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「えっ、えっ、どうなってるの? こんなに早く戻ってきたの?」
「やっと戻ってきた。ちょっとあなた、なんでそう勝手にタイムソウルキャンディを食べたんですか?」
「だって、過去に戻って状況を変えろといったじゃないですか?」
「そうじゃないんです。僕がいいたいのは、説明も聞かずにどうして勝手に行動したんですかって言ってるんです」
「あっ」
確かにそうだったと私は苦笑いになった。情報をくれなかったと思ったけど、私が話も聞かずに先走った。
「んもう、そっそかしいですね」
「あっ、それで少しは何か変わりました?」
私は屋上の淵にいるヤノケイトを見たけど、状況は依然同じだった。せめてフェンスの内側にいるとか、ドアから誰かが現れているとか、少しでも変化がほしかった。
「あーあ、あれでは焼け石に水だったのかな」
一生懸命戦おうとしたけど、何も変わらないことにがっかりした。
「過去で一体何があったんです。何か行動を起こしたんですか?」
そこで私は体験したことをできるだけ詳しく伝えた。それを訊いた彼は「はあ」とため息をついた。
「でも、私頑張りましたよ。少しでも虐めの主犯者に立ち向かって彼女が馬鹿にされないようにしようとしたんです。まわりの雑魚っぽい女の子たちは、私が強気になったら怯んでましたし」
真面目に任務を遂行しようとしたことだけは伝えたかった。
「いいですか。あなたは何も知らないで、突然、矢野恵都の過去に戻り彼女の体を操って、状況をよくも知らずに自分の意見を押し通した。そして強気になるだけなって、そのあとまたこっちに戻ってきてしまった。よく考えて下さい。その後、矢野恵都の中にはあなたはいなくなり、本当の彼女自身になるんです。矢野恵都はあなたが中に入っていたことを知らないんですよ。気がついたら目の前に睨んでいる人たちがいてさらに怒っている。これって彼女にとったらマイナスにしかなりません」
「あっ、そうか。私がいなくなれば、何が起こっているか彼女もわからないままで、それが彼女にとって不利な立場になってしまう……」
「そうです。中途半端な行動は彼女をさらに苦しめることになるのです」
「うわぁ、どうしよう」
自分がここにいるということは、あの険悪な中に彼女を置き去りにしてきたのと同じことだ。だからこの屋上の目の前の景色は何も変わってない。心なしか、体が先ほどよりもさらに傾いている気がする。気のせいであってほしい。
時が止まっているとはいえ、下に落ちようとしている彼女の姿は今になってとても悲しく目に映る。
あの後彼女はどうしたのだろう。もっと責められて追い詰められたかもしれない。私はおろおろしながら、案内人を見た。
「とにかく落ち着いて。今から状況を整理しましょう」
彼が指でパッチンと音を立てると、目の前にホワイトボードが現れた。そこに『矢野恵都』と名前がまず一番上の真ん中辺りに書き込まれた。
「僕が知りうる情報はあまりありません。なぜなら僕はまだ関与できず彼女の情報も開示されてないからです。だからここであなたが見聞きした情報を整理しながら対策を練りましょう」
「よく警察ドラマで見るような相関図を作るんですね」
「まず、主犯格と思われるきつい感じの女の子、利香」
彼女の名前が左端に書かれた。
「次に、心配している様子の男の子、英一朗」
これが右端に書かれた。あの時少し言葉を交わした様子を思い出すと自然と顔が綻ぶ。もしかしたら彼は矢野恵都に気があるのだろうか。もしそうだとしたら矢野恵都はそのことを知っているのだろうか。私も英一朗が気になってしまった。
「他にも数人意地悪している女の子たちはいるみたいですが、今のところ、はっきりと名前がわかっているのはこのふたりですね」
「あの、このタイムソウルキャンディは一粒食べると過去にどれくらい留まれるんですか?」
小瓶を軽く振ってみる。まだしっかりと詰まっていて、十数個くらい入ってそうだ。
「それは僕にもはっきりしたことがわからなくて、まちまちだと思います。短いときもあれば長い時もあるのかもしれません。また過去に戻るのもランダム発生です」
「それって、滞在期間は決まってなくて、過去も自分の意思とは裏腹にいつどこに飛ばされるかわからないってことですか」
「そうです。だから、先ほど体育の授業中に戻りましたけど、今度はその前になるのか後になるのかがわからないということです」
「それって、もし過去を一度いいように変えても、その後、その変えた過去よりももっと前に戻ったら再び書き換えられる可能性があるってことですか?」
「書き換えた過去から、後にさらに過去に戻って行動を起こした時、一度目の書き換えにどう影響があるのかは僕にもわかりません。でも過去のそのまた過去は、後者の過去からしたら前者の過去は未来になるわけですから、すでに状況を知っていたら、有利に事を促せる可能性もあります。その変は臨機応変に頑張ってもらうしかないです」
「なんだかややこしい」
「だから今ここで整理するのです。先ほど戻った時はいつのことでしたか?」
「日付とか見てないし、いつだったかわかりません」
「それじゃ何か季節がわかるヒントはなかったですか? 暑いとか寒いとか」
「ええと、体操着は半そでとジャンパーを着ている二種類の人たちがいました」
「比率はどうでした?」
「動いている人は半そでのTシャツの方が多かったですけど、バスケの試合をしてない人はジャンパーを羽織ってました」
「そしたら、運動していない時は肌寒く感じたのかもしれません。春先の四月頃、または秋が濃くなる十月の終わり頃か。何か他にヒントはなかったですか」
あの時の状況を私は思い出す。矢野恵都が何かをして虐められ、みんなはかなり結託して仲間意識が高かった。試合中も掛け声を掛けて応援するほどの仲に見えた。それを考えた時、お互いをよく知っていないとそういうことはできないように思えた。
「虐められていた矢野恵都以外はみんなまとまりがある雰囲気でした。あれはある程度一緒に過ごして交流を重ねた感じがしていました。四月の新学期が始まったばかりの様子ではなかったです。勘ですけど」
「そしたらその勘を信じるとして、仮に十月としてみましょうか」
十月頃といえば、運動会や文化祭の用意があるような時期だ。クラスのみんなが力を合わせて一緒に準備して何かを成し遂げる。馬鹿騒ぎしてはしゃいだり、盛り上げようと大げさに笑ったり、そういう楽しさが青春のひとコマになっていくものだ。
体育の授業のバスケの試合であっても、ゴールが決まれば「ナイスシュート」と掛け声が飛んでいた。その応援で私はみんなの仲がいいと感じた。でも矢野恵都はその輪に入れず、その存在を否定されてひどい扱いを受けていた。
周りは楽しく過ごしている中での孤独。とても辛いものに違いない。今頃になって一度目のタイムリープは失敗したと思ってしまう。私はもっと慎重になるべきだった。
「どうしましたか?」
「あっ、いえ、えっと……」
こんなことを言ったらまた責められるかもしれないので、私は咄嗟にごまかした。
「そ、それで今はいつなんでしょう。空を見る限りどんよりして寒そうで、山の辺りは赤や黄色と色づいて矢野恵都は制服のジャケットも着ていますから、季節は秋が深まった頃でしょうか」
「そうです。今は十一月一日の午後三時五十九分です。この日付と時間だけは、はっきりわかってます」
彼は矢野恵都の名前の下に日付と時間を書き込み、そして自殺と付け足した。それがとても重く感じてぎゅっと胸が締め付けられる。このままでは矢野恵都は本当に死んでしまう。
その後、彼は余白を十分にとったあと、『10月未明バスケ試合中』とタイムリープをした情報を記していた。時系列を整理する。次からはいつタイムリープしたのかを確認するのを忘れないようにしないといけない。
どうすれば矢野恵都を救えるのだろう。
「今、わかる情報はこれだけでしょうか」
「そうですね。あとはあなたのタイムリープにかかってます」
タイムソウルキャンディを見つめれば、まだまだチャンスはいっぱいあるように思えた。まだこのときは回数が残っている分希望の方が強く、どうにか変えられそうな気がしていた。
また小瓶の蓋を開け、今度は淡い黄色の玉を手のひらに転がした。
「それじゃ、そろそろ二回目行って来ます」
「では、お気をつけて」
案内人の顔が真剣になって私を見つめる中、タイムソウルキャンディを口に入れれば再びシュワーと簡単に舌の上で崩れていく。一回目の時と同じように炭酸水の中にダイブした感覚にとらわれ、泡に包まれた時計の針が早い速度で反時計回りにグルグルと回りだした。