9話 陰謀の真相
舞踏会から五日後。
私は朝食を取っていると、ソフィアが血相を変えて駆け込んできた。
いつもは冷静沈着な彼女が、髪を振り乱して走ってくるなんて。
「リュシエル様、大変です!」
「どうしたの、そんなに慌てて。まるで王宮に火でも放たれたような……」
「これを……!」
彼女が差し出したのは、一通の手紙。
封蝋もない、粗末な紙。
差出人不明。
開けてみると、そこには震える字でこう書かれていた。
『リュシエル様へ
クラリッサは操られています。
背後にいるのは、隣国グラナダ帝国の諜報員。
彼らの目的は、王位継承の混乱です。
どうか、お気をつけください。
これ以上は書けません。命が危ないので。
――ある侍女より』
「……これ、本物? いたずらじゃなくて?」
私は手紙を何度も読み返した。
「わかりません。でも、筆跡から察するに、王宮で働く侍女のものです」
ソフィアは真剣な顔をした。
いつもの軽い調子は、どこにもない。
「それに、裏を取ってみたんですが……最近、グラナダ帝国の動きが怪しいんです」
「どういうこと?」
「国境付近に、軍を集結させてるとか。名目は『演習』だそうですが……」
「……まさか」
私は背筋が寒くなった。
手に持っていたクロワッサンが、急に味気なくなる。
もしこれが本当なら、とんでもないことだ。
王国が、内側から崩されようとしている。
「テオドールに、相談しましょう」
「はい。今すぐお呼びします」
ソフィアが走り去った後、私は一人で手紙を見つめた。
(誰が、なぜこんな手紙を……)
差出人は侍女。
命の危険を冒してまで、私に警告してくれた。
(この人を、守らないと)
私は決意を固めた。
その日の午後。
私はテオドールを呼び出し、手紙を見せた。
「……これは」
彼も顔色を変えた。
いつもの穏やかな表情が、一瞬で引き締まる。
「グラナダ帝国。確かに、最近動きが怪しい」
「あなたも知ってたの?」
「ああ。騎士団内部では、警戒レベルが上がってる」
テオドールは腕を組んだ。
護衛騎士の顔だ。
「もしこの手紙が本当なら、クラリッサは駒に過ぎない。本当の黒幕は、グラナダ帝国の諜報員」
「セドリックも?」
「恐らく。第二王子を利用して、王位継承を混乱させる。レオンハルト殿下とセドリック殿下を対立させ、王国を弱体化させる。そして、その隙に侵攻……」
「最悪のシナリオね」
私は紅茶を啜った。
でも、喉を通らない。
「でも、証拠がないわ。この手紙だけじゃ、誰も信じてくれない」
「なら、調査しよう」
テオドールは私の手を取った。
温かい手。
「君と僕で、真相を突き止める」
「……危険よ? 相手は諜報員なのよ?」
「構わない。君を守るためなら、どんな危険も冒す」
彼の目は、真剣そのものだった。
(……かっこいい)
心の中で呟いてしまう。
でも、今は恋愛ごっこをしている場合じゃない。
「わかったわ。一緒に調べましょう」
こうして、私たちの調査が始まった。
まず、私たちはクラリッサの動きを探ることにした。
ソフィアの情報網によると、彼女は毎晩、王宮の裏門から出ているという。
「毎晩? 一体どこに行ってるんだろう」
「それを調べるんです」
ソフィアが地図を広げた。
「裏門から出て、王都の下町方面へ向かうそうです。でも、その先は追えていません」
「尾行しましょう」
私が言うと、テオドールが難しい顔をした。
「リュシエル、君は危険だから……」
「私も行くわ。だって、クラリッサは女性でしょう? あなた一人で尾行したら、すぐにバレるわ」
「……確かに」
彼は渋々頷いた。
「でも、絶対に僕から離れるな」
「はいはい」
その夜。
私とテオドールは、変装して王宮の裏門近くに潜んだ。
私は侍女の服を着て、テオドールは平民の服。
二人とも、フードを深く被っている。
「……寒いわね」
「すまない」
テオドールが私の肩を抱き寄せた。
「って、ちょっと!?」
「体温で温め合うんだ。寒さ対策」
「それ、本当に寒さ対策なの……?」
顔が熱くなる。
でも、確かに温かい。
(まあ、いいか)
私は彼の胸に顔を埋めた。
「……来た」
テオドールが囁く。
フードをかぶったクラリッサが、こっそりと裏門から出てくる。
周囲を警戒しながら、足早に歩いていく。
「尾行するぞ」
「ええ」
私たちは物陰に隠れながら、彼女を追った。
月明かりだけが頼りの、暗い夜道。
クラリッサは、王都の下町へと向かった。
貴族が普段立ち入らないような、雑多な地区。
「こんなところに、何の用が……」
やがて、彼女はボロボロの酒場に入っていった。
看板には『酔いどれ亭』と書かれている。
「入るのは危険だ」
「でも、このままじゃ何もわからない」
「窓から覗こう」
テオドールは私を抱き上げた。
「わっ」
突然のお姫様抱っこに、心臓が跳ねる。
「軽いな」
「そ、そりゃあ、女性だもの……」
彼は私を抱えたまま、酒場の窓際に近づいた。
(……近い)
彼の腕の中、心臓がドキドキする。
彼の匂いがする。
剣と革と、少しの汗の匂い。
(今は集中、集中……!)
窓から覗くと、クラリッサが誰かと話していた。
相手は、黒いマントを着た男。
顔は、深いフードで隠れている。
「……報告は以上です」
クラリッサの声が、震えている。
怯えているように見える。
「ふむ、よくやった」
男の声は、低く冷たい。
まるで蛇のような声だ。
「第二王子は、まだ君を信じているか?」
「……はい。でも、最近、周囲から疑われ始めてます。特に、リュシエル・フェリエンヌが……」
私の名前が出て、ドキッとする。
「あの娘か。厄介だな」
男はテーブルを指で叩いた。
「まあいい。もう少しだ。もう少しで、王国は混乱に陥る」
「……」
「ならば、もっと慎重に動け」
男はクラリッサの顎を掴んだ。
乱暴に、まるで物を扱うように。
「失敗すれば、お前の家族がどうなるかわかっているな?」
「……っ」
クラリッサの顔が、恐怖で歪んだ。
「わ、わかってます……お願いです、家族には手を出さないでください」
「ならば、言われた通りにしろ」
男は金貨の入った袋を投げた。
ジャラジャラと、重い音がする。
「これで、借金の一部を返済しろ。そして、引き続き第二王子を混乱させろ。レオンハルトとの対立を深めるんだ」
「はい……」
クラリッサは、まるで操り人形のように頷いた。
(……脅されてる)
私は驚いた。
てっきり、クラリッサは自分の意志でセドリックを操ってると思ってた。
打算的な女性だと思ってた。
でも、違う。
彼女も、被害者だったのか。
「リュシエル」
テオドールが小声で言った。
「男が立ち去るぞ。尾行する」
「ええ」
男が酒場を出た。
私たちは、慎重に後をつけた。
「気づかれるなよ」
「わかってる」
男は路地裏を抜け、複雑な道を進んでいく。
まるで、尾行されることを想定しているかのような動き。
やがて、男はある立派な屋敷に入っていった。
門には、見慣れない紋章。
三本の剣が交差している紋章。
「あれは……」
テオドールが息を呑んだ。
「グラナダ帝国の紋章だ」
「やっぱり……」
私たちの推測は、的中していた。
「この屋敷、グラナダ帝国の大使館だ」
「つまり、あの男は……」
「諜報員。間違いない」
テオドールは拳を握った。
怒りを必死に抑えているのがわかる。
「クラリッサを操って、王位継承を混乱させる。そして、その隙に侵攻する気だ」
「でも、証拠がないわ。この屋敷に入ったってだけじゃ……」
「なら、作ろう」
テオドールは不敵に笑った。
その笑顔は、どこか危険な香りがする。
「屋敷に潜入して、証拠を掴む」
「無茶よ! 相手は帝国の大使館なのよ!?」
「大丈夫。僕は騎士だ。これくらい、朝飯前」
彼は私の頭を撫でた。
「君は、ここで待っててくれ」
「だめ。私も行く」
「リュシエル……」
「二人の方が、成功率は高いでしょう? それに、魔法が使える私がいた方がいい」
私は真剣に言った。
「それに、あなた一人を危険な目に遭わせられない」
テオドールは少し考えてから、頷いた。
「……わかった。でも、絶対に僕から離れるな。命令だ」
「はいはい、騎士様」
私は笑った。
「じゃあ、作戦を立てましょう」
こうして、私たちは潜入作戦を決行することにした。
深夜。
私たちは、屋敷の裏手から侵入した。
「警備は?」
「二人。でも、眠らせた」
テオドールが、気絶した警備兵を指差す。
(容赦ない)
彼の騎士としての顔を見ると、少しドキドキする。
普段は優しいのに、戦闘になると別人みたいだ。
「書斎を探そう。証拠はそこにあるはずだ」
「わかった」
私たちは静かに屋敷内を進んだ。
廊下には、高価そうな絵画や彫刻が飾られている。
さすが、帝国の大使館。
廊下を曲がり、階段を上る。
そして、奥の部屋に辿り着いた。
「ここだ」
テオドールが鍵を開ける。
ピンを使って、器用に鍵穴をいじる。
(器用ね)
「騎士の訓練で習った」
「何を訓練してるの、あなたたち……」
扉が開く。
部屋に入ると、そこには大量の書類があった。
「これ、全部……」
「王国の機密情報だ」
テオドールが書類をめくる。
その顔が、どんどん険しくなっていく。
「軍の配置、王族の動き、貴族の派閥……全部筒抜けじゃないか」
「クラリッサが、流してたのね」
「恐らく、無意識にな。セドリックから聞き出した情報を、あの諜報員に報告してた」
私たちは、証拠となる書類を集めた。
特に重要そうなものを選んで、鞄に詰める。
その時。
「誰だ!」
背後から声。
振り返ると、あの黒マントの男が立っていた。
「侵入者か……よくここまで来られたな」
男は剣を抜いた。
その剣は、グラナダ帝国特有の曲刀。
「殺すしかないな。死人に口なし」
「リュシエル、下がってろ!」
テオドールが私の前に立ちはだかった。
そして、腰の剣を抜く。
男との剣戟が始まる。
ガキン、ガキン!
火花が散る。
狭い部屋の中で、二人の剣士が踊る。
テオドールは強いが、男も手練れだ。
というか、かなり強い。
「ほう、平民騎士にしては腕が立つな」
男が嘲笑う。
「だが、所詮は平民。帝国の諜報員には勝てん」
(どうしよう……)
私は魔法を使おうとしたが、屋敷内では大きな魔法は使えない。
下手すると、建物ごと吹き飛ばしてしまう。
その時、男が隙を突いてテオドールの脇腹を斬った。
「テオドール!」
「くっ……!」
彼が膝をつく。
傷口から、血が滲む。
「ふふ、所詮は平民騎士か」
男が剣を振り上げる。
テオドールの首を狙って。
(だめ……!)
私は咄嗟に、持っていた書類を男の顔に投げつけた。
「うっ!?」
男が怯んだ隙に、テオドールが反撃。
地面を蹴って飛び上がり、剣で男の剣を弾き飛ばす。
そして、首筋に刃を当てた。
「動くな」
「……くそっ」
男は観念した。
「大丈夫、テオドール?」
「ああ、かすり傷だ」
彼は笑ったが、血が滲んでいる。
(……心配)
でも、今はこの男を確保することが先決。
「とりあえず、この男を連れて王宮に行こう」
「ええ」
こうして、私たちは黒幕を捕らえることに成功した。
翌日。
王宮では、緊急会議が開かれた。
第一王子レオンハルト、父エリュドール公爵、そしてセドリックも出席していた。
さらに、国王陛下ご自身も姿を見せた。
「これが、証拠です」
テオドールが、集めた書類を提出した。
その量は、テーブル一杯に広がるほど。
「……なんだ、これは」
レオンハルトが顔色を変えた。
「グラナダ帝国の諜報員が、王国の機密を盗んでいた」
「そして、その協力者が……」
私は言いにくそうに続けた。
「クラリッサ・ド・ピンクリーです」
「なっ……!」
セドリックが立ち上がった。
椅子が倒れる音がする。
「そんな、まさか……クラリッサが?」
「殿下、彼女は脅されていたんです」
私は説明した。
「家族の借金を人質に、情報を流すよう強制されていた。彼女も、被害者なんです」
「……」
セドリックは、ショックで言葉を失っていた。
顔が真っ青だ。
「僕は……僕は、利用されていたのか……」
「殿下」
テオドールが言った。
「クラリッサ嬢も被害者です。でも、このままでは国が危ない。彼女を保護し、真実を語ってもらう必要があります」
「……わかってる」
セドリックは拳を握った。
悔しさと怒りで、体が震えている。
「僕が、愚かだった」
彼は深く頭を下げた。
「リュシエル、すまなかった。君との婚約を破棄したこと、心から後悔している」
「……もう、いいのよ」
私は優しく言った。
「あなたも、被害者なんだから。それに、私は今、とても幸せよ」
チラリとテオドールを見る。
彼も、微笑み返してくれた。
「でも……」
「それより、今は国を守ることを考えましょう」
レオンハルトが立ち上がった。
その表情は、未来の国王のそれだ。
「グラナダ帝国の諜報員を逮捕し、クラリッサ嬢を保護する」
「はい」
「そして、国境の警備を強化する。帝国が動き出す前に、こちらも準備を整えよう」
会議は、今後の対策を話し合う場となった。
会議が終わり、私とテオドールは廊下を歩いていた。
「……疲れたわ」
「お疲れ様」
テオドールが私の頭を撫でた。
「でも、よくやったよ。君がいなければ、真相は闇の中だった」
「あなたがいたから、できたのよ」
私は彼の手を握った。
「ありがとう、テオドール。それと、怪我は大丈夫?」
「これくらい、何でもない」
彼は笑った。
でも、その笑顔には影があった。
「……これで、終わりじゃないんでしょう?」
「ああ」
テオドールは頷いた。
「グラナダ帝国は、必ず報復してくる。それも、近いうちに」
「戦争……」
「恐らく」
彼は私を抱きしめた。
強く、でも優しく。
「でも、君を守る。絶対に」
「……私も、あなたを守るわ」
私たちは、強く抱き合った。
これから、嵐がやってくる。
でも、二人なら乗り越えられる。
そう信じて。
「なあ、リュシエル」
「なに?」
「もし戦争になったら……」
テオドールが真剣な顔で言った。
「君は、安全な場所に避難してくれ」
「嫌よ」
私は即答した。
「あなたがいる場所が、私の場所」
「……無茶を言うな」
「あなたこそ、無茶を言わないで」
私は彼を見上げた。
「私、あなたなしじゃ生きていけないもの」
テオドールは、困ったように笑った。
「……参ったな。君には、敵わない」
彼は私の額にキスをした。
「じゃあ、一緒に乗り越えよう」
「うん」
私たちは手を繋いで、廊下を歩いていった。
これから、どんな困難が待っているかわからない。
でも、二人なら大丈夫。
そう、信じている。




