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「はい、そこまで。列の後ろの人、解答用紙を集めて下さい」
黒板の前で女性が指示を出していた。
「これで中間テストが全部終わった」
「ふー、疲れた」
「ねぇ、これからどうする?」
周りがざわついている。
私の意識が明確になった時、隣で女子生徒が声を掛けていた。
「矢野さん、解答用紙ちょうだい」
「えっ?」
机の上には解答用紙がある。見たところ、ちゃんと答えが書かれている様子だ。これはテストが終わった直後だ。
私はそれを手渡した。テスト中にタイムリープしていたらと思うとぞっとした。矢野恵都はちゃんとテストができただろうか。
淡い紫色のラムネを口にして、私は五回目のタイムリープをしている。あの放課後の三人の優しさがまだ心に残ったまま、すぐに過去にやってきた。
黒板の日付は五月十八日となっている。四回目のタイムリープから約一ヶ月後だ。矢野恵都はあれからあの三人とどうなっているのだろう。
「恵都、終わったね」
前の席にいた利香が振り返った。ドキッとした。そうか、出席番号順に座っていたんだ。
利香はあれから何も変わらず微笑んでいた。
「うん」
まだ関係は上手くいっているらしい。ほっとして口元が綻んだ。
「なんだ、その笑みは。もしかして余裕だった?」
「ううん、そうじゃなくて。利香の顔を見たらほっとしたの」
「なんなのそれ? まあ、私も恵都の顔を見るとほっとするけどね」
「ほんと? 本当に?」
私の目が潤んでしまう。
「どうしたの、恵都。なんか変だよ」
「テストが終わって気が抜けたからかな」
泣くのをこらえて微笑むと、利香はくすっと笑って私の頭にポンっと手を乗せた。そのスキンシップが愛おしく感じる。
「じゃあ、これから清美と由美里も誘って遊びに行こうか」
「うん、行く!」
私たちは彼女たちのいる方向に振り向いた。ふたりとも気がついて、手を振ってくれた。それだけで嬉しくなってくる。今はこの先に起きることは考えないように、この関係をずっと保てるために私は頑張ろうと体にぐっと力を込めた。
友情が続けば矢野恵都は死のうなんて思わないはずだ。
この後、ホームルームを終え、三人と一緒に教室を出ようとしたときだった。後ろから「矢野さん!」ときつく叫ばれた。
振り返れば眼鏡をかけたおかっぱの女子生徒が私を強く睨んでいた。
確かこの人は自己紹介したときに最後だった人だ。名前はえっと、案内人が書いたホワイトボードが頭に思い浮かんだ。紗江だ。クラスの情報としてその名前を書き込んだ。苗字は出席番号一番最後の「わ」から始まる名前、わ、わ、和久井だ。
「和久井……さん? どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないわよ。中間テストが終わったら話があるから一緒に帰ろうって約束していたでしょ」
えっ、矢野恵都が紗江と一緒に帰る約束をした?
矢野恵都ならちゃんと覚えていただろう。飛び飛びに過去に戻っている私には知る由がない。
「忘れてたの?」
紗江は睨んでいた。
「えっと、ごめん。忘れてたみたい。それで今日は申し訳ないけどちょっと都合が悪くて……」
私は利香たちと一緒に過ごしたい。そちらを優先するそぶりを見せた。
「自分から話があるって言ってきたくせに、結局はそうやってごまかしてまた逃げるんだ。ずるいよね」
睨みにいっそう磨きが掛かった。
矢野恵都は紗江とトラブっている?
事情を知らない私は眉根を寄せた。そこに紗江が好きじゃない感情も一瞬のうちに芽生えたかもしれない。
私が戸惑っていると清美が声を掛けてきた。
「恵都と何があったか知らないけどさ、だったらさ、和久井さんもいっしょにうちらと遊びにいけばいいじゃん」
清美は名前のごとく清々しい。嫌がることもなく紗江を仲間に引き入れようとする。
由美里は困惑した顔で紗江を見つめている。乗り気じゃなさそうな気がした。どこかで自分と合わないものを感じているのかもしれない。
利香は特に何もなく冷静に見ていた。私にどうするのと問いかけるように視線を向けた。少しだけ威圧を感じた。
私としたら正直、紗江を排除したい。今はこの三人と楽しく遊びたい。それが私の顔にでていたのだろう。紗江は益々気を悪くして怒りに身を震わせた。
「別にいいわよ。本当は私なんてどうでもいいと思っているくせに。だから彼のことだって」
彼のこと? 彼って誰だろう。
紗江は怒って教室を出て廊下を早足で歩いていった。
「何、あれ? 感じ悪い」
由美里がつぶやいた。
「でも、この場合、恵都が約束忘れてたから、仕方ないんじゃない?」
清美がフォローする。
私はしゅんとしてしまう。和が乱れるこの雰囲気が嫌だ。
「ねぇ、恵都。これはやばいんじゃない? 追いかけた方がいいよ。私たちのことは気にしないで。また今度一緒に遊びにいこうよ」
利香に言われてショックだった。ここで「ほっとけばいいよ」と言ってほしかった。でもその利香の言葉に逆らえないものがある。責任は自分で取りなさいといわれている気がした。
「うん。なんかごめんね。また、誘ってね」
「当たり前じゃん」
利香が笑って言ってくれたことで少しだけ安心した。
三人を気にしながらも私は紗江を追いかける。
「待って、和久井さん」
廊下の先の階段の踊り場で追いついた時、紗江は振り返ってギロリと睨んだ。かなり怒っている。
「何か言いたいことがあるんだったら、静かなところで話さない?」
後どれぐらいここに留まれるかがわからない。手っ取り早く話を聞きたい。
「じゃあ、この上の屋上に行きましょう」
「屋上!?」
私は息を飲んでしまった。




