11話 騎士の覚悟
川から上がって、ほっとしたのも束の間。
「いたぞ! あそこだ!」
松明の明かりが、私たちを照らした。
オレンジ色の炎が、夜の闇を切り裂く。
グラナダ帝国の兵士たちが、20人以上。
全員、剣を抜いている。
「……しつこいわね」
私は立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。
川に飛び込んだ時、足を岩にぶつけたらしい。
足首が腫れて、痛む。
「リュシエル、僕の後ろに」
テオドールが剣を抜いた。
月明かりに照らされた剣身が、鈍く光る。
「でも、あなた一人じゃ……」
「大丈夫だ」
彼は不敵に笑った。
その笑顔には、恐れなど微塵もない。
「君を守るためなら、何人だろうと構わない」
兵士たちが、一斉に襲いかかってくる。
がしゃがしゃと、鎧の音が響く。
「かかれ!」
「殺せ!」
テオドールは、まるで舞うように剣を振るった。
一人目の剣を弾き、二人目の喉を突く。
三人目が横から斬りかかるが、身をかわして脇腹を斬る。
四人目、五人目も、次々と倒していく。
「すごい……」
私は見惚れた。
彼の剣技は、まるで芸術のようだった。
無駄な動きが一切ない。
全ての動作が、流れるように美しい。
でも、敵は多い。
一人倒しても、また次が来る。
「くっ……!」
テオドールの左腕に、剣が掠った。
布が裂け、血が滲む。
「テオドール!」
「平気だ!」
彼は構わず戦い続ける。
でも、このままじゃ彼が……。
(私も戦わないと!)
私は魔力を振り絞り、魔法陣を展開した。
足元に、複雑な紋様が浮かび上がる。
「炎の壁!」
兵士たちの前に、炎の壁が立ち上がった。
三メートルはある、巨大な炎の壁。
「ぐっ!?」
「何だ、この魔法!」
「熱い、熱い!」
兵士たちが怯む。
その隙に、テオドールが斬り込む。
「今だ!」
彼の剣が、次々と敵を倒していく。
一人、二人、三人。
数分後。
兵士たちは全員、地面に倒れていた。
「はぁ……はぁ……」
テオドールは息を切らしている。
額には汗が滲み、服は血で汚れている。
「大丈夫?」
「ああ……何とか」
彼は笑った。
でも、その笑顔は疲れている。
私たちがようやく一息ついた時。
拍手の音が響いた。
パチパチパチ。
「見事だ。さすが、灰色の魔法騎士」
森の奥から、黒マントの男が現れた。
あの諜報員。
肩の傷は、包帯で応急処置されている。
「貴様……!」
テオドールが剣を構える。
「まだ諦めてなかったのか!」
「当然だ。任務は、まだ終わっていない」
男は剣を抜いた。
その剣は、グラナダ帝国特有の曲刀。
禍々しい雰囲気を纏っている。
「ふふ、そんなに警戒しなくても」
男は首を鳴らした。
ゴキゴキと、不気味な音がする。
「僕一人だ。君たち二人なら、勝てるかもしれないな」
「……」
「さあ、来い。それとも、怖いか?」
男が構えた瞬間。
テオドールが、疾風のように飛び込んだ。
ガキン!
剣と剣がぶつかり合う。
火花が散る。
「速い!」
男が驚く。
テオドールの剣は、見えないほど速い。
縦斬り、横斬り、突き。
連続攻撃が、男に襲いかかる。
男も手練れだった。
「だが、俺より遅い!」
男の剣が、テオドールの脇腹を斬った。
「ぐあっ!」
「テオドール!」
私は魔法で援護しようとした。
手のひらに、青白い電撃が集まる。
「雷撃!」
電撃が男に向かって飛ぶ。
バリバリと、空気を裂く音。
だが、男は軽々と避けた。
「魔法か。だが、その程度では……」
男が私に向かって走り出す。
その速度は、さっきの兵士たちとは段違いだ。
「リュシエル、危ない!」
テオドールが私の前に立ちはだかった。
ガキン!
剣を受け止めるが、衝撃で彼の体が後ろに押される。
地面に、足跡が刻まれる。
「どけ! その女を殺せば、全て終わる!」
「させるか!」
テオドールは剣を振り上げ、渾身の一撃を放った。
剣が、月明かりを反射して輝く。
ガキィン!
男の剣を弾き飛ばす。
剣が、くるくると空中を舞って地面に突き刺さった。
「なっ……!」
「これで、終わりだ!」
テオドールの剣が、男の肩を斬った。
「ぐあああっ!」
男は地面に倒れた。
肩から、血が吹き出す。
「やった……」
私は安堵のため息をついた。
全身の力が、抜けていく。
でも、次の瞬間。
倒れた男が、懐から短剣を取り出した。
銀色に光る、小さな短剣。
「……死ね!」
短剣が、私に向かって飛んでくる。
まるでスローモーションのように、ゆっくりと。
私は、動けなかった。
魔力も、体力も、限界だったのだ。
「リュシエル!」
テオドールが、私を突き飛ばした。
強く、地面に押し倒される。
そして、短剣は――
ズブリ。
テオドールの脇腹に、深々と刺さった。
「テオドール!!」
時間が、止まった。
彼の体から、血が流れる。
赤い、赤い血が。
服を染め、地面に滴る。
「……っ」
テオドールは、痛みに顔を歪めながらも、私に微笑んだ。
「……よかった。君は、無事だ」
「何言ってるの! あなたが……あなたが……!」
私は彼を抱きしめた。
涙が、止まらない。
視界が、涙で滲む。
「大丈夫……これくらい……」
「大丈夫なわけないでしょう! こんなに血が……!」
彼の服は、真っ赤に染まっていた。
温かい血が、私の手を濡らす。
「くそっ……まさか、こんな手を……」
男が立ち上がろうとしたが、もう力はなかった。
肩の傷が深すぎる。
「……王国の犬が……貴様らのせいで……任務が……」
そう言い残して、男は意識を失った。
「テオドール、しっかりして!」
私は必死に彼を揺さぶった。
彼の頬を叩き、名前を呼ぶ。
「傷を……傷を見せて!」
「だめだ……君が、見るものじゃない……」
「いいから!」
私は彼の服をめくった。
破れた布の下に、深い傷。
短剣が、臓器の近くまで達している。
(まずい……このままじゃ……!)
出血が、止まらない。
このままでは、彼は死んでしまう。
「リュシエル……」
テオドールが、弱々しく私の頬に手を伸ばした。
その手は、冷たい。
「君は……本当に、綺麗だ……」
「今、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
「でも……言いたかったんだ……」
彼は微笑んだ。
優しい、とても優しい笑顔。
「君に会えて……幸せだった」
「やめて! まるで遺言みたいなこと言わないで!」
「ごめん……」
彼の目から、涙がこぼれた。
「でも……君を失うくらいなら……命なんて、惜しくない」
「っ……!」
私の心臓が、ギュッと締め付けられた。
胸が、痛い。
「馬鹿……馬鹿……!」
涙が、止まらない。
「あなたが死んだら、私はどうすればいいの……!」
「……リュシエル」
「私、あなたがいなきゃ……嫌なの……」
私は彼に顔を埋めた。
彼の匂いがする。
剣と、血と、彼の匂い。
「お願い……死なないで……」
「……うん」
彼は優しく私の頭を撫でた。
その手は、震えている。
「君が、そう言うなら……死ねないな」
彼の声が、どんどん弱くなっていく。
「リュシエル、君……治癒魔法、使えるか?」
「え?」
「僕の傷……治してくれ……」
治癒魔法。
私は、得意じゃない。
攻撃魔法ばかり練習してきたから。
でも、やるしかない。
「わかった……やってみる」
私は魔力を振り絞り、治癒魔法を展開した。
手のひらに、温かい光が集まる。
「治癒の光」
温かい光が、テオドールの傷を包む。
傷が、少しずつ塞がっていく。
でも、魔力が足りない。
深すぎる傷は、私の治癒魔法では間に合わない。
(もっと……もっと……!)
私は前世の知識を総動員した。
人体の構造。
血管の位置。
細胞の再生メカニズム。
医学ドラマで見た知識。
生物の教科書で読んだ知識。
全てをイメージしながら、魔法を注ぎ込む。
「くっ……!」
額に汗が滲む。
頭が、割れそうに痛い。
でも、諦めない。
(テオドールを……助ける……!)
私は心の底から、願った。
お願い、神様。
この人を、助けて。
光が、さらに強く輝いた。
まるで、太陽のように。
そして――
傷が、完全に塞がった。
「……できた」
私は力尽きて、テオドールの胸に倒れ込んだ。
意識が、遠のいていく。
「リュシエル……ありがとう」
彼は私を優しく抱きしめた。
温かい腕。
力強い腕。
「君が、救ってくれた」
「当たり前よ……あなたが、私を救ってくれたんだから……」
私たちは、お互いを抱きしめ合った。
温もりを、確かめ合うように。
しばらくして。
騎士団の仲間たちが、私たちを見つけてくれた。
「テオドール、無事か!」
「リュシエル様!」
松明の明かりが、私たちを照らす。
「ああ……リュシエルのおかげだ」
テオドールは私を見て、微笑んだ。
私は、彼を見つめ返した。
(……ああ)
この瞬間、私は確信した。
私は、テオドール・グレイフォードを愛している。
命をかけてでも、守りたいと思うほどに。
彼がいない世界なんて、考えられないほどに。
これが、本当の恋。
ただの好き、じゃない。
生涯を共にしたいと思える、愛。
「リュシエル?」
テオドールが不思議そうに私を見る。
「どうした? 顔が赤いぞ」
「……何でもないわ」
私は顔を逸らした。
でも、心の中では叫んでいた。
(好き。大好き。愛してる)
(テオドール、私、あなたと結婚したい)
でも、それはまだ言えない。
だって、恥ずかしいから。
翌朝。
私たちは、王宮に戻った。
父と母が、涙を流して私を迎えてくれた。
「リュシエル……!」
「ただいま、お父様、お母様」
「無事で……本当に、無事でよかった……」
母が私を抱きしめる。
温かい腕。
優しい匂い。
父は、テオドールに向かって深く頭を下げた。
「テオドール・グレイフォード。娘を救ってくれて、ありがとう」
「いえ、当然のことを」
「君には、娘を任せられる」
父は真っ直ぐに彼を見た。
その目には、信頼が宿っている。
「交際を、正式に許そう」
「え……!?」
私とテオドールは、同時に驚いた。
「お父様、まだそんな話……!」
「いいや、もう決めた」
父は優しく微笑んだ。
「娘が、こんなに誰かを想う顔を見たのは、初めてだ」
「……っ」
顔が、真っ赤になる。
「それに、命をかけて娘を守ってくれた男を、信頼しないわけにはいかないだろう」
父はテオドールの肩に手を置いた。
「テオドール、娘をよろしく頼む」
「はい!」
テオドールは力強く頷いた。
その目には、決意が宿っている。
こうして、私たちの未来は、決まった。
その夜。
私とテオドールは、庭で二人きりになった。
月が、美しく輝いている。
星も、たくさん見える。
「今日は、本当にありがとう」
「お礼なんていいよ。君を守るのは、僕の仕事だ」
「仕事、なの?」
「いや、違う」
彼は私の手を取った。
大きな、温かい手。
「君を守るのは、僕の生きる理由だ」
ドクン。
心臓が、大きく跳ねた。
「リュシエル、僕と……正式に、付き合ってくれるか?」
「……っ」
涙が、溢れた。
嬉しさで、胸がいっぱいになる。
「うん」
私は頷いた。
「あなたの側にいたい。ずっと、ずっと」
「……ありがとう」
テオドールは私を抱きしめた。
そして、ゆっくりと顔を近づける。
唇が、重なる。
優しくて、温かくて。
愛に満ちたキス。
月明かりの下、私たちは誓い合った。
これから、どんな困難が待っていても。
二人なら、乗り越えられる。
そして、いつか。
この愛を、永遠のものにする。
私たちは、そう心に誓った。
「愛してる、リュシエル」
「私も、愛してる」
二人の声が、静かな夜に響いた。
これは、終わりじゃない。
始まりなんだ。




