第20話 その頃、王都では
大陸の中心に位置し、王国の権力と富のすべてが集中する巨大都市、王都セントラル。
そこは「永遠の不夜城」と謳われる、魔法技術の粋を集めた虚飾の都であった。
空を突くようにそびえ立つ純白の尖塔群は、夜の闇を完全に拒絶するかのように、数万の魔導灯によって真昼のごとく照らし出されている。
空中に張り巡らされた透明な魔導レールの上を、貴族たちを乗せた新型の浮遊車が青白い光の尾を引きながら滑るように走り抜け、地上では華やかなドレスに身を包んだ人々が、絶え間なく続く宴の音楽に酔いしれていた。
どこを見渡しても、圧倒的な豊かさと、立ち止まることのない発展の熱気がある。少なくとも、表面上は。
王都の中心にそびえる、ひときわ巨大な建造物――魔導庁本部ビル。
その最上階にある豪華絢爛な執務室で、新規開発局の局長であるダリウス・ヴァン・アスターは、最高級のマホガニー材で作られたデスクに深く腰掛け、クリスタルグラスに注がれた極上の赤ワインを揺らしていた。
「……素晴らしい。実に美しい光景だ」
ダリウスの目の前には、王都全体の魔力供給状況を示す巨大な立体魔力マップが空中に投影されている。
マップ上には、彼が強引に推し進めた最新鋭の魔導施設群――新型の全天候型歓楽街や、貴族専用の巨大温水プール、さらには見栄えだけを重視した無駄に巨大な魔力噴水などが、誇らしげに赤々と光を放っていた。
それらの施設はどれも莫大な魔力を貪り食う大食漢だったが、同時に、ダリウスに莫大な政治的利益と名声をもたらす「金の卵」でもあった。
「今月も新規開発区画の魔力消費量は右肩上がりだ。商業ギルドからの投資も絶えることを知らない。私の推進する『第三次・王都拡張計画』は、完全に軌道に乗ったな。もはや、この私の輝かしい功績にケチをつける者など、この王都には一人もいない」
ダリウスが独りごちてワインを喉に流し込もうとした、その時だった。
「局長! よろしいでしょうか!」
執務室の重厚な木扉がノックもそこそこに乱暴に開かれ、若手技師の一人が転がり込むように入ってきた。
仕立ての良い制服を着ているが、その顔は蒼白で、目の下には何日も徹夜をしているような濃い隈がくっきりと刻まれている。
彼の手には、赤いインクで「緊急」と記された分厚い羊皮紙の束が握られていた。
「なんだ、騒々しい。ノックの仕方も忘れたのか、エルリック君。私は今、来期のさらなる拡張予算の策定で極めて忙しいのだがね」
「も、申し訳ありません! ですが、緊急事態です! 旧市街から新開発区画へ接続している『第十二基幹ルート』の魔力圧が、三日連続で規定の安全閾値を大幅に下回っています! さらに、各所の中継分配器から、異常な排熱と微小な魔力漏出を検知したという報告が相次いでおりまして……!」
若手技師のエルリックが必死の形相で差し出した「警告レポート」を、ダリウスはろくに目も通さずにデスクの端へと乱暴に追いやった。
「またその話か。君たち若手は、少し計器の針がブレたくらいですぐにパニックを起こす。安全閾値などというのは、臆病な昔の技術者が設定した、無駄に余裕を持たせすぎた数値に過ぎんのだよ」
「しかし、局長! 現場の巡回記録によれば、古い配線の被膜がすでにドロドロに溶け始めている箇所もあると……! このまま新規開発区画への莫大な魔力供給を続ければ、大本の配線が負荷に耐えきれずに焼き切れ、大規模な暴走を起こす恐れがあります! 今すぐ一部の施設を停止し、緊急の点検と補修を……!」
「馬鹿を言うな!!」
ダリウスはワイングラスをデスクに叩きつけ、エルリックを冷たく、侮蔑の色を込めた目で見下ろした。
「点検だと? 補修だと? そんな後ろ向きで生産性のない作業のために、王都の輝かしい発展を止めるというのか!? いいか、我々新規開発局の使命は、この王都を常に前進させ、輝かせ続けることだ。カビの生えた古い配線を撫で回すような底辺の雑務に、一級の魔導技師が時間を割くなど、到底許されることではない!」
「で、ですが……現実として、異常を示すアラートが鳴り止まないのです! このままでは……!」
「アラートがうるさいなら、検知器の設定数値を書き換えておけ! 警告が鳴らない設定にすれば、不具合など存在しないのと同じだ!」
ダリウスのあまりにも暴論すぎる命令に、エルリックは絶望的な表情で立ち尽くした。
「いいか、エルリック君。明日には国王陛下を直々にお招きしての、新設の『空中庭園』の華々しいお披露目会が控えているのだ。絶対に、魔力の出力を落とすことは許さん。もし私の顔に泥を塗るようなことがあれば、君をあの『無能な男』と同じように、辺境へ追放してやるからな。……分かったら、さっさと戻って『異常なし』という書類を作れ」
「……っ、承知、いたしました……」
エルリックは血が滲むほど強く唇を噛み締め、深く頭を下げると、逃げるように執務室を後にした。
扉が閉まった後、ダリウスは不機嫌そうに鼻を鳴らし、再びワイングラスを手にした。
あの若手技師の怯えた顔を見ると、ひどく不愉快な記憶が蘇ってくるからだ。
(……まったく。数ヶ月前に辺境へ追放してやった、あの小賢しい男の顔を思い出す)
アシュレイ・グラン。
かつて、この王都の魔導庁で保守管理部門のトップに居座っていた、無愛想で融通の利かない男。
ダリウスが華々しい新規開発プロジェクトを打ち出すたびに、あの男は必ず立ち塞がった。
『既存の魔力網への負荷が限界を超えます』
『新しい設備を繋ぐ前に、古い配線の引き直しが必要です』
『運用体制と人員が追いついていません。計画の延期を具申します』
事あるごとにデータと論理を盾にしてケチをつけ、ダリウスの計画を遅滞させていた、最高に目障りな存在だった。
(『街を守る』だと? 笑わせる。あいつがやっていたのは、ただ王都の成長の足を引っ張ることだけだ。事実、あいつがいなくなってから、王都の開発は劇的に加速したではないか)
ダリウスは、政治的な根回しと派閥の力を駆使し、新設備で起きたマイナーな魔力漏出事故の責任をすべて保守局に押し付ける形で、あの「安全第一しか口にしない退屈な男」を、はるか遠くの辺境都市イルダンへと左遷してやったのだ。
(古い配線に新しい設備を強引に繋いでも、見ての通り、今のところ何の問題も起きていない。あいつの『警告』など、ただの臆病者の妄想に過ぎなかったのだ。やはり私の判断は正しかった。保守などというものは、誰にでもできる底辺の雑務だ。優れたシステムは、放置していても勝手に動き続けるものなのだからな)
ダリウスが自らの輝かしい功績と、政敵を排除した己の采配に酔いしれ、極上のワインを喉の奥へ流し込もうとした、まさにその時だった。
――バツゥゥゥンッ!!
突如として、鼓膜を破るような異様な破裂音が、窓の外から響き渡った。
それとほぼ同時に、強固な魔法障壁で守られているはずの魔導庁ビル全体が、まるで巨大な地震に見舞われたかのように激しく揺れ、執務室の窓ガラスがビリビリと悲鳴を上げて細かなヒビを走らせた。
「な、なんだ!? テロか!? それとも大型の魔物でも出たというのか!?」
ダリウスが慌てて立ち上がり、ワイングラスを床に落として割った瞬間。
彼の目の前で、この王都の永遠の繁栄を示すかのように誇らしげに輝いていた巨大な立体魔力マップが、まるで急激に血の気を失うように、一気に真っ赤なエラー警告の光へと染まり始めた。
『警告。第十二基幹ルート、魔力圧ゼロ。異常な魔力漏出を検知』
『警告。第八、第九、第十分配器、連鎖的過負荷により物理的融解を確認』
『バックアップ回線への切り替えを実行……エラー。バックアップ回線、応答なし。安全弁、作動せず』
部屋中に響き渡る、無機質で冷酷な魔導音声が、絶望的な事実を次々と告げていく。
「ば、馬鹿な! 冗談ではないぞ! バックアップはどうした! なぜ作動しない!? 安全装置が何重にも組み込まれているはずだろうが!」
「だ、局長ぉぉっ!!」
血相を変えた先ほどの若手技師エルリックが、今度はノックすら忘れて、扉を蹴破るような勢いで飛び込んできた。その制服のあちこちには、飛んできた破片で切れたのか、生々しい血の跡が滲んでいる。
「第十二ルートの地下中継所が、完全に爆発しました!! 長期間の過負荷で劣化した配線が持ち堪えられず、一箇所がショートしたのを皮切りに、連鎖的に全線が焼き切れました! 王都南区画の魔力網、完全に崩壊です!!」
「爆発だと!? ふざけるな、バックアップ回路はどうした! なぜ切り替わらない!」
「機能するはずがありません! バックアップ回路も、事前の保守点検が『書類上だけの虚偽報告』だったため、すでに水漏れで腐食しており、全く使い物にならない状態だったんです!!」
「虚偽報告だと!? 誰だ、そんなでたらめな管理をして、私の顔に泥を塗った馬鹿者は! 今すぐそいつを呼んでこい!!」
ダリウスが怒鳴りかけた言葉は、自らの喉の奥で凍りつき、ヒューッと情けない音を立てて消えた。
エルリックが、軽蔑と怒りの入り混じった瞳で、ダリウスを真っ直ぐに睨みつけていたからだ。
『現場の巡回記録など、形だけ適当にチェックをつけておけばいい』
『警告が鳴らない設定にすれば、不具合など存在しないのと同じだ』
他でもない、ダリウス自身が、日々の地道な保守作業を「無駄なコスト」「生産性のない雑務」として切り捨て、現場にそう指示していたのだ。
部下たちは局長の命令に従い、見えない部分の異常を無視し、書類のチェックマークだけを埋めてきた。その「嘘の蓄積」が、今、限界を超えて実体を持った怪物となり、ダリウスの喉元に噛み付いたのである。
「ああ……ああっ……! そ、そんな……」
ダリウスは震える足で窓辺へと歩み寄り、そして、決して信じたくない光景を目の当たりにした。
永遠の不夜城と謳われ、大陸の頂点に君臨していた王都セントラルの、南半分の区画が。
煌びやかな魔導灯も、空を走る光のレールも、ダリウスが莫大な予算をつぎ込んで明日お披露目するはずだった新設の空中庭園も。
すべてが、まるで黒いインクをぶちまけたように、完全な『暗闇』へと沈み込んでいたのである。
暗闇の中から、パニックに陥った市民たちの絶叫と悲鳴、そして火災の発生を知らせる半鐘の音が、夜空を引き裂くように響き始める。
見過ごされ続けた微細な異常。ごまかし続けた保守記録。開発偏重のトップが軽視し続けた「小さなほころび」が蓄積し、最悪の形で一気に決壊したのだ。
「嘘だ……こんなこと、あり得ない……。私の……私の完璧なシステムが……っ」
ダリウスはその場に無様に崩れ落ち、頭を抱えて呻き声を上げた。
どうすればいい。どう直せばいい。どこから手をつければ、この暗闇を払うことができるのか。彼には全く分からない。
新しいものを造る知識はあっても、複雑に絡み合った既存のシステムが「なぜ壊れたのか」、その原因を的確に切り分けて修復し、二次被害を防ぐ『実務の技術』など、彼には何一つ持ち合わせていなかったのだ。
パニックに陥る王都の夜景を見つめながら、ダリウスの脳裏に、かつて自分が無能だと切り捨て、嘲笑って追放した、あの憎き男の冷静な顔が浮かび上がった。
「あいつだ……アシュレイ……あの男がいた頃は、どんなに無理な接続をしても、決してここまで決定的に崩れることはなかったはずだ……!」
ダリウスの血を吐くような後悔の呻きは、鳴り響くエラー警告音と、王都を包む混乱のサイレンの音に完全に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった。
彼が切り捨てた「保守の価値」が、どれほど巨大なものだったのかを思い知るには、あまりにも遅すぎたのである。
* * *
その頃。
パニックと暗闇に包まれた王都から、遥か遠く離れた、大陸の最果てにある辺境都市イルダン。
東の空が白み、冷たく澄んだ朝の空気が街を包み込む中。
旧市街の地下にある、かつてはカビと腐臭にまみれていた中央魔力炉の制御室では、アシュレイ・グランが一人、静かに分厚い真新しい台帳と向き合っていた。
室内は整理整頓され、魔力炉からは規則正しく、力強い重低音が響いている。
「……第十二分配器からの出力、規定値内で安定。不純物のろ過率、九十九・九パーセントを維持。旧式コアの波長変換にも異常なし。各区画への魔力供給、オールグリーン、と」
アシュレイは専用の魔力測定器の数値を読み上げながら、万年筆で丁寧に、一文字一文字、正確な事実を台帳に書き込んでいく。
そこには、王都の魔導庁に渦巻いていたような虚飾や嘘、誤魔化し、都合の良い改ざんなど一切ない。ただ、冷徹なまでに正確な『物理的現実』だけが記されている。
「おはようございます、グランさん!」
制御室の扉が元気よく開き、両手いっぱいに書類の束を抱えた事務官のミレナが、弾むような足取りで入ってきた。
その顔は、数週間前にアシュレイがこの街にやってきた時の、絶望と疲労に満ちた暗い表情とは別人のように明るく、希望に満ちていた。
「おはようございます、ミレナさん。今日の予定は」
「はいっ! 午前中に各区画の魔力網の『定期チェックシート』の回収と確認。午後からは、ガルドさんたち保守班と合同で、来月の『次期修繕計画』のすり合わせ会議です。あ、ノラさんから『予算の枠取りは完璧だから、必要な資材はケチらずに要求しなさい』って伝言を預かっています!」
「了解しました。商人ギルドのセルマさんには、予備の魔力石の納品スケジュールを確認しておいてください」
「はい、承知いたしました!」
ミレナが笑顔で読み上げ、アシュレイが指示するスケジュールは、どれも地味で、退屈で、目新しさのない「普通の業務」ばかりだ。派手な開発も、奇跡のような大魔法の行使もない。
だが、それこそが、アシュレイが求めていた「完璧な運用体制」だった。
「結構。……何事もないのが、一番の成果です」
アシュレイが小さく頷くと、ミレナは嬉しそうに微笑み、淹れたての温かいお茶の入ったマグカップをデスクに置いた。
アシュレイはマグカップを手に取り、制御室の窓から、地上のイルダンの街を見上げた。
太陽の光を浴びて、夜通し街を照らしていた魔導灯が、システムの設定通りに静かに消灯していく。南の区画からは、綺麗に浄化され、豊富な水量を取り戻した水路のせせらぎが心地よく聞こえてくる。
そして北の空には、外縁結界が朝焼けの光を反射して、美しく透き通るような青い輝きを放ち、魔物の脅威から街を完璧に守り抜いていた。
広場では、商人ギルドの荷馬車が活発に行き交い、朝の市が立っている。
かつて、役人の姿を見るだけで石を投げ、絶望の混じった唾を吐きかけていた住民たちが、今は笑顔で挨拶を交わし、見回りをする見張り隊の兵士たちに温かいスープを差し入れている姿が見えた。
これは、奇跡の魔法がもたらしたものではない。一人の英雄が、強大な力で一瞬にして世界を救ったわけでもない。
壊れたものを直し、原因を突き止め、ルールを作り、皆で守る。そんな「当たり前の実務」を、泥臭く積み上げ続けた結果が、この美しく、穏やかで、力強い朝の風景なのだ。
「……グランの旦那!」
ドカドカと荒々しい足音を立てて、職人頭のガルドが、数人の若い職人を引き連れて制御室に顔を出した。
その顔は相変わらず煤だらけだが、生き生きとした精気に満ち溢れ、職人としての誇りを取り戻した力強い目をしている。
「おう、今日も計器はご機嫌みたいだな! 俺たちはこれから、第三区画の配管の『予防交換』に行ってくるぜ。まだ壊れちゃいねえが、耐用年数が近いからな。完全にイカれる前に直す。旦那が教えてくれた、この街の新しいルールだからな!」
「ええ、よろしくお願いします、ガルドさん。安全帯の着用確認と、作業前の指差し呼称を忘れないように。現場の安全が、すべての業務の最優先事項です」
「分かってるって! うるせえ監督だぜ、まったく! ……じゃあな、行ってくる!」
豪快に笑いながら去っていく職人たちの広い背中を見送り、アシュレイは手元の台帳を静かに閉じた。
王都で、見せかけの発展のツケが弾け飛び、虚飾のシステムが崩壊の産声を上げていたその時。
辺境都市イルダンでは、名もなき実務者たちによって構築された「強靭な仕組み」が、今日もただ静かに、当たり前のように、都市の平和を守り続けていた。
正しい保守と、軽視された保守。
長年の積み重ねと、その場しのぎの嘘。
相反する二つの価値観が、遠く離れた地で、極めて明確な「結果」として表れた朝。
それは、辺境都市の再建を見事に成し遂げた実務者、アシュレイ・グランの戦いが、舞台を王国全体へと移すための、静かなる号砲であった。
彼の「正しい運用」が、崩壊しつつある王国をどう救うのか。
イルダンの眩しい朝日とともに、静かに下りていく。




