54.操り人形
男が、私に己の要求を突きつける。
それは私にとって、あまりに呑みづらいモノで。
受け入れることが、あまりに辛く感じるモノで。
私は有らん限りの気力を振り絞り、男の瞳を真っ向から睨み返した。
「そんなこと、私は絶対にしたくない」
「したくなくとも、してもらいますよ」
うっすらと笑みを深め、男の指が私に触れようとした。
「絶対に、僕の言うことには従って貰います。だってその為に、僕は貴方を買ったんですから」
「何と言われようと、私は意思を曲げません」
「ふふ。意思を曲げない…ね。それでは、身体の方に曲げてもらいましょうか」
「な、何を…」
「絶対上位者の意思こそ、尊いモノと知りなさい」
一瞬、男の顔から全ての意思が消える。
それはのっぺりと、人形の様に異質なモノで。
生き物であると、その暖かみを感じさせないモノで。
先程見た時の印象のままに、男が人形…案山子じみて、見える。
考える力を持って、動き出した案山子。
いつしか男の異質さは、私にそんな印象を抱かせていた。
「貴女には、僕の言う通り…何が何でも、アレを動かして貰いますよ」
そう言って男が、この空間の最奥を示す。
白石の祭壇に、半ば身を埋めて安置されたモノ…
純血の魔族の中でも特に加護厚き、限られた者にしか触れられぬモノ。
武神であったという、我等が祖神に託された…加護の象徴。
夜と月の神が私達魔族に与えた、神器と呼ばれる一振りの剣。
それを私に動かせという男には、有無を言わせぬ何かがあった。
「この為に、わざわざこの僕が、魔族に見えない魔族なんて捜させられる羽目になったんですから。苦労させられ多分、つまらない反抗に時間を割きたくないんですけれど」
「魔族に見えない…」
その言葉に、こんな状況でもイラッとする。
…私、自分で思うより神経が太いのかな。
「それは、この土地が魔族禁制だから…?」
「ええ。勿論、その通りですよ。連れ込んでも咎められない魔族なんて、探しても見つからないと思っていたんですが…意外にあっさり見つかって、僕としては大助かりですよ。それも、求めていた通りの条件を持っていたんですから」
「求めていた条件、ね」
ソレが何なのか…男の目的を知った今は、何となく察せられる。
神に賜った神器を触れる者には、全種族共通で幾らかの条件があるのだ。
男が求めた条件とは、神器に触れて動かせる者の資質のことだろう。
まずは、神器をもたらした神に連なる種族の純血であること。
次いで、神の濃厚な力に触れても耐えられる、神の厚い加護があること。
そして、神の意にそぐわぬ、神が己の民に求めた『心』を持っていること。
夜と月の神が自分の民に求めた志は、『誇り』。
何者にも屈せず、己の意志を曲げない『心』。
私がソレを持っているのかどうか、自分では分からない。
だけど、目の前の得体の知れない男は私が条件を満たしているという。
この男を信じるのは癪なものがあるのだが…
得体が知れない分、この男の言うことは確かにそうだと、何故か私に思わせた。
でも、その真偽など私にはどうでも良い。
いや、種族的にはどうでも良くないが。
それでも、この状況下ではどうでも良いと切り捨てる。
だって確かめる方法は一つだ。
私に神器に触れる資質があるか否か。
それを計る方法は…実際に、神器に触れてみること。
何事もなく、無事に触れられた時は、私が神の眼鏡にかなう存在だったということ。
本来ならば喜ばしいソレも、神器に関して何かを企む男の前では有難くない。
そして、それの為だけに身柄を買い取られたと言うことも、全く以て嬉しくない。
これで触れなかったらお役ご免で自由になれないだろうか。
そう思いつつも、もしもを思うと、神器に触れるどころか近づくことさえ憚られる。
だけど男は、私の意思になど頓着しないから。
私の意識を奪った時と同じく、その指先を私の額に触れさせる。
避けようと思えば、避けられたはずの距離と時間。
私の身体は金縛りにあったが如く、全く動かない。
私は男の指を避けることもできず、接触されることに抵抗できなかった。
私の額に触れて、目を伏せた男は暫し黙り込む。
その沈黙は、一体何なのか。
これから、私に何をするつもりなのか。
分からないまま、私はじっと大人しくせざるを得ない。
身体が、全く自由にならなかったから。
動かない身体に、男は何処まで私の自由を奪うのかと、怒りが湧く。
それを晴らすことも、ぶつけることもできない。
男の顔を殴りたい程に、私は苛立つ気持ちを持て余していた。
「名は、何と言うんですか?」
かけられた声に、ハッと視線を上げる。
見上げる先には、いつの間にか私を凝視する男。
私から視線を逸らすことなく、男は再び声をかけてくる。
「聞こえませんでした? 貴女の名を聞いたんですが」
「………」
「…言う気、無しですか」
まぁ良いですけどね、と男は呟く。
じっと私の瞳を覗き込んでくる男の目に、形容しがたい光が渦巻いている。
目に、光が…
光が…?
え。
なんで、この人…目が、光ってるの?
対外的には一応、『人間』の範疇にいるんじゃないの…?
人の目が光源となって光を放つ。
意識を取り戻して以来ずっと続く異様な状況下、男が見せる、『人間』離れした光景。
とうとう本性を晒すのかと、私は一番の驚きを感じていた。
だけどソレよりも深い驚きを、男の次の言葉から感じてしまう。
「貴女の名前は…ヴィルムリンネですね?」
「なっ…ん!?」
男が、私の本名を正確に言い当てる。
両親以外では、アイツしか知らないはずの私の名前を。
「先祖は…ああ、貴女は、ヴィレムウェルデに連なる血統の生まれなんですね」
「私の先祖を、何故、知っているの…?」
その名前は、確かに私の先祖の…一族に共通する特徴を初めて有した始祖の名前だ。
だが、その生きた時代は…千年以上も昔。だってその先祖は、私の六代前に当る方だ。
そんな大昔の先祖を、何故にこの男は言い当てられたのか。
「僕はヒトよりもずっと、多くのことを知っているんですよ」
そう言って妖しく笑む男は、私に試す様な目線を向けてくる。
深読みしようと思えば幾らでも深読みできる言動に、私の思考は迷いを見せる。
この男の言葉を、どこまで正確に捉えられるか。
恐らく、私に全てを読み解くことはできまい。
だが、理解する努力を怠った時…それは、私がただの食い物にされる時なのではないか。
実際に喰われる訳ではないだろうに、私は募る危機感に背筋が冷える。
それはきっと、男の瞳の奧に宿るモノが。
私を見据える目の光が、相も変わらずちっぽけなゴミでも見る様に冷たいせいだ。
この男はその気になれば、きっと私を要らない玩具同然に手ひどく壊す。
それが分かっていて、恐怖を抱かずにいられる程、私は呑気に振る舞えない。
「貴女がヴィレムウェルデの子孫ならば、その特性を継いでいる筈ですよね」
思考の迷路に陥りかけている私に、男は確認の言葉を向けてくる。
その言葉には、既に答えを知っていて私の反応を窺う色が見える。
そう、この男は既に答えを知っているのだ。
そうと告げられた訳ではないが、彼の瞳に潜む確信の響きが、私に事実を突きつけてくる。
この男に何処まで知られているのか確定はできないが…私の情報が筒抜けになっている。
そのことに対策すら立てられず、私は出方を窺うしかできない。
「あの博愛主義の偽善者の特性を継いだ…貴女は治癒術特化の魔族ですね?」
そこのところを男が強調して問いかけてくることに、私は唇を噛み締めて黙秘で通す。
私自身、己が治癒術特化であることの有利・不利に振り回されることが多い。
他の魔族とは少し違う能力は、時として最大のコンプレックスとなる。
それを得体の知れない男の言葉に、素直に頷いて示せるものか。
どうせ男は、私に答えを求めている訳じゃない。
ただ、私の表面上に出る反応で、何かを計っている節はある。
私がどんな反応を示すか。
それを見られている自覚はあったが…ままならぬ状況で冷静さはとっくに持てずにいる。
だというのに、自分の反応を完璧にコントロールなんてできない。
私は自分の不利を知りながらも、男の前にさらけ出される部分を戒められずにいた。
額が熱い。
焼け付く様に、男が触れた額が熱い。
この男は一体何をやっているのか…
男が言い当てた私の名前と、先祖の名前。
それを彼が知り得た原因が、何処にあるのか。
一体どこから、彼が情報を引き出したのか。
この燃えそうな痛苦をもたらす額の熱が、全ての答えを示している様な気がした。
そんなこと…触れた部分から情報を引きずり出すなんて、『人間』にできるはずないのに。
無いと知っているのに…この男ならばソレができるのだろうと、根拠もなく確信していた。
「貴女が治癒術特化だとは…本当に、なんて都合の良い。予想以上に良い買い物でしたね」
男は私に何をさせる気なのか、笑みに満足げな空気を滲ませる。
私に向けられた視線は、利用価値を求めるモノで。
私の人格を真っ向から否定する、感情の薄いモノで。
私は怯える気持ちに身を震わせる。
「ふふ。貴女にやって貰うことが増えました。ですが取り敢えず、アレを片付けましょう」
男が言って、神器の方へと私を押しやる。
動きたくなんて、ない。
神器に触るなんて、できない。
だけど私の意思とは裏腹に、この身体が勝手に動く。
私の身体の筈なのに。
だというのに、私の意思を否定して、身体が勝手に動く。
ずっと生きてきて初めてのことに、私の心臓が嫌な音を立てた。
最早、この身体の動くのに、私の意思は少しも反映しない。
どういった術をかけられたのか、私には分からないけれど…
私は男の操り人形として、身体の主導権を完璧に奪われたのを知った。
この勝手に動くからだが、神器へと近寄り…
真っ直ぐに触れようと、伸ばしたくもない手を伸ばす。
それが触れた時。
私は『私』が男に完全に屈服する時だと。
嫌な音を立てる心臓に急かされながら、私は避けたい未来に脂汗が滲むのを感じていた。




