8話 秘密の舞踏会
魔法試験大会から三日後。
私のもとに、王宮から招待状が届いた。
『仮面舞踏会のご案内
日時:三日後の夜
場所:王宮大広間
ドレスコード:仮面着用のこと
正体は明かさぬまま、一夜の夢をお楽しみください』
「仮面舞踏会……!」
エミリーが目を輝かせた。
まるで少女漫画のヒロインのような瞳の輝きだ。
「ロマンチックですわ! 身分を隠して、運命の相手と出会うなんて!」
「でも、正体を隠すって……ちょっと怖くない?」
「だからこそ、素敵なんですよ!」
ソフィアも興奮気味に身を乗り出してくる。
「身分も名前も家柄も関係なく、ただ一人の男と女として出会える。これぞ真実の愛を見極める最高の機会ですわ!」
「……確かに、そうかもしれないけど」
私は招待状を見つめた。
金の縁取りがされた、上質な羊皮紙。王家の紋章が押されている。
(テオドールも、来るのかしら)
彼は王宮の護衛騎士だから、こういう行事には参加できるはず。
でも、仮面をつけていたら、彼を見つけられるだろうか。
「お嬢様、ドレスは何を?」
マリアンヌが実務的な質問を投げかけてくる。
「そうね……シンプルなものがいいわ。あまり目立ちたくないし」
「何を仰ってるんですか! こんな機会、めったにありませんのよ!」
エミリーが私の手を握った。
「思い切って、大胆なものにしましょう! テオドール様の度肝を抜くんですわ!」
「え、ちょ、ちょっと……」
「賛成ですわ!」
ソフィアも加勢する。
「お嬢様の美しさを最大限に引き出すドレスを選びましょう!」
侍女たちが、怪しくにやにやしている。
(……なんだか、すごく嫌な予感がする)
私の予感は、大抵当たる。
三日後の夜。
王宮大広間は、これまで見たこともないほど華やかに飾られていた。
天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、何百というキャンドルの灯りを反射して輝いている。
オーケストラが奏でる優雅な音色。
そして、色とりどりの仮面をつけた貴族たち。
金、銀、赤、青、羽根飾りのついたもの、宝石で装飾されたもの。
みんな趣向を凝らした仮面で、正体が全くわからない。
「……すごい」
私も、侍女たちに選ばれた銀色の仮面をつけて会場に入った。
繊細なレースと小さな水晶で装飾された、エレガントな仮面だ。
そして、ドレス。
侍女たちが選んだ深紅のドレスは、予想以上に大胆だった。
胸元は控えめだけど、背中が大きく開いている。
腰のラインを強調するデザインで、スカートは歩くたびにふわりと揺れる。
「これ、本当に大丈夫なの? 背中、開きすぎじゃない?」
「大丈夫ですわ! お嬢様、とってもお綺麗です!」
エミリーが自信満々に太鼓判を押す。
「テオドール様、きっと鼻血を出しますわよ」
「それ、褒めてないわよね!?」
でも、やっぱり恥ずかしい。
ドレスを着るのは慣れているけど、こんなに露出度の高いものは初めてだ。
「では、行ってらっしゃいませ」
侍女たちに背中を押され、私は意を決して会場へ。
音楽が流れる中、仮面の紳士淑女たちが優雅に踊っている。
みんな誰が誰だかわからないから、普段なら絶対に話しかけないような相手とも気軽に会話している。
身分の壁が取り払われた、不思議な空間。
(テオドール、どこにいるのかしら)
私は会場を見回した。
でも、仮面のせいで誰が誰だか全然わからない。
背の高い人は何人もいるし、灰色の瞳を隠す仮面では判別不可能だ。
壁際のテーブルで飲み物をもらおうと歩いていると。
「お嬢様、一曲いかがですか?」
背後から、低く穏やかな声。
その声には聞き覚えがあった。
振り返ると、そこには黒い仮面をつけた紳士が立っていた。
シンプルな黒のタキシード。
だけど、その佇まいは凛としていて、どこか騎士らしい雰囲気がある。
そして、仮面の奥に見える瞳。
灰色の、穏やかで優しい瞳。
(……この瞳)
「……あなたは」
「僕のことは、忘れてください」
彼は仮面の奥で微笑んだように見えた。
そして、手袋をはめた手を差し出す。
「今夜は、ただの男と女。名前も、身分も、何もかも忘れて」
私は、その手を取った。
温かい手だ。何度も剣を握ってきた、少し硬い手。
「……ええ」
彼に導かれ、私はダンスフロアへ。
オーケストラがワルツを奏で始める。
彼は私の腰に手を回し、もう一方の手で私の手を取った。
「……緊張してる?」
「少しだけ」
「僕もだ」
彼は微笑んだ。
仮面越しでも、その優しい笑顔が伝わってくる。
「でも、君となら、大丈夫」
音楽に合わせて、私たちは踊り始めた。
一歩、二歩、三歩。
彼のリードは完璧で、私は自然と体を委ねていた。
「上手ですね」
「君が、軽いからだ」
「お世辞を言っても、何も出ませんわよ」
「お世辞じゃない。本当のことだ」
彼は私をくるりと回転させた。
ドレスのスカートが、ふわりと広がる。
まるで赤い花が咲いたみたいに。
「……綺麗だ」
「え?」
「君が。綺麗だ」
顔が、熱くなった。
仮面をつけていてよかった。
じゃないと、真っ赤な顔を見られてしまう。
「あなたこそ、素敵ですわ」
「……ありがとう」
彼は嬉しそうに微笑んだ。
私たちは、音楽に身を任せて踊り続けた。
周囲の視線も、華やかな会場も、何もかも消えてしまったように。
まるで、世界に二人きりのように。
一曲が終わり、私たちはバルコニーに出た。
夜風が心地よい。
満月が、美しく輝いている。
「……綺麗ね」
「ああ」
彼は私の隣に立った。
月明かりに照らされた彼の横顔は、どこか切なげに見える。
「でも、月よりも君の方が綺麗だ」
「また、お世辞を」
「本当のことだ」
彼は真剣な目で私を見た。
仮面をつけていても、その視線の強さが伝わってくる。
「僕は、君を見た瞬間から……心を奪われた」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
「でも、僕には何もない」
彼は夜空を見上げた。
満月が、彼の仮面を照らしている。
「身分も、財産も。ただ、剣を振る腕があるだけ」
「……それは」
私は彼の手を取った。
手袋越しでも、その温かさが伝わってくる。
「十分よ」
「え?」
「あなたは、誠実で、優しくて、強い。それ以上、何が必要なの?」
彼は驚いたように私を見た。
仮面の奥の瞳が、大きく見開かれている。
「君は……本当に、そう思うのか?」
「ええ」
私は頷いた。
「身分なんて、関係ないわ。大切なのは、その人の心。その人がどういう人間かってこと」
「……リュシエル」
彼は思わず、私の名前を呟いた。
「あ……」
彼は慌てて口を塞いだ。
でも、もう遅い。
「……やっぱり、テオドールだったのね」
私はゆっくりと仮面を外した。
彼も、観念したように仮面を外す。
そこには、見慣れた灰色の瞳と、少し困ったような笑顔。
「……バレてたか」
「最初からよ」
私は笑った。
「あなたの瞳、忘れられるわけないもの。それに、この距離感も、手の温かさも、全部知ってる」
「僕も、君だとすぐにわかった」
テオドールも笑った。
いつもの、優しい笑顔。
「君の笑い方、立ち方、歩き方。どこにいても見つけられる」
私たちは、顔を見合わせてクスクス笑い合った。
「リュシエル」
テオドールが、急に真剣な顔になった。
「僕は、君を愛してる」
心臓が、止まりそうになった。
「……え?」
「君を、愛してる」
彼は私の手を両手で包んだ。
「初めて会った時から、ずっと。君の笑顔、君の優しさ、君の強さ。魔法を使う姿、人を思いやる心。全部、全部、愛してる」
「テオドール……」
「でも、僕は平民で、君は公爵令嬢だ。身分が違いすぎる」
彼の目が、悲しそうに揺れた。
「だから、君に相応しくないかもしれない。君の父上も、きっと反対するだろう。でも……」
「でも?」
「それでも、僕は君を守りたい。君のそばにいたい。君を幸せにしたい」
彼は私の目を真っ直ぐ見つめた。
「リュシエル、僕と……一緒にいてくれないか?」
涙が、溢れた。
「……馬鹿」
「え?」
「今更、何を言ってるの」
私は彼の胸に飛び込んだ。
「私も、あなたが好き。ずっと前から、大好きだった」
「リュシエル……!」
テオドールは私を強く抱きしめた。
とても強く、でもとても優しく。
「よかった……本当に、よかった……」
彼の声が、震えている。
「僕、ずっと怖かった。君に拒絶されるんじゃないかって。君が僕なんか相手にしてくれないんじゃないかって」
「そんなわけないでしょう」
私は顔を上げた。
「私、あなた以外考えられないもの。あなたがいない人生なんて、考えられない」
「……っ」
テオドールの目から、涙が一筋流れた。
「ありがとう」
彼は私の頬に手を添えた。
「君を、絶対に幸せにする。誓う」
「……うん」
私たちは、ゆっくりと顔を近づけた。
月明かりの下。
二人の唇が、そっと重なる。
優しくて、温かくて。
世界で一番幸せなキス。
キスを終えて、私たちは少し照れくさそうに顔を見合わせた。
「……初めて、だったか?」
テオドールが恐る恐る尋ねる。
「当たり前でしょう」
私は頬を膨らませた。
「あなたこそ、慣れてるんじゃないの? すごく上手だったけど」
「まさか! 僕も初めてだ!」
彼は慌てて否定する。
「だ、誰が上手だって!? 僕、緊張しすぎて手が震えてたんだぞ!」
「……本当?」
「本当だ。嘘ついてどうする」
彼は苦笑した。
「でも、嬉しい」
「何が?」
「君の初めてを、僕がもらえたこと」
「……っ!」
顔が、真っ赤になる。
「ず、ずるいわよ、そんなこと言うの……」
「ずるくない。本当のことだ」
テオドールは私をもう一度抱きしめた。
「これから、君の全部を僕にください。僕も、全部あげる」
「……うん」
私は彼の胸に顔を埋めた。
「全部、あげる」
彼の腕の中は、温かくて安心する。
彼の心臓の音が聞こえる。
ずっと、ここにいたい。
「なあ、リュシエル」
「なに?」
「もう一回、踊らないか?」
「……ええ」
私たちは手を繋いで、再びダンスフロアへ。
今度は、仮面なし。
お互いの顔を見つめながら、踊った。
「幸せか?」
「ええ、とっても」
「僕も」
テオドールは優しく微笑んだ。
「君と出会えて、本当によかった」
「私も」
私たちは、音楽に合わせて踊り続けた。
周囲の視線なんて、気にしない。
今は、二人だけの世界。
ダンスが終わり、私たちが休憩していると。
「まあ、リュシエル様とテオドール様!」
若い令嬢たちが、わらわらと群がってきた。
「お似合いですわ!」
「素敵なカップル!」
「ずっと応援してましたの!」
(……え、応援? いつから?)
「皆さん、ありがとうございます」
テオドールが丁寧に礼をした。
「でも、僕は平民で……」
「関係ありませんわ!」
令嬢の一人が力強く言った。ものすごい剣幕だ。
「愛に身分なんて関係ない! それに、テオドール様は立派な王宮騎士じゃありませんか!」
「そうですわ! 魔法試験大会での活躍、見ましたもの!」
「リュシエル様を守る姿、かっこよかったですわ! まるで騎士物語のヒーローみたい!」
「私、感動して泣きました!」
若い世代は、完全に私たち支持派らしい。
むしろ、めちゃくちゃ応援してくれている。
一方、年配の貴族たちは複雑な顔をしていたが、誰も文句は言わなかった。
だって、第一王子レオンハルトが、公然と私たちを支持しているから。
「テオドール・グレイフォード」
レオンハルトが、私たちのもとにやってきた。
金髪碧眼の、絵に描いたような王子様。
「殿下……!」
テオドールは慌てて跪こうとしたが、レオンハルトが制した。
「堅苦しいことは不要だ。今夜は、仮面舞踏会。身分を忘れる夜だろう?」
彼は優しく微笑んだ。
「それに、君はリュシエル嬢の恋人だろう? ならば、対等に接してほしい」
「……ありがとうございます」
「二人とも、幸せになりなさい。私が保証する」
レオンハルトは私たちに祝福の言葉をかけて、去っていった。
(……なんていい人)
やっぱり、次期国王はこの人しかいない。
舞踏会が終わり、テオドールが私を馬車まで送ってくれた。
「今日は、ありがとう」
「こちらこそ」
彼は私の手にキスをした。
「また、明日」
「……ええ」
私は少し名残惜しそうに手を離した。
「おやすみ、テオドール」
「おやすみ、リュシエル」
馬車が動き出す。
窓から手を振ると、テオドールも手を振り返してくれた。
(……幸せ)
心の底から、そう思った。
これから、私たちは恋人。
身分も、周囲の目も関係ない。
ただ、二人で愛し合う。
(これが、本当の恋なんだ)
私は胸に手を当てた。
心臓が、幸せで満たされている。
「お嬢様、お顔がにやけてますわよ」
エミリーがにやにやしている。
「……気のせいよ」
「そうですか? さっきから『テオドール』って、十回は呟いてましたけど」
「呟いてない!」
「いいえ、確かに呟いてましたわ」
ソフィアも加勢する。
「『テオドール、素敵』『テオドール、かっこいい』『テオドール、大好き』って」
「だから呟いてないってば!」
侍女たちが、クスクス笑う。
でも、私は気にしない。
だって、今の私は世界一幸せなんだから。
(テオドール、大好き)
心の中で呟いて、私は窓の外の月を見上げた。
今夜の月は、いつもより美しく見える。
これから、どんな未来が待っているんだろう。
きっと、幸せな未来。
テオドールと一緒の、幸せな未来。
私は、そう確信していた。




