118.妖精の熱視線
詳しい話を聞いたわけではないけれど、ラティは妖精の国では名家の出身らしい。
今だって、妖精女王から全権を委任され、大使として魔族の元へ出向している。
それはつまりそれなりの地位を持ち、女王の信任厚いということで。
そんな彼が調印式に同行するという言葉に、私達が否やを挟めるわけはない。
………残念なことに。
その日は良く晴れていて、快晴という言葉が正によく似合う。
なのに何故だろう。
私は、何故だか空一杯に暗雲が立ちこめている様に錯覚した。
穏便に今日が終わるだろうか。
晴らせない不安に、緊張してしまう。
にこにこと、いつもよりも華やかに笑うラティの顔が、直視できないくらい眩しかった。
各種族の長が集い、争いの決着が明確な形となる。
私達魔族からは、代表として一応アイツが表に立っているけれど。
どうにも心配事が多いこともあり、私を始め何人かが補助に付いている。
竜人族や妖精からも長がこの日に合わせ、駆けつけた。
どちらの長も滅多なことでは己の里から外に出ない。
竜人族の長は住処の島から出るのも初めてとあって、どうにも酷い緊張状態。
そんな状態なので、私達魔族が主導を取るのに否やはないらしい。
一番『人間』と関わってきたと言うこともあり、今日は私達の晴れの舞台にも近かった。
そんな中で、笑顔のまま殺気を放つ妖精が一人。
私の隣に張り付いて、妖精達に用意された陣にも行くことなく。
ただただ、緊迫した空気を撒き散らしている。
「………ラティ、今日は平和を作る為の日だって、知ってる?」
「勿論だよ、リンネ。それで、僕の弟はどこにいるのかな?」
「分かっていても、その殺気を抑える気はないのね…」
もう、色々と諦めた。
君主として長として、最初の晴れ舞台に当る今日、アイツはとても忙しい。
その手を煩わせるわけにもいかないので、ラティの抱える問題は伏せたのだけど…
お陰で、私が面倒なラティの相手を一手に引き受けることになってしまった。
「一応、今日は妖精の陣にいた方が良いんじゃないの? 妖精として参列するんでしょう」
「いやだな、リンネ。そうしたら君から離れないといけなくなるじゃないか」
キラキラさんにも負けないくらい、今日のラティの笑顔は輝いている。
だけどその笑顔に寒気しか感じない私は、ちょっと疲れているんだろうか。
「その意図するところは?」
「弟の居場所と、弟を連れてる人間。それを知っているのは君だけなのに、どうして離れないといけないのさ。君には弟の所在を教えて貰わないといけないのに」
「ああ、やっぱりそう言うことなのね…」
私を逃がすまいと、いつも以上に隙のない笑顔を浮かべるラティが怖い。
こちらに「彼の弟を置き去りにした」という負い目がある分、殊更に。
他にも、伏せてはいるけど案山子のことなど…秘密にしている負い目が多すぎる。
せめてあの妖精の子が五体無事ならば…そう、願うけれど。
何故だろう。
案山子の存在を忘れていないから、妖精の子が無事でいるか…今ひとつ、心配で。
一刻も早く、せめて王女と話をしなければ。
そんな強い思いに、今日が滞りなく終わることを切望する。
だから、王女マルリットの姿を見た時、安堵に全身の力が抜けそうになった。
彼女と別れて、もう随分と長い時が過ぎてしまった様に思える。
『人間』の身には過ぎる強い魔力故に、ボロボロになっていた彼女の身体。
最後に会った時には、歩くことさえままならなかったというのに。
久方ぶりに見る彼女は、最後に会った時から大きく変化していた。
美しく、健やかな少女へと。
まるで別人の様に。
自分の二本の足でしっかりと歩む彼女。
ゆったりとした足取りながら、ちゃんと自分で歩いている。
その姿を見た時、私は感動に一瞬だけ全てを忘れた。
彼女が健康を取り戻す為、少なからず協力した身として。
面倒な妖精の事も、腹黒い親友のことも、山積みの仕事のことも。
全部が全部、頭から追いやられてしまっていた。
そうなって、初めて。
それくらい彼女のことを案じていたのだと、自覚する。
相変わらず『人間』は嫌いだし、これからも好きになれる気はしないけれど。
それでも何事にも例外とはあるもので。
あの緊張と覚悟を強いる王宮の中。案山子の側で。
僅かなりとも私の心の支えになったのは、小さな養成のラフィラメルトと、儚い王女。
彼女と打ち解け、協力を得て。
王女との交流。それだけが、私が『人間』の国で得た、確かな成果。
やっぱり『人間』は嫌いでも。
彼女だけは別なのだと、明確に意識した。
だからこそ、今後も彼女となら上手く渡り合えていく気がする。
これから彼女は『人間』の国主と、長となる。
私の幼馴染みたるアイツが魔族の長になり、きっと私はその側でアイツをずっと支える。
これから関わり合いになる機会も、少なからずあると思うから。
せめてこれが、嫌いな『人間』の長が好ましい彼女であることが。
そのことだけが私にとって、『人間』と関わっていく上での救いになればいいと。
そう、思った。
だからこそ。
ええ、だからこそ。
私は、危険な今のラティから、彼女を守らなければならない。
何故なら彼女こそが、ラティの弟の推定保護者に該当するのだから……。
彼女を庇ってラティとぶつかる少し先の未来を予測し、私は覚悟と唾を飲みほした。
損な覚悟がある意味杞憂に終わり、別の意味で更なる覚悟を要すること。
そんな予測もしていなかった未来が待ち受けていることなど、微塵も思わずに。
「ラティ、見える? 今出てきた彼女がマルリット王女」
「………」
「その、ええ。彼女が貴方の弟を保護しているはずなんだけど…」
「……………」
「って、ラティ。ラティ?」
「…………………」
「おーい?」
王女の姿を目にしたきり、固まってしまったラティ。
その瞳だけは、何故か輝きを強めて…
………なんで、そんな食い入る様に王女のことを凝視しているんでしょうか。
全く反応が返ってこないので、心配になって妖精の眼前でパタパタと手を振る。
すると彼の右手だけが閃き、邪魔だと言わんばかりに私の手を押さえ込んだ。
そのまま自分の視界を確保すると、やはり最初と変わらず表情は動かないまま。
ただ、その目だけが食い入る様に王女を見ている。
まるで、呼吸すらも忘れてしまっているかの様に。
「………ラティ?」
「……………」
相変わらず、返事は返ってこない。
妖精はひたすらに、王女の姿だけを目で追っている。
私の姿など、まるで全く眼中に入っていない様子で。
「……………」
心なしか、その瞳の奧に熱っぽいナニかが見える。
でもその熱が何なのか、考えたくない。
ただ、そこに物騒な色は…争いを招く憎しみや怒り、悲しみが見えないことは分かる。
それだけは確認して、私は安心しても良いはずなのに。
何故か、全く安心できる気がしない。
そう、まるで…別の争いの火種が燃える瞬間を、目にしてしまった様な…
どうしてだろう。
最初に予測していた危機は回避できたようなのに。
全く別の危機が到来してしまったような気がして、私はラティの側を動けずにいた。




