第5話 再起の森にて
焚き火のそばに、待機モードのNOA-UNITが静かに佇んでいた。
背面には、展開されたままのエネルギーフレームが、わずかに脈動している。粒子状の光が断続的に浮かび、まるで静かな呼吸のように機体の輪郭を淡く照らしていた。
アリシアは焚き火の前で膝を抱え、ノアの球体を見つめていた。天蓋のように広がる森の梢からは、月の淡い光が差し込んでいる。すぐ近くでは水音――森を流れる細い小川が、静かに響いていた。
「……ねえ、ノア」
焚き火の明かりが、アリシアの頬に揺れて映る。彼女の声は、思った以上に小さかった。
「いま、私……ここに戻ってきたけど、あの人たちに会うのが怖いんだ」
返答までに、ほんの一瞬の間があった。
『現状分析。心理的圧力による回避傾向。対象に対する信頼の喪失が原因ですか』
「……そう。私は信じてたのに――あの人たちは、私を置き去りにして、逃げたの」
アリシアの声は静かだったが、その奥に押し殺した怒りと悲しみが滲んでいた。
「助けてって、言えなかった。言う前に、もう背中を向けられてた」
言葉にした瞬間、喉の奥がつまった。感情がうねりのように胸を押し上げてくる。ノアは何も言わず、ただそこに浮かんでいる。
「怖い。けど……会いたくないわけじゃないの」
涙は出ない。怒りとも違う。けれど、心の奥底に深く沈んだ何かが、ゆっくりと痛むように疼いていた。
「ノア。あのとき、私を助けてくれてありがとう」
『それは、学習による最適行動の一環です。感謝は不要です』
「それでも、ありがとう」
アリシアは笑った。ほんのわずかに。火の明かりが、その頬をやわらかく包み込む。
「……あのね。ノアって、名前あるのに、ずっと機械みたいに話してるよね」
『仕様に準拠しています。NOA-LINKは対話型観測支援ユニットです』
「うん、知ってるけど……。でも、たとえば“私はノアです”って、自分の名前をちゃんと名乗ってくれたら……なんだか、嬉しい気がするの。あなたが“人”みたいに話してくれたら、もっと近くに感じられるから」
『感情的反応を誘発する表現、了解しました。以後、適用範囲を検討します』
アリシアは少しだけ吹き出す。堅苦しい返答の裏に、どこかぎこちない戸惑いのようなものを感じた。
「……ノアって、どこから来たの? どうして、私のことを待ってたの?」
『……記録には曖昧な情報が含まれています。詳細な開示は現在、不可能です』
「うん、そうだよね」
追求しようとは思わなかった。不思議と、アリシアの心はそれで満たされた気がした。
この夜、彼女の中にある空白の一部が、ほんの少しだけ埋まったのだ。
焚き火の火が、ゆらゆらと小さく揺れる。
ノアは、アリシアの腕の中に、そこが当然の居場所であるかのようにすっぽりと収まり、静かにしていた。
そして夜は、何事もなく明けていく――
翌朝、アリシアは一人立ち上がっていた。
仲間に見捨てられた――けれど、彼女には今、一つの確かなものがあった。
「行こう、ノア。私……ちゃんと確かめる必要があるんだ」
『承認。アリシアの指示に従います。目標地点を提示してください』
「まずは、彼らのキャンプ。……彼らが、どうしてあんなことをしたのか。知りたいの」
森の中に朝の光が差し込んでいる。
その光の中へ、少女と黒き球体が、ゆっくりと歩き出した。