62.案山子の思惑
『人間』の国を治める王の子は、現在一人。
王女マルリットと呼ばれる少女は、たった一人の王の世継ぎ。
だけど世継ぎとしての足場は不安定で、その立場は定まらない。
彼女は生来、身体が弱かった。
加えて幼少の頃に、謎の奇病を発症。
以来、王女は殆どの時を床に伏せて過ごしている。
満足に動くこともできず、彼女が公に姿を見せることもない。
立ち動くこともできず、誰も姿を見ることのない、名ばかりの王女。
そんな王女が、世継ぎとして正式に認められるはずもなく。
しかし王にとっては、唯一の実子。
幼少からの不遇。
病弱な身を王は不憫がり、一層の愛情を注ぐ。
それは溺愛。
王は今や、立派な親馬鹿へと成長していた。
…そんな訳で、王は愛娘を滅茶苦茶に溺愛しているらしい。
ええ。この部屋の内装を見ただけで、それは明らかですね。
管理も厳重なら、使える召使いの人選も厳重。
私を見る侍女の目が、物凄く痛い。
城内で一番警備に気を遣い、立ち入り許可の厳しい王女の寝室。
そんなところに、得体の知れない異種族の小娘が一人。
そうですね。王女命の方々にとっては、とても面白くない状況でしょう。
なんでこんな所に、と彼女達の目があからさまに言っています。
どうやって王に取り入り、許可を得たのかと疑惑の目で見てきます。
私自身も、不思議です。不思議でなりません。
あの男は一体どうやって、私をこんな場所に送り込む許しを得たのでしょう。
どんな手を使ったのか、どうやって回したのか。
どんな腹黒い画策が水面下で披露されたのか、心臓に悪すぎて私は考えたくない。
もしも万が一の場合、王の不興を買った時、あの男はどうするつもりなのだろう。
…ああ、ここであの青年の存在が重要になるのでしょうか。
いざという時に責任を取らされ、切り捨てられるのはきっと、あの青年だ。
実際の力関係とは別にして、立場としては青年が男の上に…直接の上司に当たる。
その名を利用し、自分の隠れ蓑とし、男はきっと利用し尽くすのだろう。
それを思うと、青年の身が哀れでならない。
…私の方も、彼と似た様な立場に立たされているだろうからこそ、尚更に。
男は王の溺愛する愛娘の命と立場を、私を使って回復させるつもりで。
それを足がかりにし、王の信頼を勝ち取るのだという。
そこには「王女の治療」という大義名分を掲げている。
神器の持出しに正当性を加え、魔族に神器を持たせたことへの抗議をかわそうとする思惑がある。そう、治療者たる私の能力を上げるのに、神器が必要だったと嘯いたのだ。
だが、王女を癒す本当の意味は、それとはまた別で。
王に恩を売り、信頼を得、己の正しさを主張する。
それと同時に将来の王候補に名を連ねる王女と繋がりを持ち、秘かに洗脳する。
ゆくゆくは青年の名と肩書きを使い、王国の軍事を掌握するのだという。
王の威光を使い、王国の実権へと手を伸ばすつもりもありそうだ。
そうやって王国の軍事政治を手中に収め、男は何を成すつもりなのか。
その具体的なところは知らない。
でも、それが私達魔族にとって、良い結果にならないことだけは、はっきりしている。
それを阻止することもできず、現状では手駒に成り下がっている自分。
自己嫌悪で、私はいつか憤死してしまうかもしれない。
男は、こんな間怠っこしいやり方は本来好きではないという。
それもさもありなん。
男の実力であれば、直接的に力業で支配してしまった方が早いに違いない。
王を洗脳し、操り人形にしてしまうだけで全ては終わるだろう。
だけど、男はそれをしない。
私や青年を初めとする手駒を用い、周囲を利用し、自分は影に潜んでいる。
遠回しで地道な手段を選んでいるのは、それなりの事情なり、理由なりあるのでしょう。
男が案山子の神の化身なのだという仮定で考えるけれど。
神々は地上を去る時、地上への過度の干渉を自分達で禁じた。
地上を、この大陸を私達『ヒト』に任せ、手を放した。
案山子の神は穀物神の従属神で、位置づけとしては下級の神に当るという。
神々の中でも、位の低い神。
高位に位置する神であれば、自分勝手に振る舞ってもある程度は許される。
だけど、下級の神であればどうなのだろう。
きっと、無許可の振る舞いは許されまい。
ああ、だからなるべく影響を小さくする為、自分という存在を紛れさせる為に。
姑息なあの男は、きっと自分の神としての存在を隠し、潜む為にあくまで『人間として』可能なギリギリの範囲で動いているのに違いない。
保身の為だろうか。
いや、きっと違う。
保身なんて考える様な理性があれば、神の身で誤魔化しの様な手段を執るはずがない。
私は男の行動に、こっそりでも確実に目的を果たそうという意思を感じる。
そこに垣間見える執念に、私の背筋は粟立っていた。
男のことが、恐ろしくてならなかった。
…神たる身であるはずの、男。
そんな彼にも自由にできず、敵わない存在があったらしい。
医術者として連れてこられた私を伴い、男もまた、王女の寝室へと足を向けていた。
だけど彼が踏み居ることができたのは、王女の私室前の廊下までだった。
「ここから先は、王女様のお部屋です。医術者でもない殿方はご遠慮下さい」
そう言って、男に対する侍女の態度はにべもない。
男など、一歩でも踏み入れさせてなるものかと。
そのつもりがあるのなら、背中からぐっさり刺してやると。
若い侍女の目は、険を含んで言っている。
そこに宿っているのは、見間違えようのない本気の色で。
流石の男もたじろいだ。
しかし彼の試練はまだまだここからが本番で。
彼を真に阻んだ最大の障害は、若い侍女さん達ではない。
おばさんだ。
王女の乳母を筆頭とする、中高年の女官さん達だ。
彼女達の勢いと、押しの強さ。
そこに滲み出す、分厚い経験と我の強さ。
厚かましいとも言える。
彼女達の勢いは、きっと暴走した牛でも止められる。
そんな、おばさま方特有の凄まじい勢いで。
立ち塞がり、男の進行を阻むおばさま達。
彼女達の鉄壁の防備をすり抜けることができる男は、きっと何処にも居ない。
実力行使も問わないおばさま達は、にこにこと笑っているのに凄く怖い。
とうとう男は王女様の私室へ足を踏み入れること敵わず。
そうして無責任だと私は叫びたくなったけれど。
こういった経緯によって、私は今現在、久々の一人。
たった一人+αで、私は王女の待ち受ける寝室へと足を踏み入れる次第となったのだ。




