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13話 セドリックの贖罪

 裁判の翌日、深夜。


 私は自室で、結婚式の準備リストを考えていた。

 羊皮紙に、次々と妄想を書き込んでいく。


「ドレスは白がいいわね。いや、でも淡いブルーも素敵……」


 ウキウキしながらペンを走らせていると。

 コンコン。

 扉をノックする音。


「はい?」

「リュシエル、僕だ」


 テオドールの声だ。

 でも、いつもと違って少し硬い。


「どうぞ」


 扉が開き、彼が入ってきた。

 月明かりに照らされた彼の顔は、どこか緊張している。


「どうしたの? こんな夜中に」

「……セドリック殿下が、君に会いたいと」

「セドリック?」


 私は驚いた。

 ペンを置いて、彼を見上げる。


「今から? もう真夜中よ?」

「ああ。明日の早朝、辺境に旅立つ前に、どうしても話したいことがあるらしい」

「……わかったわ」


 私は立ち上がった。

 ショールを羽織って、髪を整える。


「会ってくるわ」

「僕も付いていく」

「ありがとう」


 二人で、廊下を歩いていく。

 深夜の王宮は静かで、足音だけが響く。


「テオドール」

「ん?」

「セドリック、どんな様子だった?」

「……真剣な顔をしていた」


 テオドールは少し考えてから答えた。


「もう、あの軽薄な王子じゃない。何かを悟ったような、そんな顔だ」


 応接室には、セドリックが一人で座っていた。

 王子らしい華やかさは消え、質素な旅装に身を包んでいる。

 茶色の上着に、シンプルなズボン。

 まるで、平民のような格好だ。


「……リュシエル」


 彼は立ち上がり、深々と頭を下げた。

 その姿勢は、かつての傲慢な王子からは想像できないほど謙虚だった。


「来てくれて、ありがとう」

「……どういたしまして」


 私は椅子に座った。

 テオドールは、私の後ろに立つ。

 まるで、騎士のように。


「単刀直入に言う」


 セドリックは真剣な目で私を見た。

 その目には、後悔と決意が混ざっている。


「リュシエル、本当にすまなかった」

「……」

「あのトイレ戦争は、僕が愚かだった」


(トイレ戦争って言い方、本当にやめてほしいんだけど)


 でも、今は黙っていた。


「君は、ただ自分の意見を主張しただけだった。それは、とても正しいことだった」


 セドリックの声が、震えていた。


「でも、僕は自分のプライドが傷つけられたと勘違いして、婚約を破棄した。君の気持ちなんて、考えもしなかった」


 彼は拳を握った。

 その拳は、震えている。


「あの時、君の気持ちを考えるべきだった。君がどれだけ傷ついたか、想像するべきだった」

「……セドリック」

「でも、僕は気づけなかった。クラリッサに夢中で、君のことなんて考えもしなかった」


 セドリックは窓の外を見た。

 月が、彼の横顔を照らしている。


「結果、君を傷つけ、国を危険に晒し、父上を失望させた」

「……」

「僕は、最低の王子だった」


 セドリックの目から、涙がこぼれた。

 一筋、二筋と、頬を伝う。


「リュシエル、許してほしいとは言わない」


 セドリックは涙を拭った。

 でも、次々と新しい涙が溢れてくる。


「僕がしたことは、許されることじゃない。君を傷つけ、侮辱し、捨てた」

「……」

「でも、一つだけ言わせてほしい」


 彼は真っ直ぐに私を見た。

 その目には、真摯な光が宿っている。


「君は、素晴らしい女性だ」

「……え?」

「聡明で、優しくて、強くて。そして、何より誠実だ」


 セドリックは微笑んだ。

 寂しそうな、でもどこか清々しい笑顔。


「僕は、君の価値に気づけなかった。それが、一番の後悔だ」

「セドリック……」

「もし、時間を戻せるなら」


 彼は続けた。


「あの日、君の話をちゃんと聞きたい。君の気持ちを、ちゃんと理解したい」

「……」

「そして、君と一緒に、新しいトイレ文化を作りたかった」


 私は思わず笑ってしまった。


「ぷっ」

「……笑うな」


 セドリックも苦笑した。


「真面目に言ってるんだぞ」

「ごめん、でも……新しいトイレ文化って」

「だって、君の言ってたこと、今なら理解できるんだ」


 セドリックは真剣に言った。


「衛生的で、機能的で、美しいトイレ。それは、確かに必要だった」

「……ありがとう、私もセドリックと真剣に向き合えば良かったわ」


 私は心から言った。


「でも、セドリックもういいのよ」

「え?」

「私、今とっても幸せだから」


 私はテオドールを見上げた。

 彼も、優しく微笑み返してくれる。


「テオドールと出会えて、本当によかった」

「……そうか」


 セドリックは寂しそうに笑った。


「なら、よかった」


 セドリックはテオドールを見た。


「テオドール・グレイフォード」

「はい」


 テオドールが一歩前に出た。


「君は、幸せ者だ」

「……はい」


 テオドールが答えた。

 その声には、確信が込められている。


「リュシエルを、大切にしてくれ」

「もちろんです」

「もし、君が彼女を傷つけたら……」


 セドリックは真剣な目で言った。


「僕が、辺境から戻ってきて君を殴る」

「……殴られないよう、精一杯愛します」


 二人は、男同士の約束を交わした。

 握手をして、互いの目を見つめる。


「それと、もう一つ」


 セドリックは書類を取り出した。

 古びた羊皮紙に、たくさんの文字が書かれている。


「これは?」

「王位継承権の放棄届だ。父上に提出済みだ」

「……」


 私は息を呑んだ。


「僕には、王になる資格がない」


 セドリックは自嘲気味に笑った。

「トイレごときで婚約破棄して、敵国の諜報員に操られて、国を危険に晒した男が、王になれるわけがない」

「でも……」

「いいんだ」


 彼は穏やかに言った。


「むしろ、これで肩の荷が下りた」

「本当に?」

「ああ。正直、王になりたいなんて思ったことなかった」


 セドリックは窓の外を見た。

 夜空には、星が瞬いている。


「ただ、周りがそう期待するから、僕もそうならなきゃいけないと思ってた」

「……」

「でも、今はわかる。僕には向いてない」


 彼は私を見た。


「兄上のレオンハルトの方が、よっぽど王に相応しい。あの人は、民のことを第一に考えられる。僕には、できなかった」

「そうね」


 私も同意した。

 レオンハルト王子は、優秀で誠実で、常に国のことを考えている。


「だから、僕は辺境で償いの生活を送る」

「十年間も?」

「ああ。いや、もしかしたら一生かもしれない」


 セドリックは笑った。

 どこか吹っ切れたような、清々しい笑顔。


「でも、それもいい。静かに、自分の人生を見つめ直せる」

「ねえ、セドリック」


 私は尋ねた。

 ずっと気になっていたことを。


「クラリッサのこと、まだ愛してるの?」

「……いや」


 彼は即座に首を横に振った。


「あれは、恋じゃなかった。ただの幻想だ」

「幻想?」

「ああ。クラリッサは、僕が思い描いた『理想の女性像』を演じていただけだった」


 セドリックは苦笑した。


「儚げで、可憐で、僕を頼ってくれる女性。『殿下、素敵』『殿下、頼りになる』って褒めてくれる女性」

「……あなた、褒められたかっただけなのね」

「そうだな」


 セドリックは認めた。


「僕は、自分を肯定してくれる女性が欲しかった。でも、それは愛じゃない」

「じゃあ、愛って何?」


 私が尋ねると、セドリックは私とテオドールを見た。


「多分、君たちみたいなものだ」

「え?」

「お互いを尊重して、支え合って、一緒に成長していく。それが、本当の愛なんだろう」


 セドリックは少し寂しそうに笑った。


「僕には、それができなかった」

「でも、本当の彼女は違った」


 セドリックは続けた。


「計算高くて、自己中心的で、責任を他人になすりつける女性だった」

「それに気づいたのね」

「ああ。遅すぎたけど」


 セドリックは肩を落とした。


「彼女は今日、国外追放されたよ」

「そう」

「最後まで『私は悪くない』『全部リュシエルのせい』って叫んでた」

「……らしいわね」

「哀れな女だ」


 セドリックは小さく呟いた。


「でも、僕も同じだ。彼女を信じて、国を危険に晒した」

「そんなことない」


 私は言った。


「あなたは、ちゃんと反省してるもの。それだけで、クラリッサとは違うわ」

「……ありがとう、リュシエル」


 セドリックは心から感謝の言葉を述べた。


「君は、本当に優しいな」




 翌朝。

 王宮の門前には、セドリックを見送る人々が集まっていた。


 国王アルベルト三世、第一王子レオンハルト、そして貴族たち。

 私とテオドールも、見送りに来ていた。


 朝日が昇り始め、空がオレンジ色に染まっている。


「セドリック」


 国王が、息子に声をかけた。

 その声は、厳しくも優しい。


「元気で」

「はい、父上」


 セドリックは深々と頭を下げた。

 地面に額がつきそうなほど、深く。


「ご心配をおかけしました」

「いい。お前は、まだ若い。辺境で学び、成長してこい」

「……はい」

「そして、いつか帰ってこい」


 国王は優しく微笑んだ。

 その笑顔には、父親としての愛情が溢れている。


「お前は、我が息子だ。それは、何があっても変わらない」

「父上……」


 セドリックの目から、涙がこぼれた。


「ありがとうございます」


 次に、レオンハルトが前に出た。

 金髪碧眼の第一王子は、弟を優しく見つめている。


「セドリック」

「兄上」

「辺境は寒いぞ。これを持っていけ」


 レオンハルトは、厚手のマントを渡した。

 深い青色の、上質なマント。


「……ありがとう」

「それと、これも」


 小さな袋を渡す。


「中身は?」

「手紙だ。月に一度、僕に手紙を書け」

「……いいのか?」

「当たり前だ。お前は、僕の弟だからな」


 レオンハルトは弟の肩を叩いた。


「辺境で何があっても、僕がお前を見捨てることはない」

「兄上……」


 二人は、抱き合った。

 兄弟の絆を、確かめ合うように。


 そして、セドリックは私とテオドールのもとに来た。


「リュシエル、テオドール」

「うん」

「君たちの家に、招待してくれるか?」

「え?」


 私は驚いた。


「でも、あなた辺境に……」

「十年後、僕が戻ってきた時でいい」


 セドリックは笑った。

 その笑顔は、もう曇っていない。


「その時、まだ君たちが僕を許してくれるなら、家に招待してほしい」

「……わかった」


 私は微笑んだ。


「十年後、ちゃんと招待状を送るわ。約束する」

「ありがとう」

「でも」


 テオドールが口を開いた。


「その時、僕らに子供ができてたら、驚かないでくださいね」

「……え」


 セドリックが固まった。


「子供!?」

「まあ、リュシエルが望むなら何人でも」

「テオドール、勝手に決めないで!」


 私は顔を赤らめた。

 会場から、笑い声が起こる。

 セドリックは、大笑いした。


「はははっ! お前ら、本当に幸せそうだな!」

「そうよ」


 私はテオドールの腕に抱きついた。


「世界一、幸せよ」

「……羨ましいな」


 セドリックは、心の底から言った。


「僕も、いつかそんな恋をしたい」

「できるわよ」


 私は励ました。


「辺境で、素敵な人に出会えるかもしれないし」

「そうかな」

「そうよ。だって、あなた改心したんだもの。絶対、幸せになれるわ」

「……ありがとう、リュシエル」


 セドリックは、馬に乗った。

 茶色の、丈夫そうな馬。


「では、行ってくる」

「気をつけてね」

「ああ」


 彼は手綱を引き、馬を歩かせた。

 ゆっくりと、門を出ていく。


 その背中は、どこか寂しそうだった。

 でも、同時に。

 どこか、吹っ切れたような清々しさもあった。


「……頑張れよ、セドリック」


 テオドールが小さく呟いた。


「ええ」


 私も頷いた。


「きっと、立派になって帰ってくるわ」


 セドリックの姿が、地平線の向こうに消えていく。

 朝日に照らされた道を、一人で進んでいく。

 見送る人々も、次第に散っていった。


「さて、私たちも行きましょう」

「ああ」


 テオドールが私の手を取った。


「これから、結婚式の準備だな」

「そうね」


 私は彼を見上げた。


「楽しみだわ」

「僕もだ」


 二人で、王宮へと戻る。

 新しい未来へ、歩み始めた。

 一方、辺境へ向かうセドリック。

 彼は一人、馬上で呟いた。


「リュシエル、幸せにな」


 そして、前を向いた。


「僕も、いつか……本当の愛を見つけたい」


 馬の足音だけが、静かに響く。

 道は長く、険しい。

 でも、セドリックの目には、決意の光が宿っていた。


「十年後、立派になって帰ってくる」


 彼は誓った。


「そして、みんなに認めてもらうんだ」


 彼の旅は、まだ始まったばかり。

 償いの日々が、彼を待っている。


 でも、それは同時に。

 新しい自分を見つける旅でもあった。

 地平線の向こうに、太陽が昇る。


 新しい一日の始まり。

 新しい人生の始まり。

 セドリックは、その光に向かって馬を進めた。

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