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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第1章:壊れた辺境都市の応急処置 〜見えない障害を切り分けろ〜
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第6話 応急対応と反発

 南区画の水路沿いは、一触即発の空気に包まれていた。


「水を止めるだと!? ふざけるな!」


「ただでさえ汚いのに、今度は一滴も出なくなるって言うのか!」


「生活はどうなる! 今日の商売はどうするんだ!」


 アシュレイの「給水の一時遮断」という事務的な宣言は、ただでさえ怒り心頭だった住民たちに火に油を注ぐ結果となった。


 彼らにとって役人とは、いつも現場の苦労を知らず、高みから理不尽な命令を下すだけの存在だ。不満が爆発し、今にも飛びかかってきそうな勢いで群衆が押し寄せる。


「グ、グランさん、どうしましょう……衛兵だけじゃ抑えきれません!」


 ミレナが悲鳴のような声を上げるが、アシュレイの表情は微塵も揺るがない。彼は降り注ぐ罵声を浴びながらも、手帳を開き、ペンを走らせて何かを計算し続けている。


「――騒ぎ立てても、水は綺麗になりませんよ。皆さん、少し静かにしなさい」


 怒号を切り裂くように、凛とした、しかし冷ややかな女性の声が響いた。


 人だかりが自然と割れ、一人の女性が進み出てくる。仕立ての良い実用的なドレスに身を包んだ、三十代後半の女性。その鋭い眼差しには、一切の隙がない。


「商人ギルドの……セルマ様」


 ミレナが安堵と緊張の入り混じった声で名前を呼んだ。


 セルマ・ローデン。イルダン商人ギルドの実務責任者であり、この街の物流と経済を回している現実主義者だ。


 セルマは濁った水路を忌々しげに一瞥すると、冷たい視線をアシュレイに向けた。


「あなたが王都から来た新しい保守官ですね。状況は聞きました。ですが、給水の一時遮断など、商人ギルドとして到底認められません」


「理由は?」


「計算するまでもないでしょう。南区画には飲食店や染め物工房、食品の加工場が密集しています。水を止められれば、すべての業務が停止する。その経済損失は甚大です。役所はそれを全額補償してくれるのですか?」


 セルマの言葉に、周囲の商人や住民たちが「そうだそうだ!」と再び勢いづく。


 セルマは行政を信用していない。これまでの魔導官たちが「安全のため」「規則だから」と称して現場に不利益を強要し、結局何の根本解決ももたらさなかったことをよく知っているのだ。


「補償はしません。役所にそんな予算がないことは、長年この街でギルドを回してきた貴女が一番よく知っているはずだ」


 アシュレイの身も蓋もない即答に、セルマの眉がピクリと動いた。


「ならば話になりませんね。別の方法を――」


「別の方法はありません。そして、計算ならすでにしました」


 アシュレイは手帳をセルマの目の前に突き出した。そこには、現在の汚水の流入量、水路の許容量、そしてこのまま放置した場合の被害拡大の予測が、緻密な数式とグラフで描かれていた。


「この汚水は、ただの生活排水ではなく腐敗物を多く含んでいます。現在の流入速度から計算すると、明日の朝には浄水施設のフィルターが完全に飽和し、浄化機能が停止する。そうなれば、汚水が南区画だけでなく、街全体に完全に逆流します」


 アシュレイはセルマの鋭い視線を正面から受け止め、静かに、しかし断固たる声で続けた。


「逆流した汚水は街中の水路から溢れ出し、最悪の感染症を引き起こすでしょう。街の機能は完全に麻痺し、再建にはひと月以上の時間と莫大な予算が必要になる。……『半日の営業停止と売り上げの減少』か、『街全体がひと月以上死に絶える』か。商人ギルドの実務責任者として、どちらの損失が大きいか判断してください」


 感情論ではない。冷徹な事実と、徹底したリスクの比較。


 それを突きつけられたセルマは、手帳の数値を素早く目で追い、僅かに目を見開いた。彼女もまた、利益に厳しい現実主義者である。アシュレイの提示した最悪のシナリオが、机上の空論ではなく「確実に来る未来」であることが、その緻密な計算式から読み取れたのだ。


「……なるほど。確かに、街が死ねば商売もできませんね」


 セルマは小さく息を吐き、攻撃的な態度を少しだけ和らげた。


「ですが、今すぐ水を止められれば、仕込み途中の食材や染料がすべて無駄になります。それは今まさに発生する『確実な損失』です。それを黙って受け入れろと?」


「だから、遮断の実行を『正午』に設定しました。今から約二時間の猶予がある」


 アシュレイは周囲の住民たちにも聞こえるよう、声を張った。


「現在水路に流れている水は濁っていますが、沸騰させれば一時的な洗浄や清掃には使えます。この二時間で、各店舗・各家庭で可能な限りの水を樽や瓶に確保してください。完全な解決にはなりませんが、被害を最小限に抑えるための『応急対応』です」


 ただ止めるだけではない。実行までの間にできる具体的な対応策を提示し、少しでも現場の負担を減らそうとする。


 それは「説明責任を果たす実務者」としての、アシュレイの揺るぎない姿勢だった。


「……二時間。ギリギリの妥協点ですね」


 セルマはアシュレイの顔をじっと見つめた。これまでの、言い訳ばかりで現場を見ない王都の役人とは違う。この男は、利益とリスクを天秤にかけ、自ら責任を背負って決断を下している。


「分かりました。商人ギルドは、給水の一時遮断に同意します。各店舗への通達と、備蓄の指示はこちらで手配しましょう」


「セルマ様! いいんですか!?」


 驚く商人たちを、セルマは鋭い一瞥で黙らせた。


「文句があるなら、自分で汚水の中に潜って直しに行きなさい。……保守官殿、私たちが協力できるのはここまでです。後の復旧は、必ずやり遂げてくださいよ」


「約束します。夕方までには原因を特定し、流入を食い止めます」


 セルマの協力もあり、パニックに陥っていた南区画は、一転して給水停止に備えた水汲みと備蓄の作業へと慌ただしく移行した。


 怒声が収まり、人々が目まぐるしく動く中、ミレナは深く安堵の息を吐き出した。


「すごいです、グランさん……。あのセルマ様を説得するなんて」


「説得じゃない。事実と選択肢を提示しただけだ。彼女が街の未来を見据えられる実務者だったから、話が早かった」


 アシュレイはそう言いながら、工具入れから地下作業用の厚手の革手袋と、照明用の魔導具を取り出した。


 ◆◆◆


 正午。

 重々しい音を立てて大元の水門が閉じられ、南区画への給水が完全に遮断された。


 みるみるうちに水路の水位が下がり、赤茶色の汚泥にまみれた石畳の底が姿を現す。鼻をつく悪臭は、水が引いたことでさらに強烈に周囲へ漂い始めた。


「おい、保守官殿! 準備はできたぜ!」


 背後から太い声が響く。振り返ると、革の作業着を着込んだガルド・ベッカーと、数人の屈強な設備職人たちが立っていた。


「ガルドさん。わざわざ来てもらったんですか。通信網の再編で疲れているでしょうに」


「バカ言え。こんなドブさらい、王都のお上品な役人に任せておけるか。それに、俺たちの街の水路だ。直すのは俺たちの仕事だろうが」


 ガルドはニヤリと笑い、大きなシャベルを肩に担いだ。


 アシュレイが職人の技術を尊重し、信頼を寄せた結果が、こうして現場の協力という形で返ってきているのだ。


「助かります。推測通りなら、合流地点は旧市街の第四分岐点。地下の構造は複雑で、しかも汚泥が堆積しています。足元には十分気をつけてください」


 アシュレイは照明魔導具に火を灯し、開かれた地下水路の入り口へと歩み寄った。


 薄暗く、悪臭が立ち込める地下空間。この先に、街の命脈を脅かす「詰まりの正体」が潜んでいる。


「行きましょう。壊れた日常を、直しに」


 アシュレイを先頭に、実務者と職人たちの泥臭い決死隊が、地下の闇へと足を踏み入れた。

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