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お兄ちゃんの彼女の正体と名古屋美人論

 その三日後の夜、夕食後チャンスが訪れた。お父ちゃんとお母ちゃんが町内会の集会か何かがあって出かけることになったんだ。お父ちゃんは面倒くさがってよせばいいのにお母ちゃんに、二人で行く必要はないからお前一人で行けばと言って、こっぴどく叱りつけられ強引に連行された。おかげでお兄ちゃんに昨日の出来事について聞いてみることができた。流石にお父ちゃんお母ちゃんに聞かれるのはまずい、と一応僕も気を使ったつもりだ。お姉ちゃんはいたけれど、こちらはまあ大丈夫でしょう。

 「えぇ?俺が女とデート?しかも美人と‥‥‥うぅん、ほんな記憶あらせんが。」

 「本当?お兄ちゃん、彼女いたんだ。にわかには信じられないけど、ちびちゃんが見たんなら間違いない。なのに何よ、そんなすっとぼけて、さっさと白状なさい。」

 「ほんなこと言われても、覚えがないもんはしょんないがね。大体、ほんとに俺に別嬪の彼女が出来たりしてみやぁ、お前らに自慢するに決まっとるだろぉ。」

 「いやいやいや、『お兄ちゃん』っていうステレオタイプで考えたらそうかもしれないけど、現実にそうなったとしたらどうかしら。照れくさくなっちゃうんじゃない?だからそんな風にしらばっくれて!ネタは上がってんのよ、さあ、白状おし!」

 お姉ちゃん同席というのは少し問題があっただろうか。こういう話になると喜んで鼻を突っ込んで来る。好奇心満々の顔をしている。結果的にお兄ちゃんを困らせることになってしまった。それでもお兄ちゃんがここまでしらを切るというのも解せないから、それは三日前の夕方のことで何々公園でどうこうしてて、と説明した。

 「ああ、ほりゃあ茜ちゃんのことだわ。だったら確かに別嬪だて。ほだけどがお前、ありゃ男だぞ。俺のバイト先の界隈にあるおかまバーで働いてござるで。」

 ちょっと予想外の展開だ。僕はびっくりすると同時に少しばかりがっかりした。綺麗なおねえさんだと胸をときめかしたのに、それはないでしょ。

 「まあ、お前が茜ちゃんを女と見間違えてもしょんないわ。なにしろ店で一番の売れっ子だでな。やっかんで、八尺様とか陰口をやるやつもおるくらいでよぉ。」

 「えっ、そうなの?じゃあお兄ちゃん、そういう彼女がいるんだ。ますますすごいじゃない!同性愛に理解を持って、しかもその人に寄り添っちゃってるなんて!」

 暫しの沈黙。お兄ちゃんは表情を変えることなくゆっくりと口を開く。

 「ほお、理解がある、寄り添う―――それは一体どういう意味かね?」

 「あっ、いえ、別に他意はなくて、その、そういう人にも分け隔てなくというか、偏見を持たず‥‥でもないか、要するにその人きっとお兄ちゃんの親友なのね?」

 虎の尾を踏んだというか、逆鱗に触れたというか、日頃お兄ちゃんが忌み嫌っている言葉を、しかも同時に二つも使うという愚かなことをやらかしたお姉ちゃんは慌てて弁明に走った。でもまあこれは弁解というか、言い訳に近い。

 「ふん、ほだな、確かに親友だわ。世話にもなっとるしな。」

 でも、流石はお姉ちゃんだ。相手の気持ちを一気に和ませる言葉をちゃんと選び出す。

 「そうかそうか、やっぱり親友だったんだ。ふぅん、でもそれはそうと、なんでそんなでっかい大人二人が子ども用のシーソーなんかに乗ってたのよ。遊具が壊れちまうわ。」

 「おお、仰る通りだて、悪かったわ。茜ちゃんと昔話をしとったら成り行きでシーソーに乗らなかんくなってまって。まあ出来心だで、勘弁々々。」

 お兄ちゃんの人の好さとお姉ちゃんの危機管理能力によって、気まずい雰囲気になることなく、話は僕が疑問を感じていたあの状況の方へと向かい始めた。

 「いやなに、あの日は茜ちゃんが千種税務署に行ったもんだからその付き添いでよ。ちょっと前に相談があってな、実は茜ちゃんの親父さんが亡くなったそうなんだわ。ほいでそれにからむ相続とか確定申告とかについてのもんで、けどがそこらへんのことは俺もよう知らん。だで俺が前もっていろいろ手続きについて調べといて、分からんとこを税務署の相談窓口で教えてもらおうと、都合良く茜ちゃんは今池に住んどるで、あそこの千種税務署でええんだわ。税務署の前までは一緒に行って、俺はそこまで。茜ちゃんは男気があるでな、窓口には自分一人で行ってくるっつって入って行きゃぁした。ほんで俺は公園で待っとった。帰りは送ったって飯でも奢ったろうと思ってな。」

 「茜さん、ご愁傷様でした。お父様もまだまだお若かったでしょうに。お兄ちゃんも出来るだけのことはしてあげてね。でも税務署なんて、茜さん気を使ってくださったんじゃないの。お兄ちゃんが入りたくないんじゃないかって。」

 「ほりゃまあ、恨みがあるでな。けどがほんなん関係ないと思うわ。俺は親族でもないし司法書士とかでもないし、言やあ他人だがね。茜ちゃんもその辺は考えとる。でだ、その間俺はブランコで待っとった。何でブランコなんだと言われたら困ってまうが、そこは何となくだわ。そうしてゆらゆらしとったらな、段々と昔のことを思い出してな。昔っつってもどんなにか大昔じゃないに。お前らが小っさいころのことだわ。よおあそこに遊びに行っとったこと、覚えとらんか。お前は昔からおしゃまで活発でな、あの公園でもころころ遊んどったわ。それがまあ何時の間にかこんなおそがいねえさまになってまって。ちびももっと小っさい頃はあそこでちょこまかちょこまかと走り回ってな、いつもそこらのフェンスや樹の幹に頭ぶつけて泣いてござった。そういったことが何でか知らん思い出されてな、ブランコに乗りながら大粒の涙をこぼしとった―――というのは嘘だわ。まあ、感慨にはふけっとったけどよ。」

 「お父さんやお母さんがあんまり遊んでくれなかったから、お兄ちゃんがあたしたちと遊んでくれたのかな。いいえ、逆かな。お兄ちゃんがいつもあたしたちと遊んでくれたからお父さんやお母さんはやることがなかったのかな。」

 「どっちでもええわ。まあそうやってな、ぼんやりブランコで揺れとったらいつの間にかよ、隣のブランコにも誰かがおるんだ。何者だてと思ってそっちを見ると、茜ちゃんだわ。向こうもこっちを見とって、何してるのと悪戯っぽく笑うもんだで、しゃあないわな、さっき話したようなことをそのまま話したわ。どうもおかまには人を素直にさせる力があるみたいだて。ほしたら茜ちゃん、あのでかい目ん玉を真丸にして、自分も同じだと言うんだわ。自分には四つ下の妹がいるんだが、家が自営業で両親とも忙しいからいつも自分が妹の面倒をみたり遊んでやったりしとったと。茜ちゃんしんみりしてまってな、暫く俯いてブランコを揺らしとったが、いきなり顔を上げてな、シーソーに乗ろうと言い出した。その妹が一番好きだったのがシーソーだったんだと。その時俺も、ほれ、さっきお前が言っとったみたいに強度は大丈夫かしらんとちらっと思ったけどな、さすがにシーソーだけは、一人で乗っとけとは言われせん。でお付き合いしたわけだわ。ちびが見たのはそん時のことだろ。随分長いこと乗っとったでなあ。ほんでその後ちゃんと晩飯は奢っといたで、心配せんでええよ。」

 「なんだかいい話になっちゃったわね。でも茜さんの家、大変じゃないの?これまで夫婦で自営業、それで今度お父さんが亡くなってしまったなんて。これからどうするのよ。」

 「ご指摘の通り、そこが問題なんだわ。そこの家業は理容店でな、夫婦二人で店をやっとったげな。だで茜ちゃんが小さい頃から妹の面倒見とったんだな。ほんな風だけどな、御母堂はこれからも一人で店を続けると言ってござるらしい。ただ規模は縮小せんならん。茜ちゃんはおかまだで化粧は出来るが理容は出来んし、妹さんも化粧品関係の仕事をしとるがやっぱり理容とは縁がない、どっちも戦力外だわさ。」

 「でもそんなの、その場しのぎじゃないの。将来的にはどうするの?」

 「そうなんだて、ほいで俺もいろいろ考えたがね。そこでひらめいた。そんさんだわ。そんさんは来年の夏に凱旋予定、故郷に錦を飾る、はずだろ?ただその後の就職先は決まっとらん。だでいっそのこと、来年そんさんをその店に迎え入れてやればどうだかと、こう考えとる。ただロンドン仕込みのそんさんの技量だで、町の床屋さんちゅう枠にはまるかどうか、心配だがね。けどがほんなことはないかも知らん。茜ちゃんがおる。実は茜ちゃん、俺より三つほど年上でな、かなりのキャリアを積んどる、つまりはようけ稼いどる。加えて性格は真面目で浪費はせん、要するにかなりの貯金をお持ちだわ。そこでその資金力に物を言わせてだな、いまの店を美容院としても大丈夫なように改装してみてはどうか、とこういう計画を思い付いた。茜ちゃんにも話してみたが、なかなか乗り気だわ。今まで両親には迷惑をかけてきたで、片親にだけでも親孝行したいということらしい。ほんだでな、今度そんさんにも手紙を出そうと思っとる。」

 「それは結構なことね。でも今時手紙なんて、メールとかでやりとりはしてないの?」

 「おお、それは言わんでほしいわ。俺はその手のやつが苦手でな、親父さんやお袋さんに唯一頭が上がらん分野だで。にしてもあの二人、年寄りのくせに何でああいう新しいもんに強いんだか。全く、可愛げがあれせん。」

 「でも、本当にそんさんがそのお店で働いてくれたらいいわね。それこそ皆にとってウィンウィンじゃない。そうなったら、茜さんの妹さん、そんさんとロマンスが芽生えるかも知れない。それに下世話なんだけど、それでもしそんさんが婿入りなんかしちゃったら、ウィンウィンウィンよね。」

 「ほお、俺らとは目の付け所が違うな。確かにあり得るわ、十分にな。なにしろあの茜ちゃんの妹だし、生まれも育ちも浄心だし、美人に違いないわ。そんさんもイチコロかも知れん。一応彼氏はおらんようだ―――と茜ちゃんが言っとった。」

 「あらそうなの。けれどその妹さんの美人説、茜さんの妹だからというのはいいとして、浄心出身だからっていう根拠は何なの?浄心って西区の浄心のことでしょ。その出だから美人に違いないって、それ根拠になってるの?」

 「浄心は名古屋の下町だ、下町はあんまり住人の出入りがない。となると先祖代々住んできとる人が多いがね。名古屋は昔から美人が多いと言われとる、その名残を色濃く残しとるところは下町だろ、でその一つが浄心だわ。」

 「名古屋は昔から美人が多いと言われてる?またまた、聞いたことがないような都市伝説を。世間ではその逆のこと言われてるじゃないの。妙なことばっかり言ってると変人だと思われるわよ。」

 「何を言っとるんだか。日本三大ブスとかいう、程度の低い、お前ほんなそれこそ都市伝説みたようなもん信じとるんか。おいちびよ、お前はほんなとろくさい与太話信じとらんよな?」

 僕は、日本三大ブスは聞いたことがあるけれど名古屋美人の話は聞いたことがない、と正直に答えた。お兄ちゃんはとても困ったというような顔をした、わざとだろうけど。そうして僕ら二人を前にゆっくりと話し始めた。

 「これは由々しき問題だわ。ちょっと教育したらなかんな。何?してくれんでもええと?あかんあかん、俺は歴史における事実を基にお前らの蒙を啓いたらなかんのだ。ええか、よく聞けよ。先ずは古代から入る。倭建命、日本の歴史上最大の英雄だわ。その英雄が東征中にこの地方で見染めたのが美夜受比売、俺は古事記から入ったで漢字表記については勘弁」お兄ちゃんはいつの間にか手にしていたボールペンで新聞の余白に名前を書いていた。

 「英雄色を好むと言うが、普通に考えればこのお姫様がえらい別嬪だったに違いない。何しろ結婚までしてまったんだで、まあ倭建にとっては三回目くらいだったけどな。出身は確か熱田だわ。つまりここいらには大昔から美人がおったということだ。次にちょっと時代は下るが戦国時代に行く。この時代は政略結婚が当たり前でな、よその国から同盟とか、変な話人質がわりみたいな風で姫さんをお嫁にもらっとったと。で例えばだ、ある戦国大名の城の中での会話―――ほい、うちの若様が嫁さんもらうげなよ。ほう、そりゃ目出度い話じゃ、そいでどこのお姫様がみえなさる。ああ、どうやら尾張からだそうな。なになに、尾張の姫さんか、なら別嬪さんに違いない、ますます目出度い話じゃな―――こんな認識が諸国にはあったそうだわ。お市の方は別格としても一般的にもそう思われとった。また時代は下って江戸時代、ここにはしっかりとした文献資料がある。この時代には朝鮮通信使というのがあった、朝鮮から外交使節団が来とったようなもんだ。これが全部で十二回来たんだがその十一回目、その時金なんたらっちゅう人がこの使節団におってな、帰国してから日東壮遊歌という本をハングルで書いた」お兄ちゃんは何とか通信使と本の題名をまた書いてくれた。江戸時代ということで、お姉ちゃんも多少興味を引かれたらしい。

 「これが翻訳されて今では読める。内容は旅行記みたいなもんかね、朝鮮から船でやって来て瀬戸内海を通って大阪で上陸、そこから東海道を通って江戸への往復、そのときの道中記だわ。大阪は町の壮大さと富、京都は都市景観の美しさ、江戸は京大阪を上回る町の壮麗さ、と面白いことが色々書いてあるんだが、今回問題となるのは名古屋の記事だて。ここでは女の美しいことが強調されとる。しかも街行く女が皆美しいと漢文調で絶賛しとるんだ。おまけに復路でもあらためて書かれとって名古屋の街を埋める数多の美人のことが語られる。ほんなのは外国人の言っとることだで当てにならんと言う奴もおるけどが、外国っつってもたかが朝鮮だがね、大くくりにして東アジア文化圏内だわ。そんなに美人の基準がかけ離れとることなんてありゃせん」お兄ちゃんは力説した。

 「またちょこっと現代に近付けたろか。今度は明治だわ。文明開化の時代、江戸は東京になってまった。しかも天皇陛下までがかつての幕府の地にござってな、東京は名実ともに大日本帝国の首都、都だで、都、になってまった。そうなると今まで以上に、国内だけでなくて国外からも人が集まってくる。そこで必要になるのがおもてなしのための人材だわ。その人材というのは綺麗で芸達者なおねえさんたち、要するに我が国においては芸者さんっつうことになる。さっきも言ったように東京には外国人がわんさか来よるもんで、芸者さんも大勢必要になる。ほんで日本全国から集まって来ることになった。ほいでだわ、そういう芸者さん達の中でも名古屋出身者が一番人気があったらしいで。あんまり人気があったんで、中には名古屋出身を名乗る他地域出身者も出たそうな。ほんだけ評判になったっつうことは、踊りとか三味線とか色んな理由があるかも知らんが、美人だったことが一番の理由だったに違いないだろ。ここが一番大事な要素だでね。この評判については当時の小説にもさり気なく出て来よる。例えば森鴎外に鼠坂というのがある。あらすじは省く。登場人物に小川という優し気な色男がおってな、中身は女ったらしの悪人だ。この男と友人夫婦が話をしとる場面があって、その中で奥さんの方が、昔雇っていたお手伝いさん、だっけか、まあそんなような女について、すごい美人で流石の小川さんでも敵わなかったと言うんだわ。そうすると旦那さんの方が、『名古屋ものには小川君にも負けない奴がゐるよ』と言うわけだ。きっとその当時、名古屋の女は色恋の道にも長けた美人という評判があったに違いない。ということで、森鴎外まで出したんだで納得いっただろ。」

 「はいはい、恐れ入り谷の鬼子母神、大変参考になりましたよ。」

 「何だて、えらい軽い、ちゃんと聞いとったんか。」

 「聞いとった聞いとった、じゃあ妹さんが美人だってことは確定したから、来年そんさんとのロマンスを期待するっていう事で、万事めでたし―――」

 「適当にあしらわれとるみたいで納得いかんな‥‥‥ほだ、忘れとったけど妹さん、栄三越の化粧品売り場で働いとるげなよ。高校出て入社したらいきなり配属されたっつうんだで大したもんだわさ。」

 「えっ?三越の化粧品コーナーで?しかも高校出てすぐ?それなら美人に違いない、でも何でそのことを真っ先に言わないのよ、それでおしまいだったじゃない!それなのにあんなご高説を長々と、馬っ鹿じゃないの?」

 「おお、悪い悪い、ついつい失念しとった。けどまあ、こうして兄弟三人仲良くお喋りして楽しいひと時を過ごせたんだで、良かったがね。」

 「知りません!」

 と、ここで玄関の戸が開いてお母ちゃん達が帰って来た。お母ちゃんはまだ機嫌が悪いみたいで何やらガミガミやっている。きっと町内会でのお父ちゃんの態度が気に入らなかったに違いない。どっちにしても、うちの男どもはどうしてこういつもしまらないんだろう。

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