒たちの心をしめつけた。


 公平の頭はひとりでに深くうなだれていた。


 村田の体はかすかにふるえていた。


 テッチーは「うッ」とうめき、大粒の涙をらりとこぼし、こぶしの甲でぐいとぬぐった。


 もしかしたらこの屋久島から来た少年には名優の素質があるのかもしれない。



「打った! 打ちました!」


 ふたたびアナウンサーが絶叫し、巨人は先取点をあげた。


「いいぞ! 高田!」


 公平が叫び、村田がくやしがる。


 いつもならますます痛快感が増大し、はしゃぎたくなるはずなのに、今日はいま一つ、意気が上がらない。


 時代小説のレトリックをまねると、山本公平の胸中はいま一団の暗雲によっておおわれているのであった。


 あの日、洞窟のある磯辺からポンカン山への山道をのぼりながら、笹川は、


「こん話は先生たちには秘密やっど!」と念を押して、こう言った。


「今日、ポンカン山でサチオとミツコがキスしとったちゅ話やっど」


 公平はどきっとして立ち止まりかけたが、それはたんに話が思いがけなかったからで、この件に関して自分は好奇心以外の感情はこれっぽちももってない。ただ面白がってるだけ─という顔をしてみせて、


「へぇ! ほんと!」と言った。


「ほんのこっやっど! ちゃんと見た人間がったっど。長野と谷山が見とったちゅ話やっど」


 笹川はそう言って、ポンカン山の木のかげで、小原幸夫はどのように中上光子の肩に手をおき、二点間の距離を0(ゼロ)にしたか、そしてまた中上光子はどのように目を閉じ、その白い顔の仰角を保ちつづけたか、ジェスチュアをまじえながらあけすけに語るのだった。


 そのとき、言いようのない鋭く悲しい痛みが胸をかすめ、公平は、光子がふいに遠い存在になったように感じていた。


   2


「ああ、人生、暗いなあ!」


 公平は、ふざけた口調でさけんだ。


 ラインバックとブリーデンが連続長打を放ち、阪神が試合を逆転したのである。


 いうまでもなく、公平は野球にかこつけて別の嘆きをなげいたのだった。


 しかし、だからといって、公平は、けっして苦悩にうちひしがれているわけではなかった。


 もしかしたら自分は恋をしていたのかもしれない、と公平は思う。


 中上光子に対して感じたあの奇妙に不安定な精神状態、あれは「恋」というものであったのかもしれない。


 それなら、自分はいま「失恋」とかいうものを体験したことにもなるわけだろう。


 なるほど、このちょっとカナしく、ちょっと腹立たしく、なんだか負けたような気分、これが失恋というやつなのか……。


 だけどそれにしては、なにかヒトアジちがうような気もする。


 失恋というのは、もっと深刻な苦悩を伴ってくるものではないのか。


 なにが足りないのかわからないが、これが失恋であるのなら、いやにウスアジの失恋ではないか。


 ─と、まあ、そんなふうに自分の気持ちを茶化してみることが、山本公平における苦悩の処理法であった。


「ね、ね、おれ、シツレンしたみたいなんだヨ」といってみる。これでまた気分がぐんとラクになる。


「アホ、それが失恋した人間の顔か」


 村田がのってきてくれた。なんて友だち甲斐のあるやつなんだろう。


「わかってないな。顔で笑って、心で泣いてるんだ」


「相手はだれや?」


「それはまだ発表の段階じゃないんだ。そのうち週刊誌にのるからサ」


「よういうわ!」


 そんなことを言い合っているところへ、中村家で日曜日定例の洗濯をやってきた川西とテッチーが、ドアを足で蹴って入ってきた。


「あれ? 杉さんは?」


「知らない。学校じゃないかな」


「どっちが勝っちょっとや」


 テッチーが聞く。


「ヘヘェ…」


 村田が鼻をうごめかす。


「アンパン、ぼくらも学校へ行かないか」


 川西が公平を誘った。


 鯛村高校の校舎は、休日でも深夜でも出入り自由である。


「学校は第二のわが家」が、松山校長の持論なので、わが家が家族に対して門を閉ざす日や時間があるのはおかしいというわけ。


 だから生徒たちは、日曜だろうが、夜だろうが、好きなときに学校にやってきて、図書室で本を読んだり、ピアノの練習をしたり、卓球をしたり、ときには家庭科教室でコンパをやったりする。


 喫茶店もなければ、パチンコ屋もボウリング場もないこの村では、学校はレジャー施設の機能も果たしていた。


 中村家でテレビをみるという村田やテッチーと、道の途中で別れて、川西と公平は学校へ向かった。


 日曜日の校舎はさすがにしんと静まり返っていた。


「ナイス! ピアノがあいてる」


 川西がよろこんだ。


 この春、宮崎の県立高校を卒業し、鯛村にやってきた川西は、やはり鹿児島の県立高校を卒業した杉と共に、来春は、鯛村高校の系列校である東京の大学への進学がきまっている。


 だから同じ一年生ではあっても、杉と川西の二人は、公平たちにとっては「同学年の上級生」なのだ。


 川西は小学校の先生志望ということもあって、ピアノの練習を日課の一つにしているが、ほかにも熱心な生徒が何人かいるので、ふだんは一台のピアノの順番待ちをすることもしばしばだった。


 昇降口には、何足かのサンダルや下駄が脱ぎ捨てられてあり、校舎のなかが無人ではないことを語っていた。


 だれか女生徒も来ているようだ。紅い鼻緒の下駄がある。


 それが妙になまめかしいものに見えて、公平は一瞬、甘美なめまいを感じた。


 二人は、校舎に入ると、いちばん手前の社会科教室を手はじめに各教室をのぞいて回った。


 社会科教室の先を左に曲がった短い廊下の突き当たりが講堂で、そこに川西の目的のピアノがあり、腰かけの列の後ろのほうに卓球台が置かれてある。


 講堂にはだれも居ない。


 後戻りして昇降口から真っすぐ伸びた廊下を行くと、国語教室、英語教室、理科教室、事務室とつづき、数学教室に突き当たり、廊下は左折する。


 事務室と背中合わせに図書室があり、廊下を挟んだ数学教室のとなりが美術教室、畳をしいた家庭科教室と並び、いちばんはずれにセメントの床の炊事場がある。


 これが鯛村高校の校舎の全容である。


 校長室とか職員室といったものはない。


 校長の松山先生は数学担当なので数学教室に、ほかの教師たちもそれぞれ自分の担当教室に陣取っていて、生徒のほうが時間割にしたがって教室を移動し、授業を受けるしくみになっている。


 川西と公平は、社会、国語、英語……とある日の時間割をたどるように各教室をのぞいて行った。


 杉は英語教室にいた。テープレコーダーをつかって会話の練習をやっている。


「やってるじゃない。杉さん」


「オー、イエス」


 図書室では、清水という網部落に家のある級友が、一心不乱を銅像にしたような姿勢でノートにペンを走らせている。


「おッ、旭国関、がんばってるね!」


「おう、やっちょっど!」


 笑うと、そのニックネームの由来の不屈の面構えが一変して、愛嬌のある顔になる。


 そして──、


 家庭科教室に中上光子がいた!


   3


「あらっ! ほんとにアンパン!」


 中上光子がおかしな台詞を口走った。


 そこには中上光子のほかに重田信子と辻明子という二人の女生徒もいた。


「ほんのこッ、ウワサをすれば影やったなあ」


 ミシンの椅子に発達のいいおしりを乗せた重田信子が、顔だけこちらへふり向いて言った。


 大柄な顔と肢体と開けっ放しの気さくな性格をもつこの女生徒は、年齢も一つか二つ多いせいもあってか、すでに〝おかみさん〟タイプの旺盛な生活力を具有しているようであった。


 もう一人の辻明子は清潔な感じの少女で、白い歯並びが印象的だ。


 光子と明子は畳にすわって、脚の低い台の上にお茶の用意をしているところだった。


「アンパンがどうしたって?」


 川西が公平のかわりにきいてくれた。


「まあ、なかに入らんな。お茶のんで行っきゃらんな(行きなさいよ)」


 信子が立ち上がり、食卓の前にすわり直しながら言った。


「いいとこに来ちゃったな」


 公平が畳にあぐらをかくと、


「アンパン、アンパン食べる?」


 光子が台の上の紙袋からアンパンをとりだした。


「あ、なんだ、それでアンパンの話をしてたわけ」


 川西が言った。


「そうなの。三つしかないから私のを半分あげる」


 光子が半分にしたパンを公平にくれた。


「サンキュー!」


 公平の顔がパッとかがやいた。


「そしたら私の半分は川西さんにあぐっで、ほら」


 重子が、川西にパンを渡した。


 すると、明子がかすかにほほをあからめて、


「私だけ一個ってげんなか(はずかしい)、わたしのもあげる」


 と、二つにしたパンの半分を公平に差しだした。


「ありがとう!」


 いやあ、モテちゃったなあ! 公平の口はだらしなく弛みっぱなしで、うまくしまらない。


「アンパン、両手に花じゃのして、両手なパンやね」


 信子が言った。


「アンパンの共食い!」


 光子が茶目っ気たっぷりに言った。信子がけたたましい笑声をあげた。


 公平は、中上光子の前で自分が全然平静でいられることに安心し、また多少不思議な気もした。


 ところが、そんなふうに思ったとたん、一種生々しい想念が脳裏をよぎり、心がうろたえ、光子の顔を正視できなくなった。


 この光子が……と公平は思った。本当だろうか? 笹川が告げたことは本当だろうか?


 本当だろうなあ。長野と谷山と二人も目撃者がいるのだからなあ。


 そうすると、小原幸夫も中上光子も、あの〝おとな組〟に仲間入りしたわけか!? 


 公平は改めて感嘆し、別世界の人間を見るような気もちがわいてくるのだった。


 この春、開校したばかりの鯛村高校には、地元出身の年長の青年たちが何人か入学したので、下は十六歳、上は二十五歳という年齢差のある同級生ができた。


 当然、生活体験に格段の差異がある。


 ひとくちにいって、こちらは〝こども〟であちらは〝おとな〟であるち。


 おとな組はたばこをのみ、酒の味も知っている。


 さらに決定的な差異は、彼らのある者はたぶんすでに異性体験を有しているだろうということである。


 こちらが空想の世界で、つかみどころなく思い描くしかないことの実体を、彼らは知っている!


 そんなふうにかんがえると、同級生とはいえ、別世界の人間のように思えてならないのである。


 その〝おとな組〟のなかにこの中上光子も入ったことになるのだろうか?


「中上さんが日曜に学校に来てるの、珍しいね」


 川西が言った。


 光子の家のある竹部落から鯛部落にある学校までは五㌔も離れている。


「ゆうべ、信子の家に泊まったの」


「あ、そうか、仲いいんだね」


「そうよ、女の友情だね、ミーコ」


 信子がはしゃぐようにいって、そのコトバのはずみでうっかり口からとび出たように、


「そいでよ、ミーコ、チュウて、どげなもんね」と言ってのけた。


「チュウ? なんのことよ」


 光子がまるでケロッとした顔で反問した。


「そげんトボけんでもよか、なんもわるかことじゃなかとに」


 信子はかまわず言った。


「ポンカン山でしたろうがね」


 光子の顔色が変わった。


「だれと? だれとそげんとしたチね」


「だれとて、あんた、知らんとね」


「知るもんね」


「あーよ、こげなおかしな話があっとか。学校中ン衆が知っとって、本人が知らんとね」



「信子! はっきり言わんね、ポンカン山で、だれとだれが、どげんことをしたとね」


 光子の目は怒りに燃えていた。


 信子も、こうなってはもう仕方がない、といった感じで、


「あんたと小原幸夫さんよ」


「あっ!」


 一瞬、光子がなにかを思い出した顔になった。


「ちがう、ちがうよ、あれは小原さんの目にゴミが入って、わたしがとってあげたのよ。そばにだれか人もいたんだよ」


「長野さんじゃなかとね」


「そう、長野さんと谷山さん」


「そンし(衆)が見たちゅう話やっとに、話があべこべじゃなかね、どっちがウソいうとっとな」


「信子!」


 光子が勢いよく突っ立った。


「あんた、あたしを信用せんとね。ああ、そうね、なにが女の友情なの、もういい、あんたのことなんか知らない」


 そう言い捨てるなり、中上光子は決然と教室を出て行った。


「光子、待って!」


 信子があわてて追いかけた。


「かんにん、かんにん」


 と言いつづける信子の声が、廊下の向こうへ遠ざかっていく。


「なあんだ!」と公平は思った。


 なあんだ、そんなことだったのか!


   4


 月曜日。


 いつものように歌ではじまった朝礼がおわって、みんなが席を立ちかけたとき、


「待ってください!」という声がした。


 前列の席で中上光子がこちら向きに立っている。


「みなさんに言います!」


 頬を紅潮させ、目がキラキラ光っている。


「無責任なつくり話はやめてください。人のかげ口を面白半分にいうのはやめてください」


 光子は、なにか必死な表情でそれだけいうと、正面に向き直り、松山先生や教師たちに一礼して、また席にすわった。


 つかの間、静寂が講堂を支配した。


 松山先生が、やさしい目で中上光子を見て、それから、生徒たちにむかって言った。


「いまの中上くんの話だけどね。わたしは具体的なことは知らない。だけど発言の主旨はよくわかったし、そのとおりだと思う。君たちのなかにはもっとよく中上くんの話の内容がわかった人もいるだろう。そうでない人もるだろう。みんなそれぞれよく考えて、反省すべき点は率直に反省すること。この場でもっとよく話し合う必要があるのなら、先生たちは退出するので、みんなで話し合いなさい」


「いいえ、もういいんです」


 中上光子が申しわけなさそうに言った。


 そのとき、杉がのっそり立ち上がった。


 自分ではそんなつもりではないのだろうが、図体がでかくてどことなく楽天的な風貌の杉の動作は、はた目にはどうしても、のっそり、と見えてしまう。


「えーと、あの…」


 杉は、なにか言おうとして口ごもり、それからいかにも生真面目な大声で、


「すんもはん(すみません)」と言った。


 そのとたん、講堂中、どっと笑い声が起こった。


「ないごて、笑いやっとな!」


 杉は真っ赤になって抗議した。


「人があやまっちょとが、ないごておかしかとな」


 さすがに全員おどろいて口を閉じた。


 松山先生が笑顔でなだめるように言った。


「いや、わるかった。でも、きみの真意を誤解して笑ったわけじゃないんだ」


 ふたたび、中上光子が立ち上がった。


「わたし、杉さんのことを言ったのではありません。でも、いま、とってもうれしかった。杉さん、ありがとう!」


 明るい声だった。


 だが、一件はそれで落着したわけではなかった。


 生徒たちが、ぞろぞろと講堂を出ていきかけたとき、小原幸夫が、


「長野、谷山」と呼び止めた。


「話があっで、いっとき、待っくれんけ」


「なんな?」


 長野と谷山が立ち止まった。


「アンパン」


 小原が公平を呼んだ。公平がふり向くと、小原はニコッと笑い、


「アンパンも顔を貸さんけ」


 生徒たちは、なぜ、小原が長野と谷山を呼び止めたのか、察した。それでみんな不干渉主義でいくことに決めたようで、知らん顔して出ていった。


 講堂には四人だけが残った。


「よし、裏山に行っが!」


 小原が言った。


「ここはケンカすっとこじゃなかで」


 四人は、校舎の裏手の丘にのぼった。


 ひょろりと痩せた松の木からキツツキが何かにおどろいたように飛び去った。


「よし、ここでよか!」


 小原は上着を脱ぎ、公平をふり返ると、


「アンパンは立会人や、そこで見ちょってくれんけ」と言った。


「待て、待たんな」


 長野がちょっと青くなって右手で押し止めるしぐさをした。


「ないごて待っとや、わけはわかっちょはずやっどが!」


「わかっちょっで、待たんな」


「おい(俺)どがわるかった」


 谷山も言った。


「ほんの冗談のつもいやったたっど」


「バカふともん! そげな冗談があっか!」


「よし、そいなら叩け! 気ィのすむまで叩け」


 長野が言った。


「おいも叩け!」


 谷山も言った。


 二人はいさぎよく小原の前に並んで立っていた。


 小原が公平に言った。


「アンパン、わかったな、こんわろどんが言うたことは全部ウソやったたっど」


 公平はうなずいた。胸の中を爽快な風が吹きぬけていくようだった。


 公平は、小原と同じように長野や谷山の態度もきっぱりして、いい、と思った。


「三人、握手をせんな」と言った。


 小原が、あれ? という顔をした。


「アンパン、いま、鯛村弁をつこうたね」


「あれ、じゃったけ?」


「ほら、また!」


 若者たちは声を合わせて笑った。


 早くも授業にあきたのか、どこかの教室でおこった歌声が、眼下の校舎からきこえてくる。



 心もひとつの愉快な仲間


 足並みそろえて野道をゆけば


 光は踊るよ 青葉の上に


 小鳥は歌うよ 青空高く



「愉快な仲間」という歌だった。(つづく)


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