ごっこあそびみたい
私の家へ、彼女が泊まりに来ていた。今は真夏の蒸し暑い夜であり、風も生暖かく扇風機は全く役立たずで、暑くて何もしたくないから面白くもないテレビを、ただ二人でのんびりと観ていたのに、汗ばむ衣類。
彼女は鬱陶しそうに「冷たいシャワー浴びに行く」と言って消えたかと思えば、いつの間にか子供っぽい下着で私の布団へうつ伏せに寝転がり、枕を抱き締め半分顔を埋めた状態で、こちらに満面の笑みを浮かべてくる。
自分が可愛いことを知っているんだなあと、いつも化粧で誤魔化している今はスッピンである私は、ちょっとだけ妬んだ。悔しいけれどそんなことより、その化粧をしないでも愛らしい彼女が好きであったから、可愛くあるのは喜ばしいことなのだけどね。
「わたし、架乃子ちゃんのこと好きよ」
不意に流し目を使って、私のことを見つめながらそう言って微笑む彼女は、いつにもまして愛らしいというよりは色っぽかったから、変に心が反応してしまう。長い睫毛に隠された、その黒目がちで大きな瞳がハッキリと見えたとき、私の気持ちを見透かして表へ引きずり出そうとする。
だけれど、高鳴る心臓の音を無視するように「私も砂祐美のこと、好きだよ」といつもの友達と、お世辞を言い合うときと同じ様子で言い返す。
彼女……砂祐美は私が言ったことも自分が言ったことも、特には気にしてないというように眉一つ動かすことなく、尚も私をその視界に捉えて離そうとはせずに、口を開いた。
「そうだと思ったの。だから、好きなのよ」
「それだけ……?」
答えが安易過ぎて何故だか不安になった私は、動揺を隠せずに尽かさず問い返す。
砂祐美は目を細め、困ったような笑みを浮かべる。
「それは、好きになるまでの理由は沢山あるわよ。だけれどわたしは、好きになってくれた人しか好きになれないの」
砂祐美の表情が、一瞬だけ悲しげに変わる。
「それも、誰よりもわたしを好きじゃなきゃ駄目なのよ?」
瞳を潤ませて、上目遣い。砂祐美はずるい。私が誰よりも、自分を特別に想っていることを知っているんだ。
その瞳から雫が零れ落ちたら、指先で掬ってあげたいと思っていることも。
雪みたいに白く冷たい肌を、抱き締めて温めたいことも。
黒い艶やかな髪を撫で回し、シャンプーの匂いを嗅ぎたいことも。
ピンク色の柔らかそうな唇を貪るようにして、吸い付くような口付けをしたいこと……。
「ス、キ、よ」
ワザと言葉を途切れさせながら、もう一度私を好きだという砂祐美の表情はいつの間にか、困ったものや悲しげではなく悪戯な笑みへと変わっていた。
「はいはい、私も好きだよー。本当にー」
そんな砂祐美の様子に、私は茶化すという態度に徹することとする。このまま乗せられていたら、言いようのない敗北感を得ることとなるだろうから。砂祐美の全て思い通りという。
「わたしのこと、愛してるって言えばいいのに」
あまり食いつきが良くなかったと見える私の態度に、散々人を弄ぶようなようなことをしておいたくせに、不安になったのかいきなりそんなことを言い出す砂祐美。
「言ってくれれば、架乃子のこと愛せるのに」
ほっとくつもりだったけれど誰よりも愛しい子が、今にも泣き出しそうな表情で身体を震わせている姿に、誰がなびかないだろう。私の負けだ。
頭を撫でてあげようと手を伸ばすも拒否するらしく、顔を完全に枕に埋めてしまった。
「わたしのこと愛していないなら、愛せばいいのに!!」
顔を埋めてるから声が篭っているのか、泣いていて鼻声なのか。砂祐美は良く聞き取れないけれどもそう声を荒げると、完全に嗚咽を漏らしながら泣き出す。私の枕が、彼女の涙と鼻水と涎でビショビショになってしまう。ちょっと嬉しいかもなんて思う私は相当な変態だろう。
「私が愛さなくても、彼が愛してくれるでしょ? 私、浮気はしたくないの」
小さな子をなだめる様に優しい声色を出し、砂祐美の背中に手を置いてポンポンと叩いてあげると、勢い良く上半身を起き上がらせ、この場合泣いてたのか恥ずかしいのか不明な真っ赤な顔で、何度も首を横に大きく振る。それから私を恨めしそうに睨む。
「違う! あの男と架乃子ちゃんは違うの!! これは違う愛なのよ……」
恋人に、あの男呼ばわりされているのを知った彼を想像して、いい気味で笑いがこみ上げてきた。どちらにしろ、彼に勝手に彼女認定されている砂祐美にとっては、あの男という表現は妥当だろうけれど。でも、違う愛を持っているというようなことを言ってる時点で、内心彼女自身も愛しているんだろうけどね、彼のことを。
感情に任せて言葉を発していたみたいだから、私の言葉を待っているうちに、落ち着いて気が付いたのか「わたしとあの男にはそんなもの自体無いけれど……恋人でもなんでもないし」と遅れた訂正を呟く声は、どんどんと小さくなり聞こえなくなって、俯いた顔の赤さは今度は恥ずかしさからであることが分かった。いい加減認めちゃえばいいのに。
私は砂祐美の頭に手を置く。今度は拒否されることはなかったので優しく、優しく撫でてあげる。こうするとすぐ機嫌が良くなるからね。まるで駄々をこねた子供。
砂祐美を、誰よりも特別に想っている……愛しているということだ。けれどそれを伝える訳にはいかない。彼女が思っている愛と、私の愛は違うからだ。彼女自身がそう言ったように。伝えてしまえば、私はそれを抑えることなど出来ない。
「砂祐美。私は彼よりも貴女を好きだと思う。それは本当の本当。大好きというのじゃ駄目なの?」
撫でながらあやす様に言い聞かせる。不貞腐れた顔で考え込んでいる様子だって、とても可愛らしい。砂祐美の言う愛とは、私に対するのは人間愛で、彼に対するのは恋愛なのだろうと思う。彼女の愛を受け入れてしまえば、私はとても惨めでやり切れない。だって求めているのは、彼に向けられている方の愛なのだから。認めた時点で私の心は消えてしまう。
「彼は本当に、貴女を愛しているわよ。私にまで愛されたいなんて贅沢だよ」
続けてそう言うと「さっきも言ったけれど、それは違う! そういうことじゃなくて……」ということを言いたいのだろうけど、砂祐美はまた恨めしそうに睨むだけで何も言わない。たぶん諦めたのだと思う……色々と。それで良いんだ。
「……もう寝る!」
「砂祐美の好きなドラマ観ないの? 今日とても気になる回だったんじゃないの?」
身体がビクッと反応するも無言で、背を向けられてしまった。このまま無視して寝るのだろうと思ったけど「いいの」という声が僅かに聞こえた。
「架乃子ちゃんが録画したの、後で一緒に観るからいいの」
砂祐美のいじけた声が、また愛おしくて仕方がなかった。
「私、今日観るつもりだったから録画してないんだけど」
「え! 本当?」
ちょっと意地悪をしてやると、急いでこちらを振り返るから思わず吹き出してしまった。すぐに「嘘だよ」というとまた不貞腐れて、そのまま本当に寝てしまった。
夏とはいえ、下着だけだと風邪を引いてしまいそうだから、薄いシーツを一枚掛けてあげる。それから、髪を梳くようにしながら撫でてあげてると、寝ている子を慈しむ母の気持ちが分かるような気がした。
砂祐美は、完璧な大人になる前に大きくなってしまったような子だ。だからある意味とても純粋で無垢だった。だからそれを分かっている私が、守ってあげないといけない。自分が言ってることと、してることが判らなくなってばかりで、感受性が馬鹿に強い。その反面都合が良い奴でもあるから、明日起きたら何事もなかったように、いつもの様子に戻っていると思うけれど。
私が愛してると言わなければ砂祐美はもう、私に愛してるなんて言わないだろう。私の反応があまり宜しくなかったから。ああいうことを言うのは、彼女のただの甘えみたいなものであるし。それならいっそ、一夜の夢みたいのを楽しめば良かったのかもしれないけれど、私が後を引きずって……きっと二人とも幸せになれない。
私は砂祐美に、幸せになって欲しかった。一番辛かったときに救われたのが、彼女の純粋な可愛らしさだったから。今苦しい理由もそれなのだけれど。
何で大切に想っている友達だった女の子を、愛してしまったんだろう。私が彼みたいに男だったら……いや元から女の子しか好きになれなかったら、迷わず砂祐美を愛すだろうけれど、一時の迷いかもしれないと迷っているから、駄目なんだ。
揺るぎない想いを持っていて、無条件で愛している彼にはどちらにしろ敵わないし、そんな人とじゃないと砂祐美は幸せにはなれない。雰囲気ばかり大人びいてしまった、一生子供であろう彼女を。
明日になって、苦しいも悲しいも忘れられれば、心から砂祐美と今までのように笑い合えるのに。
安らかな寝息を立てる彼女が、堪らなく憎らしくて愛おしかった。