17話 プロポーズ
祝賀会から一週間後。
私は、テオドールから手紙を受け取った。
封筒は、上質な羊皮紙。
封蝋には、彼の紋章が押されている。
『リュシエルへ
明日の午後、魔法学院の庭園に来てほしい。
大切な話がある。
――テオドール』
「……大切な話?」
私は首を傾げた。
結婚式の話はもう決まってるし、他に何かあったかしら。
「お嬢様、これって……」
エミリーが、にやにやしながら言った。
その目は、まるで猫のように輝いている。
「プロポーズじゃないですか?」
「え? でも、もう婚約してるわよ?」
「正式なプロポーズは、まだでしょう?」
「……あ」
そういえば、そうだった。
私たちは婚約したけど、ちゃんとした形でのプロポーズはまだだった。
セドリックとの婚約破棄、戦争、祝賀会。
バタバタしすぎて、忘れていた。
「きっと、そうですわ!」
ソフィアも目を輝かせた。
「準備しましょう! ドレスは何を着ます?」
「え、ちょ、ちょっと……」
「髪型も可愛くしないと!」
「メイクも!」
「アクセサリーも!」
侍女たちが、嬉々として準備を始めた。
もう、誰も私の意見を聞いてくれない。
「あの、私の意見は……」
「後です!」
強引だ。
翌日の午後。
私は、侍女たちに着飾られて魔法学院へと向かった。
淡いピンクのドレス。
髪は巻いて、小さな花飾りをつけた。
メイクも、いつもより丁寧に。
「お嬢様、お綺麗ですわ」
「ありがとう、エミリー」
でも、正直緊張する。
手のひらに、汗が滲む。
「大丈夫ですわ。テオドール様、絶対に喜びますから」
「……うん」
馬車が魔法学院に到着した。
門をくぐると、見覚えのある景色が広がっていた。
(懐かしいわね)
ここで、トイレ戦争があった。
ここで、セドリックと婚約破棄した。
ここで、運命が変わった。
「リュシエル」
声がして、振り返ると。
テオドールが立っていた。
黒い礼服に身を包み、髪もきちんと整えている。
手には、大きな花束。
「……っ」
ドキドキする。
こんなにかっこいいテオドール、初めて見る。
「来てくれて、ありがとう」
「うん」
私は彼のもとに歩み寄った。
ドレスの裾を持ち上げながら。
「大切な話って?」
「まず、これを」
彼は花束を差し出した。
青いバラ。
私の好きな花だ。
「ありがとう」
「こっちに来てほしい」
テオドールは私の手を取り、庭園の奥へと案内した。
彼の手は、少し震えている。
(緊張してるのかしら)
歩きながら、私は周囲を見回した。
庭園は、いつもより綺麗に手入れされている。
花が咲き誇り、噴水が音を立てている。
そして、辿り着いたのは――
「……ここ」
私は驚いた。
そこは、かつて「トイレ戦争」があった場所。
あの日、私とセドリックが争った、あのトイレの前。
「なんで、ここ?」
「だって、ここは僕たちの始まりの場所だから」
テオドールは笑った。
その笑顔は、少し照れくさそうだ。
「え?」
「あの日、君がトイレ戦争で勝った」
彼は真剣な顔をした。
「あの日、君はセドリックとの婚約を破棄した」
「……うん」
「そして、自由になった」
テオドールは私の手を握った。
その手は、温かい。
「もし、あの日君がトイレを譲っていたら」
「……」
「もし、君がセドリックと婚約を続けていたら」
彼の目が、潤んでいた。
「僕は、君と出会えなかった」
「テオドール……」
「だから、このトイレに感謝してるんだ」
「……は?」
思わず、素が出た。
「トイレに、感謝?」
「ああ」
テオドールは真面目な顔で頷いた。
冗談ではないらしい。
「あの日、君がトイレを勝ち取ったから、僕は今ここにいる」
「……ぷっ」
私は吹き出しそうになった。
「何それ、ロマンチックなのかギャグなのかわからないわ」
「ロマンチックなギャグだ」
「そんなジャンル、あるの!?」
二人で、笑い合った。
緊張が、少しほぐれた。
笑いが収まると、テオドールは真剣な顔に戻った。
「リュシエル」
「……うん」
「僕たちは、もう婚約してる」
「ええ」
「でも、ちゃんとした形でプロポーズしてなかった」
「……そうね」
「だから、今日、ここで、改めて君にプロポーズしたい」
テオドールは、膝をついた。
片膝を地面につけ、私を見上げる。
「え……」
心臓が、バクバクと鳴る。
「リュシエル・ヴァン・エリュドール」
彼は私の手を取った。
その手は、震えている。
「僕は、君を愛してる」
「……」
「初めて会った時から、ずっと」
彼の目が、潤んでいた。
涙を堪えているのがわかる。
「君の笑顔、君の優しさ、君の強さ。全部、愛してる」
「テオドール……」
「君が魔法を使う姿、君が本を読む姿、君が笑う姿。全部、全部、愛してる」
テオドールの声が、震えている。
「君がいない人生なんて、考えられない」
彼は震える声で続けた。
「だから、お願いだ」
「……」
「僕と、結婚してくれないか?」
涙が、溢れた。
視界が、滲む。
「……馬鹿」
私は泣きながら笑った。
「今更、何言ってるのよ」
「え?」
「もう、婚約してるって言ったでしょう?」
私は彼の頬に手を添えた。
「来月、結婚式も決まってるのに」
「それは……そうだけど……」
「でも」
私は微笑んだ。
涙で、頬が濡れる。
「改めて聞かれると、嬉しいわ」
「……リュシエル」
「うん」
私は頷いた。
力強く。
「結婚する。あなたと、ずっと一緒にいる」
「……っ」
テオドールの目から、涙がこぼれた。
一筋、二筋と、頬を伝う。
「ありがとう……本当に、ありがとう……」
彼は私の手を握りしめた。
「これを」
テオドールは、小さな箱を取り出した。
ベルベットの箱。
開けると、そこには美しい指輪が入っていた。
銀色の台座に、青い宝石。
繊細な細工が施されている。
「綺麗……」
「サファイアだ。君の瞳の色」
「……素敵」
テオドールは、指輪を私の指にはめた。
ぴったりだった。
まるで、最初から私の指のために作られたみたいに。
「サイズ、どうして知ってたの?」
「エミリーに聞いた」
「あの子……!」
(後でお小言を言わないと)
でも、今はそんなことどうでもよかった。
「ありがとう、テオドール」
「こちらこそ」
彼は立ち上がり、私を抱きしめた。
強く、でも優しく。
「君を、幸せにする。絶対に」
「私も、あなたを幸せにするわ」
二人で、強く抱き合った。
「リュシエル」
「なに?」
「キスしていい?」
「……今更、許可を取るの?」
私は笑った。
「もう婚約者でしょう?」
「それはそうだけど、ちゃんとしたい」
「真面目ね」
私は爪先立ちになった。
「いいわよ」
テオドールは、優しく私の唇に口づけた。
柔らかくて、温かくて。
愛に満ちたキス。
私は目を閉じて、彼の温もりを感じた。
(幸せ……)
心の底から、そう思った。
キスが終わり、私たちは額を合わせた。
お互いの息遣いが、聞こえる。
「愛してる、リュシエル」
「私も、愛してるわ」
二人で、もう一度強く抱き合った。
その時。
パチパチパチ!
拍手の音が響いた。
「え!?」
振り返ると、そこには侍女たちが立っていた。
エミリー、ソフィア、マリアンヌ。
三人とも、涙を流しながら拍手している。
「素敵でしたわ、お嬢様!」
「テオドール様も、かっこよかったです!」
「最高のプロポーズですわ!」
あちこちから声が上がる。
「あんたたち、いつから!?」
「最初からです」
エミリーがにっこり笑った。
「お嬢様の幸せな瞬間、見逃すわけないじゃないですか」
「もう……」
私は顔を赤らめた。
恥ずかしい。
でも、怒れなかった。
だって、こんなに嬉しそうに祝福してくれるんだもの。
「ありがとう、みんな」
「おめでとうございます、お嬢様」
マリアンヌが、優しく微笑んだ。
「お嬢様は、本当の幸せを掴んだのね」
「……うん」
私は頷いた。
そして、テオドールの手を握った。
「これから、よろしくね」
「こちらこそ」
プロポーズが終わり、私たちは魔法学院を後にしようとした。
その時、テオドールが立ち止まった。
「どうしたの?」
「ちょっと待って」
彼は、あのトイレの前に戻った。
そして、深々とお辞儀をした。
「……何してるの?」
「トイレに、感謝してる」
「……は?」
「だって、このトイレのおかげで、僕は君と出会えたんだ」
テオドールは真面目な顔をしている。
本気だ。
「ありがとう、トイレ」
「やめてよ、恥ずかしい!」
私は彼の腕を引っ張った。
頬が、熱い。
でも、侍女たちは大笑いしていた。
「ぶははは! テオドール様、面白すぎます!」
「お嬢様も、トイレに感謝しないと!」
「しないわよ!」
私は顔を真っ赤にした。
「さっさと帰るわよ!」
「待ってよ、リュシエル」
テオドールが追いかけてくる。
私たちは、笑いながら魔法学院を後にした。
侍女たちの笑い声が、後ろから聞こえる。
馬車の中。
私とテオドールは、手を繋いでいた。
「ねえ、テオドール」
「ん?」
「さっきのプロポーズ、嬉しかったわ」
「……よかった」
彼は安堵のため息をついた。
「実は、すごく緊張してたんだ」
「そうなの?」
「ああ。断られたらどうしようって」
「断るわけないでしょう」
私は彼の頬にキスをした。
「だって、あなたが好きなんだから」
「……っ」
テオドールは顔を赤らめた。
その様子が、可愛い。
「君、たまに大胆だよな」
「今更よ」
私は笑った。
「来月には、あなたの妻になるんだから」
「そうだな」
彼は私を抱き寄せた。
その腕は、温かい。
「楽しみだ」
「私も」
二人で、夕日を見つめた。
オレンジ色の空。
雲が、金色に染まっている。
綺麗だった。
「ねえ、テオドール」
「ん?」
「子供、何人欲しい?」
「……え!?」
彼は驚いた。
目を丸くして、固まっている。
「い、今その話!?」
「だって、結婚したら考えることでしょう?」
「それはそうだけど……」
テオドールは照れくさそうに笑った。
「君が望むなら、何人でも」
「じゃあ、三人くらい?」
「三人!?」
「多い?」
「いや、嬉しいけど……」
彼は真剣な顔をした。
「三人も育てられるかな、僕」
「大丈夫よ。私がいるもの」
「……そうだな」
テオドールは微笑んだ。
「君となら、何だってできる気がする」
「私も」
二人で、未来を語り合った。
結婚式のこと。
新婚旅行のこと。
子供のこと。
家のこと。
男の子が欲しいか、女の子が欲しいか。
どんな名前をつけるか。
どんな教育をするか。
全部、全部、楽しみだった。
そして、馬車はエリュドール公爵家へと着いた。
「また明日」
「ああ、また明日」
テオドールは私の手にキスをした。
優しい、紳士的なキス。
「おやすみ、リュシエル」
「おやすみ、テオドール」
私は馬車を降り、彼に手を振った。
馬車が走り去るのを見送りながら、私は思った。
(幸せ)
心の底から、そう思った。
トイレ戦争から始まった、私の物語。
まさか、こんな幸せな結末になるなんて。
人生、何が起こるかわからない。
でも、それがいい。
だって、予想外の幸せが待ってるかもしれないから。
私は空を見上げた。
星が、綺麗に輝いている。
一つ、二つ、数え切れないほど。
(ありがとう)
誰に言うでもなく、心の中で呟いた。
セドリックに。
あのトイレに。
運命に。
そして、家の中へと入っていった。
来月の結婚式が、待ち遠しい。
私とテオドールの、新しい人生の始まりが。
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