私が煙草、酒をやらない理由
人生はガムみたいなもので
味があるまでを高校生だとしたら
私はその味のあるガムをゆっくり噛みたい
煙草や酒の味を知ってるのは大人だけだ。
高校生でそれらをやってる奴はいるが、厳密に言うと彼らは高校生ではない。法的には高校生であっても中身は大人である。
大人というのは煙草を吸い、酒を飲む。同じことをする彼らはもう、立派な大人なのだ。
なぜ彼らは煙草や酒をやってしまうのか。
いろんな考えが巡ったが、一つの結論に至った。それは、“大人がカッコよく見えるからだ。”
先ほども話したが、大人というのは煙草や酒の味を知っていて、彼らからは周りとは違う存在に見えるのだ。
周りと違う存在がなぜカッコよく見えるのか。
その理由は彼らの時期に起こるアイデンティティの確立である。
アイデンティティの確立とは、自分の他者とは違うところを探す、いわゆる自分探しの時期でほとんどの人で起こる。
その時期に大人の存在に気づくと、大人に憧れを持ち、大人がカッコよく見えるのだ。
私は高校生であるが、煙草や酒をやらない。というより、高校生であるためやってはいけない。
別に大人の存在に気づいてない訳でも、大人がカッコよく見えない訳でもない。大人の存在に気づいているし、そういう大人がカッコよく見えるのもよく分かる。実際、お酒を飲むことに少し興味もある。
それでもお酒を飲まないのは、「まだいいや」と先延ばしにしているからだ。
「まだいいや」というのは、「まだ高校生でいたい」という意味である。
最初に話したが、一度煙草や酒の味を知ったらもう高校生ではなく、大人なのだ。そして、依存性の高いそれらの味は忘れられない。つまり、一度大人になったら、もう高校生に戻れないのである。
だから私は煙草や酒をやらないのである。簡単に言うと「ビビってる」のである
しかし、もし私が二十歳を超えても、私は「まだいいや」と先延ばしにするだろう。
確かにその頃にはもう高校生ではなく、青春もできない年齢である。そのため、煙草や酒をやらない理由は無くなるが、同時にやる理由も無くなる。
高校生のときは、周りと違う大人がカッコよく見えたが、二十歳を過ぎると、周りの人間は平然とそれらをやっている。そんな中自分がやり始めたところでカッコよくもなんともない。ビビらず勇気を出した先に何もないということだ。むしろ、やらない方が良いのである。
そのため、私は二十歳になっても「まだいいや」「まだいいや」と先延ばしにするだろう。