43.失敗してしまいました
失敗してしまいました。
何故、こんな事に…。
そう思いつつも、現状は変わらない訳で。
私は己の不甲斐なさと間抜けさを深刻に呪いながら、思わず頭を抱えて項垂れる。
なんだか前にも、こんなことあったな。
そう、懐かしくも思い出したくなかった過去が胸に去来する。
実感などしたくなかった既視感と共に思い出し、私はもう笑うしかなかった。
此処は暗い暗い、檻の中。
本当にいつか、こんな事があったと私は涙目だ。
今度ばかりは絶体絶命だろうか。精神的に。
だって、アイツがいない。
いつも隣にいて、一緒にいるのが当たり前だったアイツが。
以前、同じ目に遭った時も、傍にいて励ましてくれたアイツが。
…若干、存在を美化しすぎただろうか。
いや、でも、一緒にいて心強かったのは本当で。
だけどアイツもおらず、今の私は正真正銘一人きり。
思えばそんなことは隠れ里を出て以来、初めてのことで。
私はアイツがいないというだけで脆く心を壊そうとしてくる現実に、泣きそうになる。
でも、泣く訳にはいかない。
アイツがどれだけ私の精神的支柱となっていたのか。
それを思い知り、噛み締めながら。
此処を出る為に、力を貸してくれるアイツはいない。
だから自分一人の力で出なければいけない。
そうしないと、アイツとも会えない。
アイツがいないというだけで、どうすればいいのか分からなくなる自分。
もう、余裕もない。
冷静に考えることもできない中で、私は軽く自己嫌悪に沈んでいた。
ここは『奴隷市場ロセン』は、『奴隷街』………その、檻の中。
私は、私が此処にいると誰も知らないだろう事に絶望しながら、膝を抱える。
アイツと離れてうっかり一人、孤立してしまった私。
それがどこで、どんなに仲間が周囲を張っていたとしても。
そこが『奴隷市場』の近くだと言うだけで、気を抜いてはいけなかったのに。
そんなことは、最初に一度捕まった時、十分学習したはずだったのに。
学習したつもりで、活かされていなかったから、こうなった。
私は助けを見込もうにも絶望が押し寄せる中、どうすれば良いのか分からずにいる。
ただ、無性にアイツが傍にいれば良いのにと思った。
立場的には、最高責任者たるアイツの無事を喜び、捕まらずに済んだと安心すべきなのに。
私はここに、私の傍にアイツがいないことが、何だかとてつもない間違いの様に感じていた。
そもそものことの起こり、何故こうなったのか?
自分でももう、混乱して分からなくなっているのだけど。
ストーカーさんと影君が、数名の部下を連れて『奴隷街』へ赴いた。
勿論、内分に潜入を果たした協力者と情報の遣り取りをする為だ。
その間、隠れ家的野営地にて留守番を命じられた私達。
『砦』では私の言うことを皆、比較的よく聞いてくれるけれど。
戦闘能力皆無の私を外で放置すれば、どうなるか。
そんなことは皆、よく分かっていた訳で。
『砦』の外にいる時は、私は皆の言うことを大人しく聞くしかない。
…だと、言うのに。
あの、馬鹿が。
最近はちょっと知恵付いてきて、馬鹿と呼ぶことも少なくなってきたと思っていたのに。
少しは賢くなったと、小さく満足していたのに。
だけど馬鹿はやっぱり馬鹿なことをするからこそ、それを所以として馬鹿な訳で。
自分でも、もう何を言っているのか混乱してくるけれど。
馬鹿はやっぱり馬鹿。
その真理に、私は今回、初めて本気で泣きそうになっていた。
アイツがあんな、馬鹿なことをするから…
「ちょっとその辺、探険…じゃなくて、偵察してみようぜ!」
「ぐーたぁー? 貴方、馬鹿?」
「う。そんな素朴な疑問みたく聞くなよ」
「偵察はちゃんと、要点のよく分かっている担当の人がいるはずよ。私達は必要ないわ」
「だからって、正論が聞きたい訳でもないんだけどさ」
アイツと二人、お留守番。
いや、他にも部下の人達はいたけれど。
私とアイツは天幕の中に取り残され、二人でお昼御飯。
私達は戦術の学習によく使うボードゲームで復習しながら、今後の予定を確認していた。
このボードゲーム。いつも私が圧勝な訳なのだが。
案の定、今日も圧勝で。
20回連続で負かしたあたりで嫌気が差したのだろう。
アイツは私に散歩に行こうと提案してきたのだ。
「リンネ、折角の遠出なんだし」
「遠出は遠出だけど、これは遠征よ?」
「遠征でも、遠出は遠出だよ。今まで、この辺はあまり来たことないし」
あまり来たことがないどころか、立場上、二人はあまり『砦』から出ない。
行ったことのある場所よりも、遙かに行ったことのない場所の方が多い訳で。
「緊張感をどこに無くしてきたの? 初めから持ってないの?」
「緊張感は、お前の担当! リンネが持ってれば、俺が持ってる必要なし」
「良いわね、気楽で。その理屈だと私が二人分の緊張感を持たなきゃならなくなるんだけど」
ちょっと二人、天幕の裏で話し合おうか。
笑顔で襟を掴んだら、アイツは顔を引きつらせて明後日へ顔を向ける。
「とにかくさ、ちょっとその辺、二人で歩こうぜ。この辺、人が一杯いるし」
「人って、私達の仲間じゃない。弱い私達を守る為に、気を張ってくれているのよ?」
「それは確かに有難いけど、偶に邪魔…」
「はい?」
「いや、なんでもない」
ブツブツと何か言いつつ、不満そうなアイツ。
笑顔で凄んでやれば、口で否定するけれど。
息が詰まるのか、口を噤んだアイツは、何だかとても残念そうな顔をしている。
「リンネの言いたいことは分かる。でも息抜きだって必要だ」
「息抜きで貴方が消えたら、部下の人達が五体倒置で嘆くわよ?」
「良いから、デートしよう。デート」
「…ディベート?」
「違う。そっちじゃない。俺、リンネとデートがしたい」
「貴方、いつの間にかお年頃だったのね」
「しみじみ言うなよ。同じ年なのに、なんでそんな枯れた目するかな…」
私は訳の分からないことを嘆くアイツを黙殺し、一人で予定を消化していた。
そうしたら、アイツが見当たらないとの報告が。
何をやっているのかと嘆く私に渡されたのは、アイツの置き手紙。
曰く、野営地傍の樫の木の下で待つので、一人で来る様に云々。
「果たし状か」
残念なモノを見る様な目で手紙を見ていたら、何故か私が残念な目で周囲から見られていた。
何故だろう。
部下の人達を引きつれ、連れ戻そうと提案した私。
それに対して、何故か羽根の人が言いました。
「此処は良い。そなたは指定通り、一人で所定の場所へ向かうが良い」
何故か皆さん、私を一人で行かせようとする。
ついていくなど恐れ多いと皆が言う。
何が恐れ多いのだろうか。むしろ、アイツを一人で放置する方が恐れ多い様な。
此処は『砦』ではないし、こんなところで一人にする危険性は皆、分かっているだろうに。
皆、何故か「いいです、いいです」と言う訳で。
訳が分からない。
羽根の人曰く、所定の場所の周囲をそれとなく警戒し、部下を配置して囲んでおくとのこと。
何故か準備は万全を期しており、アリ一匹見逃さない。身の安全は保証すると言われても。
「そなたは遠慮なく、心ゆくまで過ごしてくるが良い。呉々も、ゆっくりとな」
「速攻で連れ戻してきます」
結局誰もついてきてくれないので、私一人ででも連れ戻しに行くことに。
思えばやっぱり、これが悪かった。
その後、予定通りアイツの待ちかまえる樹下へ赴き。
妙に嬉しそうなアイツに、問答無用で右ストレートをお見舞いし。
さあて、陣営に戻るかと。
アイツを引っ立てたところで異変が起きた。
ずるっ
妙な擬音を立てて、足下が滑った。
「え」
「え?」
「えぇ!?」
アイツの見ている前、私は足を滑らせて。
そのまま緩く傾斜となっていた崖を、滑り落ちていった。
途中で驚愕の顔を向けてくる、部下の人達を何人も見送りながら。
運の悪いことに、足下の土は泥に近く、滑りやすい。
私の滑り落ちる勢いと速度に、保護しようとした部下の人達は悉く振り切られ。
やっと身体が止まったと思えば、今度は流れに沿って川に落下。
予想を超える事態の連続に、部下の人達の絶望色した顔が目に焼き付いた。
そうして滑り、流れ、元の場所から運ばれまくり。
気付けば私は見知らぬ場所に一人。
しかも、泥だらけの濡れ鼠。
あんな濁流、この身体が魔族でなければ命も危うかったかもしれない。
頑丈な種族に生まれて良かった。
そう、生まれてきた幸せを噛み締めていたら、頭上から網が降ってきた。
ばさっ
なんだろう…この、災難の連鎖は。
息をつく暇すらなく、こうして私は一人でいるところを捕獲された。
「珍しいな。こんな『人間』の町の近くに妖精か」
「おおっ しかも女じゃねぇか。高値で売れるぞ」
………だ・れ・が、妖精か。
思わず怒鳴りそうになったが、相手を刺激してはいけない。
必死で堪える私の忍耐は、後もう少しで破壊衝動に身を任せそうになった。
破壊しようにも、できるだけの実力はないけれど。
魔族の純潔たる私が、妖精に見えるだなんて納得がいかない。
どうしても腑に落ちない感情を持て余し、頬を膨らます私。
しかし周囲の状況はあれよあれよと動きまくり。
怒濤の流れと勢いで、私はまたもや見知らぬ場所へ運ばれた。
今度は川による遭難ではなく、『人間』による誘拐で。
どう見ても人工的な建物と檻が立ち並ぶ、殺伐とした不幸が彩る街へ。
こうして私は、いつかの様に魔力を封じられ。
しかしいつかとは違い、アイツも伴わない一人きりで。
私は『人間』に奴隷として扱われる者達が押し込められた、『奴隷害』へと。
どうすればいいのかも分からないまま、孤独の中に閉じ込められた。
やっぱり、アイツの我が儘になんて従うんじゃなかった。
自分の本意ではなかっただけに消化できない、そんな不満に苛まれていた。
取り敢えず、次にあったら一発殴る。
その考えだけで、自分の壊れそうな心を支えずにはいられなかった。




