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追放された運用保守担当、辺境都市の障害を全部直したら英雄になった  作者: 結城ログ
第6章:旧鉱山区画の未管理資産〜眠る遺構を、台帳に載せろ〜
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第56話 誰の設備か、誰が止めるのか

 旧鉱山区画を暫定的に封鎖し、現場の『新たな原本』を作成し終えた翌日。

 イルダンの役所にある大会議室は、ひどくどんよりとした空気に包まれていた。


「――だから、市庁の都市インフラ予算から、その旧鉱山の保全費や調査費を捻出することは不可能なのだよ」


 長机の端に座る市庁の財務担当役人が、困り果てた顔で首を横に振った。


「あそこは十年以上前に閉鎖された区画だ。現在の行政区分上、通常の『都市設備』には含まれていない。台帳にない場所へ公金を注ぎ込めば、それこそ王都の監査院から不正流用を疑われてしまう」


「では、かつてあそこを管理していた鉱山組合の責任ではないのか?」


 別の役人が矛先を向けると、呼び出されていた初老の組合代理人は、不快そうに顔をしかめた。


「冗談ではない。十年前に資源が枯渇した時点で、我々の採掘権は完全に失効している。権利がない以上、今のあの廃坑は組合の管理外だ。勝手に掘り返している連中の後始末など、我々が負ういわれはない」


「防衛隊はどうだ。不審者の動きがあるなら、軍の管轄だろう」


 視線を集めた防衛隊副隊長のリオネルは、実直な顔つきのまま、しかし明確に首を振った。


「外縁部の警戒と、不審者の侵入を防ぐ巡回は我々の任務だ。だが、坑道内部にある『未知の設備』の管理や、崩落を防ぐための保全作業は、防衛隊の任務規定に存在しない。兵士に専門外の設備管理をやらせれば、必ず事故が起きる」


「商人ギルドのセルマ支部長。おたくのギルドから、調査費用を出せないか?」


 役人が縋るように見ると、セルマは優雅に足を組み直し、切れ長な目を細めた。


「お断りだね。迂回路の手配には協力するし、道が塞がれば物流への影響も受ける。だけど、坑道そのものの所有権も管理責任も、うちのギルドには一切ない。商人ギルドは慈善事業をやってるわけじゃないんだよ」


 市庁。鉱山組合。防衛隊。商人ギルド。

 誰も、悪意があって逃げているわけではない。それぞれの組織には明確な「役割と予算の境界線」があり、それを越えて未知のリスクを抱え込むことは、組織のルール違反になるからだ。


 若手事務官のミレナは、各部署の主張を一つ一つ羊皮紙に書き留めながら、途方に暮れていた。


「……誰も、旧鉱山に手を出せない。これじゃあ、封鎖を維持するための柵の修理費や、照明の魔力石代すらどこからも出ませんよ」


「責任線の空白ね」


 隣で記録を確認していた会計監査官のノラが、丸眼鏡を押し上げて冷たく言い放つ。


「誰が実行し、誰が予算を出し、誰が責任を取るのか。その『枠』がどこにも存在していないのよ」


 会議室に重苦しい沈黙が落ちた。

 その沈黙を破ったのは、上座でじっと彼らのやり取りを聞いていたアシュレイ・グランだった。


「……誰も責任を持てない構造こそが、未管理資産を生むのです」


 アシュレイの静かな、しかし的確に本質を突く声が響いた。


「皆さんの言い分は、各組織の規定に照らし合わせれば極めて正しい。制度上の理屈が通っているからこそ、厄介なのです。……現在のイルダンの体制では、この事案を処理できません」


 アシュレイは机に置かれた小型の魔導通信機に手を伸ばした。


「王都へ照会します」


 ◆◆◆


 通信回線は、王都監査院の特別監査官ローデリク・フェイン、そして王都都市基盤保守局のエルリックとゲイルへと繋がれた。

 会議室の机の上に置かれた通信機から、ローデリクの厳格な声が響く。


『――事情は理解した。旧鉱山から古代設備らしき反応が出ているのであれば、それは王国管理資産に該当する可能性がある。だが、現時点では「ただの廃坑」なのか「重要な遺構」なのかが確定していない。確定していない以上、本省から直接予算や人員を動かす法的な根拠がないのだ』


「つまり、王都側もすぐには動けないということですね」


『不甲斐ないが、そういうことだ。行政とは、台帳にないものには手を出せない生き物なのだよ』


 ローデリクの苦々しい声に、アシュレイは小さく息を吐いた。


「エルリック、ゲイルさん。そちらはどうですか」


 アシュレイが尋ねると、通信機から書類をめくる音が聞こえ、エルリックの焦ったような声が響いた。


『主任! 先日制定されたばかりの『王国標準運用保守規程・第一版』の全条項を確認しました。……ですが、ダメです』


「ダメ、とは?」


『現行で稼働している都市基盤、役所が把握している停止資産、そして期限付きの仮設資産については、明確な管理定義と停止権限が記載されています。……ですが、「都市の外縁部」にあり、「所有者が不明」で、かつ「古代設備の可能性」と「無断掘削の証拠保全」が重複するような複合ケースは……今の条文では明確に拾えません!』


 エルリックの報告に、会議室のミレナやノラも顔を見合わせた。

 王都を救い、王国全体に波及させた完璧なルールブック。それが、この辺境のイレギュラーな事態を前にして、早くも限界を露呈したのだ。


『エルリックの言う通りだぜ、アシュレイ』


 通信機から、ベテラン技師ゲイルの野太い声が続く。


『条文としては立派にできてる。だがな、現場目線で言わせてもらえば「この条文じゃ、誰も怖くて止められねえな」ってのが本音だ。……管轄が曖昧な場所の設備を勝手にいじって、もしそれが王家のものだったり、とんでもねえ呪いがかかってたりしたら、現場の職人が全責任を被ることになる。標準はできたが、まだ現場の「例外」に耐えきれるほど強靭じゃねえんだよ』


 ゲイルの指摘は、まさに今、イルダンの会議室で起きている「責任の押し付け合い」の核心を突いていた。

 ルールがカバーしきれない隙間バグが、現場の動きを止めている。


「……分かりました。エルリック、ゲイルさん。確認ありがとうございます」


 アシュレイは手帳の『王国標準運用保守規程』の項目に、赤いインクで大きく『不足あり』と書き込んだ。


「王都の標準ルールが万能ではないことが、はっきりと証明されましたね」


 アシュレイが言うと、会議室の役人たちは不安げにざわめいた。


「ルールがないなら、どうしようもないじゃないか! やはり旧鉱山は放置するしか……」


「放置はしません。ルールがないなら、現場から作るまでです」


 アシュレイはきっぱりと言い切り、通信機に向かって呼びかけた。


「ローデリク特別監査官。現在の王国標準において、旧鉱山区画の管理権限は完全な『空白』です。ならば、私の持つ『王国都市基盤・特別技術監査官』の権限を行使し、あの区画を暫定的に私の直轄調査対象として認定していただきたい」


『……君個人の責任で、あの得体の知れない廃坑を管理するというのか?』


「ええ。市庁でもなく、組合でもなく、防衛隊でもなく、私の権限で封鎖を維持します。保全に必要な最低限の費用は、監査院の特別調査費から引き当ててください。……誰も責任を取れないのなら、実務のトップである私が泥を被ります」


 アシュレイの迷いのない言葉に、ミレナは胸を打たれ、ノラは「やっぱりそう来ると思ったわ」と小さく笑った。


 通信の向こうで、ローデリクが少しだけ沈黙した後、深く息を吐く音が聞こえた。


『……承知した。監査院トップの権限において、アシュレイ・グラン技術顧問の要請を承認する。旧鉱山区画の暫定封鎖と保全に関する一切の判断を、君に委任しよう』


「ありがとうございます。ミレナさん、ノラさん。今のローデリク殿の承認を議事録に残し、私の名前で『暫定封鎖継続の通達』を作成してください」


「はいっ!」


「責任線の空白は、これで一旦埋まったわね。すぐに文書化するわ」


 二人の事務官が即座に手を動かし始める。

 アシュレイは会議室の役人たちと、組合の代理人に向き直った。


「これで、皆さんの組織が不当な責任を負わされるリスクは消えました。……ですが、これはあくまで『暫定措置』です」


 アシュレイは手帳を閉じ、冷徹な光を宿した目で宣言した。


「この事態が落ち着き次第、私は王国標準第一版に新たな『補則』を加えます。……都市の外れで眠る未管理資産を、いかにして安全に台帳へ組み込むか。その運用モデルを、ここイルダンから作り上げます」


 制度の穴を嘆くのではなく、現場の実例をもって制度をアップデートする。

 それが、運用保守という仕事の真骨頂だった。


『……へっ、言ってくれるじゃねえか』


 通信機から、ゲイルのどこか楽しげな声が響いた。


『街中の設備なら、俺たちでも止められる。だが、街の外で眠ってる得体の知れねえ設備には、まだ手が届かねえ。……そこを埋めるのが、俺たち実務者の次の仕事だろ、アシュレイ』


「ええ、その通りです、ゲイルさん」


 アシュレイは通信機に向かって頷いた。


「誰の設備か分からないなら、台帳に載せる。誰が止めるか分からないなら、手順を作る。……さあ、旧鉱山区画の『暫定保全』を開始しましょう」


 誰も責任を持てなかった空白地帯は、アシュレイという強固なくさびによって、ようやく管理の網の目へと引き寄せられた。

 闇に包まれた廃坑の全容を明らかにするための、泥臭く、そして極めて厳密な保全作業が始まろうとしていた。

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