16.虫の羽の有無
私達が『人間』の奴隷狩りに襲われたのは、お兄さん達と別れてすぐだった。
私達はちゃんと身を隠してはいたが、ここは襲撃予定地のすぐ近く。
お兄さん達が洒落にならない怪我をした時の為、近くに控えていたのだが…
『奴隷市場』の近くは、それだけで『人間』が多い。
逃げ出した捕虜がいないか、敵はいないか、警戒して周囲を警邏する『人間』もいたらしい。そして私達が隠れていた場所は、『奴隷市場』を脱走した魔族や妖精族が、一時的に身を潜めるのによく使われるポイントだったらしく。警邏中の『人間』が、必ず一度は確認に来る場所だった。
お兄さんの大いなる加護に最近慣れていた私達は、油断もあり、戦えるだけの力もなかった為、当然の如く『人間』達に捕まってしまった。
そうして魔力封じの枷を付けられ、『ルズィラ奴隷市場』に連行されてしまったのだ。
息苦しい魔力封じの首輪。動きを縛める、冷たい手錠。
私達はひとまず、『今日の収穫』と称されて、一緒くたに一つの檻へ入れられてしまった。
捕まえるだけ捕まえて、檻が一杯になってから種族・性別・年頃に合わせて分別されるとお兄さん達に聞いていたが、確かに今入れられている牢屋の中には、様々な種族の年齢も性別もバラバラな人々が犇めいている。蠢いていると表現する程の人数はいないが、定員数の半分は超していそうな人数だ。
これだけの人数が檻に入れられているだけで嫌悪感が湧くが、『奴隷市場』の規模からすると、この牢の中身など微々たるものだろう。この場の捕虜の何十倍という虜囚がいるのかと思うと、おぞましく思う恐怖と、悲しい気持ちが抑えられない。
ああ、私はいつか、『人間』に対する嫌悪感で憤死するかもしれない。
そう思ってしまうくらいには、囚われた人々の目を見るのが辛かった。
絶望に濁り、正常な意識を封じることで己の境遇から来る辛苦に鈍くなろうとする瞳。
自分という存在を心の中に閉じ込めることで、苦痛から逃げようとする瞳。
見ているだけで、涙が出てくるのはどうしてなのだろう。
人としての尊厳を、どうして『人間』はここまで汚せるのだろうか。
種族が違うとはいえ、私達は同じ『ヒト』だというのに…。
私が辛い時、いつも私を慰め、励ましてくれるアイツ。
いつも、アイツの繋いでくれた手が私の心の支えだった。
だけど今、側にいるのに手を繋ぐことができない。
両手を縛める、手枷が邪魔で。
そのことが、何故だか無性に辛かった。
ひょっとすると、牢獄の人々の目を見ることよりも。
こんなに今、辛いのに。
こんなに今、手を繋いでいて欲しいのに。
悲しい光景から身を守りたくても、どうやって自分を庇えば良いのか分からなくなる。
思い出す為にも、アイツに手を繋いで欲しかった。
辛い現実と、求めても得られない手。
抑えきれずに顔を伏せて泣いていると、隣から遠慮がちにかけられる声。
「君、妖精族…?」
「お前の目は節穴か!!」
声も苦しく泣いていたはずなのに、不本意な問いかけに対して、つい反射で答えてしまった。
誰だ、私を妖精族と間違えた奴。
妖精には、虫のモノに似た羽がある。だけど私にはそれはない。
目が節穴さんは、私の背に虫の羽を幻視したというのだろうか。
私は生粋の魔族だと言うのに…あまりに節穴だと、潰してしまいたくなる。
「ご、ごめんなさい…!」
あまりに私が憎悪でギラつく目を向けた為だろうか。
私の強すぎる視線の先、私を妖精族と間違えた人物が縮こまって怯えていた。
しゃがみ込み、頭を庇い、小動物の様に怯えている。
あまりに弱々しく、儚い姿に、何だか今にも死んでしまいそうに見えてくる。
あ、なんだか罪悪感が…。
「あっ あの…ごめんなさい。ごめんなさいぃ…」
「ご、ごめんなさい。私も悪かったから、泣かないで?」
ビクビク震えていた相手に、なるべく優しい声を心がける。
目を上げ、こちらを見てきたのは、薄い緑の髪の少年。
--妖精族、だ…。
儚い姿の少年は、私が初めて見る妖精族だった。
なんとか宥め賺し、落ち着いた少年が改めて私に尋ねてくる。
「あの、本当に妖精族じゃないんですか…?」
まさか、当の妖精族本人にまで間違われる日が来ようとは…。
ここでとりつく島を与えてはいけないと、私は疑う余地もないくらい否定する事にした。
「ええ、本・当・に違います。私は魔族です。生粋です。偶に間違われますが、私の背には妖精の羽もありませんし、間違えられても困ります。むしろ、なんで間違うんですか」
「そ、そうですか。でも、間違えても仕方がないと思うんだけど」
「…どこが?」
「え。だって、その、色の白さとか、耳の形状とか、髪の艶めき具合とか、他にも色々。一つ一つを見れば確かに魔族にも見えるんですけど…総合的に見ると、妖精にしか見えません」
「貴方、よっぽど目を潰されたいんですね…?」
「…っごめんなさい!」
先程の私の剣幕がどれだけ恐ろしかったのか、妖精の少年は私が睨むとすぐに怯える。
このままでは話が進まないと分かっていて、それでも睨まずにはいられない、私。
「大体、先刻も言ったけれど、私には羽なんて無いわよ。それで何で見えるって言うの」
「ああ、リンネちゃんは知らないんだね」
少年は苦笑を隠さず、私に背を向けました。
いきなり何だと思ったが、背にあるはずのモノを見て、私の思考が固まった。
「え…?」
少年の背には、妖精族特有の羽があるはず。
だけどそこにあるのは、ずたずたに引き裂かれ、ボロボロになってしまっている、脆い羽。
「妖精の羽って、実は見た目以上に脆いんです。強い力で掴んだだけで、すぐに破れてしまうくらい…。『人間』に捕まってしまった同族には、無事な羽を持つ人の方がいません。みんな、手荒に扱われたり、捕まえられる際に配慮して貰えなかったりで、破れてしまう。逃げるのを邪魔する為に、わざと羽を狙う『人間』もいます。今の時代は、羽を失う同族が多いんです…」
そう語る少年の声には、隠すことのできない痛みと、震えが合って…
隠しきれない感情に呼応する様に、羽の『残骸』が、ふるふると震える。
本来なら、四枚の羽があったのだろう。
「今は、羽のない妖精は珍しくないんですよ…誰も、羽が無いことには触れません」
そう言って、少年の吐きだした吐息は、諦めを含んでいた。
破れた羽は、戻らない。千切れた羽も、戻らない。
少年の無惨にも裂かれた羽は、一枚が失われ、残りも無事とは言えない。
半分以上が裂かれてしまっている羽もある。
妖精族の象徴とも言える羽は、彼の囚われの身を示す様に、憐れなモノだった。
予想もしていなかった悲壮な展開に、私は息を呑んだまま。
羽を失う痛みを思い出したのか、少年の顔も悲痛に歪んでいる。
私も少年も、隠しきれない衝撃が残っていて。
私達はどう動いて良いか分からず、見つめ合ったまま固まっていた。
そんな緊迫の空気をあっさりと壊したのは、いつもの如くアイツだった。
「よっしゃあぁぁぁぁ!!」
いきなり、すぐ側で場違いな勝利の雄叫びが聞こえた。
此処は檻の中だというのに。あまりの場違い感に、違和感が凄まじい。
ビクッと身を引きつらせ、私と少年の肩が跳ねる。
「ぐ、グター?」
そう言えば、アイツは一体何をしていたんだろう。
いつもだったら、敏感に私の不安を感じとって励まし、慰めてくれるアイツは。
今回は私が心細く思って余裕を失っていても構うことなく、私が妖精の少年と対峙しても関わってくることなく。今回ばかりは珍しく、本当の本当に私のことを放置して。
それで一体、アイツは何をしていたというのだろう?
勝利の雄叫びに、嫌な予感しかしない。
「リンネ!」
「な、なに?」
アイツが、私の両肩を掴んで自分と向き合わせ、身を引き寄せる。
…ん? 両肩を、掴んで?
あれ。アイツも私と同じく、手枷を付けられていた筈。
手首なんて、十㎝も離れないはずなのに……。
「え。なんで。グター、何やったの!?」
目の前で、晴れ晴れと笑うグター。
その笑顔はやっぱり、薄暗い檻の中でも太陽の様で。
むしろ、檻の中の闇を晴らそうとするかの様な、そんな輝かしさで。
近くにいた虜囚の方々が、笑顔の余波にやられて、眩しそうに目を細める。
いつもは私を落ち着かせるアイツの笑顔も、今は私に混乱しかもたらさない。
だって目の前のアイツは…アイツの手は。
先程までは、確かに私と同じく縛められていたのに。
だというのに、いつの間にやら、一人だけ自由を取り戻していたから。
お前、手枷どこにやった?
「リンネ、手を貸して!」
私の困惑など、知らぬげにアイツは私に笑顔を向ける。
いつもの様に、いつもの態度で頼ってくる。
その笑顔と、頼ってくれるアイツが嬉しくて。
混乱しながらも、私はつい、アイツの頼みに頷いていた。




