この剣は信念で折れる
未だ全然登場していない方の視点です。
俺の剣は、何者にも折れはしない。
そう信じ、そうであろうとした。
ひたすらに『人間』を斬り続けた、あの頃。
折れるまで剣を振るい、死ぬまで鞘には収めるまいと血を浴び続けた。
命を奪う程に瞳は欲望でぎらつき、顔は自分でも誰かと思う程に変貌していった。
狂気、へと。
そんな、殺伐とした日常。
乾ききり、ひび割れていく心。
潤いに満ち、豊かであった心情など忘れた。
誰かを思いやり、他者の為に涙する情緒など捨てた。
俺は、『人間』を斬り続ける事さえできれば良かった。
そうやって強がって、尖って、剣の様に凶暴に…凶器となって。
だけど剣とはそもそも鞘に収められるべきモノ。
必要な時、戦うべき時以外は、静かに底にあるべきモノ。
一生、この命が召されるまで止む事はないと思っていた、暴力的な日々。
それが終わる日は、唐突にやってくる。
俺自身が、予想などしていなかった形で。
俺の剣を止め、鞘へと収めたのは二人の子供。
俺に人の心を思い出させ、斬り続けるだけを全てにしてはいけないと、教えられた。
剣だけではなく、人の心を持つ様に。
血と暴力だけでなく、他者との触れあいを得る様に。
命を刈り続けた俺の手を止めたのは…俺の知らない、小さな子供の信念、だった。
その道には、『人間』がよく訪れた。
ほんの半年前には、そんなこともなかったのに。
聞いたところによると、この道の先に新たな『人間』の拠点ができたのだという。
そんなことは、俺の知ったことではなかったが。
俺はただ、『人間』の血を流させることができさえすれば良かった。
俺からたった一人の家族を…妹を、奪った彼奴等の血を。
血を、血を、血を得ることさえできれば。
その亡骸で、死を穢すことさえできれば。
彼奴等を冒涜し、妹の代わりに奪うことができるのならば。
俺はそれだけが、全てになった。
それだけを、一人残された喪失感の中…生きる意味とすることができた。
そんなことをしても、妹が帰ってこないことは分かっていたけれど。
『人間』を斬り続け、いつしか俺のことが噂となっているようだ。
俺の居座る道を敢えて通ろうとする『人間』は、どこか後ろ暗そうな顔で怯えている。
それでもこの道を通るのだから、何かのっぴきならない理由があるのだろう。
俺の知ったことではなかったが。
無造作に、作業の様に、流れる様に。
俺は今日も、首を刈る。
一人残らず、『人間』を失わせていく。
切り裂き、叩き潰し、生命ごと刈り取っていく。
右手に握り、古い続けた剣は、いつしか俺の一部となっていくようだった。
手に馴染みすぎて、最早、手から離すことができない。
それを俺は、何時『人間』が来ても慌てずに済むとしか思わなかった。
不便に思わず、都合が良いとスラ思った。
きっと、俺の心はとっくに壊れていた。
俺のことが噂となり、一年も過ぎた頃だった。
道を通る『人間』はめっきり減ったけれど、皆無ではない。
むしろ、俺の噂を聞いてか、腕自慢や雇われ用心棒といった風体の者が増えた。
そんな者達の思惑など、俺には何の関係もなかったが。
俺は今日も、『人間』の生命を刈り取る。
俺から妹を奪った代償に。
俺が、『人間』共から生命の代償を奪うのは…当然の摂理だろう。
俺は通りかかる者を待ち構え、道の脇に転がる岩の上。
ただ何をするでもなく座したまま、『人間』の訪れを待った。
「…貴方が噂の、剣殺鬼さんですか?」
不意に、かけられる幼い少女の声。
振り向けば、そこにいるのは…多分、妖精の女の子。
妹と同じ年頃かも知れないと、咄嗟に思った。
もう、その妹はいないというのに。
手が届きそうな程、近くで首を傾げている。
俺は別に、驚かなかった。
この道で『人間』の生命を奪い始めてから、大分経っている。
その間に『人間』の気配には必要以上に聡くなったが…その分、他の気配には疎くなった。
他種族の妖精だけでなく、同族である魔族の気配にも直ぐには気付かない。
それはまるで『人間』に過敏になった代償の様だが、俺は特に気にはならなかった。
『人間』の命以外には興味もなく、どうでも良い。
あまりにも偏った気配への反応に不便を感じないくらい、俺は『普通の日常』を失っていた。
「あの、私の声、聞こえていますか?」
「聞こえているが」
「あ、良かった。あんまり反応が薄いので、聞こえていないのかと…。
剣殺鬼さんの『人間』への執着は有名ですけど、他の種族には無反応だと聞いていたので」
「…その、剣殺鬼、というのは?」
「ああ、ご存じないですよね。自分が噂で何と呼ばれているかなんて」
「俺はそんな名前ではないのだが…」
「そうですよね。こんな名前の人はいませんよ。渾名です、渾名」
「渾名か…」
「はい、そうです」
誰かと会話をするのは、何年ぶりだろう。
それすらも分からない程、俺の日々は血と狂気に彩られていた。
むしろ、初対面の少女と普通に会話できている自分に驚く。
「剣殺鬼さん、ではなく…ラフェス、さん? この名前で合っていますか? 調査が確実じゃないので、推測になるんですけど、ラフェスさんで合っていますよね」
「俺の名前は…ああ、そう言えばラフェスだったな」
「良かった。ラフェスさん、単刀直入に言いますが、私達、貴方のスカウトに来たんです」
「私…たち?」
よく見ると、少女の後方に十人以上の男達が控えている。
一様に不安そうな…心配と、警戒の瞳でこちらを注意深く窺っている。
きっと、俺が何かおかしな真似をしたら、すぐにでも飛び掛かるつもりなのだろう。
たち、と言いながら、会話に一番弱そうな少女が前面に出ている。
それだけで、この集団の長が誰か…後方の連中が護衛に過ぎないことが、よく分かる。
スカウト、という言葉一つ取っても、彼女達が何らかの集団に属しているのは明らかだ。
そんな連中が、俺を引き抜きに来たという。
この血と、暴虐の中。ただひたすらに剣だけを振り続けてきた俺を。
それはつまり、彼等が暴力を必要とする集団であること。
そんな連中を呼び寄せる程、俺の技量と噂が広まっていることを意味している。
彼等は俺を仲間にする為に赴いた。ただの噂だけを頼りに。
ならば、簡単には帰ろうとするまい。
だけどそんな彼等の事情も、俺にとってはどうでも良い。
俺にとって重要なのは、剣の重みと生命の赤さだけ。
招いていない客達には、早々に帰って頂くしかないだろう。
「ラフェスさん、私達の仲間になりませんか?」
「生憎だが、お断りさせて頂く」
「まだ、私達のことを何も説明していないんですが…決断が早すぎませんか?」
「お前達の目的も、何者かも重要ではない。俺は此処を離れず、今後も人を斬り続ける」
それだけだと言ったら、少女は不思議そうに見上げてくる。
「何故、そんなに此処に固執するんですか? 効率的に『人間』を襲いたいのなら、場所を移動するのも大事でしょうに。貴方は辻斬りを始めてからずっと、この場を動かない。『人間』を殺すことの他には何をすることもなく、ずっと此処に。それは何故ですか?」
引き下がるつもりのない意思が、少女の瞳に見えた気がした。
この場は俺の意思を明かさねば、帰る気にもなれないのだろう。
それが分かったから、全部ではないが、拘る理由の一部を明かす。
「此処は…待ち合わせの場所だったのだ。俺の、妹との。だが、妹は来ない。約束は果たされない。『人間』のせいで。だから俺は約束が果たされるまで…妹がこの場に現れるまで、此処を一日も離れないと誓ったのだ。離れず、『人間』を斬り続けると」
「妹さんは…殺されて?」
「それ以外に、なにがある? 妹は此処に来る道で攫われたのだ。最早生きてはいまい。
だから俺は、此処で『人間』を殺す。妹が現れるまで、止めるつもりはない」
言外に、俺は死ぬまで離れるつもりはないと告げる。
その言葉に少女は考える素振りを見せ、ちょっとと告げて後方の仲間達の元へと下がった。
今後の相談があるのだろう。
俺はそれを気にせず、岩の上に座ったまま目を閉じた。
もう、少女と話をするつもりはなかった。
「皆さん、聞きました?」
「まあ、聞きましたけど…この辺りなら、南に行ったところの『市場』ですかね」
「同胞の不幸は心が痛みますね。未だ、『市場』に残っていると良いですが」
「既に売られた後でも、追跡して奪取できないことはないでしょう。この辺りは田舎ですから、売却先も限られます。限定しやすさは、『ルズィラ奴隷市場』に比べると楽勝でしょう」
「ですが、また頑固な奴ですね」
「融通は利かなさそうな感じですよね。リンネ参謀、本当に良いんですか?」
「何がでしょうか?」
「確かにあの人、腕は確かでしょうが…随分、世間知らずっぽいですよ」
「ああ、それはありますね。どうも『奴隷』という発想がそもそもないようですから」
「攫われた=殺されたって考えるところをみると、以前は山奥にでも引きこもってたんでしょ」
「まあまあ、良いじゃないですか。世間知らずでも」
「ええ? 良いんですか?」
「知らないのなら、教えればいいじゃないですか。むしろ何も知らないなら、こちらの都合次第で好き勝手に教え放題なんですよ? 中々に魅力的で都合の良い人材だと思います」
「「「……………」」」
「此処は今後のことも考えて恩を売っておきましょう。彼にとっての『奇跡』を提供すれば、きっと物凄く感謝して従順に従ってくれますよ。それに同胞の不幸は見過ごせませんしね」
「何故でしょう。最後の一言がただの付け加えに聞こえます」
「オマケっぽく聞こえたよな」
「そんなことはありませんよ? ああ、そうだ。彼の妹さんが見つかった暁には、グターに引き合わせ役をさせましょう。リーダーの肩書きを持つグターに恩を売らせる方が、感謝と崇拝の念を持って私達を裏切らなくなるでしょうから」
「…俺、絶対にリンネ参謀は敵に回さない」
仲間内で結論が出たのか、少女は再び俺に向き直ると、自信に満ちた笑みで言った。
「また来ます。貴方のことを、次に来た時こそ、絶対に仲間にしてみせますから!」
無理だろう。
心の中で少女へ返した言葉を、実際には音にせず。
俺は瞳を閉じたまま、少女達の離れていく気配から意識を閉ざした。
その後、変わりなく『人間』を斬り続けた俺の元へ、今度は少年が訪れた。
見間違えなどしない、失われたはずの、俺の妹を伴って。
「り、リシェラ……!?」
「にぃに!!」
華奢で、脆い体は、暴力に慣れた身には壊れそうで怖くなる。
それでも離す事なんてできない。
俺は、飛びついてきた柔らかな子供を、力一杯抱きしめた。
ああ、だけど。
剣が邪魔だ。
右手に、手から離れることのない剣。
こんな物を持ったまま、傍に引き寄せては。
俺の妹が、傷ついてしまう。
こんな物を持っていては、柔らかい妹が、血を流してしまう。
そんなのは、嫌だな。
そんなもの…妹が怪我をする場面など、見たくない。
そう思ったら、今まで硬く強張って動かなかった指から、力が抜けた。
何も意識せずとも、体は勝手に動いていた。
がらんっ
今まで奪った命の重みに比べて、あまりにも軽い音。
人を切り始めてから、随分経つ。
その間、片時も手から離れなかった剣は…あんまりにもあっさりと簡単に。
俺の手から離れ、地面に転がっていた。
妹を連れてきた、魔族の少年が肩を竦める。
予め用意していたらしき、皮の鞘に俺が手放した剣を収める姿が見えた。
ああ、剣が鞘に収まる。
決して手放さず、決して収めず、抜き身のままにひたすら命を刈り取ると誓った剣が。
俺の殺意、害意、敵意。
『人間』を殺す為に研ぎ澄まされた、俺の意識もまた。
己の命が枯れ果てるまで、俺は決して剣を手放すまいと思っていたのに。
考えていたよりもずっとあっさりと、俺の考えていたよりもずっと望ましい形で。
俺の乾ききった心に潤いを、剣に鞘を、失われた筈の望みという答えで。
俺の誓いは今満たされ、小さな少女の言葉が果たされたことを知った。
見れば、妹を連れてきた少年に、少女が寄り添う。
満足そうにこちらを見る瞳には、自分の言葉を実現させた達成感。
ああ、彼女の言葉に、俺は従うしかないのか。
ぼんやりとそう思いながらも、気分は悪くない。
だって彼女は、俺の喪ったものを、この手に取り戻させてくれた。
ああ、満足だ。俺だって今、満足なんだ。
俺はこの先、あの二人の子供の言葉であれば何であろうと従うだろう。
そう、確信と共に二人への崇拝に似た何かが、心に生まれるのを感じた。
望外の喜び。
俺は、その言葉の意味と現実をしっかりと噛み締める。
傍らには、小さな妹。
近くには、この先に主君と呼んで忠誠を捧げることになるだろう子供達。
満たされた心には進んで誰かを害そうという気は少しも浮かばず。
まるで生まれ変わった様な、嘗ての自分を取り戻したのだと思わせる夜。
いつだって魔族を照らす月が、俺達に光を投げかける。
今日この日に生きていられたことを、俺は煌々と照らす満月に感謝した。
複数存在するグターの師匠。
…の中でも、殊更操作されやすいラフェスさん。
その、加入時のお話。




