100.首
アイツはいつの間に、こんなに変わってしまったのだろう。
思い出の中のアイツは、いつだって変わらなかったのに。
私が目を離していた間に、アイツは私の手を離れてしまった。
その進む道は、今でも私に寄り添おうとしているのに。
私は、寄り添っているつもりなのに。
アイツは未だ、私と手を繋いでくれるだろうか。
もう一度、手を繋いでくれるだろうか。
私の知らない面、知らない姿を造りあげて。
アイツは私の知らない人に、なってしまったんだろうか。
私の前では、今でも変わらないけれど。
それは、そう振る舞っているだけなのか。
疑念が胸を過ぎる度、寂しさ切なさで辛くなる。
アイツの屈託のない笑顔を見れば、それがただの疑念だと思うのに。
思うのに、アイツに私の知らない姿もあるという事実で、胸が刺される。
それでも。
それでも、アイツが私に見せる姿も、本当のアイツ。
アイツが私に笑いかける顔に、滲み出る温かい気持ちに。
裏表を感じさせない真っ直ぐな気持ちに、そう思う。
たとえそれが、アイツを構成する人格の一部に過ぎなくても。
たった一面限りでも、それが私にとっての本当のアイツ。
沢山あるアイツの『本当』の、その一部。
偽りだとも、思えない。
私に対して、偽るのは許せない。
アイツは私に対して優しくて、大らかで、心を許していて。
いつの間にかわたしの知らない『アイツ』も、育てる様になっていたけれど。
内包したソレを、私に知らせない様にしたのはどうしてだろう。
その真意を知ることはできないけれど。
それもまた、アイツが私を大切に思う故だと、信じたい。
アイツは私に、どこまでも甘いから。
そしてほら。
私を前にすると、アイツは情けなくなる。
アイツはいつだってどんな時だって、私に対しては素直で従順で。
とてもさっきウェアンから聞いた話とは、同一人物とは思えない。
だけどそれも。
それも本当のアイツだと思うと、いつか見てみたい。
アイツが私に見せるつもりがなくたって。
無理矢理だろうと心の中をこじ開けて、徹底的に暴いてしまおう。
自分にならそれもできると、根拠はないけど心の中で秘かに鼓舞した。
私が側から離れて、寂しそうな顔をするアイツ。
うろうろと、手が彷徨っている。
一瞬だけ泣きそうな顔を見せて、縋る様に私を見る。
アイツが私に手を伸ばそうとするのを見て、素振りを封じる様に私は笑った。
「またね、グター。本当に直ぐ起きるから、次は昼間の現実で会いましょう?」
アイツの手が及ぶ範囲から逃げる様に身を翻し、私は現実を探して身を投げる。
目が合った穀物神様と夢の神様に、思いを込めてお辞儀を一つ。
にっこり笑って、手を振った。
「ありがとうございました!」
それが別れの挨拶。
私は、アイツに掴まる前に、目覚めに向けて飛び込んだ。
目を覚ます方法なんて、具体的にどうすればいいか。
そんな方法知らない。
ただ、こうすれば目を覚ませるんじゃないか。
そんな根拠のない思いつきと、直感に従った。
夢の神様が私を癒す為に編み上げた、方陣。
その中央に、夢を漂う光がわだかまっている。
さっきまでは無かった現象。
目に見える、変化。
他にとっかかりも思いつかなかったから。
私は目覚める切欠にソレを選んだ。
体当たりする様に、飛び込んでいく。
夢の世界のその奧に、落ちていく気がした。
夢の世界は思いこみの世界。
信じることで、自分のやりたい様に世界を歪ませる。
できると思えば、何だってできるのだ。
目覚めという、出口を探すのは多分思うよりも簡単だ。
だって、以前は毎日毎朝、できていたんだから。
できると思えばできないことはないと、穀物神様は言っていたことだし。
根拠なんて無くても、こうすれば目覚められると思いこめば、きっと起きられるだろう。
とっぷりと溜まった夢のたゆたう光の中に、昼間の世界への道がある。
そう、信じて。
現実へと帰る為、私は落ちていく。
先に起きていてもいいから。
大人しく、ちゃんと逃げずに待っていてね、グター。
本当に、直ぐに会いに行くから。
目が覚めて一番に、貴方を探すから。
誰よりも一番に、貴方に向かって走るから。
待ってて。
皆の話を聞く度に、気持ちは固まっていた。
ずっとずっと、そうすると決めて思いを強めていた。
貴方に会って、私はその決意を果たすでしょう。
目が覚めたら。
何を置いても、どんな状況であろうとも。
アイツを絶対、絶対、殴る。
何が何でも一発殴る。
本気の本気で、一発殴る。
いや、この際一発に限定することはないか。
どんなことになっても構わないので、グーで殴るとずっと決めていた。
そう、目を覚ましたら第一に。
その為だったら、誰に阻まれようと構わない。
目が覚めたら私の本気で殴るから。
「首を洗って待っててね?」
私の不穏な呟きは誰にも聞かれることなく。
ただ、眩い光の中にぽつんと落ちた。




