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裏切りの聖女に捨て駒とされた女騎士。他国の戦闘狂な魔導団長に捕まり、死よりも甘い執着を向けられています


「剣のことには詳しいのでしょうけど……こういう場は、私の判断に従ってちょうだい。貴女、宝石とか分からないでしょう?」


 お金持ちが愛用する宝石店で、淡い水色のドレスに身を包んだ彼女、ミリエルは責めるような声色を出しながら、こちらを困ったように見ていた。


「失礼しました」


 どっちがいいかと問われ、自分なりに考えて伝えたつもりだったが、気に入らなかったらしい。頭を下げると、ミリエルは冷めた瞳をカティアから外した。


「いくら護衛だとは言っても、貴女だって女なんだから、こういうのにも気を配った方がいいわよ。聖女である私の護衛を勤めているんだから、尚更……ね?」

「……精進いたします」


 いつものやり取りに、いつもの返答を口にする。

 ミリエルが振り返った次の瞬間には、誰もが優しい聖女だと信じて疑わない、完璧な微笑みを浮かべて店員たちと楽しそうに会話している彼女の姿があった。


 ――そんなものを着けていては、いざという時に戦えない。

 一度だけ、ミリエルにそう苦言を呈したことがある。


 すると、その日のうちに教会から呼び出された。そこで叱責を受け、反省文を書かされた。

 その日を境に、カティアはミリエルに意見することをやめた。


 ――これは、仕事だ。


 カティアは何度目か分からない自己暗示を、己に掛ける。


 騎士は、強さが全て。

 そんな風に思い込み、身なりなどの勉強を疎かにしたツケが、巡り巡ってきているだけ。


 手入れもしていない、無造作に伸ばした黒い髪を背骨辺りで一本にまとめている自分の姿が、何よりもの証拠だ。


 カティアは自分に問題があるから仕方がないと、いつしかミリエルの言葉を受け止めるようになっていた。


 * * *


 ミリエルが宝石店で見たいものを見終え、店を出た。カティアも続いて、彼女の一歩後ろを歩く。


 ふと、近くでぞくりとする魔力が膨れ上がったような気がした。

 襲撃かと思って身構えるが、何もない。町の中はいつも通り、多くの人で賑わいを見せている。そこに恐怖や困惑は混ざっていない。


 気のせいだったかと、護衛対象であるミリエルに視線を戻すと、彼女はもう既に何処かへ向かって歩き出していた。

 分かるのは、教会に用意されている聖女専用の自室ではないということだけだ。


「ミリエル様、日が沈んでまいりました。そろそろ……」


 太陽の位置を見て、目算の時刻を割り出しながら腕時計を見ると、やはりカティアが想像していた時刻だった。

 季節が秋ということもあり、あと30分もすれば日差しは完全に消えるだろう。


「もうちょっとだけいいじゃない。貴女、腕だけは確かなんでしょ? それともなに、一人で私を守れないの?」


 不満を隠さない表情を向けてくるミリエルに、カティアはぐっと喉を鳴らした。


 聖女には、護衛が最低三人ついていることが規則です。

 なんて言おうものなら、ミリエルが自分にいじめられたと言って、また教会から呼び出されるのがオチだ。


 今日の予定に外出はなく、一人隠れて出掛けようとしているのを見つけたから追ってきただけ。

 これもそのまま伝えたら、だったら一人で帰れと言われて終わりだ。誰が頼んだのよという追撃の言葉まで、予想がつく。


 ――帰りたい。

 しかし、ミリエルの行動に気づいてしまったのが運の尽き。知っていながら見逃したことがばれれば、仕事がなくなるでは済まない。


 聖女は、この国の象徴だ。

 能力も、魔法とは一線を画す特殊なものを使用することができ、それこそがこの国の価値を高めている。


 聖女であるミリエルの身に何かあったら。その時に、護衛騎士が一人も付いていなかったとしたら。

 死刑どころか、公開処刑だってあり得るかもしれない。


「では、もう一件だけ……」


 結局、また何かをミリエルに否定されるのが怖くて、彼女の問題行動を見逃してしまった。

 誰よりも規律に厳しい奴だと言われるぐらい、自分を厳しく律しているのに、どうしても聖女の前だけは委縮してしまう。


 一人の人間の前でだけ行動を変えてしまう、自分の弱さに心が痛んだ。


「当然よ。さ、新しい服を身に行くわよ」


 歩き出すミリエルの後ろを、変わらず一歩の距離を正確に保ってついていく。

 町中を歩いていると、一人の少年がぱっと表情を明るくし、こちらに手を振りながら駆けてきた。


「聖女様だ! こんばんは!」

「こんばんは。もうすぐ暗くなるから、気を付けて帰ってね」

「うん! 聖女様もね!」


 走り去っていく少年の後ろ姿に、ミリエルは手を振っている。

 周りの人たちも、少年のように声をかけてくることはなかったが、聖女を見られたことを喜び、明るい表情を浮かべている。


 ――こうしてみる限り、彼女はとても聖女然としている。

 聖女は顔が割れていることもあり、危険も多い。実際、彼女を目的とした襲撃を跳ね返したことは、一度や二度ではない。


 それでも怯えず、もう辞めたいと言った泣き言を口にしない彼女は、国にとってまさに理想の聖女だと表現しても、過言ではない。


 ただ、一点。

 カティアにだけは異常に冷たく当たるという事実さえなければ、カティアもこの国の人々と同じように、聖女に感謝を捧げ、彼女を敬い慕うことが出来ただろう。


 ミリエルはご機嫌な様子で、目的地まで迷いなく足を進めていく。この時、カティアはミリエルとの距離を保ちながら、周囲を見渡した。


 一軒、また一軒と店じまいをはじめる店員たちの姿を見て、カティアは空を見上げる。

 太陽は確実に、地平線へと向かっている。だが、店を畳むには流石に早すぎる。


 一軒程度なら、その日販売する品物が今日はたまたま早く捌けただけだと考えられる。

 しかし、それが何軒も見え始めるのはおかしい。


 一体何が起きているのかと、カティアは後ろを振り返り、ぞっとした。

 ――まずい。


「ミリエル様、止まってください!」

「きゃっ! ちょっと、痛いじゃない!」


 咄嗟にミリエルの手首を掴み、歩みを止める。文句を言われても、そんなことに気を回す余裕はなかった。


 王都の大通りが無人になるなんて、戦勝祝いによる凱旋や、新たな王子王女の誕生、あるいは王の代替わりなどによる交通規制をしなければ、絶対に起こりえない。


 しかし、現実として今、目の前でそれが起きている。これの意味するところは、圧倒的なまでの強者が、この事態を引き起こしたということだ。


 全神経を使い、周囲全てに意識を張り巡らせる。ミリエルは何か言っているようだが、耳に入ってこなかった。


「へえ、良い護衛を付けてるね。流石は聖女。隙が無くて困っちゃったよ」


 カティアは声がした時点で、すぐさまミリエルの前に出る。

 堂々と足音を立てながら、真正面から現れたのは一人の男だった。


 無造作に伸ばされた深紫の髪が、紫を基調に黒を混ぜた外套と共に風がはためかせている。

 長身で細身ながら無駄なくつけられた筋肉は、カティアに慎重さを与えるに十分すぎる効果を発揮していた。


 ミリエルも相手の姿を目視したことで、ようやく異常性に気づいたらしく、そっとカティアの後ろに下がった。


「そう怖い顔しないでよ。僕はただ、聖女様をもらいに来ただけだから」


 男は、自分が口にした要望が通ることがさも当然のことのように振舞っていた。それを裏付けるように、相手は今もなお、歩みを止めない。


「止まれ! それ以上近づいたならば、私は容赦しない」


 カティアは威嚇するべく、腰に下げていた剣を鞘から引き抜き、相手に向けた。

 すると、赤紫色をした相手の瞳がギラリと光った。


「いいねぇ……! 僕に向かって容赦しないなんて言ってくれた相手、いつ振りだったかなぁ? ああ、ゾクゾクしてきた!」


 ――なんだ、この男。

 カティアは相手の異質な態度に飲まれぬよう、短く息を吐いて剣を両手で持ち直す。


 相手は一応警告を聞いて歩みを止めたが、いつ飛び掛かってきてもおかしくないような精神状態に見える。


「もう一度だけ聞くね。聖女を渡す気、ある?」

「聖女様はこの国の象徴。無礼な要求は、剣で以てお返しする」


 カティアの答えを聞いた、相手の身なりが大きく靡く。大量の魔力が身体に集まる時の現象だ。

 これを見て、相手は実力行使に出ることを選んだと判断したカティアは、ミリエルに叫んだ。


「ここは私が食い止めます! 今のうちに教会へ!」


 ミリエルは何も言わず、踵を返して走り去っていく。カティアはそれを横目に確認した後、すぐに視線を男の方に向けた。


「あれ、逃がしちゃうの? それは困るなあ。ここにちゃんと……」


 男は何かを懐から取り出そうとしたが、すぐにそれをやめた。カティアはこれを攻撃だと思い、さらに集中する。


「聖女が欲しいなら、君を倒せってことだよね。うん、きっとこれはそういうことに違いない」

「残念だが、私を倒しても聖女様は他の騎士に守られている。それに……」


 カティアも負けじと自身の身体に大量の魔力を集め、強さを誇示した。


「私を簡単に倒せると思っているなら、大間違いだ」


 カティアの言葉を聞いた瞬間、男は愉快そうに肩を揺らした。


「こんなの見せられちゃったら、もう仕方ないよねぇ? 僕はグリード。今から君と全身全霊を賭けた戦いに身を投じる男の名前、ちゃんと記憶しておいて?」


 グリードという名前に、カティアは一瞬、意識を持っていかれた。

 どこかで聞いたことがあると、その名前を持つ人物を思い出そうとした瞬間、爆ぜるような魔力の奔流が、カティアの視界を真っ白に染めた。


「考え事はあとにしなよ。本気を見せてくれないと僕、何しでかすか自分でも分かんないからさ」


 反射的に剣を突き出した先で、凄まじい火花が散る。グリードの言葉を精査するような暇は、一瞬たりともない。


「これを防いでくるかあ。さいっこう……!」


 直撃を防いだだけでしかない剣先は、カティアの腕を痺れさせた。圧倒的な力で押さえつけられ、剣が石畳を砕く。


 ――この男、強すぎる!

 常軌を逸したほどの魔力を平然と操り、剣と魔法を無駄のない連携で切り替え、追い詰めてくるグリードに、カティアは無意識のうちに混乱していた。


 こんな男が野盗をしているなんて、信じられない。しかし、無作法さはまさに野盗やごろつきのそれだった。

 この事実が、カティアの思考に割くべきキャパシティを奪っていた。


「――隙を見せたね?」

「うっ!」


 バチンと、嫌な音が鳴った。手から弾かれた剣が空を舞い、石畳の上を滑っていく。カティアはそこで絶望せず、手のひらに溜めた魔力でグリードの身体に衝撃波を叩きこもうとした。


「いいねぇ! 最後まで抗う感じ、ほんっといいよ!」


 しかし、無情にも手首を掴まれてしまい、カティアの反撃は失敗に終わった。


「ここまで戦える君には敬意を示して、これを着けておこっか」


 掴まれた手首をどうにか引き抜こうとするが、全く歯が立たない。カティアが必死に暴れているのに、グリードは涼しい顔をして空いている方の手に魔力の輪っかを作っている。


「そ、それは……!」


 これが何なのか、理解が追いついたカティアはなりふり構わず、身体をよじる。

 カティアの予想が正しいなら、あれは魔力を抜き取り相手を確実に無力化してしまう、高度な魔法によって生成された拘束具だ。


「ああ、ダメだよ。そんなことしたら身体を傷つけちゃう。ほら、おとなしくしてね」

「くっ――あぁ!」


 魔力の輪っかに両腕ごと、がっちり拘束されてしまう。それと同時に、ずるりと体の中から何かが抜けていく感覚に襲われる。

 カティアは堪らず、膝をついた。


 これを見下ろすように見つめてくるグリードに、カティアは可能な限り、鋭いまなざしを返す。


 勝敗は既についているといえる状態だが、カティアは聖女を守る護衛騎士だ。

 命尽きるその時まで、屈することは自分が許さなかった。


 カティアが決死の覚悟をしている中、グリードは先ほどまで見せていた狂気的なまでの苛烈さを沈め、冷静になっていた。


「あー、やっちゃったなあ。どうしよっか、これ。絶対、世界協定の魔導団長戦闘狂規定に引っかかるよなあ。聖女を連れて帰らないといけないのに……」


 カティアの前で上の空になるグリードの隙を、彼女は見逃さなかった。

 気だるい身体に鞭をうち、震える足で立ち上がって、カティアはグリードめがけてタックルを仕掛ける。


「ふっ――!」


 カティアの勝利条件は、聖女を逃がすことだ。

 最上の結果は相手を捕縛、あるいは無力化することだが、それが叶わなかったからと言って、カティアのするべきことは変わらない。

 相手に勝てなくとも、一秒でも長く足止めをすることこそが、護衛騎士であるカティアの仕事だ。


 全身に、確かな衝撃が走る。グリードに見事タックルが決まったと、カティアは小さな喜びを覚え、それはすぐに霧散した。

 何故なら、タックルは成功したが、結果は抱きとめられて終わっていたからだ。


「えー……なんでこんな……。はあ、もう最高過ぎて……。君、名前は?」

「は?」


 力強く抱きしめ続ける状態で、グリードは片手で目元を隠す。そして、名前を聞いてきた。

 この状況で名前を聞いてくる行動原理がカティアにはまるで分からず、素っ頓狂な声を出してしまった。


「だってさあ、もうこれって求愛行動でしょ? 僕、君に魅了されちゃってメロメロなんだよね。だから名前、教えて?」

「い、意味が分からない! 貴様、私を愚弄しているのか!」


 女だから、そういえば絆されるとでも思っているのか。

 カティアは顔を真っ赤にして、グリードに怒りをぶつけた。


「君のそういう激しいところも、堪らない」


 グリードはカティアを抱きしめたまま、困ったように眉を下げた。しかし、その瞳は全く困っておらず、むしろ楽しげに輝いている。


 ――この男、本気だ!

 カティアはぞっとする。グリードはふざけているわけでも、ましてや絆そうと思ってしているわけでもないことが、嫌というほどに伝わってくる。


「でも困ったなあ。楽しい時間はいつもすぐ終わっちゃう。聖女にも逃げられちゃったし……どうしよっか」

「私に聞くな!」


 答えを求めるような仕草をされ、カティアは思わず叫ぶ。そもそも、カティアはそれが仕事なのだから、敵にそんなことを言ってどうするというのだ。


 やっぱり、グリードという男の行動原理が、カティアにはさっぱり理解できなかった。


「このまま行くと僕、また戦闘狂規定違反で始末書確定なんだよね。本国で大目玉を食らっちゃう」

「だから、そんなこと言われても私には――」


 関係ないと言いかけて、カティアは言葉を詰まらせた。

 戦闘狂規定とは、強すぎるがゆえに戦いに飢え、他国で喧嘩を売り歩く魔導団長たちの暴走を『お互い様』として処理するために設けられた、世界共通の特別措置だ。


「まさか貴様、他国の魔導団長なのか……!?」


 カティアは戦慄した。ただの野盗やごろつきではないと思っていたが、まさか一国の最高戦力だとは。

 常軌を逸した強さと、戦いそのものを楽しむ異常な性格に対して、カティアはようやっと合点がいった。


「そうだ。僕の捕虜になりなよ」

「は?」


 こちらの質問には耳を貸さないどころか、またしても突飛すぎる提案を聞かせてくるグリードに、カティアは再び素っ頓狂な声を上げた。


「そうだよ! 君を捕虜にすれば、僕は君とずっと一緒にいられるし、聖女を捕まえられなかった言い訳もできる。完璧だ!」


 今もカティアを抱きかかえながら、ぽんと手を打って名案だと自画自賛するグリードに、彼女は呆然とするしかなかった。


「拒否権はないからね。それじゃ、行こうか」

「あ……待て! 私は――」


 カティアの抗議は、グリードが発動させた転移魔法の光によって遮られた。


 * * *


 時の流れは早いもので、グリードに捕虜として扱われるようになってから、既に十日が経った。


「ほら、カティア」

「や、やめてください。こういうのは……」


 カティアは今、グリードに揃えられた大量のケーキの前で、顔を必死に反らしている。


「でも、負けたら今日は食べさせるって条件だったでしょ。それを飲んだのはカティアだよ」

「それは、そうだけど……」


 グリードの言うとおり、今日の勝敗における条件を飲んだのはカティア自身だ。約束を反故にするのは、たとえ相手が誰であれ、カティアとしても心苦しい。


 しかし、今日こそは勝てると思っていただけに、負けたショックに加え、このような恥ずかしいことを受ける羽目になって、まだ心の準備が出来ていない。


「どうして……」

「うん? 他のが良かったかな。どれを食べさせてほしい?」


 別のケーキのほうが良かったかと、グリードは一人で答えを出し、別のケーキを物色している。

 それを横目に見ながら、カティアは諦めたようにため息をつき、ここに連れてこられた日のことを思い出す。


 グリードに捕まり、カティアが連れて越された場所は、彼の自宅だった。

 広さはかなりのものなのに、あるのはベッドとクローゼットだけという部屋の使い方をしており、二重の意味で驚かされた。


 カティアも必要最低限の物以外、手に入れる性格ではない。それでも、これは行き過ぎだと思った。


「必要なものがあったら何でも言ってね。すぐ揃えるから」


 そうするのが当たり前だという態度を取るグリードの背を見つめながら、カティアは警戒したまま質問した。


「こんなところに連れてきて、私をどうするつもり」


 問いかければ、グリードは最初に出会った時に見せた、堂々とした佇まいのまま答えをよこした。


「君は聖女との交換材料だよ」


 これを聞いたカティアは、つい自嘲してしまった。


「私に、そんな価値はない」


 自分でこんなことを言うのは虚しいが、事実だから仕方がない。

 聖女と、聖女を守るための護衛騎士。どちらの方が大事かなど、子供だって議論せずに答えを導き出せることだ。


「それを決めるのは君の国の教会だ。それよりもさあ、また僕と戦ってよ」


 聖女との交換については、グリード自身上手くいくと思っていないからか、興味がなさそうだ。

 一方で、戦いを求めてくる時の彼は、まさしく剣を交えていた時に見せた狂気と興奮を混ぜ合わせた感情を、隠すことなくぶつけてくる。


「お断りする。私がそれを受ける道理がない」


 捕虜にした相手に何を求めているんだと一蹴すると、グリードは少し考えこんだ後、口角を上げた。

 嫌な予感がした。


「僕に勝ったら逃がしてあげる。そう言ったら、君は受ける?」

「はっ。そんな条件、捕虜に与えるわけが……」


 鼻で笑い、呆れた物を見るような視線をグリードに向けたカティアは息をのみ、その瞳を伏せた。

 彼が本気だということが、その目から嫌というほどに伝わってきたからだ。


「僕の目を見ただけですぐ察してくれて、本当嬉しいよ。でもそうだね、君が納得できないのも分かる。だからこうしよう」


 グリードはここで、カティアが勝てば自国へ帰還するまでの安全さえも保障すると言い切った。ただし、カティアが負ける度、グリードの願いを必ず一つ、叶えるという条件が追加された。


 無償の施しは怪しいけれど、対等な条件があれば納得がいくだろうと言われ、カティアはその通りだと思い、この条件を飲んだ。


 元々、カティアは自分が聖女との交換材料にすらなりえないことを自覚している。そして、助けが来ることがないことも分かっている。


 カティアに出来ることといえば、グリードの機嫌が許す限りの間だけ捕虜として生活するか、自らの手でここを脱出するしか、道は残されていない。


 あいにく、カティアの中で相手の機嫌一つで待遇が大きく変わるような環境に身を預けるという選択肢は、最初から存在していない。


 捕まった時点で自力で脱出できなければ、死すら覚悟している彼女にとって、この提案を受けないことはあり得なかった。


 ――今朝の自分を、殴ってやりたい。

 別のケーキを選び終えたグリードに、口元へそれを近づけられたことで、カティアは意識が現実に戻ってきた。


 どうして今日は勝てると思ったのかも不思議だが、負けたらケーキを食べさせるという条件を許可した自分の行動こそが、今になって思えばあまりにも短絡的だったというほかない。


「ほら、観念して口を開けなよ」

「くっ……こんな、辱めを受ける日が来るとは……」

「あはは。可愛いなあ」


 グリードの笑い声を聞きながら、カティアは意を決してケーキを口に入れた。

 瞬間、彼の瞳がどろりと溶けたように惚け、カティアは羞恥を覚える。


 初日の、名前を教えてほしいから始まり、今日までずっと乱暴にされたことはない。ただ、好物を教えろだとか、衣服を受け取れだとか、妙な命令ばかりだ。


「どう、美味しい?」

「味は……悪くない」

「じゃあ、僕の奥さんになりたくなった?」

「それはないな」


 残念だと言って距離を離すグリードを見ながら、カティアは速くなっていた鼓動を無視した。


 結局、今日も丸一日かけて甘やかしを受けたカティアは、鍛錬とは全く違う神経を使いすぎてソファでぐったりしていた。


 グリードはというと、あいも変わらずご機嫌な表情を浮かべながら、何をするわけでもなくカティアの隣でのんびりしている。

 ちなみに、このソファはカティアが来た次の日には増えていた家具の一つだ。


 静かな空気の中、コンコンと窓が乾いた音を出した。

 カティアがなんだろうと思っている横で、グリードが指を横にスライドすると、窓が開く。そして、紙が一枚ふわふわと舞いながら、彼の手の中に納まった。


「ふぅーん」


 内容を読み終えたグリードは、興味なさそうに用紙をテーブルの上に投げ出した。カティアはこれを見ないよう、慌てて裏返した。


「見てもいいんだよ?」

「そういうわけにはいかない。貴方は魔導団長なのだろう? 立場上、国家機密を取り扱うことも多いのだから、もっと気を付けないと……」

「え、僕のことそんな風に心配してくれるなんて……。やっぱりカティアは僕のこと、大好きだよね?」

「頭が痛くなってきた……」


 真面目な話をしているというのに、どうしてそっちへ話がずれていくんだと、カティアは頭を抱えた。


「別に、大した内容じゃないよ。聖女ミリエルの受け渡しが終了したから、捕虜であるカティアを帰還させろって書かれてるだけだし」

「待て待て待て待て!」


 重大なことしか書かれていないじゃないかと、カティアは慌ててグリードを止める。今すぐテーブルの上の用紙を確認したいが、そこはぐっと堪えた。


「説明してほしい。聖女様が捕まったとは、どういうことなんだ」

「僕が君と初めて出会った日のこと、覚えてる?」


 カティアは頷いた。あんな出会い方をして忘れられるわけがない。

 あの日は確か、ミリエルが予定にない外出を勝手に行おうとしており、それをカティアが見つけ、ついていくしかなかったことから始まったはずだ。


 そこでグリードが聖女を渡せと――。


「まさか、本当に正当な理由があって、聖女様の身柄を要求していたのか?」

「当たり前じゃん。僕を何だと思ってんの?」


 戦闘狂だとは言わないでおいた。言えば間違いなく、僕のことよく分かってるねとか言い出して、そのままなし崩し的に戦いを挑んでくることは、この十日間で嫌というほど学習した。


「証拠に、ほら」


 グリードが見せてくれたのは、召喚状だった。しっかりと魔法印も施されている、正式なものだ。

 内容は、聖女ミリエルが呪いをかけた疑いがあるため、それに対する説明を求めるといった内容だった。


「の、呪い!?」


 聖女は祝福と呼ばれる、魔法とは全く違う特別な力を使うことができる。これこそが、他の者たちと一線を画す絶対的な能力だ。


 魔法で治せない傷や病気も、祝福であれば治すことができる。

 ミリエルはその力が使えるからこそ、聖女として崇められ、教会と国は彼女を庇護するのだ。


「祝福とは真逆の効能だったから、便宜上そう名付けたらしいよ。いやあ、僕もその現地にいたんだけどね。全く分からなかったや」


 聖女を使者として呼ぶ以上、当然ながら身分の高い人物たちが応対したはずだ。そして、その要人たちを護衛するために、魔導団長であるグリードも現場にいたのは想像に容易い。


 そして、グリードの実力はカティアも嫌というほどに思い知っている。

 彼が気づけないほどの魔法を使える人間など、片手で数えられるかどうかだろう。


 そうなると、確かにミリエルが祝福と呼ばれる力を悪意あるように使ったという方が、理屈は通る。


「でも待ってほしい。なんで聖女様は、そんなことを……」

「君が邪魔だったんだって」


 ――私が、邪魔?

 グリードがさらっと言った言葉が、カティアにはまるで理解できなかった。


「邪魔……とは? 私はただの護衛で、聖女様からすれば、代わりなんていくらでもいる、有象無象でしかなのに……邪魔とは?」

「なにそれ。あいつ、君にそんなこと言ったの?」


 ぞくりとする魔力が膨れ上がるのを感じ、カティアは慌てて首を横に振った。

 別に、これは誰かに言われたわけじゃない。カティアは自分のことを、自分でそう思っているだけだ。


「最初から、君が死ぬ前提だったみたいだよ」


 グリードはつまらなさそうに、淡々と事実を語ってくれた。


 ミリエルは元から、カティアを亡き者にするために今回の計画を実行したという。

 使者として他国へ出向いた際、呪いをかける。それがのちに露呈すれば、説明責任を負わせるため、必ず聖女を呼び戻しに来る。


 その時に駆り出されるのは、まず間違いなく魔導団長クラスになる。そしてミリエルの目論見通り、グリードがその任についた。


 戦闘狂として有名なグリードが、自国の魔導団長とさえ顔を合わせることが禁止されているカティアを見れば、必ず戦いが起こる。


 そして、戦いの楽しさにのめりこんだグリードがやりすぎた結果、カティアを亡き者にする。


「君が死ねば、彼女は悲劇の聖女となる。呪いの件も、全部うやむやだ。まあ、よくできた筋書きだよ」


 話されている理屈は分かる。分かるが、なぜ自分がそこまでミリエルに恨まれているのかが、全く分からなかった。

 カティアはただ、瞳を揺らし続ける。


 ――ずっとミリエルの安全を第一に考えてきたのに、どうして……。

 その真相を知ることは、カティアにはもう、訪れないだろう。


「今、君の国では聖女が呪いを使ったという事実で大荒れだ。それに、君が守るべき人間はもういない」


 グリードの言うとおりだ。聖女が祝福の力を真逆に使えるなんてなれば、国民たちに疑心が広まるのは必然だろう。


 そして、こちらの国で振るわれた呪いの解析が済み次第、ミリエルは自国へ送り返されるはず。

 疑念と不信を背負ったまま。


 その時彼女の身に降りかかるものが、小石で済めば御の字だろう。

 ここで、自国に自分が帰っているとミリエルが知れば、また護衛騎士として駆り立て、今度こそ盾として亡き者にすることを画策するかもしれない。


「それでも帰るの?」


 カティアは喉を鳴らす。

 許されるなら、ここに居たい。でもそれは、グリードに迷惑がかかる。


 カティアは自分のわがままを抑え込み、決断した。


「私が生まれ育ったのは……」

「ま、そんなの僕が許さないけどね」

「はっ……」


 苦渋の決断をグリードにあっさりと打ち砕かれ、カティアは何を言っていいのか分からなくなってしまった。


「カティア、僕との約束忘れたの?」


 力強く肩を抱き寄せられ、耳元で囁かれる。カティアは恥ずかしくて、強く目を閉じた。


「僕に勝ったら返してあげるって、言ったよね。帰りたいなら、ちゃんと僕を倒していかないと」

「貴方に勝てるわけが……!」


 囁かれる内容に、カティアは反射的に弱音を吐いてしまいそうになった。しかし、目を開けて彼の瞳を見ると、言葉は自然と飲み込まれていた。


 ――戦う前から諦めるのは、私らしくない。

 実力差が分かっているからという理由だけで、挑むことすらやめてしまうのは違うと、カティアは常々思っている。


 生死を賭けた戦場ならばまた違うだろう。でも今は、あくまで模擬戦だ。

 練習の時から強い相手から逃げていては、自分は一生強くなれない。それが、カティアの考えだった。


「いいだろう。その挑戦、受けて立つ!」


 闘志を燃え上がらせ、はっきりと言い切る。

 ぎらりと光る赤紫の瞳が、視界いっぱいに広がった。


「もう、取り消せないよ」


 そう言って、彼の吐息は離れていった。

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