『魔王』と呼ばれる青年の下で
とある魔族の独白。
『魔王』について。
これは、魔王と呼ばれる様になった『青年』の率いる軍の中。
『青年』の動向を、はらはらと見守る、とある魔族の声。
胸の奥に渦巻く、『魔王』への不安。
望まぬ状況で開花させてしまった、その才能。
ある種の天才と呼んでも、差し支えないほどの。
直感的に、感覚的に、アイツは全てを使いこなした。
俺達部下を、天性の魅了を、生まれ持った魔力を。
そして莫大な魔力を要する、強力な魔法の数々を。
ただ一つ、自分の望みを叶え、憤り降り積もる感情を振り払う為に。
アイツが一番大事にしていた…彼女を、取り戻す為だけに。
俺達はそれを、私怨だの、公私混同だのと責められない。
責められないぐらい、アイツの纏う空気は日に日に俺達の恐怖となっていく。
--いつの頃からか、と言われたら…俺はきっと、こう答える。
アイツがおかしくなったのは、あの時。
我等が参謀殿にして、アイツの幼馴染み…リンネ様の姿を、俺達が見失った時からだ。
その時から、アイツの『魔王』と呼ばれるに至る全ては始まった。
…ただの単なる、直情径行馬鹿の暴走とも言う。
だけど問題だったのは、アイツがただの直情径行馬鹿じゃなかったこと。
今まで、誰も気付かなかった。
アイツの才能、その能力の真価なんて。
だけど俺達は、見てしまった。
逆らうことなどできず、従うほか無い。
何故なら、俺達は命が惜しいから。
アイツを諫め、正し、抑え込むことなんてできない。
意見することすら、身の丈に合わないと感じる。
実際に、アイツがそうしたことなんて無いのに。
俺達は俺達の勝手な思いこみで、想像で、そうされるんじゃないかと恐れている。
アイツを止めようとして…
邪魔をして、進もうとする道を阻んで…
…そうして、阻んだ者が殺されてしまうんじゃないのかと。
アイツに怪我を負わされた者はいても、未だ命を奪われた者はいないというのに。
ああ、こんな時。
我等が参謀殿がこの場にいてくだされば。
きっと、こんな状態で放っておいたりなんてしない。
こんな状態を、許したままにはしないはずだ。
いや、まあ…
いないからこそ、こんな状況になっているんだけどな。
嘗ての日常、過ぎ去った過去。
その中に見える、あの方の本当の価値。
あの方が、どんなに尊い存在だったのか。
見失ってしまった日常という過去に、俺達は思うんだ。
あの方がいらした本当の価値は、と。
あの方は、俺達の日常を守っていた。
重要なことなんて、何もしなくても。
平凡で平和な『毎日』を、あの方はいるだけで保っていたんだ。
そう、『魔王』の激情を眠らせ、完璧に抑え込むという形で。
今では見られない光景。
他の誰にも、真似のできないこと。
あの方が、今では『魔王』と呼ばれるアイツを、思いっきり拳骨で殴り飛ばす姿。
そうして思いっきり耳を引っ張って、激しい勢いで説教を重ねる姿。
膝を突き合わせ、『魔王』を正座させて懇々と叱る、勇姿。
ああ、本当に。
本当の意味で、彼女は尊い方だった。
いなくなった現状で、その存在を心の底から誰もが惜しむほどに。
そして求め、望むほどに。
ああどうか、無事な姿で戻ってきて下さいと。
髪一筋ほどの傷も付けず、元気に戻ってきて下さいと。
(--そうじゃなきゃ、『魔王』が更に激怒する。)
彼女がこの『砦』に舞い戻り、『魔王』と相対するまで。
それまで、俺達を苛むこの『砦』全体の緊迫感は消えないだろう。
この、身を縮めるほどの恐ろしい気配、暴力的な空気。
徹底的に荒んで荒れた、『魔王』と呼ばれる青年。
その全てが、彼女が戻りさえすれば消えると、皆が知っている。
彼女が払い除けるまでは、在り続ける。
だからこそ俺達は芯から彼女の期間を望み、そして『魔王』に従うのだ。
尽力するのだ。命を賭けるのだ。
俺達はまだ、『魔王』の太陽みたいに笑う姿を覚えている。忘れていない。
その笑顔を再び取り戻し、暴力を振り払い、嘗ての日常を取り戻す為に。
その為には、結局のところ『魔王』に従うのが一番の早道で。
俺達は早く今の『日常』を忘れ去る為に、忘れたくない『過去』を日常にする為に。
魔王に従い、『人間』達を攻め進む。
『魔王』の号令の元、攻撃を続ける。
だってそうしないと、本気で俺達、救われないから。
だって本気で恐いんだもん。アイツ。
荒れっぷりが凄まじすぎて、誰も必要がなければ近づかないんだぜ?
前はアイツ、沢山の仲間に囲まれてたってのにさぁ…。
結局のところ、俺達はアイツが見棄てられない。放っておけない。
だから、彼女を取り戻したい。
アイツの唯一の救いが彼女だというのなら、その光を取り戻してやるのは俺達の仕事。
だって俺達、アイツの部下だからさ。
放置しておいたら大陸全部を滅ぼしかねないアイツの危うさに冷や汗を流しながら。
魔族………大陸を救う意味でも、アイツを救わんと。
そう暗黙の了解で頷き合いながら、俺達は凄まじい恐怖と戦い、今日も耐える。
アイツの望みを叶え、一番の望みを叶えさせてやる為に。
仕方のない上司の為に、我が身を惜しまず全力で働いてやるんだから。
俺達って、きっと凄い上司思いなんだろうよ。
なんだかんだ俺達は、好戦的で戦い好きな魔族だけれど。
それだけでなく仲間思いで、太陽みたいなアイツが好きなんだと。
『魔王』と『参謀』の二人が揃っていて、一緒にいる姿を見るのが好きなんだと。
辛そうで寂しそうで泣きそうで耐え難いまでの憤りを溢れさせる、アイツ。
ぽつんと独りきりのアイツの姿を見る度に、俺達は思い知らされる。
見ているこっちが辛いし悲しいし、寂しくなってくるんだ。
どんどん表情の抜け落ち行く顔に、胸がずきずきと痛む。
もう、以前の無邪気な顔を見ることはできないんだろうか。
もう、全力で嬉しそうな笑顔を見ることはできないんだろうか。
そう思う毎に、『人間』への憎しみが、殺意が高まる。
それを糧に、俺達は戦うけれど。
できれば、本当にできれば。
一刻も早く、アイツの幸せそうな笑顔が見たい。
嬉しそうに、彼女と微笑みあう姿が見たい。
そう思うと、日毎夜毎に切なくなる。
本当にこの状況、一刻も早く打開されてくれないかな…
『人間』に対抗する、魔族達の軍勢。
飛ぶ取り落とす勢いで進撃する、彼等。
その胸中に渦巻くのは何とも不安定で複雑な、『魔王』への感情で。
一つ一つ確実に『人間』の障壁を突破しながら、彼等は思う。
『魔王』が、幸せになれる未来を希う。
以前と今の落差を知るばかりに、胸を痛め、それを戦う糧とする。
そうやって勢いを更に高めながら…彼等は、たった一人、魔族の少女の身柄を求めていた。
自分達の身の安全と心の健康と、『魔王』の幸せの為に。




