瞳の奧に、満月の狂気
闇を司る神でもある夜と月の神。
その民である魔族は、本来、闇に…狂気に囚われやすい。
それを抑え込んでいるのは健全な精神によるモノで、好戦的な性格は陽気さの表れか。
だが、本質は性格で変えられるものでもない。
闇に囚われやすい、魔族。
一度囚われたら、生半可なことで光を取り戻すことはできない。
溺れる様に沈み込んでいく。
闇から、抜け出すことはできない。
本人にとって光に値する、心の輝きを神に取り戻すことができなければ。
先人達に聞いていた、魔族の孕む精神的な危険性。
それを思わず思い出してしまいそうな瞳だった。
膝を抱えて黙り込んでいたグターが、不意にゆっくりと顔を上げる。
闇の中にあってさえ、印象的に目立つのは瞳。
今まで見たこともないグターの視線に、青年達は目を見開いて硬直した。
比べようもなく、夜の神の厚い加護。
それを示すのは瞳の奧に。
暖かな眼差しと、笑顔が印象的だったグター。
その顔からは見る影もなく感情というモノが削ぎ落とされ。
瞳の奧に、銀の満月。
夜の神の厚い加護を示す、幻の満月が浮いていた。
まるでそれは、氷に月を映しこんだ様で。
鋭い瞳は、平時よりも更に鋭く。
氷でさえも砕く様な冷たさで、ゆっくりと三人を見ていた。
「どうして、リンネがいないんだ」
少年の口から出てきたのは、自分達の知るモノとは異なる…ゾッとする様な、声。
怒りでも悲しみでもなく、ただただ不思議と瞳に浮かべ。
冷たく細めた目で見上げてくる。
見上げられているのに、何故か見下されている様な、錯覚。
反応を見て、少年の変貌を深く実感してしまった青年達は、その扱いに大いに惑う。
「リンネ嬢は、取り戻せなかった」
口籠もるマゼラを庇うつもりか、フェイルが前面に出て結論を述べる。
グターの目が、フェイルを真っ直ぐに見つめる。
「なんで?」
「うむ…。案山子だ」
いきなりグターには意味不明なことを口にしたフェイル。
それでも彼は堂々としているので、グターは先を促して耳を傾ける。
「魔法ではない、精霊術でもない。我々の知らない、使えない術。我々のモノとは全く別種。推測が確かならば我等の知る何よりも古い術。だが、ヒトに使えるモノではない」
「簡潔に言えよ。意味不明だから」
「うむ。案山子という、畑の守護者を知っておるか」
「それが今、何の関係があるのさ」
「穀倉地帯たるレシェレリア。其処を大きな畑に見立て、囲う様に特殊な案山子が配置されていた。案山子の一体一体にかけられた術は特殊。故に我等には手も出せなかった」
手さえ触れることのできなかった事実を思い出し、フェイルの顔が歪む。
悔いの心情が見て取れる顔に、偽りはない。
嫌みたらしい案山子には、あまりにも強力な力が宿っていた。
それに触れようとする度、手が弾かれた。
元々案山子は穀物神の従属神が畑を守る為に化身したモノとされている。
その伝説はあながち嘘ではないと思わせる、忌々しい案山子。
案山子の巡らす結界は未知のものであり、破るには強すぎたから。
魔法特化のフェイルでも、調査しかできなかった。
フェイルの報告を静かに聞いて、グターはうっすらと笑う。
グターは冷たい声音を笑みに震わせ、フェイルを嘲笑う。
「全て、邪魔なモノは燃やしてしまえば良いのに」
「それができれば、既にやっておるのだが」
「きっと、今の俺ならできるよ?」
太陽の様だった笑みと懸け離れた、酷薄な笑み。
ネズミを嬲る、猫にも似ている。
「今なら…何でも全部、壊せそうな気がするんだ」
そう言って微笑む少年の顔は、何故か…
何故か、三人の青年達の背筋をすら、凍らせる。
恐ろしいモノが、狂気に目覚めた。
その一端を垣間見、青年達は言葉を失う。
リンネを取り戻すまではどうにもならないだろう、少年の豹変振り。
だけどリンネを取り戻して、元に戻れるのだろうか。
分からないまま、青年達は言葉にできない不安と恐れに苛まれていた。
最早、仲間達でも信用はできないと。
もう、自分が行くしかないと。
己の手でリンネを救うべく、グターは身を起こす。
獰猛な獣でも、今ならばグターを前に逃げていくだろう。
外見も内面も大きく変わってしまった少年。
彼は複数の部下を連れ、リンネが居るはずの穀倉地帯へと乗り込み…
自分で宣言した通りに、謎の術で守られ、魔族を寄せ付けない案山子を全て燃やした。
拒絶する衝撃も、電撃も、全てを握り潰して押さえつけ。
少年は、容赦なくレシェレリアを蹂躙した。
嘗ての祖先が暮らした、魔族にとって重要な土地であっても。
今の彼に、何の配慮もできるはず無く。
自分達の切望した大地であろうと。
彼は本当に容赦なく、蹂躙してしまった。
炎の海。
燃えさかる畑の向こう、逃げまどう『人間』達がいる。
炎にまかれ、踊り騒ぐ様に。
まるで祭りの様にも見える、異様であり、異常な光景。
見る影もなく滅ぼされていく、金色の大地。
それもやがて、一面の焼け野原となる。
『人間』の住まった町も、廃墟と成り果て。
未知に連なる様に、焼け焦げた死体が列を成す。
地獄とはこうあるべきかと。
焦土の中に佇むのは、魔族が指導者に定めた少年。
そのあまりの虚ろな瞳は、生きる気力を見失っている。
荒ぶる衝動。
破壊衝動。
それはまだまだ収まらない。
リンネを、彼が取り戻せるまでは。
リンネの姿を求め、救いに来たはずの魔族。
誰よりリンネを探し、走り回ったのはグター。
だけど見つからない。
見つからなかった。
探しても、探しても。
見当たらない姿に、グターは膝をついて蹲ってしまう。
力を失った背中は、頼りなく、小さい。
確かにこの街にいたはずの、リンネ。
だけどその姿は何処にもなく、痕跡すら見当たらない。
妖精のラティが、微かに残滓を見出したのみ。
グター達が救出せんと町を滅ぼした、その時。
リンネは既に、更に遠い地へと連れ出された後だった。
そう、案山子と深く意味深な、謎の繋がりを持つ男によって。
彼女が一体、どこに行ったのか…。
それをグター達が掴むには、暫しの時を必要とした。
折角、かねてよりの目的の一つであった、土地を取り戻したというのに。
そのことに関する感慨も、何もグターの心に浮かばない。
まるで心が壊死した様に。
心が昂ぶるということを忘れ、少年の心はゆっくりと…
ゆっくりと…死んでいこうと、していた。




