108.白い笑顔は黒より怖い
私の制裁を喰らって、アイツは伸びてしまったので。
詳しい説明を、私達の遣り取りをニヤニヤと見守っていた相手に求める。
「とても楽しそうなところ悪いんだけど、ウェアン?」
「ふふ。今とっても愉快だから。何かお願いがあるなら聞いてあげるよ」
「うん。それじゃあ、遠慮なく」
私は素早く接近すると、彼を先程までのアイツと同じ目に遭わせた。
即ち、両頬に手を伸ばし…ぐいっと力強く引っ張る。
「ぶふっ」
いつもすまし顔の彼の顔が、かつて無く間抜けに見えて…私は噴き出さずにはいられなかった。
ウェアンの顔が、不機嫌さを表して盛大に引きつる。
ああ、危ない危ない。
これ以上怒らせたら洒落にならないので、私は大人しく手を離した。
「先ずは改めて説明して? 隠れ里にいるはずの貴方が、どうして此処に?」
「…言わないでも分かると思ってたけど?」
呆れた色を視線に乗せて、咎める様に私を見下ろしてくる。
うん? 言わずとも明らか…?
「君達が心配だったんだよ。リンネとグター、君達の二人共が」
そう言って深々と溜息をつくと、疲れた顔で嫌そうに続けた。
「何しろ君達ってば、何やってるのか困惑する様なことになってるからさ。本当に、予想外だよ。僕の予想をこんなに外すのは君達ぐらいだね。リンネは一番堅固に守られていたはずなのに、何でか『奴隷』になるなんて有り得ないことになってるし。そのせいでグターは荒れて酷い有様だし」
「…改めて淡々と聞かされると、事実でも耳に痛いわね」
「そりゃあ痛いだろうね。こんな状況だし、せめて所在がはっきりしている上に放っておけない大惨事になっている親友を、側で支えたいと思うのは変かな?」
「ううん。変じゃない。とても立派で人情味溢れてると思う。ウェアンらしくないけど」
「僕だって、自分らしくないと思うさ。それでも放っておけないと思ったんだから仕方がない」
そう言って、彼はすっかり諦めた顔で肩を竦める。
それはうんざりした口ぶりだったけど…でも、すっきりしている様に見えた。
「それでリンネ? 君はこれからどうするのかな」
「…質問するのは、私の方じゃない? 私、起きたばかりで状況把握もままならないんだけど」
「まあ、それは考慮するけど。それでも当面、方針の方は考えてる事があるんじゃない?」
「それこそ、どうして私に聞くのかな…」
気を取り直した様子で私に尋ねてきた内容は、本来、組織の頭に聞くべき事だと思う。
だって彼が聞いているのは、「個人としての方針」じゃない。
ただ聞いているだけなら私としての方針かとも思うんだけど…
意味ありげな視線に、含みを込めた口調。
この野郎…。
私はずっと仲間達の元を離れていて、数ヶ月眠りっぱなしだった。
当然だけど、今この場にいる仲間達の中で、一番情報にも疎いし状況も掴めていない。
だというのに。
この厄介な幼馴染みは、どう見て取っても私に「組織としての方針」を尋ねている。
ソレを尋ねるのは、相手が違うと声を大に言い張りたい。
昔から厄介な買いかぶりをしてくる相手ではあったけれど…
それを私に尋ねる意味があるのだろうか。
それを考え、正式な方針として答えるべきは、どう考えてもアイツ。
現在私の肩により掛かってぐったりしているグターの仕事だと思うんだけど…
「だって」
ウェアンが、私ににっこりと笑う。
私とアイツの顔を交互に、確かめる様に見て笑う。
背筋を悪寒が走った。
黒い物など欠片も見えない、その笑みに。
根っから黒い彼がそうやって笑う意味が、計りかねたから。
「だって、昔からいつだって、グターの代わりに考えるのはリンネの役目だし?」
「それはこの場合に置いても適応なの? 私、今思いっきり情報が足りないんだけど」
「それでも大まかな方針くらいは決められるんじゃない? 情報が足りないなら提供するし?」
「………どうあっても、私に考えさせる気?」
「だって、グターだよ? 此奴に任せるとか…不安で仕方ないじゃない」
「だから、考えるのは私の仕事だって?」
「よくおわかりの様で安心できるね。やっぱりリンネに任せるに限るよ」
うんざりした顔を向けてやっても、彼のにっこり笑顔は崩れない。
むしろ突き放す様に、壁を作られた気がした。
何だかんだ言っても、やはり私達は幼馴染みで。
幼年期から培った常識とか、考え方とか、思考回路だとかに似通った物がある。
いや、何かを判断する上での条件が似てるのだろうか。
似た様な頭の作りをしているつもりはないのに…
考えるのは、私の役目。それはアイツの口癖の一つで。
周囲を見回しても、他にいた誰もが私の顔を見ている。
そこに見えるのは、期待の色。
私の答えを待ち望む顔。
私は今日、突発的に話し合いの場に参加して。
情報が足りないから、当面の色々や今までの色々に関して説明を受けている立場なのに。
なのに、何故か私の発言が求められている。
今この場で、私の発言権など無いに等しいのではないの?
だって、本当に何も分かっていないのに。
こんな私に発言させようなんて…無謀なのは気のせいか。
何故、そんなに従順そうな顔で私を見るの。
どうして目がそんなに輝いているの。
あれ、皆、こんなに考え無しばかりだったかな…と。
私は仲間達の頭を疑ってしまった。
アイツがぐったりしていても、誰も気にすることなく。
むしろ嘗て当たり前だった、懐かしい日常が帰ってきたと。
皆が感激して、喜んでいることなど思いもせず。
私の答えを本当に聞きたがっているなんて、考えもせず。
私は心の底から、皆の考えが分からずにいた。
肩にのしかかるアイツの重み。
それがなんだか、いきなり重く感じて。
慣れたはずのソレが、責任の重みに感じて。
私の顔は、自然と引きつってしまった。
私を追いつめる視線の中、笑みを深めるウェアン。
彼が、私に逃げを許さない。
今すぐ答えを出せと、その笑みが迫ってくる。
「別に今、答えを出せと言わないよ。後で撤回しても良いから、思うところを言ってみてよ」
「ソレを言っている時点で、答えを迫ってるのは気のせいかな…?」
めちゃくちゃ逃げたくて仕方ない。
でも、ウェアンの笑顔から逃げる方法が見当たらない。
今この場で何か言えと、怖いくらいに真剣な目が言っていた。
兎に角、何かを言わないと許して貰えないらしく。
あっさり許しては貰えないと悟った私は、かつて無く追いつめられていた。
「と、取り敢えず…個人的感情としては、『程々に』という言葉を推したいんですけど」
何か答えを、そんな思いに追いつめられて。
ついうっかり、私は正直に思うところを告げていた。
これから命がけで戦うという状況下、許される言葉だとは思えなかったけれど。
種族を賭けての戦い直前に、言っちゃいけない言葉だとは思ったけれど。
本当につい、本音が零れたんだ。
「程々に? ソレって、どんな感じ? どの程度?」
「その…『人間』を滅ぼさない程度で、とか…?」
「じゃあ、そんな感じで」
そう言って、ウェアンは狡猾にニヤリと笑った。
黒い………。
幼少の頃、誰かを罠に嵌める時に見せた、見慣れた笑顔。
私は別に罠に嵌められたわけではないけれど。
彼の思惑のまま、貶められている気が、ひしひしと。
本当に、ひしひしと…!
皆の考えが分からずとも、分かることが一つ。
全てを押しつけられた、と。
それが分かってしまったから。
私はがっくり肩を落とし、思わず頭を抱えてしまった。




