80.殴ったらなおるかしら?
「それで、聞きたいことは山積みとなっている訳なんだけれど…」
「リンネ、リンネ…!」
心持ち気難しい顔で腕を組み、思案に暮れた様子を演出でいる私に、首を開放されたアイツの精神体…魂? 『影』は異様な懐き振りを見せました。
ここは精神の世界。
ある意味、心の内側を誰にも隠すことのできない、赤裸々な本音の世界。
私の腰に取りすがり、背後から抱きしめてくるアイツ。
遠慮なくべたべたと、私の頭に頬ずりしてくる、アイツ。
………これがアイツの本音?
え? 何したいの?
取り敢えず、いつの間にか頭一つ分は余裕で身長を抜かされていた事実に苛ついた。
アイツに大事にされていることも、好かれていることも理解できます。分かります。
ですが予想を超える懐きぶりを精神体の世界で発揮され、私もちょっとどうしたものか…。
「リンネ、リンネ」
「…何?」
「会いたかったぁ… 俺、絶対に狂ってた。お前がいないと、辛いよ」
「……………」
…だれ、これ?
いや、前から私に対して甘えたがりなところはありました。
でも、アイツって、その…こんなに、デレデレしてたかな?
私の気のせいかもしれませんが、アイツの放つ空気が桃色です。
卑猥な感じの色じゃなくて、何かファンシーで乙女チックな桃色。
何というか、春にふわふわその辺で咲いてる、お花みたいな色。
声も表情も蜂蜜みたいに甘ったるくて、どこの色男かと恐怖を感じます。
予想もしなかった、アイツらしからぬ甘い態度。
あ。怖気が…鳥肌が……
私は全力でアイツを引き剥がそうとしました。
しかし背後から抱きつかれている上、さり気なく動きを封じられていてはどうにもなりません。
思わず考え込んでしまいますが、はたと思い至りました。
私が現実でアイツと最後に会ったのは、『奴隷市場』に掴まる前な訳で。
アイツ等の情報収集能力なら、私が『奴隷』となったことも当然ながら掴んでいたでしょう。
きっと、物凄く心配を掛けたはずです。
しかもそこにきて、夜の神様曰く「三ヶ月間目覚めず眠りっぱなし」とのこと。
ああ、それはもう。
おかしくもなりますよね。
心配して、頭の螺子も五~六十本飛んじゃいますよね。
私自身、さっきまでそれを考えていたじゃないですか。
逆の立場なら、絶対におかしな道に走るって、危惧していましたよ。
それを踏まえて、私の目の前のこの惨状。
納得しました。
ようやっと、納得しました。
つまりこの馬鹿は、私を心配するあまり、ちょっとおかしくなっているのでしょう。
その方向性は少々どころでなく、私の予想から外れてしまいましたが…
例え見当違いだったとしても、実際の所を見れて少々安堵できました。
おかしくなった方向性がこんな感じなら、きっと実害も少ない…かな?
ああでも、これは私と会えてたがが飛んでる状態なんでしょうか。
じゃあちょっと、実際の所とは異なるかも知れませんね。
何だかまるで赤ちゃん返りしたみたいなアイツに、私は仕方ないと諦めの溜息をつきました。
さて、この馬鹿はそうそう簡単には私の背中から離れそうにありません。
いつまでも張り付かれていても、私が困るんですけれど…。
ここは一つ、もう一度殴って引き剥がすべきでしょうか。
もしかしたら、頭を殴ったら正常に戻るかも知れませんし。
しかしこの体勢では上手に殴れません。
…あ。アイツの鼻っ柱に頭突きをくれてやれば良いんじゃないでしょうか。
「…!!」
あ。自主的に私から離れて距離を取りました。
どうやら野生の勘か何かで危険を感じとったようですね。
相変わらず、勘と運がよろしい様で………チッ。
警戒した様に私から距離を取り、冷や汗をダラダラと流すアイツ。
その様子も物凄く久しぶりに見るものです。
私は懐かしさに頬を緩めながら、ゆっくりと優しく手招きをしてやりました。
「グター…? 私、貴方にちょおぉぉっと聞きたいことがあるの。こっちにいらっしゃい?」
…何故に、冷や汗の量が増える?
だらだらと天敵に睨まれた様なアイツ。
さっきまであんなに懐いていたというのに、変わり身早いな。
「り、リンネ! せっかく会えたってのに、無粋な話はナシにしよ…?」
「何を言っているんだか。アンタ、自覚ないでしょうけど、ここは夢の世界なのよ」
「え。ゆめ? 現実じゃないの…?」
「現実じゃないの。つまり、アンタがここにいるのは寝てる間のみ。時間限定!」
「そんな!!」
よっぽど驚き悲しんだのか、グターの身体が揺らぐ。
「この時間が限られたものだと納得してくれたところで、聞きたいことがあるのよ」
「いや、待て!!」
「…え?」
「限られたものなら、それこそリンネにべったりしていたい! じゃなけりゃ起きたくない!」
「全力で何を言うかと思えば…!?」
ますます私の詰問+お説教を拒絶する勢いのアイツ。
アイツは私に再び抱きつこうというのか、じりじりと間合いを計り始める。
私も抱きつかれたままでは碌にお話しできないので、何とかアイツを取り押さえようと…
………なにこれ。
久方ぶりの再会だというのに、私達はまるで往年の恨みを晴らそうとする仇討ちの様相。
まるで果たし合いでもするかの様に、互いに互いの一挙一動に集中してしまう。
益々話し合いの空気から、離れた。
そんな状況を打開したのは、第三者の声だった。
「………何をしているのです?」
心底困惑しきった、澄んだ男性の声。
まるで奇怪な物でもみる様に、私とアイツを端から見てた。
其方に気を取られて振り向いた瞬間、私はアイツにまた背後から捕獲されてしまう。
あぁあ。また後ろから抱きつかれてしまったよ。
しかも今度はより反撃のし難い様に、座った体勢に持ち込まれてしまった。
後ろから膝の上に抱っこされる様なこの体勢は、もしかしなくてもかなり恥ずかしい…?
駄目だ。アイツとの距離感なんて、元々近すぎるんで正常な判断ができない。
だって現に、こんな恥ずかしい体勢でも相手がアイツだとあまり恥ずかしくない。
むしろ得体の知れない安心感で無性に心が落ち着く様な…?
アイツの腕の中、すっぽりと囚われた様な座り方。
頭突き防止の為か、アイツは今度は私の肩に頭を乗せてくる。
裏拳なら、打撃できるかな?
そう思うけれど、両手はさり気なくアイツに封じられている。
大人しくするしかない状況に、目覚めたら絶対に一撃殴るという決意は強固になっていった。
「……………」
恥ずかしい座り方を強要されながらも、取り乱さない私。
私を拘束して、満足そうに抱きしめてくるアイツ。
端から見たら、どう考えても異常だと思う。
そんな私が、声を掛けてきた男性と羞恥心の存在を思い出すのは、このちょっと後だった。




