【小説技術】「目が滑る」の小説論
書き手の間でよく「目が滑る」という表現を使うことがある。けどこれ暗黙知に近いところがあるから、どういう意味かと訊かれてしまった。
確かに自分は当たり前だけど、知らない人もいるだろう。なので説明しよう。
まず辞書に載ってる意味。文章を読んでも、頭に入ってこない、読みにくいと感じる様。
これが小説だと、いくら読んでも場面やキャラが浮かばない。ストーリーが頭に残らない。
なぜ、そんなことが起こるのか? 以下の例文を読んでみてほしい。
《例》
今日は遊園地に行きました。ジェットコースターとメリーゴーランドに乗りました。ジェットコースターが一番楽しかったです。
さて問題です。遊園地で一番楽しかったのは何?
答え、もちろんジェットコースターだね。
こう答えられるのは、情報が頭の中に残っているから。もし例文を読んでも一ヶ月後にいきなり問いを出されても、誰も内容を忘れて答えられないだろう。
ならば情報の残らない文章なんてあるのか? 例文だ。
《例》
ゎなたばたらあささたは他派か朝菜はマラマサバ納屋や差サマラゎは浜かはさあさまらなま真名畑佐ははやはあららまはやばやま
適当にタイピングしましたが、これも文章に違いない。これ皆さんは何が書かれているか、覚えられる? 無理だよね。
意味として残らない、興味が起こらない文章は、頭に入ってこない。どれだけ読んでも読んでも虚無。
それが「目が滑る」文章というもの。
だから小説描写でも、単なる情報の列挙では、目が滑ってしまうことになる。例えばこんな風景描写。
《例》
家を出ると曇り空だった。地面が濡れている。僕は傘を持って出かけることにした。
この風景描写の情報を逆にしてみると。
《悪例》
出かける。傘を持つ。地面が濡れている。空が曇っている。家を出る。
同じ情報なのに、途端に頭に入りづらくなったはず。
小説描写とは情報を並べれば良いというものではない。読者の思考を誘導してやらないといけない。
だから文章も「AだからB、BだからC、CだからD」と情報がリンクしながら、積み上がってゆかないといけない。
チャンク数といって、人間が一度に覚えられる短期記憶能力は3~5個までだという。
チャンク数を越えると、記憶はトコロテンのように古いものから抜けてしまう。だから前の情報と関連・リンクを持たせて、覚えやすくさせてやる。
それを無理に世界設定を詰め込んで、はい覚えろは無理がある。楽しい読書が、砂を噛むような虚無の苦行と化す。
もちろんこれはストーリーにも使える。
例えば「布団が吹っ飛んだ!」と五十回いいました。読者としては「で?」で終わりだろう。
なので興味の誘導を作ってやる。
《例》
「寝室に突風が入ってきたんだ」
「大丈夫だったかい?」
「僕らは無事だったんだけど」
「まさか」
「布団が吹っ飛んだ」
ともかく小説以前、コミュニケーションの基本。
自分の興味あることと、他人が持つ興味とは違う。
読者があなたに何の興味も持ってないところから書け。
どんだけ素晴らしい世界観、アイデアがあっても、それだけでは小説にはならない。伝え方とセットになって、初めて小説になる。
と、そうして読者のことを意識することができたら、書き手として一気に成長するんじゃないかな。
目指せ、脱・目が滑る!




