90.夢の神
呆然と見入る私達にも気付かず、幼子の振るう木槌。
打ち付けられる五寸釘。
腕が振るわれる度に、痙攣する様に跳ねる藁人形。
その幼げで小さな口から飛び出すのは、穀物神様への呪詛としか思えない言葉。
何でしょう……この、異様な光景。
衝撃的すぎる光景を前に、私達は一歩も動けずにいました。
どうしましょう。
目の前の幼子の行いを見るからに、いい知れない気持ちになります。
膨れあがる疑問をぶつける先は、穀物神様しか思い当たりませんでした。
「…穀物神様」
「な、なんでしょうっ」
「あの怖い子と、何かあったんですか?」
「………えーと」
「言い辛い何かが、あったんですね?」
「心当たりは、ある様な無い様な…」
「でも見るからに尋常な恨まれ具合じゃありませんよ?」
「………。私、あの方に見つからない内に逃げても良いですか?」
精一杯に目を泳がせる穀物神様は、疚しいことがあるのでしょうか。
腰は既に退けています。
逃げたいという気持ちに偽りはないのでしょう。
ですが穀物神様の主張は、ちょっと遅かったようです。
だって。
「貴様っ そこにいるのは穀物神か!?」
…見つかって、しまいましたから。
ギラッと目には殺意を漲らせ、吊り上がった目で睨み付けてくる幼子。
それを前に、穀物神様が諦めた様に弱々しく笑いました。
「今更ですが。穀物神様、あの方は何方ですか?」
もう既に半ば予想はできていましたが、確認の意味で問うてみます。
内心では、是非とも否定して欲しいという気持ちで一杯でした。
ですが、まあ、事実は覆らないと言うことで。
穀物神様は余裕など無いだろうに、律儀に私の疑問にお答え下さいました。
「…あれが、私達が探していた夢の神。この夢の世界の管理者です…」
「マジでか!?」
察しの良い羽根の人は気付いていたようですが、アイツは気付いていなかったのでしょう。
あからさまに驚いて、目を見開いています。
その後ろで、状況の良く飲み込めていないお兄さんと爆破魔さんが首を傾げていました。
…あ。
そう言えば、二人に詳しい状況の説明をしていなかった気がします。
爆破魔さんに至っては、夢の神を探していることすら言っていなかった様な…。
………。
これから説明すれば、きっと大丈夫ですよね?
神々しい光を撒き散らしながらも、穀物神様を鋭く睨み付けて詰め寄る幼子、夢の神様。
幼子に詰め寄られ、たじたじと腰の退けてる気弱そうな青年、穀物神様。
どうしましょう。どうしようもなくシュールな光景ですね。
もしやこのまま、私達の与り知らぬ事情による怨念の戦いが始まってしまうのでしょうか。
私の懸念は、きっとこの場の全員が共通して抱いているもの。
ですが大丈夫でした。
私の懸念は、意外なことに外れたようです。
幼子に見えても、夢の神様が意外と理性的な方だった様なので。
「穀物神よ、なんでアンタが此処に? 惨殺されて500年は復活しないはずでしょう?」
「ふ、復活はしてませんよ? まだしてませんからね? だから容赦して欲しいんですが…」
「それはこっちが決める」
先程までの様子から、夢の神様はきっと問答無用で穀物神様に襲いかかると思っていました。
恐らく、穀物神様も。
でも夢の神様は観察する様に、じろじろと穀物神様を眺め回して、舌打ちを一つ。
「確かに、復活はしてないか。なんだ? その馬鹿みたいな状況」
そして、忌々しそうに吐き捨てました。
「…チッ 仕方ない。完全に復活するまで、当初の予定通り500年待つことにする」
「夢の神…!」
500年待つという夢の神の言葉を聞いた途端、穀物神様は安心した様に笑いました。
今までの不安そうに怯えた顔から一転して、パアッと輝くようです。
幼い顔立ちに似合わない夢の神の物言いですが、何かしら私達には分からない穀物神様の状況を見ただけで読み取ったようです。それを理由に恨み辛みを一時治める分、彼の御方はやはり見た目通りの幼さとは無縁のようです。
神様ですものね。幼くないのは当然ですよね。外見は幼いけど。
「…待つだけで、許すワケじゃないけどな」
「ゆ、夢の神…!?」
「そんなワケだから、安心すんな。油断してっと噛み千切る」
持ち上げて、落としましたよ。夢の神様。
「むしろ500年溜め込む分、待ち受けるのは苛烈な仕置きだと覚悟してろ」
「待って下さい、夢の神! そもそも、私が何をしたというのですか!?」
「え? 決まってるだろう」
必死に言いつのる穀物神様は、危害を加えられるのはご免とばかりに真剣です。
しかしそれに対する夢の神様は、ケロッとした顔で言いました。
「お前んとこの『人間』の行いのせいで、ここんとこ仕事が倍増してんだよ。その腹いせだ」
「やっぱりそれが理由なんですか!!」
…ああ、半ば予想は付いていたんですね、穀物神様。
穀物神様は絶望した様にがっくりと膝をつき、諦めた顔で嘆くのでした。
後で知ったのですが、穀物神様は御自分の行いは問題ないのに、部下とか『人間』とかの起こした問題を追及されたり責任を取らされたりすることが多いらしく。
ここ最近は、『人間』の起こした諸々のとばっちりで酷い目に遭っているそうです。
主に、夜の神様から。
それを聞いて、何となく納得しました。
ああ、やりそうだな…と。
確かに『人間』の行いには問題があると思いますが。
遠い天の上で、自分のしていないことで責められるなんて。
穀物神様の不憫さに、私は深い同情を寄せずにいられませんでした。




