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騒がしかったクラスから、ぱっと生徒がいなくなってクラスは静かだった。時計は四時を過ぎた頃、放課後だ。六月七日と黒板には書いてある。遠足が終わって間もない時期だ。
恵都と絵梨が席について、こそこそ話をしていた。すっかり仲良くなっている。
「うん、わかる」
恵都は相槌を打って、真剣に絵梨の話を聞いている。
「あまりにも一緒に居るのが辛くてさ。それでひとりの方がましだと思って離れたんだ」
「そうだったんだ」
「ごめんね、こんなこと聞いてもらって」
「ううん、大丈夫。私も彼女のことちょっと苦手なところがあるから、絵梨の気持ちわかるよ」
「よかった。理解してくれる人がいて」
この調子からして紗江のことを話しているに違いない。
「いいところもあるのはわかってるんだ。私も昔は仲がよかったから。こっちがうんうんって聞いていたら、彼女は結構面倒見がいいところもあるんだ。基本世話焼きなんだと思う」
紗江があれほど嫌って嫌がらせをしているというのに、恵都は紗江のいいところを言っている? どこまでお人よしなんだろう。
「そんな風には見えない。一緒にいるとストレスの元だよ」
絵梨はうんざりしていた。
「大変だったね」
「ねぇ、恵都のグループはどう? 仲良くやってる?」
「うん。みんな良い人達だから、私の方が迷惑かけてないかなって思う」
「見ていたら、みんなから面倒見てもらってる感じだもんね。仲良くて羨ましい」
ちらっと恵都を見る絵梨。何かを期待してそうな目つきだ。グループに入れて欲しいと催促しているのかもしれない。
「しっかりしなきゃって思ってるんだけど、なぜか時々ぼーっとしちゃって、記憶が飛ぶ時があるんだ。みんなそこを心配してくれてるのかも」
恵都は絵梨の意図に気がついてなさそうだ。ちょっと鈍感も入ってる。
こうやって見ると、絵梨は恵都を利用しようとしているようにも思える。紗江と決別したから、居場所が欲しいのだろう。
「恵都はマイペースだもんね」
「それが困りもので、時々自分が嫌になってくるけどね」
恵都は苦笑いをしていた。
でもそんなあなたも悪くないですよと言ってあげたい。
「もう、こんな時間だ。そういえば、絵梨は今日部活なかったの?」
恵都は時計を見て遅くなったことを心配している。
「うん、もうやめようと思っていて、あまり出てないんだ。ねぇ、飛鳥先輩のこと覚えてる?」
「飛鳥先輩? 知らないけど……?」
「えっ、恵都がぶつかった人でしょ」
私は覚えているよ。
「ああ、あの人のことか。でも絵梨がなんで知ってるの?」
「あの人、野球部のエースだよ。言わなかったっけ?」
「ごめん、覚えてない」
「廊下で会った時、彼の方からぶつかったこと謝ってきてたじゃない」
「えっ? そうなの?」
私と入れ替わっていたから恵都は覚えてないどころか、知る由がない出来事だ。
「みんな飛鳥先輩と話せるのが嬉しいのに、恵都は違うんだね」
「私、不注意でぶつかっただけだし」
「そっか。あーあ、私が代わりにぶつかっていたかったな。さあて、そろそろ帰ろうか」
絵梨が立ち上がる。
「……うん」
恵都は絵梨が何を言いたいのかわかってなさそうだ。私にはわかった。絵梨は飛鳥先輩に憧れていた。
恵都は興味がないどころか、すっかり忘れていることに絵梨は信じられないと少し呆れていた。
そんな絵梨の態度を見て、恵都は落ち着かなさそうにしていた。人の事をすぐ気にしてしまうのは長所でもあり短所でもある。
恵都、そんなに人の事を気にしなくてもいいんだよ。
「どうしたの、恵都?」
「ちゃんと絵梨の役に立ったかなって思って」
「何言ってるの。恵都と仲良くなれただけですごく嬉しいのに。話聞いてもらえて気持ちが軽くなったよ」
「ほんと!? よかった」
誰かの役に立つことで、自分が必要とされていると思えて安心する。
恵都は人の価値観で自分の価値を決めているのかもしれない。人にどう思われてもいいじゃないの。気にしてたらきりがない。関わる人みんなと仲良くならなくてもいいのに。
誰かが恵都を支えなければ、恵都はひとりになった時とても弱くなってしまう。私が恵都の中に入れば守ってあげられるのに。私が恵都の友達だったらどんなによかっただろう。
このまま恵都を見ることしかできないのが辛い。
そして彼女を知れば知るほどハラハラする。
そうしているうちにまたパチンと泡がはじける。今度は輪ゴムを引っ張って肌に当たったような衝撃のパチンだった。
特に痛みがあった訳じゃないのだけど、音を大きく感じたためなのか、急に遠くに飛ばされる勢いづいたはじけ方だった。
しばらく朦朧として、気がつけばがやがやとするクラスで浮遊していた。
「久しぶり、元気だった?」
「なんか焼けたね。海にでも行って来たの?」
再会を喜び合う声が耳に入った時、目の前で私には馴染みのない女子たちが固まって会話をしていた。でもその中のひとりはなんとなく覚えていた。
「うん。それでさ、お土産にチョコレート買って来たんだけど食べて」
「もしかしてこれ、ハワイのチョコ?」
「そうだよ。へへへ」
「うそ、ハワイに行ってきたの?」
みんながすごいと囃し立ている。チョコレートを差し出されて、楽しそうに食べていた。
ハワイに行ってきた子は多少自慢もあったかもしれない。でも海外に行ってきたという珍しさから、みんな興味を持って話を聞いていた。
話す方もそのへんを弁えて嫌味にならないように淡々と話していた。
「まだチョコあまってるじゃん。全部食べてよ」
「私、ふたつ食べたよ。他の子にも食べてもらいなよ」
食べられるものなら私が食べたい。
チョコを持ってきた女の子は箱を手にして辺りを見回し、恵都たちに視線を向けた。
迷いながらもそっと近づき、チョコを差し出す。
「よかったら、チョコ食べない?」
「わぉ、いいの?」
由美里が大喜びして一粒つまんだ。
「ハワイに行って来たの? いいな。私もいつか行きたい」
利香が憧れの眼差しを向けるから、チョコの子はすごく照れていた。
「サンキュー!」
清美はアメリカ人っぽく礼をいっていた。
恵都も遠慮がちに一粒とって「ありがとう」と言った。食べるのがもったいなさそうにそれをじっと眺めている。
みんなから感謝されて、チョコの子は満足そうだ。気分よく、自分のグループへと戻って行った。
その後、遅れて絵梨が登校してきた。
「おはよう。何かにぎやかだけどどうかしたの?」
「お土産のチョコもらったんだ」
ごもごもとチョコを食べながら清美が言った。
利香もチョコで頬を膨らましている。
「夏休みハワイに行ってきたらしいよ。いいよね」
「そういえば、利香は海外旅行したいって言ってたね」
由美里がチョコがついた手をティッシュでぬぐっていた。
「私、まだ食べてないから、半分あげる」
由美里からティッシュをもらい、恵都はそれでくるんでふたつに割った。
片方を取って、残りを絵梨に差し出す。
「折角もらったのに、気を遣ってくれてありがとうね」
絵梨は申し訳ないと思いながらティッシュでくるんだチョコを手にしていた。
そこに担任の佐賀がやってきた。
「もう夏休みは終わったぞ。いつまでもだらだらするなよ」
蜘蛛の子を蹴散らすように、それぞれが自分の席につく。担任は出席をすぐ取り出した。
あれ? 恵都はチョコをどうしたのだろう。
もらってもすぐに食べず、遅れてきた絵梨に半分をあげた。もしかしてチョコが嫌いなのだろうか。それで後で捨てた……? いやいやいや、ダメだ、恵都を信じなくては。
またここで突然パチンと大きくはじけた。はじけ具合が強くなっている気がする。今度は爆竹が破裂した強さに感じた。
耳を塞ぎたくなるくらいに劈く音。危険信号のように警告されて不安にとらわれる。
はっとした時、すでに飛ばされて、恵都が清美に腕をとられていた場面に出くわした。
「見苦しいよ、恵都。もうやめな」
これは九月二十日の私が最後に恵都の中に居た時だ。悪口のサイトが発覚したあの日。
しかもこの時、すでにシュワシュワが始まって消えようとしている瞬間だ。
恵都の中の私は清美に掴まれた手を跳ね除けた。最後まであがいている。
「利香、お願い。信じ……あれ?」
語尾が弱くなって、恵都の表情が変わった。
そうか、恵都はまだ何が起こっているのかわかってない。
「私、どうしたの?」
きょとんとしている恵都の前で清美が怒りを露にしていた。
「あんた、どこまでふざけてるの?」
「どうしたの、清美? 私また何かしたの?」
「何かしたのって、よく言えるよね。あんたのその天然ぶりにはいい加減腹立つわ」
清美が怒っている。
めったに怒らない清美に非難され、恵都はショックで泣きそうになっていた。
「清美、落ち着いて。怒る価値なんてない」
短期な由美里の方が落ち着いていた。
クラスはしーんと静まり返り、恵都に視線が集まっていた。
何もわかっていない恵都は、突然のみんなの変わりように恐れてしまう。
「一体何が、私が何をしたの?」
その時、男子が声を出した。
「これって、あれじゃねぇ? ほら、急激なストレスで記憶障害が起きるっていうやつ」
「なかったことにしたくて、自分で思いこんで脳がバグってるのかもな」
みんなが好き好きに話し出した。
「堂々とクラスの悪口をネットで流しといて、ばれたらなかったことにするって、どんな神経の持ち主だよ」
その言葉を聞いて恵都は頭に疑問符を乗せた。
「クラスの悪口をネットで流した? 私、そんなことしてない」
恵都は震えながら反論する。
「自分でスマホ見てみたら?」
恵都はポケットを触り、スマホを探す。見当たらないので自分の席に戻り机の中に入っていたのを取り出した。
画面はそのまま残っていたので、それを読み顔を青ざめた。
「何、これ?」
「だから、矢野さんがやったんでしょ」
誰かが言った。
「私じゃない。なんで、こんなことになってるの?」
「それはこっちが聞きたいわ。ここまでばれてよく言い逃れできるわね」
側に居た女子が責める。クラスのみんなが全員敵になっていた。
その時、恵都は紗江を見る。やはり恵都も紗江を疑っていた。こんなことするのは紗江くらいしか考えられない様子だ。
でも恵都は何も言えない。誰も恵都の味方をしてくれる人がいなかったからだ。
恵都は椅子に座り、じっとスマホを見つめる。
泣くかと思ったが、意外とじっと耐えて泣くまいと肩を震わせていた。
私は恵都の気持ちが知りたくて体の中にもぐりこむ。
とてつもない悔しさで憤っている気持ちが伝わってくる。恵都は怒っていた。やはりこれをしたのは恵都じゃない。
私は何もしてあげられないのだろうか。恵都の側に居られたら犯人を突き止めて、恵都の濡れ衣を晴らすのに。
そうだ。私が今できるのは犯人を突き止めることだ。
思い立って、すぐさま紗江に突進した。紗江が犯人なら心の中で笑っているはずだ。だけど、紗江から感じたのは怒りだった。
紗江も怒っている?
そういえば、私が恵都の中に入っていた時、英一朗と紗江はもめていたように思う。もしかしたら、英一朗が先に疑って紗江に問い質していたのかもしれない。
英一朗は恵都がやってないことをわかっている。
だったら英一朗が守ってやればいいのに。英一朗を見れば、辛そうにして恵都を見ていた。クラス全員を敵にして恵都を助けるには勇気がいる。犯人がわからない今、英一朗も簡単に庇えないみたいだ。
じゃあ、一体誰が犯人だ?
私は片っ端からクラス中の生徒の体をすり抜けた。
そこでひとりだけ、この状態をほくそ笑んでいる奴を見つけた。私はそれを知った時、なぜ? と信じられなかった。
呆然としていると一時間目が始まるチャイムが鳴った。それと同時に風船が割れるようにパチンと泡が弾け、私はまた飛ばされた。




