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第3話 ヴェルトリカル・コア

 目を開けると、アリシアは無機質なプラットフォームの上に立っていた。


 ――冷たい。


 戦いの熱気から逃れた直後のはずなのに、アリシアの頬を撫でていたのは冷気だった。乾いた金属臭が鼻をかすめ、皮膚の上で静電気のような違和感が這う。


 ゆっくりと目を開ける。そこは、まるで別の世界だった。


 足元には極小の六角格子が刻まれた床材が広がっていた。光沢を抑えたマットブラックの表面は、踏み込むたびにわずかに反応し、圧力を感知しているかのようだった。

 周囲の壁は無機質な金属構造で覆われ、ところどころに配置された光子パネルが規則的に点滅している。頭上を見上げると、高く伸びた天井に、曇り空のような淡い光を放つ巨大な照明パネルが埋め込まれていた。空を模したその光は、妙に現実味を欠き、まるで偽りの空のようだった。


(ここ……どこ?)


 そう問いかけるように、アリシアは重たい体を起こした。背中を伝う冷気に身を震わせながら、目を細めて周囲を見渡す。


 見慣れた木々も土も、風にそよぐ草もない。あるのは無機質な構造物、まるで巨大な機械の内部のような景観だけだった。


 あのとき――

 仲間たちに囲まれ、笑顔で裏切られ、囮にされ――

 巨大な魔猪の突撃が視界を飲み込んで……


(私は――死んでいた、はず……)


 胸に触れる。呼吸は荒く、鼓動も速い。意識もはっきりしている。痛みはあるが、軽傷のようだ。


「……生きてる?」


 口に出しても、誰も答えない。

 その瞬間だった。

 微かなノイズ混じりの電子音が、静寂を破るように空気を震わせた。


『信号確認。起動状態、正常。認証、完了しました』


 アリシアは身をすくませ、咄嗟に剣に手をかけた。


「誰っ……!」


 彼女の足元、少し離れた場所に、小型の装置が転がっていた。拳よりやや大きい球体に、複数の関節アーム。表面にはセンサーのようなものが並び、中央には淡く青く輝く光点が浮かんでいる。

 その光点がアリシアの方を向いたように感じた。


『ユニット識別コード:NOA-Link。管理者であるあなたの再起動を確認しました』


「ノア……?」


『はい。長らく待機しておりました。想定されていた接触より、記録上およそ315日遅延しておりますが……ようこそ、ヴェルトリカル・コアへ』


 機械のような、けれど不思議と聞き取りやすい中性的な声だった。性別を感じさせない、無機質な言葉の選び方。だがその語尾には、かすかに柔らかさがあった。


「……ヴェルトリカル・コアって、ここが?」


『はい。あなたの選択に従い、転移処理が実行されました。ここはアステリア基地・格納区画Cです』


(あのときのあれは、幻じゃなかったの?)


「……ノアって、いったい何者なの?」


 アリシアが問うと、NOA-Linkの光点がわずかに明滅した。


『NOA-Link。正式名称は“Next-Origin Architecture – Link Interface”。次元境界超越プロトコルに基づき設計された、対話型観測支援ユニットです』


「観測支援……?」


『あなたは本来、このシステムの中核に位置する存在。私は、その帰還と再起動を待機していました』


「帰還……って、私が……?」


『はい。あなたの帰還です』


「意味がわからないんだけど……」


『私は、制御端末です。あなたが再接続される時を待ち続けていました。……それ以上の説明は、今は適切ではないと判断します』


「なんで?」


『情報の過多は混乱を招きます。必要な事柄は、今後の状況変化に応じて、段階的に開示されます』


 どこか事務的でありながら、拒絶とは違う穏やかな口調。

 アリシアは黙り込んだ。現実感が、少しずつ戻ってくる。


 仲間の裏切り――

 自分だけが囮として突き飛ばされたあの瞬間。

 絶望と、恐怖と、……そして、死の手前にあった不思議な光。


(……あれが転移だったの?)


 今の自分が生きているのなら、ここにいるのなら――


「……私は、生き延びたんだ」


 ぽつりと零した言葉に、ノアは少し間を置いて答えた。


『今、こうしてあなたがいること。それが何よりの事実です』


「事実」と言われて、アリシアは少し息を吸い込んだ。ここはこれまでいた場所とは全く異質な別世界だ。それだけは確かだと思った。


「それで……ここにいる理由って、何?」


 ノアは静かに沈黙する。内部で何かを処理しているようだったが、答えは返ってこなかった。


 そのとき、地鳴りのような振動が床を揺らした。

 アリシアは立ち上がり、音のする方に目を向ける。


 奥の壁。巨大なハッチのようなものがゆっくりと開いていき、何かが姿を現した。

 それは、静謐さと機能美を併せ持つ大きな機械の騎士だった。

 鉄灰色の装甲は無駄のないラインで構成され、関節部は滑らかな動作を想起させる流麗なフォルム。

 背面には翼のように広がるエネルギーフレームが装備され、粒子の光をかすかに放っていた。

 それはまるで、人の意志を宿しているかのように、静かに佇んでいた。


「これは?」


 アリシアが問うと、ノアの声が応じる。


『該当機体名称:NOA-UNIT。再接続、準備完了です。……ようやく、再びここから始められます』


 まるで、ずっと待っていたかのような言い方だった。

 だが、それ以上のことは、語られなかった。


 アリシアは立ち尽くし、眼前に広がる機械の巨体を見つめていた。まるで意思を持ったかのように静かに立っているその姿は、どこか不安を掻き立てるような威圧感を放っていた。だが、よく観察すると、敵意があるわけではないことがわかる。


 ――だが、恐ろしいほどに強力だ。


 アリシアは心の中で感じたこの感覚を整理できずにいた。冷徹に無機質な機体の姿を見ていると、どうしても自分の立ち位置を確認せずにはいられなかった。果たして、この巨人のような存在は自分にとって味方なのだろうか、それとも――


「NOA-UNIT」と言われたその機体は、アリシアをじっと見つめるような視線を送っている気がした。が、どんな表情をしているわけでもない。それなのに、思わず息を呑んでしまうのは、やはりその圧倒的な存在感のせいだろうか。

 ノアの声が、再び耳に届いた。


『準備が整いました』


 その一言に、アリシアは深く息をついた。


「準備……?」


『あなたが乗り込むためのものです』


 どういうことだろう、とアリシアは考え込んだ。


「……私が、乗り込む?」


 アリシアが再度尋ねると、ノアは少し間を置いて答える。


『はい』


 その一言に、アリシアは少し考えるように首を傾げた。

 異世界に転移したばかりで、しかも仲間に裏切られたばかりの自分が、どうしてこの機械に乗り込む必要があるのだろうか。そもそも、このNOA-UNITは何を目的としているのか。その真意を問うことができないまま、アリシアの心の中には不安と疑問が渦巻いていた。

 だが、ノアはその問いには答えず、ただ機械的な言葉を続けた。


『あなたが選択したからには、進むべき道はここから始まります。ここで、準備を整える必要があります』


 その冷徹な口調には、どこかしらの感情が含まれているわけでもなく、ただ機能的な指示を伝えているだけのように感じられた。それでも、アリシアの胸の中で、何かが震える。

「準備を整える」とは、どういう意味だろうか――


「乗り込むというのは、このNOA-UNITに?」とアリシアが再度確認すると、ノアの反応は即答だった。


『はい。あなたの意思をここに反映することが可能です。装置内に接続し、システムとの同期をとることができます』


 接続、システム、同期――

 言葉の意味が理解できたとしても、その手順や結果についてはまるで見当がつかなかった。アリシアは、しばらく無言でその巨大な機械を見つめ続けていた。

 その動きの一部が、アリシアの目を引いた。

 NOA-UNITの胸部を中心に、装甲パーツがわずかな駆動音とともにゆっくりと展開していく。開かれた胸部の奥には、仄かに青白い光を放つコクピットが浮かび上がる。

 続いて、機体側面の装甲がスライドし、内部に格納されていた昇降式のリフトプラットフォームが動作音とともにせり出してきた。それはゆっくりと下降し、アリシアの足元へと静かに着地し、まるで「どうぞ」と言わんばかりにアリシアを迎え入れていた。


「私が行くべき場所は、あそこか……」


 しばしの沈黙ののち、アリシアは深く息を吸い込み、一歩踏み出した。

 金属製のリフトに乗り込むと、足元がわずかに振動し、数秒の間を置いてゆっくりと上昇を始める。

 まだ分からないことが多すぎる状況に、かすかな不安を覚えた。 ――仲間に裏切られ、ここに転送され、しかも異世界での未来が何も見えない中、アリシアにはただ前に進むしかない。


『こちらに来てください』


 リフトを降りた先に見えるのは、NOA-UNITのコックピット――アリシアはそこに腰を下ろすと、機体がさらに反応を示す。

 しばらく無言で、アリシアの動きに同期するように、内部のシステムが稼働を開始した。


『準備完了しました』


 ノアの声が、再度冷徹に響く。

 その瞬間、アリシアの視界が一変した。目の前に、突然、無数のデジタル表示が現れる。それはまるでゲームのように、制御画面やステータスバーが立ち上がっていく。


「……なに、これ……」


 アリシアの戸惑いに、ノアはすぐには応答せず、ただ静かにシステムの起動音だけが響いた。


『同期中です』


 その言葉の間に、アリシアは改めて自分が何か大きな選択をしようとしていることを実感した。完全に無知なままで、ただ進んでいる自分。それでも、ここから逃れるためには、何かしらの手段が必要だということは分かっていた。

 目の前に広がる、無数のシステムと数字の中で、アリシアは思いを込めてひとつだけ、決意の表情を浮かべた。


「……どうやら、進むしかないみたい」


 その言葉に、ノアは何も返さなかった。

 ただ、静かな音の中で、機械が動き出す音だけが響き渡る。


 静寂が、耳の奥で反響していた。

 冷えたコックピットの座席に沈む身体。その重みに、アリシアは今の自分の存在を感じていた。かすかに震える指先、仲間に裏切られた記憶が、胸の内で鈍く疼く。

「囮になってくれ」と言った仲間の声は、かすかに震えていた。だがその目には、微塵の迷いもなかった。彼らは、私一人の命と引き換えに、自分たちの生存を選んだ。それだけのことだった。


 ――それは、突然目の前に現れた。


『選択肢の再提示』


 青白いスクリーンに浮かぶその無機質な文字と共に、メニューが静かに切り替わっていく。先ほどは衝動で選んだ「ヴェルトリカル・コア」ではなく、今度は見慣れた世界名が浮かび上がる。


『オルデナへ再接続』


「オルデナ」はあの世界そのものを意味する言葉だ。

 アリシアは反射的にオルデナに戻ろうと手を伸ばしたが、仲間達に裏切られ、絶命しそうになった世界には戻れないと思いとどまった。


「戻れるわけがない!」


 アリシアが声を上げると、その先にもう一つの選択肢が現れた。


『NOA-UNITと共にオルデナへ再接続』


 それを見て、アリシアの呼吸が止まった。


「一緒に……?」


 隣にいる、球体に近いドローン型の装置が、ゆっくりと傾くように動いた。その表面には黒曜石のような艶があり、中央に配置された一対のレンズが、アリシアをじっと見つめていた。


『……あなたと共に行動する選択が、新たに提示されました。希望される場合は、お選びください』


 ノアの声は機械的だったが、どこか微かな温さを含んでいた。


「新たに提示?なぜ?」


 アリシアは思わず尋ねる。最初は、一人でしか進めなかった選択。けれど、今は違った。そこに“共に行く”という言葉がある。


『更新された条件により、私の行動権限に変更が加えられました』


 説明は簡潔だった。だが、アリシアにはそれが何を意味するのか、すぐには理解できなかった。ただ、直感で――ノアが助けようとしてくれたのだと感じていた。


「ノアは……私と一緒に来てくれるの?」


『はい。選択されれば、同行します』


 その返答に、アリシアは迷わず手を伸ばした。

 選んだ選択肢が光を帯びていく。


『NOA-UNITと共にオルデナへ再接続』


 指先がその文言に触れた瞬間、まるで重たい鎖が解けるように、視界がゆるやかに光に包まれていく。

 その時、微かに――ごく微かに、ノアの声が聞こえた。


『ずっと……待っていました』


 だが、その意味をアリシアが問い直す間もなく、彼女の意識は新たな「はじまり」へと包まれていった。

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