71.私は収納庫の中
立派な薔薇の鉢植えができてから気付きました。
ぁ………こうなっちゃったら、もう妖精の子、連れて帰れない。
何故なら私の宿泊先は、漏れなく仮面の男の目が光っている。
そんなところに怪しげな鉢植え+小妖精を持参しようものなら、どうなるか…
予想する上で思いつくのは、「取り上げられる」一択で。
妖精だけなら連れて行けるかとも思ったけれど、無用な危険を冒すのは気が引けます。
そもそも、生まれたばかりの妖精を分身の元から引き離すのは良くないそうです。
今後の発育にも重大な影響をもたらすと、何故か王女が教えてくれました。
そんなことを言われては、ますます連れて帰れません。
目立つ鉢植えがいつ、この部屋に出現したのか…
侍女と女官という、常に人の目のある部屋ですが、そこは王女が誤魔化してくれるとのこと。
私は後ろ髪を引かれる思いを味わいながら…仕方なく、妖精の子を置いて部屋を出ました。
いつの間にか、王女の部屋を訪れてから大分時間が過ぎており…
王女の身体に障ることを考慮して、その面会時間を制限されています。
ですがいつしか、私はその制限時間を大幅に踏み倒していました。
自国は既に夕暮れで、窓の向こうには一番星が輝いています。
半ば侍女達に追い出される様な形で、私は妖精の子を王女に託して去るしかありません。
そうして私の去った、その後で…
わたしの知らない部屋の中、小さな密談がかわされたことなど、私は全く知りませんでした。
王女の私室のある区画を抜け、王族の住まいとして機能している奧宮を歩き。
やがて奧宮の出口へと到達すると、其処には嫌な人物が待っていました。
仮面の男のことです。
嫌みたらしい笑いの奧に、閉め出された不機嫌が窺い知れます。
ああ、何とも嫌なことです。
しかも今日から秘かな話し相手、妖精の子はいないのです。
この男に与えられる精神的負荷に一人で耐えなくてはならないのかと思うと…
今からぐったりしたくなる未来を思い、誰かと傷の舐め合いがしたくなります。
ここ最近心の友と化してきた、仮面の男被害者同盟の青年に、少し優しくしたくなりました。
まあ、私よりも自由のない彼に優しくしたところで、良いことなどなさそうですが。
この広い王宮の中、私の眠る場所はとても狭い。
具体的に言うと、仮面の男に与えられた宿舎の部屋の中…の、収納の中です。
初めは予備の簡易ベッドで、という話だったのですが、私が断りました。
仮面の男の隣で、平然と健やかに寝られる訳がありません。
命の危険を感じて、絶対に安息などないでしょう。
収納の中も気休め程度ですが、少なくとも扉一枚隔てることができます。
その安心感は、あるとないとではちょっと違いますね。
神経を張ったままではありますが…私は此処でないと寝られないと強固に主張しました。
仮面の男も特に拘り、紳士の気遣いなど無用のようですからね。
対して引き留められることなく、私は狭いながらも個人の空間を入手できました。
仮面の男の目が届かない。これは重要です。
いつもは此処で、仮面の男を警戒しながらも妖精の子とお話ししていたのですが…
今日から完全に、本当に一人きりです。
味方は何処にも存在しません。
この状況を変えられるのか。
私は本当に自由を取り戻すことができるのか。
その転機がすぐ側まで迫っていることも知らずに、私は憂鬱だと膝を抱えていました。
ええ、この時は本当に知らなかったのです。
正にもうすぐ…王女と妖精の子に因って、私の状況に変化が訪れること。
そして王女の存在が、仮面の男に多大な影響を与えることを。
もしそのことを知っていたならば。
私はきっと、仮面の男への後先考えない報復行動に走っていたでしょう。
だからきっと、知らなくて良かったのです。
そう思いつつも、後で胸の内にもやもやと色々抱えることになるのですが…
それはまあ、王女に免じて忘れてしまうことにしました。
もうすぐ訪れる転機など知らないから。
それが訪れるまでの間、私はずっと気を張っていて。
浅い眠りの中、仮面の男という存在を気にしながら、夜毎震えて…怯えて…
涙だって、流しました。
弱音だって、心の中で消化しきれないほど零しました。
それでも耐えなくてはと、より一層、この身を震わせて。
私は収納の狭い空間で、膝を抱えて耐えるだけ。
帰りたい。
強まる郷愁。泣きたいくらいの切なさ。
自分の居場所だと、確信を持って断言できた場所。
私の意志を尊重し、大事にしてくれた仲間達。
彼処に置いてきた、全てが恋しい。
無性にアイツの…グターの顔が、見たい。
遠く離れた地で、アイツはどうしてるんだろう…
どうか健やかなまま、無事でいて欲しい。
アイツは私を救う為、何か無茶をやっていそうで心配で。
会うことも話す手段もない現状が、どうにももどかしいばかりで。
救いは何処にあるのかと、暗く沈みそうな心に深く嘆く。
絶望すまいと心に決めても、しそうになるのは止められない。
せめて此処で、王女と関わることで。
何か自由への足がかりでも得られれば、心も折れずにいられるでしょうか…。
まさか私の居ないところで、アイツが酷く荒れているなど分からないから。
私は半ばアイツは無事で健やかだと、無意識に思いこんでいました。
優秀な仲間達が、きっとアイツを支えているだろうと。
支えるどころか、宥めることもできずに混迷を極める砦の現状など、私は知りませんでした。
知っていても、やはりどうにもできなかったのですけれど…。




