第1話 暁色の牙、出動す
※第1話はゆるやかな導入ですが、第2話で裏切りが発生し、物語が急展開します。
少しでもアリシアに共感してもらえたら、その後の彼女や「追放した側」の物語がもっと響くと思います。
裏切りの背景にある真相が、物語の後半で徐々に明らかになっていきます。
最後まで読むと序盤と印象が全く変わる作品となるはずです。
朝靄の街に鐘の音が鳴り響いた。
リユーネ──中央平原と北東の山岳地帯を結ぶ要衝に位置するこの街は、冒険者たちの拠点として知られている。
石畳の通りを小さな露店が並び、パン屋の窯からは香ばしい匂いが立ち上る。宿屋の女将が窓から洗濯物を干す頃、通りには早くも装備に身を包んだ冒険者の姿がちらほらと現れ始めていた。
その中に、ひときわ目を引く少女がいた。
栗色の髪を後ろで軽く束ね、細身のレザーアーマーをまとった彼女は、背中に一振りの長剣を背負っている。凛とした瞳は朝の光を映し、真っ直ぐにギルドの扉を見据えていた。
「……さて、今日も始まるわね」
少女の名はアリシア。冒険者ギルド(リユーネ支部)に所属する若きパーティー《暁色の牙》のメンバーである。
ギルドの扉を開けると、賑やかな声と木の床を踏む足音が彼女を迎えた。
朝のギルドは情報の交差点だ。依頼を求める者、報告を済ませる者、ただの世間話をしに来た者……アリシアはその喧噪の中をするりと抜け、掲示板へと歩み寄った。
その前で、先に待っていた少年が手を挙げた。
「おはよう、アリシア! 今日は早いね」
金髪に明るい笑み、軽装に小柄な体格──パーティーの偵察役、リオンだ。
「おはよう、リオン。珍しく寝坊してないわね」
「ひどいなぁ、それ、毎朝言われてる気がするよ?」
冗談を言い合いながら、二人は依頼掲示板に目を向けた。
貼り出された依頼書の中で、目に留まったのは「近隣の森に現れたトゲアリオオイノシシの討伐依頼」だった。難易度は低めだが、報酬は悪くない。
「ちょうど手頃ね。みんなにも声をかけて──」
アリシアが言いかけたところで、後ろから落ち着いた声が響いた。
「もう集まってるよ。君が最後だ、アリシア」
肩越しに振り返ると、黒髪の青年が腕を組んで立っていた。
名はカイ──元騎士の経歴を持ち、パーティーのリーダーであり盾役を担っている。
その隣には、小柄な少女──エルフの魔法使い、フィーネが控えていた。
無口だが、仲間のことをよく見ている少女だ。
「遅れて悪かったわ。……じゃあ、行きましょうか」
四人のメンバーが顔を合わせ、小さく頷いた。
ギルドで手続きを済ませると、彼らは森へ向けて出発した。
リユーネ近郊の〈サーリスの森〉は、四季を問わず薄暗い。
背の高い針葉樹が密集し、地面には湿った苔が広がっている。
魔物も多く、油断できない地域だ。
「気を引き締めろ。相手は突進力が高い。油断すれば吹き飛ばされるぞ」
カイが短く指示を飛ばすと、即座に隊列が動き出した。
彼を先頭に、リオンが側面に回り、アリシアは剣を構えて中衛に。
フィーネは後方から魔法の詠唱に集中する。
整った動きは、何度も共に戦ってきた者同士の呼吸の証だった。
獣道を進むうちに、茂みの奥でガサリと音がした。
「来る!」
カイが前に出た瞬間、巨大な猪が飛び出してきた。
体長は馬ほどもあり、黒々とした毛に覆われ、背中には鋭く湾曲した棘が並んでいる。
「トゲアリオオイノシシ、確認! フィーネ、準備!」
アリシアが駆け出し、右へ回り込む。リオンが反対側から注意を引き、猪が吠えた。
カイが盾を構え、真正面から突進を受け止める。
地面が抉れ、風が唸る。
「ぬうっ……! 重いが、想定通りだ!」
「今よ、フィーネ!」
後方で詠唱を終えたフィーネが、銀の杖を振り上げた。
「フリーズ・バインド──!」
魔法陣が展開し、足元から氷の蔦が伸びて猪の脚を絡め取る。動きが鈍ったところへ、アリシアが飛び込んだ。
「そこ──!」
一閃。剣が閃き、猪の右前脚を斬り裂く。
絶叫が森に響き、続いてリオンの短剣が左の目元へ飛んだ。
叫びを上げた猪が暴れるが、既に勝負はついていた。
仲間の連携が、それを許さなかった。
やがて猪は地に倒れ、森は再び静寂に包まれた。
「ふう……。久しぶりに手応えあったねぇ」
リオンが息をつきながら草の上に座り込む。
フィーネは言葉もなく、静かに魔力の残量を確かめている。
アリシアは剣を拭いながら、倒れた猪を見下ろした。獣の瞳は、もはや何も映していない。
「いい仕事だったわ。チームワークも完璧。みんな、お疲れさま」
仲間たちは小さく微笑み、地面に倒れた獣に歩み寄った。依頼は成功。あとは証拠品をギルドに持ち帰り、報酬を受け取るだけだ。
森の風が、アリシアの髪を揺らした。
──この世界で、私は生きている。
そう、信じて疑わない目で、彼女は空を見上げた。
だが、この時の彼女は、まだ知らなかった。
「仲間」という言葉が、これほどまでに虚しく響く世界だったことを。