88.ふっとばすもの(豪快にお願いします)
どうしましょう。困りました。
まさかこの世に、お兄さんの拳を受け付けない物質があったなんて…
普通に考えて結構その辺にありそうな、ありふれた事実。
だけどそれを改めてまざまざと見せつけられると…
無意識の内にお兄さんの拳は無敵だと、私達は思いこんでいたのでしょう。
結構ありそうで初めての事態に、私達は衝撃を受けずにいられませんでした。
此処は夢の世界。
決して現実の世界ではなく、目に見えるモノも、現実に存在する物質とは限らない。
だけど、だからといってあの破壊魔を地でいくお兄さんの拳を防ぐなんて…
この世界は精神達の世界故に、思いこみや信じる心が影響すると穀物神様は仰います。
ならば益々、単純で簡単な作りの頭の持ち主たるお兄さんが負けたなんて。
お兄さんが壊せると、心の底から真実信じていたら、きっと打ち砕けたのに。
だのに、お兄さんはどうやら心の底で「月は壊せない」と思っていたようです。
普段は人一倍破天荒な癖に、意外なところで自分の力量を弁えていたらしい。
まあ、月を壊すなんて…夜と月の神を奉じる民としては、禁忌に近い感覚ですが。
それでも、お兄さんならばやれると、私は信じていたのです。
私の思考は先程から滑りやすくなっています。
お兄さんの拳が迫り負けた事実に、それだけ信じられない思いでいました。
お兄さんはゆっくり立ち上がり、月を殴りつけた右手を振って様子を確かめます。
月を殴ったお兄さんの拳は、赤くなっていました。
「あ~…こりゃ、駄目だわ。俺が殴っても直ぐには砕けそうにねぇし」
「アー師匠、諦めんのは早いんじゃ? 何事も挑戦あるのみ! ってことで、もう一回殴れば?」
「テメェ…他人事扱いしやがって」
「いや、他人事だし」
「けど中に用があんのは、俺じゃなくてテメェ等だろうよ」
「ああっ そうだった!!」
「…って、グター? 貴方、忘れていたの…?」
「済みません、リンネさん! だから拳を握るのは止めて! 恐いから!」
「いえ、良いのよ…貴方が忘れていても。所詮、貴方だって他人事よね。夢の神様にお会いしなければならないのは私で、切実な事情があるのも私なんだもの…」
「俺だって、切実だよ! リンネの目覚め如何に関わってんだから、俺の方が切羽詰まってる!」
力強く言い切ってくれました。
アイツの目が、痛いくらいに真剣です。
アイツのこんなに真剣な目、私だって数えるくらいしか見たことがありません。
「グター…貴方、そんなに私のこと…?」
「…俺、リンネが起きて、側にいてくれないと嫌なんだ」
「そんなに、私に対して甘ったれていたなんて」
「………リンネさん? もしもし? なんで、そんな恐い目で俺を睨んで…」
「ああ、幼馴染みとはいえ…女に縋る様な、情けない男に育っていたなんて」
「ちょっ リンネさん!? 俺の言葉の意味、根本を履き違えてませんか!!?」
「いいの。皆まで言わないで、グター。私、分かってるから」
「いや、絶対に分かってねぇよ!?」
本当にいつの間にそんなに私に依存する様に…。
幼馴染みとの付き合い方を、ちょっと考えてしまいます。
残念ながら私は、強く執着されても戸惑いばかりが先に立っているのが、現状で。
「彼は私がいないと駄目なんだわ」なんて酔いしれる性格はしていない訳で。
むしろ将来の国主に縋られ頼られても、「こんな軟弱じゃ、マズイだろ」としか思えない訳で。
色々と浮上するアイツの性格面での問題に、建設的な改善案を考えるべきでしょうか。
どうやら私に縋っているらしいアイツに、私は軽く頭痛を感じました。
「私、頑張って貴方の甘えた性根を矯正してあげるからね」
「やっぱり分かってねぇ!!」
何故か、アイツは絶望した様な顔で頭を抱えていました。
何をそんなに絶望することがあるというのでしょう。
私が何を分かってないというのでしょうか。説明も無しじゃ分かりませんよ。
変なアイツ。
その後、アイツが珍しく口を尽くして弁解してきました。
言わんとするところを私なりに解釈して見たところ、言いたいことが分かりました。
私が短くない期間、消息不明でアイツをとても心配させていたこと。
再会できたと思えば意識不明の昏睡状態で、ますます心配させるばかりだったこと。
その状態でやっとの再会です。
多少べったりになるのは大目に見ろとのこと。
言われてみればその通りだと思えたので、矯正計画は一事見送ることにしました。
ですがそう結論づけたところで、別の所…お兄さんや羽根の人からの抗議が入ります。
何故?
羽根の人やお兄さんの主張によると、アイツには別の方向で矯正が必要とのこと。
特に、私が四六時中尽きっきりでアイツの問題点を改善して欲しいとか。
…私がいない間に、本当に何が…というか、アイツは何をしたんでしょう?
この夢の世界で、度々行き当たる疑問ですが、誰も明確に答えてくれません。
ですがどうやらアイツが何かやったことには間違いない様で。
その当たりの追求も含め、目覚めてからやることは山積みです。
一刻も早く、目覚めねば。
その為にも、月を割らねば。
でも、どうやって?
皆で頭を付き合わせ、良案を探します。
穀物神様は、頼りになりませんし。
本当にいるだけの、アドバイザー的な存在と化しています。
神様としての禁則時効がいろいろあるので、過度な助力はできないとのことですが。
そろそろ、穀物神様がいる意味を見失いそうです。
いや、色々と有難い助言も戴いてはいるのですが。
皆で案を持ち合い、対策を練ること30分。
お兄さんが、こんな事を言い出しました。
「マゼラを呼びつけよう」
きらん☆ と目が光っています。
はい? 一体、どういう事ですか?
何故いきなり、ここで爆破魔さんを呼びつける話になるのでしょう。
「個人的な武力じゃ、俺と違っけどよ。爆破至上主義のアイツの火力は、目を見張るもんがあんだろ。アイツの破壊への拘りと執着は俺以上。アイツの純粋な破壊衝動に賭けてみよーぜ」
「何となくお兄さんがマゼラお兄さんを認めているらしいことは窺い知れるけど、物騒なことしか言っていない自覚はありますか?」
「まー、待てや。それによ、テメェらも言ってたじゃねぇか」
「何を?」
「俺が月を砕けねぇ理由。種族的に生まれ持った、魔族としての月への思い入れ?っつーヤツが原因だろって。夜と月の神様への、崇拝が無意識に制止してんだろーって」
それは、先程私と羽根の人が議論の末に結論づけた理屈。
私達魔族は、月を司る神の末裔。
魂に刷り込まれた種族としての、月への崇拝。
私達は夜の眷属ですから、夜を象徴する月への手出しには、どうしても躊躇いが生まれます。
いえ、躊躇いどころではありません。
きっと本気で壊そうとしても、魔族である限り魂の奥底が無理矢理にでも止めるでしょう。
相手が『月』だと思った時点で、魔族である限り壊せなどしないのです。
お兄さんだとて魔族の端くれ。
祖である夜の神の化身とも言える月を、夢の世界だからと壊せるはずがなかったのです。
それに思い至った時、あまりにも盲点だったので私と羽根の人は、何故思い至らなかったのかと本気で落ち込みました。あんなに沈んだのは、いつ以来かちょっと思い出せないくらいです。
そのことを踏まえて、お兄さんの言っていることを吟味してみましょう。
「………お兄さん、マゼラお兄さん呼んでも、魔族である時点で意味ないんじゃ…」
「そんなこたぁねぇよ。時間やらなきゃいーんだからよ」
「ふむ。そういうことか」
お兄さんの言葉に、羽根の人は言わんとするところを察したようです。
納得したように二度三度と頷き、お兄さんの言いたいことを説明してくれました。
「つまり、我々は対象が月だと思うので、破壊できない。であれば、この場にマゼラを呼び出し、相手が月であることを言わなければよい」
「それは、つまり…呼び出して、月とは言わず、知らせず?」
「うむ。多少なりと時間を与えれば悟られるやも知れぬ。間を与えず、考える隙を与えぬ様、出会い頭に有無を言わせず破壊させるしかあるまいな」
「それなりに無茶を言っている自覚はありますか?」
「この程度は、いつものこと。如何にマゼラに余裕を与えぬかが勝敗を喫す」
………他に案が出なかったので、物は試しと、その案が採用になった。
「嗾けるのは、任せるが良い」
そう、自信ありげに羽根の人が言います。
その物言いが逆に不安を煽るのは、何故でしょう?
破壊活動を行った後で詳細を知らされるであろう、爆破魔さん。
彼の後の心境を思いやると…ご愁傷様としか、言えない。
それでも私にとっては必要なことなので、私は嗾けることしかできないでしょう。
気乗りしない私を置いて、アイツが目を輝かせて叫びます。
「召喚☆マゼラ師匠おいでませー!!」
…完全に、遊んでいますね。
ですが単純で信じる心のそれなりに強いアイツの呼びかけは、それなりに効果がある様で。
今度は、爆発は起きませんでした。
爆破魔さんにこそ、相応しい演出だったと思うのに。
今度は、軽快な音楽が鳴り響きました。
同じ人間が召喚して、何故全開と演出が違うのでしょう。
可愛らしい軽妙な音楽と共に、爆破魔さんはいきなり呼びつけられました。
星屑散らして光り輝き、お花を撒き散らしながら。
あまりに可愛らしい演出に、私は唖然と動きを止めました。
お兄さんも自分の時斗の違いに驚いたのか、呆然としています。
穀物神様からは空笑いが聞こえてきました。
でも一番ビックリしていたのは、呼び出された爆破魔さんと呼びつけたアイツ。
アイツはあんぐりと大きく口を開けて、完全に硬直していました。
爆破魔さんは自分が何処にいるのか分からないのか、慌ててきょろきょろしています。
「え、え、えっ? 此処はどこって…グター君!? それにリンネさん!? え、これユメ!!?」
…何故、皆が皆、呼び出されて最初に夢だと気付くのでしょう。
それも、私とアイツの顔を見て。
何となく、そこに潜むアイツの行いの悪さが透けて見える様な…
大慌ての爆破魔さんの姿に、私は余所事に気を取られてしまって動作が鈍りました。
この場の、爆破魔さんを待ちかまえていた皆が、時は掛けられないと分かっていたのに。
なのに、皆で揃って硬直する前で、爆破魔さんは混乱している様子。
そんな中で、意外な演出など目に入っていなかったが如く、いち早く動いた方がいます。
羽根の人です。
彼は持ち前の機動力ですさっと爆破魔さんに接近すると、真っ直ぐに見据えて言いました。
「今この場で即座に地面を爆破しなければ二十四年前、あの秋のお前の寝言を衆人環視の前で公表する。それを避けたくば、何も考えず、潔く地面を吹き飛ばすが良い」
羽根の人が言った、その瞬間。
一切の間をおかず、言葉に被せるほど即座に。
むしろ反射的にやらかしたのではという、そんな速さで。
爆破魔さん渾身の爆破魔法によって、月の表面が吹っ飛びました。
一切の手加減無し。
潔いまでの破壊振り。
爆破魔さんの速攻の全力によって、月の表面には大穴が空いたのでした…。
私とアイツは、過剰とも言える爆破魔さんの反応に、更に大きく口を開けてしまいます。
さっきよりもずっと、呆然とした心持ちで。
「………」
「…マゼラ師匠、どんな寝言を言ったんだろな」
「さぁ…分かんないけど、よっぽどのことを言ったんでしょうね」
誠に残念ながら、その詳しい内容を私達が教えて貰えることはありませんでした。




