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5話 騎士との距離が縮まる日々

 ある朝。


 私は父に呼び出された。

 書斎に入ると、父は窓の外を見つめていた。

 険しい表情。

 何か、重大な話みたい。


「リュシエル、お前に護衛騎士をつけることにした」

「護衛騎士?」


 私は首を傾げた。

 エリュドール公爵家には、もともと護衛はたくさんいる。

 屋敷の門には常に二人、私が外出する時も必ず護衛がつく。


 今更、新しい護衛なんて必要ない。


「最近、王宮内がきな臭い。第二王子派が何をしでかすかわからん」


 父は真剣な表情で言った。


「それに、お前は元王子妃候補だ。恨みを持つ者もいるだろう」

「……それは、確かに」


 トイレ戦争で婚約破棄された元婚約者。

 没落しかけているクラリッサとその取り巻き達。

 確かに、危険はある。


「だから、優秀な騎士を一人、お前専属にする」


 父は書類を取り出した。


「テオドール・グレイフォード。王宮第三騎士団所属。平民出身だが、実力は折り紙付きだ」

「テ、テオドール!?」


 私は驚いて声を上げた。

 思わず立ち上がってしまった。


「知っているのか?」

「あ、いえ、その……図書館でお会いしたことがあります」


 顔が熱くなる。

 耳まで真っ赤になってる気がする。

 父は怪訝そうに私を見たが、すぐに表情を戻した。


「第一王子殿下の推薦でな。『リュシエル嬢には、彼が相応しい』とおっしゃった」


 レオンハルト殿下……!

(ナイス、殿下!)

 心の中でガッツポーズ。

 いや、ガッツポーズどころじゃない。

 全力で飛び跳ねたい気分。


「明日から、彼がお前の護衛につく。よろしく頼む」

「はい、お父様!」


 私は思わず満面の笑みで答えた。

 声が、ワントーン高くなっている。


 父は少し驚いた顔をしたが、何も言わなかった。

 でも、口元が少し緩んでいた。


(……まさか、お父様、気づいてる?)



 翌日。

 テオドールが、エリュドール公爵家の門をくぐった。

 私は窓からこっそり見ていた。


 灰色の騎士服に、腰には剣。

 凛とした姿が、朝日に映える。


(……かっこいい)


「お嬢様、もう少し落ち着いてください」


 エミリーが笑いながら言った。


「落ち着いてるわよ」

「でも、さっきから窓の前をウロウロしてますけど」

「……気のせいよ」

「それに、今日のドレス、三回も着替えましたよね」

「黙りなさい」


 侍女たちがクスクス笑っている。


「テオドール・グレイフォード、参りました」


 彼は執事に向かって礼をした。

 その声が、ここまで聞こえる。


「お待ちしておりました。リュシエル様は応接室におられます」

「ありがとうございます」


 テオドールは応接室に案内された。

 私は急いで応接室に向かった。

 走ってはいけない。

 貴族の令嬢は、優雅に歩かなければ。

 でも、早歩きにはなってしまう。


 そして、扉が開く。


「おはようございます、リュシエル様」

「おはよう、テオドール」


 私は紅茶を啜りながら、笑顔で迎えた。

(完璧な演技)


「今日から、あなたが私の護衛なのね」

「はい。至らぬ点もあるかと思いますが、精一杯お守りします」

「楽しみだわ」


 テオドールは少し照れたように目を伏せた。

(可愛い)


「では、早速だけど、今日は乗馬に行くわ」

「乗馬、ですか」

「ええ。最近、運動不足なの。付き合ってくれる?」

「もちろんです」


 こうして、私たちの日常が始まった。


 エリュドール公爵家の厩舎には、数十頭の馬がいる。

 私の愛馬は、白い雌馬の「ルナ」。

 気品があって、乗り心地も最高。

 三歳の時から一緒だ。


「ルナ、今日も元気ね」


 私が声をかけると、ルナは嬉しそうに鼻を鳴らした。

 首筋を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。


「美しい馬ですね」


 テオドールが感心したように言った。


「でしょう? この子、私の自慢なの」

「リュシエル様も、乗馬がお上手なんですね」

「まあ、貴族の嗜みですから」


 私たちは馬に乗って、敷地内の森へと向かった。

 爽やかな風。

 木漏れ日。

 鳥のさえずり。

 最高の朝だ。


「テオドール、あなたは乗馬は得意?」

「ええ、騎士ですから」


 彼は器用に馬を操っていた。

 背筋が伸びて、美しいフォーム。


「でも、こんな立派な馬に乗るのは初めてです」

「そうなの?」

「平民出身の騎士が乗れるのは、軍馬くらいですから」


 テオドールは少し寂しそうに笑った。


「でも、馬は馬です。どんな馬でも、愛情を持って接すれば応えてくれる」

「……素敵な考え方ね」


 私は彼を見つめた。

 この人は、本当に誠実だ。

 どんな境遇でも、前向きに生きている。


「リュシエル様、前を見てください!」

「え?」


 気づくと、目の前に低い枝が迫っていた。


「きゃっ!」


 私は反射的に身を屈めたが、バランスを崩して馬から落ちそうになった。


 その瞬間。


 テオドールが馬を走らせ、私の体を抱きとめた。


「大丈夫ですか!?」

「あ……うん」


 彼の腕の中。

 顔が、すぐ近くにある。

 灰色の瞳が、私を見つめている。

 心配そうな表情。


 ドクン、ドクン。


 心臓が、うるさい。


「よかった……」


 テオドールは安堵のため息をついた。


「僕、一瞬、心臓が止まるかと思いました」

「……ごめんなさい、ぼんやりしてて」

「いえ、僕が話しかけたせいです」


 彼は私をそっと馬に戻してくれた。

 大きくて、温かい手。

 でも、手を離す時、少しだけ名残惜しそうだった。

(……私も、名残惜しい)


 午後。

 テオドールは、庭で剣の稽古をしていた。

 私は、ベンチに座ってそれを眺める。


 彼の剣さばきは、美しかった。

 無駄がなく、しなやかで、力強い。

 一振り、また一振り。

 剣が風を切る音が、心地よい。


「……かっこいい」


 思わず呟いた。


「お嬢様、何か言いましたか?」


 侍女のエミリーが、にやにやしながら尋ねてくる。


「何も言ってないわ」

「『かっこいい』って聞こえましたけど」

「……気のせいよ」


 エミリーは笑いを堪えている。

 肩が震えてる。


 稽古が終わり、テオドールが近づいてきた。

 汗が、額を伝っている。

 その姿が、また魅力的で。


「お待たせしました」

「いえ、楽しく見させてもらったわ」


 私は彼にタオルを差し出した。


「ありがとうございます」


 彼は汗を拭いながら、隣に座った。

 近い。

 彼の体温が、伝わってくる。


「テオドール」

「はい?」

「あなた、どうしてそこまで強くなりたいと思ったの?」


 彼は少し考えてから、静かに答えた。


「……妹のためです」

「妹さん?」

「ええ。僕には、妹がいました。名前はエリザ」


 テオドールの目が、遠くを見た。

 まるで、時間を遡るように。


「病弱な子で、いつも咳をしていました。でも、笑顔は太陽みたいに明るくて」

「……素敵な妹さんね」

「ええ。僕の自慢でした」


 でも、彼の声は震えていた。

 拳が、ギュッと握られている。


「ある冬、エリザの病気が悪化しました。薬が必要でしたが、貧しい僕らには買えなくて」

「……」

「村に医者を呼ぼうとしましたが、『平民の村には行けない』と断られました」


 テオドールの拳が、さらに強く握られた。


「貴族なら、すぐに医者が来たでしょう。薬も手に入ったでしょう。でも、僕らは平民だった」

「テオドール……」

「エリザは、僕の腕の中で死にました。『お兄ちゃん、ありがとう』って言って」


 彼の目から、一筋の涙が流れた。

 私は、何も言えなかった。

 ただ、そっと彼の手を握った。


「……リュシエル様?」

「あなたは、悪くないわ」


 私は真っ直ぐに彼を見つめた。


「悪いのは、身分で人を差別するこの世界よ。あなたは、精一杯妹さんを愛したじゃない」

「でも、僕は……」

「エリザさんは、きっと幸せだったと思う。こんなに優しいお兄さんがいて」


 テオドールは、驚いたように私を見た。

 灰色の瞳が、揺れている。


「……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 私たちは、しばらく手を繋いだまま、黙っていた。

 でも、それは苦痛な沈黙じゃなかった。

 むしろ、温かくて、心地よい時間だった。


 太陽が、二人を優しく照らしていた。



 その夜。

 私はテオドールを、自室でのお茶会に招いた。


「いいんですか? 護衛が令嬢の部屋に入るなんて」

「構わないわ。侍女たちもいるし」


 実際、エミリー、ソフィア、マリアンヌが同席していた。

 三人とも、にやにやしている。


「では、お言葉に甘えて」


 テオドールは椅子に座った。

 私は自ら紅茶を淹れた。

 お湯を注ぐ手が、少し震える。

(緊張してる……)


「リュシエル様、自分で?」

「たまには、ね」


 紅茶を差し出すと、テオドールは恐縮しながら受け取った。


「美味しい……」

「でしょう? これ、私のお気に入りの茶葉なの」

「香りが優しいですね」


 彼は幸せそうに目を細めた。

 その表情が、可愛くて。

(……やばい、好きかも)


「リュシエル様、顔が赤いですわよ」


 エミリーがまたにやにやしている。


「……暖炉が暑いのよ」

「そうですか? 今日は涼しいですけど」

「エミリー、あとで覚えてなさい」


 侍女たちがクスクス笑う。

 テオドールも、微笑んでいた。


「リュシエル様、あなたは本当に優しい方なんですね」

「え?」

「噂では『冷たい悪役令嬢』だと聞いていましたが、全然違う」


 テオドールは真剣な目で言った。


「あなたは、人の痛みを理解できる。分け隔てなく接する。そして、何より温かい」

「……そんな、褒めすぎよ」

「本当のことです」


 彼は私の目をまっすぐ見つめた。


「僕、あなたに出会えて、よかった」


 ドクン。


 また、心臓が跳ねた。


「……私も」


 私は小さく呟いた。


「あなたに会えて、よかったわ」


 二人の視線が、絡み合う。

 時間が、止まったような感覚。


 侍女たちは、にやにやしながら部屋を出て行った。

 空気読むの、上手すぎ。


「リュシエル様」

「なに?」

「僕……あなたのことを……」


 テオドールが何か言いかけた時。

 ドンドンドン!

 扉が激しく叩かれた。


「リュシエル様、大変です!」


 ソフィアの声。


「なに!?」


 扉を開けると、ソフィアが息を切らしていた。


「クラリッサ嬢が、リュシエル様の悪い噂を流し始めてます!」

「……は?」

「『リュシエルは平民の騎士を誑かしている』って!」


 テオドールと私は、顔を見合わせた。

(……やっぱり、平和は長く続かないのね)



 その夜。

 テオドールが帰った後。

 私は一人、ベッドで考えていた。


(テオドール……)


 彼の顔が、頭から離れない。

 優しい笑顔。真摯な瞳。温かい手。

 大きくて、でも優しい手。


 そして、あの言葉。


「あなたに出会えて、よかった」


(……私も、よかった)


 心の底から、そう思う。

 こんな気持ち、初めて。

 前世でも、この世界でも、誰かをこんなに想ったことなんてなかった。


 前世では、仕事と家の往復。

 恋愛なんて、する暇もなかった。

 この世界に来てから、セドリックとの婚約はあったけど、あれは恋じゃなかった。

 でも、今は違う。


「これが、恋なのね」


 私は小さく微笑んだ。

 もう、認めよう。

 私は、テオドール・グレイフォードに恋をしている。

 平民出身の騎士に。

 誰かを守るために強くなった、優しい人に。

 妹を愛し、今も心に抱き続けている、誠実な人に。


「でも、クラリッサが邪魔してくるなんて」


 私は窓の外を見た。

 満月が、綺麗に輝いている。

(負けないわ)

 クラリッサがどんな陰謀を企もうと、私は負けない。

 だって、私には守りたいものができたから。


 この恋を。


 テオドールとの未来を。


「待ってなさい、クラリッサ」


 私は静かに呟いた。


「悪役令嬢の本気、見せてあげるわ」


 月明かりの中、私は決意を新たにした。


 一方、その頃。

 テオドールも、自室で考えていた。


(リュシエル……)


 彼女の笑顔が、脳裏に焼きついている。

 優しい声。

 温かい手。

 美しい瞳。

 翡翠色の、吸い込まれそうな瞳。


「僕は……彼女を愛してしまったのか」


 彼は自分の胸に手を当てた。

 心臓が、今もドキドキしている。


「でも、僕は平民で、彼女は公爵令嬢……」


 身分の差を考えると、諦めるべきだと理性が囁く。

 でも。


「……守りたい」


 彼は拳を握った。


「彼女を、守りたい」


 その決意が、テオドールの心を突き動かした。

 二人の恋は、確かに芽生え始める。


 しかし、それを邪魔する者もまた、動き始めていた。

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