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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第1章:壊れた辺境都市の応急処置 〜見えない障害を切り分けろ〜
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第8話 街を守るのは才能ではなく仕組み

 地下水路に、硬質な金属音が響き渡っていた。


 悪臭の立ち込める第四分岐点。ガルドたち設備職人が、石壁から突き出た違法な鉄管に専用の切断機を押し当て、力一杯に火花を散らしている。


「よし、管の切断完了だ! 保守官殿、来るぞ!」


「了解。バイパス管、接続します」


 切断された鉄管の口から、どす黒い汚水が溢れ出そうになる。その寸前、アシュレイはすかさず準備していた太い仮設魔導管をジョイント部分に被せ、接合部を速乾性の魔力樹脂で一気に塞ぎ込んだ。


 無駄のない、流れるような手際だった。


 行き場を失いかけた汚水は、アシュレイが繋いだバイパス管を通って、本来流れるべき下水経路へと轟音を立てて誘導されていく。


「漏れはありません。バイパス開通、汚水は完全に正規ルートへ逃げました」


「おっしゃあ! こっちの石壁の穴も、新しい石と樹脂でガチガチに塞いでおいたぜ!」


 泥まみれになったガルドが、会心の笑みを浮かべて親指を立てる。


 アシュレイもまた、額の汗を手の甲で拭い、小さく息を吐いた。


 違法接続の切断と、下水網への再接続。そして物理的な壁の修復。王都の役人と辺境の職人たちが泥にまみれながら連携し、街の血液に混ざっていた毒を完全に抜き取った瞬間だった。


「……見事な手際でした。ガルドさんたちの腕がなければ、半日で終わる工事じゃなかった」


「へっ、あんたの引いた図面と指示が的確だったからだ。さあ、地上に戻って、乾いた水路に綺麗な水を流してやろうぜ」


 ◆◆◆


 大元の水門が再び開かれた時、石造りの水路を満たした心地よい水音は、南区画の住民たちにとってどんな音楽よりも美しく響いた。


 赤茶色に濁り、腐敗臭を放っていた水はすっかり洗い流されていた。


 代わりに水路を流れているのは、東の浄水施設から送られてきた、川底の石の模様がくっきりと見えるほど透き通った清らかな生活用水だ。


「綺麗な水だ……! 臭いもまったくないぞ!」


「直ったんだ! 本当に、半日で直してくれたんだ!」


 不安な数時間を過ごしていた住民たちの間に、爆発的な歓声が巻き起こった。


 桶で水をすくい上げ、顔を洗って歓喜する者。安堵のあまりへなへなとその場に座り込む者。つい数時間前まで役人への怒号が飛び交っていた通りは、嘘のように明るい熱気に包まれていた。


 その光景を、アシュレイは水路から少し離れた路地裏の入り口で、静かに見守っていた。


 泥だらけになった手袋を外し、手帳に「南区画水路・恒久対応完了」と短く書き込む。


「保守官殿。お疲れ様でした」


 背後からかけられた声に振り向くと、商人ギルドの実務責任者であるセルマが立っていた。


 彼女の鋭い眼差しには、昼間の敵意や疑念は微塵もない。そこにあるのは、確かな実績を示した実務者に対する、純粋な敬意だった。


「……違法な排液管を繋いでいた皮革加工場については、先ほど商人ギルドの権限で強制的な操業停止命令を出しました。損害賠償と原状回復の費用も、彼らに全額請求します」


「迅速な対応、感謝します。バイパス管の設置で汚水の流入は止まりましたが、本来の下水網への再接続工事が終わるまでは、あの工場には一滴たりとも水を使わせないでください」


「ええ、分かっています。それにしても……夕方までに直すという約束、本当に守ってのけましたね。王都から来た役人が、自ら下水に潜って泥まみれになるとは思いませんでした」


「現場の構造を見ずに指示を出せば、必ず二次災害が起きますから。俺は当然の仕事をしただけです」


 淡々と答えるアシュレイに、セルマはふっと口元を綻ばせた。


「貴方のような人が役所にいてくれるなら、私たち商人も少しは安心して商売ができそうです。……この街の立て直し、期待していますよ」


 セルマは優雅に一礼し、歓気に沸く南区画へと戻っていった。


 これで、緊急の火消しは終わった。

 だが、アシュレイの戦いは「直して終わり」ではない。


 ◆◆◆


 数日後。イルダン役所の書庫には、またしてもアシュレイ、ミレナ、そして設備職人のガルドの三人が集まっていた。


 大きな長机の上には、南区画や旧市街の新しい水路網を描いた図面と、真新しい羊皮紙の束が何種類も広げられている。


「よし、これで水路網の『簡易台帳』は完成だな」


 アシュレイがペンを置くと、横で見ていたガルドが感嘆の息を漏らした。


「すげえな……。どこに何の管が通っていて、どの水門を閉じればどの区画の水が止まるのか、素人が見ても一目で分かるじゃねえか。今まで俺たち職人が、頭の中の記憶だけでやってきたのが馬鹿らしく思えてくるぜ」


「記憶は薄れますし、人が入れ替われば途切れます。だからこそ、紙に残して誰でも参照できるようにしておく必要があるんです」


 アシュレイは簡易台帳をミレナに手渡した。


「ミレナさん。これが今後の水路管理のマスターデータになります。原本は役所で厳重に保管し、写しをガルドさんたち職人組合に渡して、工事のたびに必ず双方で更新するようにしてください」


「はいっ! 責任を持って管理します!」


 ミレナは大切な宝物を受け取るように、台帳を胸に抱きしめた。彼女の顔には、もう以前のような悲観的な影はない。自分の仕事が街の維持に直結しているという、強い誇りが芽生えていた。


「それから、もう一つ。これが一番重要です」


 アシュレイは別の羊皮紙の束をガルドの前に置いた。

 そこには「水路点検表」という表題のもと、細かいチェック項目と日付を記入する欄がずらりと並んでいた。


「点検表……? こりゃなんだい」


「日常的な監視の仕組みです。水路をいくつかの区画に分け、職人と役所の人間が持ち回りで『当番』を担当します。確認するのは高度な魔法的知識じゃありません。『水の色は濁っていないか』『異臭はしないか』『喫水線より水位が異常に高くないか』。それらを週に一度、この表に従ってチェックし、記録をつけてもらいます」


「なるほど。これなら、今回みたいに地下でこっそり汚水が流されても、水かさや臭いの変化で早めに気づけるってわけか」


 ガルドは太い指で点検表をなぞり、ニヤリと笑った。


「あんた、本当に徹底してんな。直すだけじゃ満足せず、こんな面倒な紙切れまで作って見張らせようってのか」


「面倒だからこそ、仕組みにするんです」


 アシュレイは静かに、しかし強い確信を持って告げた。


「壊れた後に慌てて優秀な魔法使いや熟練の職人を呼ぶのではなく、壊れにくく、仮に壊れてもすぐに誰かが分かる仕組みにする。……街を守るのは、一人の天才の才能じゃありません。凡人が当たり前に回せる『日々の運用』です」


 その言葉に、書庫は静まり返った。

 それは、派手な才能や新規開発ばかりを重んじ、地味な維持管理を切り捨てた王都への、最も実務的で静かな反逆の言葉でもあった。


「……ははっ、違いねえ!」


 沈黙を破ったのは、ガルドの豪快な笑い声だった。


「一人の天才より、俺たち凡人の仕組み、か。いいぜ、保守官殿。その言葉、最高に気に入った! 俺たち職人組合も、あんたの引いた『仕組み』に全力で乗っかってやるよ!」


「ありがとうございます、ガルドさん」


「私もです! 書類仕事や点検表の管理なら、魔法が使えない私にもできますから!」


 ミレナも嬉しそうに声を弾ませる。

 アシュレイは二人の頼もしい顔を見て、小さく息を吐き、少しだけ口角を上げた。


 王都から追放され、崩壊寸前だった辺境都市イルダン。

 通信塔の断絶、そして水路の汚染。連続して起きた都市機能の危機は、アシュレイの実務的な対応と、現場の人々との連携によって見事に食い止められた。


 誰も全体を把握していなかった街は、今、確実に一つの「仕組み」として息を吹き返しつつある。


 アシュレイに対する住民や現場の信頼は、すでに揺るぎないものになっていた。


「さて、通信と水路の基盤整備はこれで一段落だ。次は――」


 アシュレイが次の課題へ移ろうと手帳を開いた、まさにその瞬間。


 ドンッ! と、役所の窓ガラスを揺らすような低い振動が、遠くから響いてきた。


「な、なんだ今の音!?」


「……嫌な振動ですね。魔力的な反発現象の波動だ」


 アシュレイの目がスッと細められる。

 振動が来た方向――それは、イルダンの街全体を魔物の脅威から守護している、巨大な『外縁結界』の方向だった。


 直した端から、次の問題が表面化する。それが長年放置された継ぎ足し都市の恐ろしいところだ。


「……どうやら、一息つく暇はなさそうですね。ミレナさん、外縁結界の過去の出力記録を出してください」


「は、はいっ!」


 本当の都市再建は、まだ始まったばかりだった。

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