穀物神と妖精の子
「さて、どこから話したものでしょうか…」
「こっちで選んで良いんなら、先ずはなんで神様が『人間』やってるのか聞きたいな」
本性のばれた穀物の神は、だからといって尊大な振る舞いも、傲慢な態度も見せない。
強いて言えば、普通。
王女であると振る舞っていた時と、全く態度が変わらず普通に接してくる。
そんな穀物神に、妖精は思った。
そう言えばこの人、王女の時も女言葉は使ってなかったな、と。
どうやら穀物神の言葉は、丁寧語が常らしい。
神といえど、中級(下級寄り)となれば偉ぶることもないのだろうか?
穀物神にとって、神の集まりの中では下よりも上の位の神の方が多い。
そんな穀物神にとって、一番しっくりするのは丁寧語だった。
「私が、何故『人間』に、ですか…」
「言い辛い? でもさ、神様って確か、天界に去ってからは下界に不干渉って決めたんでしょ?
なんで穀物神サマも変態仮面も下界にいんのさ。思いっきり身分と立場作ってるし」
「へ、変態仮面………仕方ないかも知れませんが、随分な言われ様ですね」
我が従属神ながら、心が痛いですと呟いた穀物神の声は萎れていた。
しょんぼりとする様は、何だかとても哀愁が似合っていた。
その様を見て、妖精は理解するのだ。
ああ、この人、苦労人だ…と。
「言い辛いというか、言うのも情けない事情があるんです」
「あ、大丈夫。僕ってば赤ん坊だから! 情けないとか気にしない」
「…とてもしっかりした赤ん坊ですね?」
妖精の子は小さかったが、物言いといい姿といい、赤ん坊には見えなかった。
巻き込むからには、ちゃんとご説明します。
穀物神は、自分でそう言ったのだ。
仮にも神であるからには、こんなにすぐに前言を覆したりしないだろう。
そんな期待をわざと込めて、妖精はキラキラの目で見上げてみた。
勿論、上目遣いで。
敢えてわざわざそうする妖精に、神様も苦笑を浮かべる。
気さくで話の分かる神様は、妖精に視線を合わせて淡く微笑む。
とても幸薄そうな、儚い笑みだった。
疲れた笑みとも言う。
「実はですね、私が此処にいるのは下界で起きたここ数百年の情勢が、とてもとても関係しているんです。更に言うなら、私の民『人間』の行いが…」
「んー? あ、分かった」
ぴこんっと小さな手を跳ね上げ、妖精が自信満々に言った。
「『人間』の暴挙を止める為でしょ! 神様は下界に干渉できないから、下界の民に生まれ直すことで下界の民側から止める! それも『人間』に対して責任ある、穀物神サマが」
どうどう? あってる?
期待たっぷりに、妖精は穀物神の反応を窺う。
「………暴挙、責任、ですかー…」
それに対して、穀物神の反応は笑顔のまま。
しかしどうしてか、情けなさそうな顔だ。
「概ね、合ってなくもないです…」
「何その微妙な答え。あってると言いつつ、外れてそうな反応」
「いえ、本当に概ねは合ってるんですよ。結果的には…」
そう言いつつ、穀物の神はどことなくぐったりしている。
その姿が神様なのに、何だか泣きそうに見えてきて…
妖精の子は、そっと心配そうに穀物神の身体に擦り寄った。
そんな妖精の心配が伝わったのだろうか。
穀物の神も涙ぐみながら、言い辛そうに事情を話し始める。
「実は、『人間』が他種族…特に魔族に傍若無人な行いを初めて直ぐの頃のことなんですが…己が民を虐げられてお怒りになった夜の神に、私、滅されてしまいまして…」
「えー………。夜の神様って、もしかして短気?」
「短気…なのでしょうか? お怒りになると、衝動のままに動かれることはあります」
凄く意外と口にしながら、妖精の子は内心で思う。
考えてみれば好戦的な魔族の祖神だしな、と。
「でも、滅された、って…?」
「文字通りです。一刀のもとに叩ききられ、消滅させられてしまいました」
「え。生きてるじゃん。…いや、生きて…る?」
「生きているというか、存在は残っているという感じでしょうか? 神は幾ら消滅しても、完全に滅ぶと言うことはないのですよ。私自身、夜の神に殺されるのは既に八回目くらいですし。あまり嬉しくないですけれど、滅されることには慣れています」
「すっごく嫌な慣れだね」
「ええ。ですが、消滅は消滅。神としての存在を一時的に失うことに代わりはありません。特に夜の神は私よりもずっと位も高く、お強い方ですから。力の差が大きいので、一度滅ぼされると復活するのに時間がかかってしまいます。………ざっと、五百年、くらい」
「うわー…」
「その間、私は神としての器を失ったまま、精神体のままでふらふらすることに…」
「悲惨だね、穀物神様」
「正直ですね、ラフィラメルト」
生まれたばかりの子供に悲惨といわれる自分とは、何だろう。
考え込んでも、穀物神の頭に答えは閃かなかった。
五百年。
その間、ただの精神体として神であることを休んでいたはずの穀物神。
そんな彼が、どうしてまた『人間』の…王女などになっているのだろうか。
妖精の子の疑問に、穀物神は答えた。
「先程も言いましたが、私は夜の神に殺されてしまいました。『人間』の行いへの憤慨で」
「本当に短気だね、夜の神様」
「それだけ、腹立たしかったのでしょう。気持ちは分かります。私も『人間』がこの様な行いを繰り返すことに申し訳なく思っている限りです」
「責任を感じているんだね、穀物神様」
「それだけではないんですが…。私自身は夜の神に受けた仕打ちに納得しています。仕方ないことと、受け入れてすらいます。ですが私の部下は…そうではなかったらしく」
「部下って、それ、仮面のこと?」
「ええ。仮面のことです」
とうとう、穀物神まで仮面の男を「仮面」と呼び始めた。
彼には穀物の神が与えた、立派な名前もあるのだが。
今ここでは、誰もその名前を思い出さなかった。
「私の部下、案山子神は、元々は私の作った案山子が神に昇格した存在です」
「神様が作れば、案山子も神になるの…?」
「…私自身予期していませんでしたが、なってしまったんです」
「ああ、なっちゃったモノは仕方ないよね。ちゃんと面倒見てる穀物神様は偉いよ」
「私は彼の、親の様な者ですからね。実際、彼も私を親だと思っている節があります」
「ああ、それが謎の忠誠心の源なんだ…」
「そうですね。彼は、本当に、忠誠心が高すぎるんです………私の望まぬ方向で」
「望まない方向なら、ちゃんと説教態躾なりしなよ。方向転換、必要じゃないの」
「私が何を言っても、無駄でした…。彼は、ちょっと思いこみが激しくて」
「駄目じゃん」
「本当に、貴方はずばりと言いますね…」
全く遠慮のない妖精の言葉に、穀物神はがっくりと肩を落としていた。
「それで結局、どういうことさ? あの仮面が何したって?」
「………あの子は、私が殺されたことを恨みまして」
「ああ、逆恨み…っていうとちょっと違うか。つまり、「親の仇」-って勢いで嫌がらせに走った? つまりは穀物神様を殺された復讐?」
今度もずばっと言った妖精に、穀物神が暗い顔でゆっくりと頷いた。
その沈鬱な表情は、自責の念に潰されそうな感じだ。
妖精の子は、やれやれと言わんばかりに肩を竦める。
「孝行者と言うべきか、単純直情径行と言うべきか…馬鹿じゃ」
「はっきり言わないで下さい…。そうです。あの子はちょっとお馬鹿さんなんです」
妖精の言葉に、遂に穀物神も認めていた。
そう、仮面の男に対して馬鹿だと。
「私は精神だけで彷徨っていましたけれど、お馬鹿な部下が馬鹿なことをしようとしている気配を、つい感じとってしまいまして…放っておけなくなってしまったんです」
「馬鹿なこと? 何となく予想はつくけど、本当に馬鹿やってそうで恐いね」
「恐いですよ。あの子は私を殺された腹いせに、夜の神への報復を考えたんです。ですが、夜の神は強すぎてあの子ではどうにもできません。そこで夜の神が大事にしている民…魔族に焦点を当てたんです。本当に、恐ろしいことに………あの子、後先考えてませんよね」
「もしかして、魔族に何かする為にわざわざ下界にきちゃったー…とか?」
「その通りです…。神は下界に干渉できない。それを分かっていて、あの子は…『人間』と魔族の争いに干渉する為、敢えて『人間』として『人間』の中枢に食い込んだのです」
「それはなんというか、物凄い執念だね。神様なら下界に来れないけど、地上の民に紛れ込んで正体を隠せば良いってことなの」
「本当はいけないんです。ですが、あの子はやってしまいました」
そう言って深々と穀物神のついた溜息は、例えようもなく重かった。
苦労をそのまま重みに変えた様な、何とも言えない重量感。
暗い空気を背負う穀物神に、妖精も何と言ったものか言葉を探す。
でも見つからない。
慰めようにも慰め方が分からない妖精の前、穀物神は語り続ける。
「私は慌てて止めようとしましたけれど、精神だけでは何にも干渉できません。それでも、あの子が何か悪いことをしようとしているのなら、私が止めなければならないと思いました」
「それで、穀物神サマまで地上に来ちゃったの…?」
「来ちゃったというか…『人間』の腹を借りて、生まれてきたというか。あの子を止めるにはなるべく力のある『人間』にと思い、王の子を産まれ先に選んだのですが…『人間』と神で、魔力量にこれ程の差があることは本当に誤算でした。まさか、歩くにも難儀する様になるとは思わなかったので」
「穀物神サマ、無謀すぎだよ。『人間』は一番弱い種族なんだから…」
「ええ、よく考えれば当然ですよね。神の力を支えられる筈など無かったのに」
「………穀物神様、精神だけだったんでしょ。大丈夫なの」
「精神だけだったので、こう言う手段を執るしかなかったんです」
「…大丈夫、とは言わないんだね」
「ええ、まあ。大丈夫とは言えませんね…」
「うん。どんな問題があるのか、聞いて良い?」
「………ははは。復活の準備中に余計な力を使ってしまいましたから。その、復活に500年かかるはずだったのが…800年に伸びてしまいました」
「あー…それって、全然大丈夫じゃなさそうだね」
「ふ、ふふふ…」
虚ろに笑う穀物神は、何だかとても恐かった。
「私が此処にいる事情は、全て話しました」
「うん。穀物神様が苦労しているって、よく分かるお話だった」
「…私の苦労を慮ってくれるのなら、あの子の仮面を割ってくれませんか?」
「あのさ、なんでそんなに仮面に拘るの? あれ、何か意味あるの?」
「意味というか、アレは私が作った仮面なのです」
「悪趣味だね」
「ずばっと言いますね」
仮面の男が付けている仮面のデザインを思い起こし、妖精の子は正直な感想を言っていた。
妖精の子は一般的な仮面がどんなモノか知らなかったが、それでも思った。
やっぱり、あの仮面は悪趣味だと。
「私があの子を案山子として作った時、あの子の顔として作った仮面なのです」
「ああ、つまり、鳥避け?」
「………魔除けのつもりだったんですけどね」
「確かに色んなモノが避けて通りそうなデザインだけど」
「…私、画才がなかったんです」
認めるのも虚しい告白を零し、穀物神様は俯いてしまう。
声は暗く沈み、これ以上沈めるのかという具合だ。
「デザインはどうあれ、あの子はあの仮面に強い愛着を持っています。自分の神としての力を封じているのも、あの仮面にです。そんな仮面を叩き割れば、あの子は間違いなく激怒するでしょう。それこそ理性を失い、見境無く暴れるはずです」
「それさ、仮面叩き割り野実行犯に選ばれた僕の、身の危険しか感じられないんだけど」
「貴方なら大丈夫です。その小さい身体を生かして、私の元まで逃げ帰って下さい」
「うわぁ。物凄く、僕に色々押しつけてる気がするよ。そもそも、激怒させてどうするの」
「激怒して暴れることになれば、間違いなくあの子は神としての力を使うでしょう」
「僕の感じる身の危険が、更に高まったよ」
「そうなれば、天界から隠していた『案山子神』としての存在も露骨に明かしてしまうことになります。解る者に対し、案山子神が下界で暴れていると主張する様なもの」
「…つまり?」
「つまり、神が下界にいるという由々しき事態に気付いた天界から、神があの子を捕獲に来ます。それも、この流れならば間違いなく…鬱憤を溜め込んでいるだろう、夜の神が」
「………うわぁ」
穀物神の言葉を聞き、妖精のこの顔が思い切り引きつった。
…神々が争う光景を目の当たりにするかも知れないと思えば、引きつるのも仕方ない。
「ええ、魔物が絡みますからね。まず間違いなく、来るのは夜の神です」
「…ついでに、『人間』ごと僕等も蹂躙されない?」
「分かりません。もしかしたら、この王宮くらいは潰されるかも…」
「う、うわぁんっ 滅茶苦茶恐いよ! 僕、やらないよ!? やらせないでよ!?」
「そんなことを言わず、お願いします。あの子の魔手から下界を守るには、これが一番良いのです! 下界の為、ひいては下界に生きる民の為、お願いします」
「穀物神様が自分でやればいいじゃん!」
「私はあのこの前に、極力正体を晒さない方が良いだろうと思います」
「そんなぁ!」
「それに私は、下界に夜の神が来た時に…その、釈明しなければ」
「……………」
妖精の子が、何とも言えない顔で口を大きく開ける。
泣きそうな顔、同情に満ちた目。
悲壮な決意を込めた穀物神の目に、妖精の子はあうあうと呻きたくなってくる。
その後、穀物の神と妖精は幾らか言葉を交わし…
結局、妖精の子が折れることとなる。
穀物神を助ける為、仮面の男を退ける為。
妖精の子は、仮面の男の仮面を叩き割る決意を固めた。




