先生の自宅へ
公用車の車内。
政信はハンドルを握っていた。
後ろの座席から、
「土屋君、そこの十字路を右に曲がりなさい」
「右ですか? 間に合いますか」
先生は政信の『その一言』に、
「時間はアナタが決めるんじゃないからね」
「あッ、すいません」
「スイマセン?」
先生は後ろの座席から政信を睨む。
車内に一瞬、緊張が走る。
政信はそっとルームミラーで先生を覗き、
「あッ! はい」
「・・・そこの自販機の前に停めなさい」
「あの、駐禁・・・」
「なに?」
「いえ、ハイ!」
政信は自販機の前に車を停めた。
後部ドアーを開けようと運転席のドアボタンに触れる。
と、先生は自分でドアーロックを解除し、先にサッサと出て行ってしまう。
政信は急いで鞄を取り、車から降りて先生の後う。
旧家が見えて来る。
『先生の実家』である。
門を跨ぎ、広い庭を足早に急ぐ先生。
追いかける政信。
縁側に座って、ボーっと庭の盆栽を見ている老人が居る。
博文(先生の父・元市長)である。
家の奥から女の声がする。
道子(先生の妻・金井病院の理事・交通安全協会副会長)である。
「お父さん。お茶が入りましたよ」
「もう昼か?」
「お父さん、さっき朝ご飯を食べたばかりでしよう」
「あれは昼メシだ」
「?・・・」
道子は博文を見て首を傾げる。
「で、今日の議会は何時からだ?」
「今日は会議は有りませんよ」
奇妙なやりとりの会話だった。
博文の『痴呆』もだいぶ進んでいる様である。
先生は博文の隣りに座る。
「・・・」
政信は博文の傍に走り寄ると、縁側に鞄を置いて急いで背広のポケットから名刺入れを取り出す。
そして一枚を両手で控えめに博文に差し出す。
「お世話になりま~す」
先生は政信のソレを見て叱咤した。
「やめなさい! 名刺がもったいない」
「あッ、失礼しました」
政信は名刺を仕舞い、急いで車に走って行く。
それを見た先生が怒鳴る。
「こらッ、何処へ行くッ!」
政信は振り向いて、
「ハイ、違う物を」
「チガウモノ? バカ者! チョロチョロするな。戻って来い」
「えッ? あ、ハイ!」
政信は先生の傍に戻ってハンカチで額の汗を拭く。
「すいません。何か?」
「ナニか? オマエにはこの空気が読めんのか? ここは俺の家だ」
「え? あッ! 失礼しました」
道子がお茶とコーヒーを二つ盆に載せ、奥の台所から出て来る。
政信を見て、
「あら、一つ足りないわね。え~と、アナタはお茶かしら、コーヒー?」
先生が、
「いらない! もったいない」
「良いじゃないの、一杯ぐらい」
道子は政信を見て、
「ね~え。『ケチ』なんだから」
道子は私の顔をマジマジと見て、
「アラー、・・・チョット~お。アナタ、良い男じゃない。私と一緒に婦人部を廻ってちょうだい」
すると先生のキツい一言が。
「ダメだ。東京から呼んだ俺の秘書だ」
政信は改まって、
「あッ、初めまして! 土屋政信と申します」
膨らんだスーツのポケットから、また名刺入れ取り出し、一枚を両手で差し出す。
道子はその名刺を見て、
「いらないわよ、そんなモノ。あら? 青木くんは」
先生は縁側に並ぶ盆栽を一つ取って、遠目で眺めながら、
「アイツは運転中、痔が再発した」
「あら、青木くんて痔ヌシだったの。運転なんかさせて可哀想に」
先生は博文の耳元に大声で、
「お父さーん! 町内のゲートボールは何時からだっけーえ」
博文が驚いて、
「うるさいぞッ!」
先生を睨む博文。
博文は道子を見て、
「道子さん。私の本日の行動予定表を持って来てちょうだい」
「お父さんの座布団の隣に置いて有りますよ」
「え? お~お、そうだったか。バッカだね~。ハハハ」
行動予定表には、
『その日の日付・ラジオ体操・朝食の時間と散歩・朝の盆栽の水やり・お茶の時間・昼食と昼寝・夕方の盆栽の水やり・お風呂・夕食・テレビの番組(ニュース・相撲・時代劇)・就寝の時間』
までがびっしりと書かれている。
博文が、
「え~と、ゲートは今日は・・・ナイな。道子さん、ゲートはいつでした?」
「二枚目に『お知らせ表』が有りますよ」
まどろっこしい博文の手から行動表を取り上げる先生。
「見せなさいッ!」
先生は政信に行動表を渡し、
「全部覚えて私の予定表に追加しなさい」
「えッ? あ、ハイ・・・」
「よしッ、行くぞ!」
先生は縁側を立って、さっさと車に向かう。
政信が急いで先生の後を追う。
道子が政信の背中に、
「土屋く~ん、十九時から婦人部の総会。『カラオケ・しのぶ』よーお。予定表に書いといて~!」
政信は走りながら振り向いて、
「ハ~イ! お世話になりま~す」
つづく




