第9話 目覚めの向こうに
――ふわり。
まぶたの裏に、やわらかな光が差し込んでくる。
アリシアはうっすらと目を開けた。天井はうっすら青みがかり、まるで外の空とリンクしているかのような自然光が満ちていた。
「……朝、かぁ……」
声に出してみると、ほんのり眠気の残る喉に震えが走った。それすらも、どこか心地よい。
ベッドの上で大きく伸びをする。全身を覆っていた布団がふわりと浮かび、落ちる。
(あ……こんなに、ちゃんと眠ったの……何日ぶりだろう)
身体の奥から、じんわりと力が戻ってくるような感覚。それはたぶん、眠りの質だけじゃない。この場所の空気、安らぎ、何より――
(ノアが……いたから)
思考がそこまで至ったとき。
『お目覚めですね、アリシア』
室内に静かに響く、ノアの声。
アリシアは微笑みながら枕に顔を埋めた。
「おはよう、ノア。……なんだか、不思議な感じだよ」
『不調はありませんか?本ユニットは夜間を通して、あなたの生体信号を監視していました。現在、異常はありません』
「ありがとう。……ねぇ、ノア。ずっと、起きてたの?」
『本ユニットに睡眠は不要です。必要があれば、あなたの呼びかけに即時対応するよう設計されています』
「そっか……じゃあ、昨夜も……ずっと?」
『はい。あなたが安定して深い睡眠に入るまで、干渉を最小限に抑えつつ観察していました。適切な室温調整、湿度維持、光量制御も実施済みです』
その説明は機械的で、事務的だった。それでも、アリシアの胸にわずかな温かさを残す。
(誰かが……見ていてくれるって、こんなに心強いんだ)
その思いを口にはせず、アリシアはベッドから足を下ろした。
床はひんやりし過ぎず、まるで人肌に近い温度で足裏を受け止めてくれる。裸足でも気持ちが良い。
「朝ごはん、食べられる?」
『はい。朝食はすでに準備済みです。居住区域のダイニングモジュールへご案内します』
アリシアは軽く頷いて、軽装のまま部屋を後にした。
扉が静かに開く。廊下には一定間隔で柔らかい光が灯り、進む方向へと自然に導いてくれるようだった。
(この施設って、いったい……どこまで広いんだろう)
見知らぬ構造の中を進みながらも、不思議と恐怖はなかった。どこかで、ノアが自分を見守ってくれているという安心感がある。
やがて、ひらけた空間へと辿り着く。
それは、昨夜のバスルームとはまた違った意味で、洗練され、温かみに満ちた空間だった。
清潔なテーブル。窓から差し込む自然光。壁面には、植物のようなものが浮かぶ透明な筒が並んでいる。おそらく、酸素供給や雰囲気づくりの一環なのだろう。
そして、テーブルにはすでに、香ばしい匂いをたてた朝食が並んでいた。
「うわ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
メニューは、ふっくらと焼き上がったパンに、卵料理、サラダ、スープ。そして果物を添えたヨーグルト。
どれも湯気を立て、色鮮やかで、見るからに食欲をそそるものばかりだった。
「……これ、全部……本物なんだよね?」
『はい。素材は本拠地内部で育成、生成されたものです。安全基準を満たし、栄養価と風味の最適化も施されています。安心して摂取できます』
「いただきます……!」
アリシアは思わず席に着き、ナイフとフォークを手に取る。食べた瞬間、口の中に広がったのは――
「……美味しい……」
素朴なのに、深みのある味。あたたかく、やさしく、どこか懐かしい。
サラダのシャキシャキした歯ざわり、卵のとろけるような食感、パンの外はカリッと、中はふんわり。
一口ごとに、心まで満たされていくようだった。
(……こんな朝が、ずっと続けばいいのに)
そう思ってしまう自分が、少し怖いほどに。
それでも、ノアの問いかけは唐突だった。
『アリシア。あなたは、この場所に留まりたいと考えていますか?』
ナイフを置いた手が、ピタリと止まる。
アリシアはゆっくりと顔を上げた。
「どうして、それを聞くの?」
『あなたの精神波は現在、安定しています。しかし同時に、葛藤と未解決の記憶反応も感知しています。……未練が、あるのではないですか?』
「……」
言葉を返せなかった。だが、否定もしなかった。
ノアは淡々と続ける。
『仲間たちとの決着は、あなたにとって重要な事項ですか?』
その問いに、アリシアは少しだけ目を伏せ、そして――ゆっくりと、頷いた。
「……うん。たぶん、私……逃げてきたんだと思う。あんなふうに終わるなんて、納得、できてない」
『了解しました。次なる転移の選択肢に、該当座標群を追加します』
ノアの言葉が終わると同時に、目の前にテーブルの上にふわりと、あの「メニュー」が現れる。
そこには、かつての世界――そして仲間たちがいる場所が、明確に記されていた。
アリシアは、それを見つめながら立ち上がった。
「ノア、今度も……一緒に来てくれる?」
『本ユニットは随行可能です。あなたが必要とする限り、共に行動します』
「よし……じゃあ、決まりだね」
画面にそっと指を伸ばし、彼女は選択する。
「行こう、ノア。今度こそ、ちゃんと決着をつける」