002 生い立ち
「わたし…この港町で生まれました」
訥々(とつとつ)とマリイが話し始めた。
「今年で7歳になります」
小さいので5、6歳かと思っていたら7歳であった。
「母さまは…わたしと同じ犬の亜人でした」
マリイの尻にはばさばさだが大きな尻尾が付いていた。確かに犬の物のようだ。
「父さまは…わかりません…母さまがお相手したお客様の誰かだと言ってました」
やはりというか、港町の娼館で生まれ育った子のようである。
「母さまは、昼間はおそうじやおせんたく、夜はお客様の接待をして毎日働いておられました」
接待と言ってもまともなものではなさそうである。
「わたしもお手伝いしたかったのですが、母さまは、『つらい仕事は母さんだけでたくさん』と言って、手伝わせてはくれませんでした」
子供を可愛がっていたようである。
「なけなしのお給金で、わたしのためにご本を買って下さって、わたしもそれを読んで文字を憶えられました」
つらい中、頑張っていたことがわかる。
「でも…昼も夜も働きづめだった母さまは、ある日倒れてしまい、そのまま…」
そう言ってマリイは俯いてしまう。ユージはそんなマリイに掛ける言葉がなかった。
「…それからはわたしも働くことになりました」
やがてマリイは再度話し始めた。
「でもおそうじやおせんたくも上手くできなくて怒られてばかりでした」
こんな小さいうちから上手くできるわけがない。
「母さまから買ってもらったご本も全部取り上げられました」
酷い雇い主のようだ。
「失敗をした日はごはんも抜かれるんです」
そんな目にあったから身体が小さいのか。
「そして一昨日、お客様の大事な服を破いてしまって…」
思い出したのか両腕で身体を抱き、震え出すマリイ。
「折檻された上、ごはんをまる1日抜かれて…死にそうになって…」
子供の体で1日食べなかったらふらふらになるに決まっている。
「ご主人様のところにあやまりに行ったら…声が聞こえたんです」
泣きそうな顔になりながらもマリイは話し続ける。
「『あの役立たず、奴隷商に売り飛ばした方が金になるだろうな』って…」
ああ、それを聞いたら誰でも逃げ出すだろう。
「それでわたし、こっそりと逃げ出したんですが、お腹は空くし、足はふらつくし…」
そんな身体でよく逃げ出せたものだ。
「路地を抜けて、気が遠くなりかけた時、たまたまこのお船が目に付いたんです。船室へのドアが少し開いていたんでそれで必死に忍び込んで…」
それはユージが換気のために少し開けたまま閉め忘れて部屋を留守にしたのだ。
「ユージ様…さんの…リンゴをいただいてしまいました…」
そう言ってまた俯いた。
「そうか…お前はその歳でそんな苦労をしてきたのか。それじゃあそんな話し方になるのも当然だな」
眉をひそめてユージが言った。
「わたしの話し方…おかしいですか?」
目に涙を浮かべながらマリイが聞き返す。
「いや、おかしいというんじゃなくてな、なんて言うか…そう、子供らしくないんだよ。とても7歳とは思えねー。まあそんだけ苦労してりゃ当然だな」
「そう…ですか…」
ますますしゅんとなるマリイ。その耳もぺたんとうな垂れている。そんなマリイにユージは、
「なあ、お前の母親の故郷ってどこなんだ?」
「わかり…ません…母さまは、船の事故にあって記憶を無くしてしまったそうなんです。その時に拾って下さったのが今のご主人様だそうで…」
「なるほどな…何か手がかりくらいねーのか?」
そう尋ねたユージに、マリイは、
「手がかりになるかどうかわかりませんが…」
そう言って立ち上がり、ベッドの上に置かれたままのぬいぐるみを取ってきて、背中のほつれ目に指を突っ込んだ。そして何かを取り出し、ユージに差し出す。
「母さまのたった一つの形見なんです」
それは涙の形をした銀色の金属で作られた台と、そこに嵌め込まれた丸い宝玉で出来たペンダントトップ。宝玉は直径1センチほど、オパールに似ているがもっと透明で、もっと複雑な遊色をしていた。
「それだけは…取り上げられないように必死で…このぬいぐるみの中に入れて守ったんです」
「そうだろうな。これだけの宝石、そのご主人様とやらが放っておくわけがねー」
そう言いながらユージは悪い笑みを浮かべ、
「それにしちゃお前も間抜けだな」
と言った。
「え?」
きょとんとするマリイにユージは、
「俺がこれを返さないって言ったらどうする?」
そう言ってペンダントトップを握りしめた。マリイの顔色が変わり、目にみるみる涙が溜まっていく。それを見たユージは慌てて、
「わー! 冗談だ、冗談! 泣くんじゃねーよ!…ちっ、うっかりした事言えねーな」
そう言ってペンダントトップをマリイに返した。ほっとするマリイ。そんなマリイに、
「その宝石を調べたらもしかしたら何かわかるかも知れねーな」
そうユージが言うと、マリイは目を輝かせて、
「本当ですか!?」
と、今までで一番大きな声で言った。ユージは、
「ああ、それだけ珍しい宝石なら産地も限られているだろうしな。それにそれだけの物を持っていたって事はお前の母親って金持ちのお嬢様だったのかも知れねーぞ」
冗談交じりにそう言ったのである。そんな言葉でもマリイには嬉しかったようで、今度は嬉し涙を浮かべながらペンダントトップを胸に抱いたのである。
「やっぱり母親の故郷のこと、知りたいか?」
そうユージが尋ねると、マリイはこくん、と肯いた。
「そうか。…まあ、俺も暇だからな、付き合ってやるよ」
軽く言うユージ。
「本当ですか!?」
「ああ、今んとこ目的も無いしな、そんなのもいいさ」
「ありがとうございます…」
マリイは目に涙を浮かべ、ユージに向かって頭を下げた。
「ところで、その首輪は何だ?」
汚れた服は脱いで、ユージのシャツを着ているマリイだが、首のチョーカーはそのままだったのだ。
「これ…は、ご主人様の所有物のしるし…です」
所有物すなわち奴隷ではないものの、奴隷も同然の扱いをされているということ。
「さて、となると…お前が自由にならなきゃ話にならないな。よし、そのワーデイとかいう店に案内しな」
遊色というのは宝石などが虹のような多色の色彩を示す現象です。オパールやラブラドライトなどが代表的。
マリイのスペルはMarieになります。ユージは勇二。