63.王女の寝室
豪華な寝室。巨大な寝台。
折り重なるクッションに埋もれる様にして、彼女はそこにいた。
神秘的な眼差しの、浮世離れした少女。
小さく華奢な身体は、運動と縁がない為か、驚くほどに細い。
『人間』の年齢換算は、あまりよく分からないけれど。
細く小さな彼女が、実年齢よりも幼く見えるのは、私にも分かる。
儚いと言うよりも、脆そうと言う印象。
あまりにも希薄な生命力が、彼女から『生きている』という印象を損なわせる。
だけどそれに反して、眼差しは意思の力をはっきりと垣間見せる。
何とも不思議な印象というのが、私の感じた印象で。
病弱という噂の王女が、そこにいた。
大きな寝台に埋もれる、小さな身体。
力なく投げ出された病身は、動かない人形の様。
王女は部屋に入ってきた私に目をやり、にっこりと微笑んだ。
病気とは思えない、朗らかで穏やかな笑みだった。
--ああ、心が何だか癒されるな。
見ているだけで、ほっと落ち着く様な笑顔。
とても、あたたかい。
『奴隷』として売られてからというもの、縁の無かった温もりが其処にある。
多分、錯覚だろうけど…何故だか、そう思わせるナニかがあった。
ここ最近、常に目にしている笑顔がとても胡散臭い…
得体の知れない仮面男のものだったから、余計にそう思うのかもしれない。
ピリピリと、私を警戒する侍女さん達。
胡散臭そうに見てくる、女官さん達。
彼女達が全身で王女を守ろうと毛を逆立てているのが分かる。
でも、そうしたくなるのも分かる。
未だ言葉すら交わしていないのに、分からずにはいられない。
王女の全身から滲み出るのは、人徳だろうか。
あの仮面男にはないモノだ。
側にいるだけで和んでしまい、私はいつの間にか来室した理由を忘れていた。
一番、重要なことだろうに。
「新しい、医術者の方ですか?」
私の忘れていたことを、代わりに口にしたのは王女。
彼女は、見知らぬ相手の訪問も慣れている様子で…私の目的も、よく知るようだった。
私も正気を取り戻し、慌てて礼を取る。
「お休みの所、失礼致します。私は今回、王女様の治療の為、派遣されてきた者でリンネと申します。以後、お見知りおき下さいませ」
種族が違い、風習が異なったとしても、他種の王族を敬う気持ちがない訳ではない。
畏まりもしましょう。
例え、それが敵対する相手たる、『人間』の王族であったとしても。
礼儀知らずな振る舞いをすることを、私のプライドが許さなかったというのもあるけれど。
「丁寧に有難う。この様な態で申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」
王女とは思えないくらいに腰が低く、丁寧な言葉遣い。
それでもくすくすと零れる笑みは軽やかで、精神に病んだ所は見られない。
心だけは、本当に健やかな様で。
それに対して、王女の身体は…
「それで私の身体ですけど…医術者様は、どう見立てられますか」
ずばっと直球で、王女が聞いてくる。
それに対して、私は言っても良い物かと口籠もるのみ。
とは言っても、まだ碌に診察もしていない。
この状態で診断なんてしようもないのだけれど…侍女、女官さん達の視線が怖すぎて、王女に近づくこともできない。この様子では、王女に指一本触れただけで「曲者!」とか言いそうだ。躊躇せず、衛兵を呼び寄せて私を強制排除するに違いない。
恐ろしい被害妄想の様にも思ったが、女官さん達の恐ろしい視線を見るに、間違いない。
そろりと女官さん達を見遣った私の視線に気付いたのだろう。
王女は多分に苦笑の含まれた顔で、それでもそっと穏やかに女官達の親玉を呼び寄せた。
一人だけ装束が他の女官と違い、あからさまに偉そうな風格を漂わせている。
普段の私なら、逆らいたくない相手かもしれない。
でも今は、ひたすらに王女のことを応援していた。
きっと彼女は空気を読んで、あの怖いお姉様方・おばさま方を退室させてくれる。
そう信じられる目配せを、私に王女の方から向けてきてくれたのだから。
立つこともできないという王女は、寝台の上から侍女や女官達に命を下す。
「貴方達が其処にいては、医術者様が遠慮してしまいます。何かあればすぐに呼びますから、皆さんは下がっていてくれませんか。できれば、私の私室自体から」
「そんな…王女様!?」
穏やかな顔ではっきりきっぱり言い切った王女に、女官は顔を青ざめさせる。
まるで暗殺者と二人きりに、と言われた様な顔だ。
彼女達の心情的には、そう変わらないのでしょうが。
ちなみに王女の私室は、王女の応接室を入り口に、書斎、寝室という風に続く。
他にもドアがあったので、それ以外にも併設された部屋があるかもしれない。
それら全ての部屋をひっくるめて、「私室」と呼んでいるらしい。
つまり今、この王女様は、自分の身に何があっても直ぐには伝わらない、誰も邪魔できない遠く…王女の私室隣にある、女官や侍女の控え室まで引っ込んでいる様に言った訳で。
明確に、私と王女を二人きりにする様に言っている訳で。
この王女様が何を考えているのか。
何をしたいのか。
私には全く分からなかったけれど。
それでも王女は本当に女官も侍女も退室させてしまった。
穏やかに、たおやかに。
一見して優しげで御しやすく見えるのですが。
柔らかく微笑んだまま、有無を言わせずに侍女や女官を一掃してしまった。
おっとりとした言葉を数語交わしただけで、それをしてしまった王女。
あんなに忠臣振りを発揮して、私に敵意を全開にしていた侍女も女官も。
言葉を尽くしても、彼女に逆らえなかった。
その様子を見るに、王女は一筋縄ではいかない相手なのではと…
そう危惧しながらも、私は謎の不安を感じずにいられなかった。




