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しゅわしゅわしゅわ、ぷるるるー、するっ、ぐにゅんぐにゅん、びゅーん。
これは私が感じた感覚をそのまま表した言葉。
まるで炭酸水が体から湧き上がって、小刻みに揺れたかと思ったら、引っ張られるように気持ちよくするりと抜けた。その後は高速回転したかのように回って水分を絞られてひっぱられたかと思うと、パチンとはじけるその反動で高く空へ飛んでいった。まるでそれは光速のごとし。目の前が恐ろしく眩しい。
「ああ、またか。面倒くさい」
気だるくため息交じりの声が耳元で聞こえる。誰?
何が起こっているんだろうと思った時、ぽんっとポップコーンのように弾けてくるんと体が回転し今度はまっさかさまに落下。
ジェットコースターにでも乗っている気分で気持ち悪くなっていると、突然ピタッと急停止し、体がそれに耐えられず上から叩き込まれたように身が縮んだ。頭は体の中にのめり込んでそのまま押しつぶされてすごく平らになった気分。
その直後押しつけられていた力が反発してぷるんと元に戻って最後は意外にもソフトに足が地についた。でも反動でくらくらとふらつき、体がポヨンポヨンと弾力を帯びていた。
光速に流れるまばゆい光しか見てなかったから、辺りがよく見えない。しかも目がぐるぐる回る。水の中のワカメみたいにゆらゆら揺れているうちに段々目が慣れてくる。
ここはどこだろう?
くもり空が広がる、殺風景で周りに何もない場所。唯一フェンスが目に入り、その先に山の稜線と家の屋根や大小様々なビルが建つ街の景色が広がっていた。
屋上?
そう思った時、端の方にフェンスの外側で飛び降りる人影が見えた。
「あっ!」
咄嗟のことで驚いた声しか出せなかった。止めようにも、もう手遅れだった。
強いショックに胸を痛ませ、見たくないものを見てしまってなんとも後味が悪い。でもすぐ様違和感を覚えた。
「あれ、飛び降りてない?」
体が前のめりに宙に浮いているその姿勢はあまりにも不自然だ。あの体制で落ちずにいられることの方が不思議だった。
「あの、大丈夫ですか?」
遠慮がちに声を掛けてみたが返事がない。
あれはどっきりを仕掛けられた人形なのだろうか。
目を凝らしてよく見れば制服を来た女の子だ。ふわっとなびく髪の長さとすそが広がるスカートでそうだとわかった。体の力を前に傾け、足に支える力が残ってないバランスが欠けたその姿勢は生々しい。重力に引っ張られて落ちていきそうなあの質量感は作り物の人形では到底表現できなさそうだ。
それはあまりにもリアル過ぎた。
近くに寄ろうとしたけども、数歩進んだところで、コンと額をぶつけた。
「痛いっ」
見えない壁が目の前に存在する。アクリル板なのだろうか。
ペタペタとその存在を触っていくうちに自分が小さな部屋に閉じ込められたように、見えない壁が四方八方にあることに気がついた。外にいるのに制限があってこれ以上進めない。
どうなっているの?
ぐるっと見渡せば屋上の出入り口が少し押し出されて開いていた。内側のドアノブを掴む手が見える。
「あの、すみません!」
声を掛けたけど、一向にこちらへ入ってくる様子がない。
もう一度、飛び降りようとしている、いや、あれはすでに飛び降りている状態の人を見た。やっぱりさっきから静止したままだった。
「時が止まっている?」
半信半疑にその言葉を口に出した時、目の前に白いスーツを着た男性が降って湧いたようにぽんっと現れた。
「きゃー」
びっくりして思わず叫んだら、その男性もびくっとしてひるんでいた。
「な、なんですか。急に大きな声を出さないで下さい。びっくりするじゃないですか。というよりもどこからそんな元気な声が出せるんですか。魂の分際で」
「えっ?」
なんか聞き間違えたかもしれない。でもあまり気にせずに話しかけた。
「だって突然現れるから……それよりもあそこに飛び降りている人がいるんですけど、あの一体どうなってるんでしょう」
「こっちこそ訊きたい気分です。次から次へと仕事が増えるから忙しくて目が回りそうです。あれも、今そんなことしなくてもいいのに。せめてもう少し時間をずらしてくれていたら、誰かが止めてこんなことにならずにすんだかもしれないのに」
ぶつぶつと文句を言って機嫌が悪そうだ。
「えっと、あの、話が全然わからないんですけど」
「あのね、僕は魂をあるべきところに連れて行く案内人で、ちょうどあなたを連れて空を飛んでいたんですよ。そしたら、あの女の子が飛び降りそうになっているのを見て、慌てて時を止めたというわけです」
「それってどういうことですか?」
「今の説明でわかりませんか?」
「いや、その魂とか、私を連れて空を飛んでいたとか、ちょっと意味が」
私は首をかしげる。
「だから、あなたは死んだのですよ」
「うそっ!」
「うそじゃないですよ。本当のことです」
その衝撃的な説明に私は夢を見ている気分になった。
「これ夢ですね」
「夢じゃありません。今のあなたの姿はこんな感じです」
目の前に鏡が現れた。
そこに映るのはゼリー状の塊のような半透明のおたまじゃくしみたいな物体だった。
「これが私? 人間の形すらしてない」
ショックで倒れそうだ。
「それは自分で好きな形が作れますよ。なりたいと思う形を想像してみて下さい」
人間の形を思い浮かべれば、頭と手と足が形作られた。でもピクトグラムみたいで満足いくものではない。
「最初はそんなものです。そのうち慣れてくると思いますよ」
「それよりも、なぜ私は死んだの? あれっ? 私って今まで何してたの? 思い出せない」
考えれば考えるほど、何も覚えていないことに気がつく。自分の名前、何歳か、男か女かもわからないほど混乱している。
「無理もありません。あなたの魂をお連れしている間にきれいに洗濯しましたから」
「洗濯?」
しゅわしゅわしゅわ、ぷるるるー、するっ、ぐにゅんぐにゅん、びゅーん。
確かにそんな感覚はあったけど、まさかそれが自分の魂を洗っていただなんて。もしかして洗濯機の中にでも入れられていたんだろうか。
「はい。体から離れた魂はこの世の人生を終えたのでその記憶は必要ありません。再び生まれ変わるためにその過程は必須なのです。それが私の仕事でして、この作業も重労働なんですよ。簡単な作業だと思わないで下さいね」
「それで、私は生きている時、誰で、何をしてなぜ死んだのでしょうか?」
実感はわかないけど、この説明を受け入れるしかなかった。
「それはもう教えられないんです。あなたは生まれ変わる準備がすぐに整っていて、今前世を思い出されると、また一から作業をしなくてはならなくて、面倒くさいんです」
先ほどから彼は面倒くささが全開している。
私と話すことすら嫌そうで感じが悪い。
その、洗濯されているときも面倒くさいって言葉を聞いた。なんなのだろう、この人。
思わず嫌な気分になって見つめてしまった。
「ああ、なんか、今中途半端になってますね。すっきりとしない気持ち。私に対して不信感を持ってますね。何てことでしょう。困りましたね」
頭を押さえて嘆いている。
「どうしたのですか?」
「あのですね、このままではあなたをあの世へ連れていけないんですよ。一度洗濯した後に自分の前世を詮索することは、この世に未練を持つことと同じですっきりと成仏できないんです。そうなるとまた仕事が増えて、面倒くさいことをしないといけないんです」
「さっきから面倒くさいばっかりですね」
「当たり前じゃないですか。生まれ変われるように細心の注意を払ってやってるんですよ。それが間違ったら魂が変なところへ行ったり、この世に留まって路頭に迷ったりするんですよ。特にああいう自ら死を選ばれると、作業がとんでもなく大変になるんです。次から次へと仕事が増えたら面倒くさい限りなんです」
それがこの人の仕事なんじゃないのだろうかと思いつつも私は何も言わなかった。
「あっ、そんなのやって当たり前じゃないのかって言いたそうですね」
「いえ、そ、そんな。ただ、大変ですねとしか……」
「まあ、とにかくこの状態をなんとかしないと。あなたの魂は面倒くさくても一からやるよりはまだましですが、あの人の場合はかなり大変そうです」
彼が指を差す方向を私も一緒に見てみた。
あれはどう見ても自殺だ。高いところから落ちたらもう助からないだろう。
「こうなったらあなたにも助けてもらいましょう」
「私が助ける? 何を、どうやって?」
「あなたが、あそこにいる女子高生の過去に戻って取り憑くのです」
「はい?」
何を言っているのかさっぱりわからない。
「いいですか。こちらに過去へと戻れるタイムソウルキャンディがあります。あなたは魂ですのでこれを食べると簡単に過去に戻って彼女の体に入れるのです。そこで彼女の過去を変えて、この自殺を止めるのです」
彼が懐から何かを取り出して私に見せた。パステルカラーの丸いものがいくつか小瓶に入っている。ラムネみたいだ。
「そんなことを急に言われても」
「だから、彼女が飛び降りないようにすればいいだけなんですよ。時間をずらせば、飛び降りる前に誰かが彼女を止めるかもしれない」
私は出入り口のところを振り返る。そのドアの後ろには人がいる。確かに時間がずれれば、あの人が阻止してくれるかもしれない。
「またはあなたが飛び降りる原因をなくして、この状況にならないようにすればいいのです」
「そんな簡単に言いますけど、その前にあなたが彼女をフェンスの内側に動かせば簡単なんじゃないですか?」
「そんなことができたら私はすでにやっています。この世の人間に私は触れられないですし、運命を変えることもできないんです。干渉できないようになってるんです。唯一まだ成仏しきってないこの世に未練がある魂だけがこの世界で関与できるんですよ」
「それが私だと?」
「そうです。幸いといっていいのか、今あなたは成仏しきれてません。しかも自分は誰だったのか前世に興味を持ってしまって知りたいという未練が発生してしまった。こうなると私にとっても好都合になりました」
そんなことを言われても、なぜ私が見知らぬ彼女を助けなければならないのだろう。この人が仕事をしたくないだけで、その尻拭いを私にさせようとしているだけではないのだろうか。
そうなると私が納得できなくなってきた。
「これって、かなり大変な作業ですよね。それに私がするメリットってないじゃないですか」
「でもあなた、この状況を変えたいと思いません? 目の前で死のうとしているんですよ。何も感じませんか?」
「確かにそれは衝撃的ですけど、彼女が選んだ人生ですし、それに私はすでに死んでいるからこの後彼女もお仲間になるんですよね。結局これって、あなたが自分の仕事をしたくないから私に押し付けてるとしか……」
私も言わせてもらいたくなった。面倒くさいと。
「ああ、あなたは何もわかってない。これがすごいチャンスだということに。もう一度この世に降り立つことができるんですよ。それにあなたが何者だったかもわかるチャンスです。知りたいんでしょ。だったら彼女の体を借りて、前世の自分に会って来てもいいんですよ。その時はあなたも生きているんですよ。この世をもう一度味わいたいと思いませんか?」
少し興味がそそられる。それを彼は見逃さなかった。にやりとした笑みを私に向けた。
「手伝ってもらうからにはそれなりのお礼もします」
「お礼?」
「はい。特別に希望する通りに生まれ変われる権限を与えます」
「どういうことですか?」
これはいいことなのかもしれないと感覚で感じた。
「だから、男か女か選べますし、生まれたい場所も国もお望みのままです。容姿や知能もハイレベルがお好みなら、もちろんそれも選んでいただけますし、人間が嫌でしたら動物でも結構ですよ。とにかく思いのままに生まれ変われるように手配します」
「思いのままに生まれ変われる?」
「通常ならランダムになっていてご本人様の意思では選べないんです。または前世の行い次第で良し悪しが決まってしまうこともあるんです。それを自分の意思で選んでもらえるんですから、これはすごいことですよ」
ここまで言うからには、よほど自殺した魂の処理が面倒くさいとみえる。どうせ死んでいるのだから回り道をしたところで私も困ることもない。
だけど、いまいち状況がよくわからなくてじっと考え込んでしまった。
「まだ迷っているみたいですね。それじゃもうひとつ特別なチャンスを与えようじゃないですか」
「特別なチャンス?」
「はい、生前のあなたと出会うためのヒントを差し上げましょう。それを知ることによって、あなたもまた死ななくてよくなるかもしれません。そうすると私の仕事も減る……ゴホン」
最後だけ軽く咳をしてごまかした。
「それって私の運命を変えるということですか?」
「そうです。あなたも時間がずれていたら助かったのです」
「それって私の死因は、不慮の事故か何かでしょうか?」
「そうも考えられますし、事件の可能性も……ゴホン」
目をそらしてまた咳をした。
「事件の可能性……ってそれって、まさか殺人!?」
私が驚いた時、彼は人差し指を自分の口元に立てて「しー」と慌てた。
「あまり大きな声を出さないで下さい。生まれ変わる準備が整っている魂の生前の情報は言ってはいけない規則なのです。私はただそういうこともあるかもとあやふやにほのめかしただけです。その辺はご自身でご判断下さい。とにかく、あそこの彼女を助けに過去に戻れば、あなたも助かるかもしれないし、またはご希望通りの生まれ変わりを約束します。さあ、どうですか? こんなチャンスめったにないですよ」
彼の顔がじっと私を見ながら近づいてくる。そこにはやってほしいという彼の願望も入っているように思えた。
必死にこっちを見ている彼の目で、すでに断れない雰囲気にのまれてしまっている。
「あの、そこまでいい待遇だったら、やってもいいかも……」
「本当ですか。ありがとうございます。じゃあ、これを」
タイムソウルキャンディが入った小瓶を手渡された。そのとたん勝利を得たように彼はニタッと笑った。
「あっ、それに触れましたね。もう断れないですよ」
「だから、やるっていいましたし」
「あのですね、もし彼女を助けられなかったら特別待遇はなしになりますから、その点はご了承下さいね」
「ちょっと待って下さい。それって失敗したら全てはなかったことになるんですか?」
「当たり前じゃないですか。あなたがこのミッションを成功できなかったら報酬だって受けられません」
「そんな。じゃあ、彼女を助けられなくて、もし生前の自分の運命を変えて自分だけが助かったとしたらどうなるんです?」
「それも無効になり、新たに助からない運命が別なところでやってくるでしょう。とにかく彼女を助けることであなたの運命も変わってくるのです」
強気に指を差されてしまった。
私は小瓶を見つめる。手にした以上やるしかない。
小瓶を手にすれば、私の体も人間の形に一層近づき、次第に学校の制服を着た女の子になっていた。体を動かしてスカートを翻してみた。
「その小瓶にはあちらの女子高生の過去が詰まっていますので、触れることであなたも自然に彼女の姿になったということです」
もう一度飛び降りている女の子を見る。あそこまで思いつめて飛び降りなければならない理由はなんだったのだろう。そこまで追いつめられた彼女がかわいそうに思えてきた。
私が彼女を助ければ、自分の運命も変えられる。私は腹をくくった。
小瓶にはまっていたコルクのふたを引っ張った。ポンと小気味いい音がした。手のひらに向けて小瓶を傾ければ、ピンク色のものがコロンとひとつでてきた。ビー玉くらいの大きさだ。ラムネみたいで美味しそう。
それを口に入れた時だった。突然案内人が「あっ!」と叫んだ。