狂気の芽生え
紅蓮の炎を身に纏い、疾駆する馬車。
乗り込んでいるのは、三人の青年。
馬の形に具現化した炎が、車輪の音を響かせる。
傍目には赤い馬に見えるものの、その本性は炎。
故に蹄の音はせず、しかし触れるモノを燃やすこともなく。
爆炎の魔法を得手とする青年の制御の元、馬車は普通では有り得ない速度で進んでいた。
やがて彼等が辿り着いたのは…一体に広がる、黄金の麦畑。
それを遙かに見下ろす丘の上。
丘の麓に下ることもせず、急停止した馬車はそこに留まる。
一見しただけでは分からない、歪んだ邪悪な仕掛けの存在。
それに気付いたのは、背に六対の翼を持つ青年。
異変を感じとったのは、暴君と呼ばれ、敵に恐れられる青年。
馬車から降りた三人は、見晴るかす一面の畑を前に、険しく難しい顔をしていた。
自分達の行く手を阻む、厄介な障壁の存在が其処にある。
自分達の行く手を遮るのは、どう見ても高度な魔法技術によるモノで。
『人間』の作った仕掛けとは、一線を画す、それ。
魔法を特異とするフェイルの目を以てしても、分析しきることはできない。
ましてや、それを排除することなど以ての外で。
到底、『人間』に作り上げきれるモノではない。
だからといって、魔族や妖精とも異なる術式。
魔法に長けた魔族であっても、正体を掴むことのできない未知のモノ。
正体不明の何者かが自分達の行く手に隠れていること。
その掴めない実力。
得体の知れない不安を煽る、姿の見えない何者か。
そんなナニかが自分達を阻もうとしている。
予想もしていなかった謎の存在を感じとり、青年達は立ち往生する目に遭っていた。
こんなことでは、とても目的など達成できない。
わざわざ三人という少数精鋭で先行し、迅速に問題解決に努めようとしたのに。
このままでは朗報など持ち帰れない。
『砦』にて待つ、仲間達の失意を思えば、やるせない気持ちが胸に吹き荒れる。
「どうするよ? グー坊に任せとけ!なんて言った手前、滅茶苦茶きまじぃ」
「どうするも、何も…現状、入れませんからね」
溜息を堪えられないマゼラの肩を、フェイルが掴む。
「何もできぬということはあるまい。現状、入れぬというのならば、どうすれば入れるか、原因は何かを調査するしかあるまい。アシュルーは細かなこと、分析には使えぬ」
「…それは、手伝えと言うことですね。言われずとも手伝いますよ。喜んで」
「うむ」
「なぁなぁ、じゃあ俺は? てめぇらが調べてる間、俺は何してりゃいいんだ?」
「そなたは適当に、この辺の地形でも調べていよ」
「御夕飯、期待していますね」
「あー………つまり、地形調査の名目で、狩りでもしてこいと」
「察しが良いな」
「ええ、考える脳が少しもなければ、この時代は生き抜けませんし。当然ですよね?」
「あー、何か酷ぇこと言われてる気がするぜ。ま、良いけどよ」
リンネの救出という、極秘任務を負った青年達。
しかし彼等はリンネの元に辿り着くどころか、土地への立ち入りさえできず。
じりじりと歯がゆい思いをしながら、手も足も出せずにいた。
ただできることは、諦めないこと。
僅かな可能性に賭け、機会を窺うこと。
万全を期し、準備を怠らないこと。
得体の知れない障壁に阻まれながらも、青年達は帰らない。
何かしらの成果を得るまでと、本拠地で待つ仲間達に活かせるモノを得るまでと。
彼等は調査の為、一週間を費やすが…
自分達だけで土地へ入り込むことはできず、調査結果を抱えて『砦』へと戻る。
其処に待っているのが、波乱の幕開けとは思わず。
荒んで変わり果てた、グターの冷たい視線など、予想もせずに。
『砦』の中は、かつて無く張りつめた空気に満ちていた。
自分達の知る場とは全く異なる雰囲気、その冷たく凍える様な寂寥感。
知っているはずなのに、自分達の知らない場所へと変貌したかのようで。
戸惑いと困惑に惑いながら、三人の青年は仲間達の集う憩い場へと向かった。
自分達の得た、調査結果を報告する為に。
--だけど其処に待ち受けていたのは、悲愴な顔をする仲間達。
気まずい顔で黙り込む彼等に示唆されたのは、とある部屋へ行けという指示。
心配そうな顔のリシェルが、彼等を案内した。
「なあ、どこに行こうってんだ?」
「この先は、練兵場ではなかったか。使ったことはないが」
「…そうです。練兵場です。魔法特化のフェイルさんはあまり、馴染みがない場所ですね」
「其処に、何があると?」
「あるというより、居る、と言うべきでしょうか…」
「「「なにが」」」
思わせぶりに口籠もり、視線を逸らすリシェル。
つい声を揃えて、青年達は追求する。
「グー君です。グー君が居るんです…が、」
「何だか歯切れが悪いですね。スパッと言いませんか」
「………そうですね。スパッと言いましょう」
この『砦』のかつて無い、異様な雰囲気。
何があったと息を呑む三人に、リシェルは厳かな顔でそっと告げる。
「グー君が、今までになく、その…荒んでいます」
「は? グー坊が荒れてるって?」
なんだ、そんなことかとアシュルーは拍子抜けしてしまう。
あれだけリンネべったりだった少年が、もう一月以上リンネと離ればなれなのだ。
少々荒れるくらいのこと、若しくは鬱状態に陥るくらいのこと。
その程度のことだったら、誰もが予想していたはずだった。
だのに、この『砦』の異常事態。
荒れて、何があったのかとマゼラは訝しむ。
「最初に皆が変だと思い始めたのは、リンネさんと引き離されて十日を過ぎたくらいからでしょうか…その頃には、三人は既に旅立っていましたから、分からないんですよ」
ふっと笑うリシェルの横顔も、そこはかとなく荒れて見えた。
いつものキラキラした笑みが、翳っている。
だけどそれはそれで素敵と持て囃されていることを、彼本人は自覚していない。
「多分、あの状態は、リンネさんが帰ってくるまで収まらないですよ。『砦』の皆の精神衛生上、お三方には一刻も早くリンネさんを救出してほしかったんですけど…」
リンネを伴わずに帰ってきた三人に、仲間達の向けた失望の視線。
それを思い出して、アシュルーさえも苦笑を零す。
「それで? グー坊が荒れてんのは分かった。それでなんで練兵場だよ」
「そうですね。グター君の性格なら、資質に閉じこもって出てこないと想っていました」
「予想外の行動に、グー君が出たのは確かです。傍で見ていた私達も、何事かと最初は想っていましたから…。言ったでしょう、荒んでいる、と」
リシェルは深い深い溜息を零し、哀れみの目で三人を見る。
「リンネさんを連れ帰れなかった貴方達には、多分災難になりますが。あの温厚なグー君が、普段はのんびりやさんのグー君が、どれだけ暴れても暴れたり無い感じなんです」
「あ゛? グー坊が暴れ?」
普段の様子を見るに、暴れても大したことがない様にアシュルーは感じた。
そう思うのは、彼が普段から暴れ放題の暴君だからだろうか。
他の二人も、のんびりしたグターの暴れ荒む様子が想像できずに首を傾げる。
「最初は、一般兵を訓練で叩きのめす程度だったんですけど…」
「グー坊が?」
無駄な争いをせず、仲間を大事にする、グターが?
「今では生身の兵ではグー君の暴挙に耐えられず…私やディフェーネでさえ、相手をするので精一杯。否、相手を仕切れなくなりつつあります」
「グー坊が!?」
「な、何かの間違いでは…」
「間違いではありませんよ。先程見なかったんですか。皆、包帯を巻いていたでしょう」
そう言ってリシェルが示す彼の右腕にも、包帯が巻かれて痛々しい。
「あれを、グター君がしたと…?」
あの、グターが。
鬼と恐れられるディフェーネを相手にしてさえ、抑えきれないと…?
「室内だと調度品を残らず叩き壊したい衝動に駆られるといって、もうずっと練兵場から出てこないんです。家具の代わりに、練兵場の壁や土豪、地面を破壊しているだけですが」
「おいおいおいおい…」
「仲間でも破壊しそうだと言うから、ここ数日は食事を差し入れる以外で近づく者もなく。私達も遠巻きにせざるを得ませんでした。ずっと、練兵場に一人で籠もっています」
「破壊衝動が抑えられないのは、何の末期なんですか!?」
「リンネ嬢欠乏症か…」
予想などしておらず、想像もできない荒ぶるグター。
その姿を想像しようとしても、三人の想像力では見えてこない。
漠然と不安だけを煽られ、三人は練兵場へ案内された。
案内をしたリシェルはそそくさと場を去り、三人だけが残される。
報告を、しなければならない。
それは朗報を待つ仲間達を失意に染めたモノだけど。
グターは、一応は彼等の指導者という立場。
避けて通ることはできないのだ。
顔を見合わせて互いを励まし合い、息を呑みながらも彼等は重い扉に手をかけた。
練兵場の中は見る影もなく、荒れ果てていた。
まるで巨人が暴れでもしたのか、天から龍が襲ってきたのか。
そう思ってしまうくらいに、同じ魔族が成したとは思えない光景。
予想以上の暴れた痕跡に、愕然としてしまう。
彼等の目を奪ったのは、地に穿たれた大きな断裂。
練兵場という限られた区域に、いきなり鋭く切り裂かれた大地が…谷が、出現していた。
見渡す限りに、グターの姿は見えない。
さてはこの谷底かと、青年達は恐る恐る地に潜っていく。
刺激して、攻撃されない様に慎重な動きで。
谷底は、光が遮られて薄暗かった。
この様な場に一人で閉じこもるなど、確かに荒んでいる。
精神に対する悪影響が、此処にいるだけで襲ってくるだろうに。
刺激しない為に灯りも持たず、青年達はゆっくりとグターを探した。
やがて見つけたのは、蹲る様に膝を抱える少年の姿。
リンネの手配でアシュルー達が地下の国で入手してきた剣を抱えて。
旅立つ前に見たよりも、随分と変わった。
精神にかかる負担か、肉体にかかる負担か。
何故かは計れなかったが…少年は、ほんの少し目を離しただけで急激な成長を遂げていた。
もう、少年と言うよりも青年と呼ぶ方が近いのかもしれない。
青年期の始まりに差し掛かる年代…『人間』に換算すれば、2~3歳は成長している。
成長の緩やかな魔族が、一月そこらでここまで育つことは、本来有り得ない。
急激な成長を遂げてしまうほど、グターの心は強く揺さぶられたのか。
傷が付いたのか。
闇に囚われたのか。
光を、忘れてしまったのか。
深く暗い谷の底。
此処はまるで、グターの現在の精神を表している様で。
重く苦しく、息の詰まる閉塞感。
声をかけることすらできず、一定以上に近寄れもせず。
青年達は、少年期を脱却しようとしている少年を前に、立ち竦むしかなかった。




