31.夜空に咲いた、赤い花
私達に勝利を約束すると宣言し、馬で駆けていった赤い人。
その、姿。
私達は彼女をこう言い表した。
彼女は--闇夜に咲いた、赤い花。
私達の待ちかまえる先、『人間』の陣営は物凄いことになっていた。
こんなに遠く離れたこの地まで、獣と『人間』の遠吠えやら悲鳴やら慟哭やら、何やら。
色々混じり合って、とにかく凄まじいとしか言い様のない叫び声が聞こえてくる。
それでも容赦なく、私達は更に追い打ちをかけるべく薬剤散布を続けた。
私達が何かせずとも、付近の森から自由参加で獣達が参入している。
時間が経てば立つ程、混迷は極められていった。
そうして、とうとう。
私達が待ちに待った時が廻ってくる。
とうとう堪らなくなったのだろう。どうしようもなくなったのだろう。
安全な『陣地』は既に安全でなく、阿鼻叫喚の地獄へ姿を変えようとしている。
そんな危険地帯に留まっていることが、我慢できなくなったのだろう。
『人間』達が、群を成して、飛び出してきた。
最早混沌の中、結束もなく、纏まりはつかない。
我先に、我が先にと。
己の生命を守る為、自分だけは守る為、他者を押しのけ、犠牲にしてもと飛び出してくる。
襲い来る獣に、助かる為に味方を突き飛ばし。
手近の同族を楯に、餌に、囮にして。
金属に触れることもできず、何たる無防備な姿で出てくるのだろう。
今や彼等の武装はほとんど無いも同然で、辛うじて手袋越しに武器を持っているだけ。
体の大部分を覆う鎧を身につけることもできず、彼等はあまりにも柔らかくて…
…凄く、柔らかに脆そうだった。
あかい人が、舌を舐めずる。
『人間』への恨み、憎しみ、怒り。今の時代、『人間』を憎まない魔族は皆無に等しい。
破壊への衝動と、対象を転じた復讐心。思う様、弱者を蹂躙したいという欲望に。
ギラギラと輝く彼女の横顔は、破壊の女神を思わせる程に艶めかしくて。
あかく染まるのを待つ、花の様に美しかった。
あかい人が、参戦する。
馬を引き、部下を率い、破壊と死を引きつれて。
彼女の進む先には、いつも同じ光景。
踏み砕かれた亡骸と、打ち捨てられた弱者、朱く染まった大地だけが残される。
今夜もまた、それは同じだろう。
今夜もまた、彼女の進む先に、あかい花が咲きみだれる。
さあ、咲き誇れ、あかい人。
さあ、咲き誇れ、血を吸う大地。
泣き濡れる弱者も、恨み辛みを囁く亡者も振り切って。
彼女は今夜も、馬と一体となり、突き進む。
あかい闇、あかい絶望、あかい死となって。
まるで切り裂いていく様に、『人間』の波を突き抜けていく。
武運を、と祈るのが馬鹿らしいくらいに。
彼女は今日も快進撃を打ち立てるだろう。
私達は、それを信じて待てばよい。
彼女の鬨の声、勝利の声を待てばよい。
ただの帰る場所として、彼女の帰りを待てばよいのだ。
私達は彼女の勝利を微塵も疑っていない。
彼女がそういう存在であり、その勝利があまりにも当たり前に思えたから。
馬を駆る彼女は雄々しく強く、敵にとっては絶望的な程に神々しい。
ああ、矢張り彼女も規格外。化け物共の一員だから。
私達は『人間』の冥福を祈り、彼女の為の援助に徹する。
今夜は彼奴も連れて行くよ、とあかい人が言った。
「あの馬鹿も、そろそろ初陣を経験して良い頃合いだろ。修行も順調だって委員会の他の連中も言っていたし。今回は中々に良い具合だから丁度良い」
油断すれば死ぬ程には、圧倒的な兵力差。
それを無効化する為に、混沌の渦へ突き落としたけれど。
中には冷静を保ち、油断できない強者だっているかも知れないのに。
もっと小規模で、もっと簡単な戦場ではなく、この後には引けない状況で。
そんな状況での初陣という言葉に、アイツの顔からざあっと血の気が失せた。
「ディ、ディー師匠? 俺、乗馬は未だ、師匠の合格点貰ってないんですけど! あと、剣術とか体術もまだまだだって、他の師匠に言われてるんだけど!」
「あぁ? 他の奴なんて関係ないよ。私が殺れって言ってるんだから、一緒に行くんだよ」
「ええぇ!?」
「誰か、この馬鹿に馬を引いてきな」
「ちょ、ちょっと待ってよ! いきなりとか無茶だって。何の事前通知もなかったじゃん! こんな状況で馬に乗って戦えとか言われても、満足に戦うどころか、落馬して戦闘不能がオチだって。今なら乗馬素人の如く振り回されるに決まってる! だから、考え直してディー師匠!!」
俺、心構えできてないよと馬鹿が言う。
あーあ…
アイツも必死になって周囲が見えてないんだろうけど…目の前の師匠の顔くらいは、注意深く見ているべきだったろうに。
アイツが素直に従わないから、あかい人の顔が次第に苛々と不機嫌になっていく。
常なら既に気付いて青ざめ、素直に服従する頃合い。
だけどアイツは、今日に限って回りに目がいかない。
「こ、の、馬・鹿、が! つべこべ言わずに従いな!!」
闇の中、あかい人の怒号で、その場の全員が硬直した。
跳び上がって後、馬鹿も顔を青ざめさせていく。
あかい人は苛立ちのまま、馬鹿を見下ろして威圧している。
「馬鹿め! いいか、馬鹿は馬と鹿と書くな」
「はい! その通りです!!」
「つまり、馬鹿は馬の仲間だ」
「はいっ! その通りです!!」
あかい人の無茶な言い分に、馬鹿が定型通りの肯定で返す。
アイツはすっかり萎縮して、既に従順な首振り人形と化していた。
今までの折檻で、体に染みついた従順さ。
基本的に、アイツにあかい人を否定する自由はない。常に肯定、それだけだ。
「それはつまり馬鹿なお前もまた、馬の仲間という事だろう! 馬の仲間が落馬するな。振り回されるな。馬は馬らしく、他の馬とも仲良くしつつ、華麗な乗馬技術の一つも披露してみんか!!」
「はい! その通りです!!」
…馬は馬に乗らないと思う。
言っていることは理屈に合わなくても、アイツには頷くしかない。
口では肯定しながらも、アイツは内心で涙が滂沱状態。
傍目にはただのやけっぱちだが、私の目は誤魔化せない。
きっと今頃、心で絶叫していることだろう。
滅茶苦茶なことを言うなぁ! …という叫びが、今にも聞こえてきそうな気がした。
今夜、あかい人の出撃はいつもとは勝手が違うらしい。
その中に、新たな戦士としてアイツが名を連ねる。
今宵、いきなりすぎるアイツの初陣。
誰も異論を挟めない中、アイツはずるずるとあかい人に引きずられていった。
引きずられながら涙目で手を振るアイツに対し、私もせめて手を振り返す。
本人も周囲も覚悟のできていない参戦に、どうすればいいのか分からなくなる。
ただこんな時、やっぱり私は一緒に安全なところにいてほしいと、言いそうになるから。
余計なことを言わない様に、私は口を噤む。
馬で駆け出すアイツの背後、私は無言でアイツの武運を祈るしかなかった。
怪我をするなとは言わない。
だけどせめて、無事で帰ってきて…死なないで、グター。




