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「ばたばたされてますけど、もしかして溺れていたんですか?」
案内人に声を掛けられて、屋上に戻ってきたことに気がついた。
「あまりにももどかしすぎて、思うようにならないのでちょっと荒れてたんです」
「そうですか。じゃあ、後ろは振り向かない方がいいと思います。何も変わってないので」
案内人に言われたけど、やっぱり矢野恵都に振り返る。
「ああ!」
嘆きが抑えられない。
わかっていたけど、何も変化が見られない悔しさを叫ばずにはいられなかった。
「だから、振り向かない方がいいと言ったのに。またお線香を焚きましょうか?」
「お線香の香りを嗅いでもこの気持ちは治まらないと思います。だって、タイムソウルキャンディは残すところあとふたつ。これだけ過去に戻っても何も変化が見られない。あと二回のタイムリープがどこへ行くかもわからない。どうしていいのか気持ちが落ち着きません」
「焦らないで下さい。残りがあるということは、やれることもきっとあるはずです。最後まで諦めないで下さい」
案内人の言葉に気持ちを静め、深く深呼吸をする。そして今回はあまり話したくなかったけど、仕方なく何が起こったか報告した。
「なるほど。中間テストが終わった後、紗江と一緒に帰る約束をしたのはあなただったということですか」
タイムリープが元で繋がっていたことに驚く案内人。
「だから全然、意味のないタイムリープでした」
「それはどうでしょう。過去と未来の繋がりは必ずどこかで意味を成してくるはずです。まだ気がついてないことがあるのかもしれません」
「それがパズルのピースになるということですか?」
「そうです。あなたにとっては結果を変えられるものではなかっても、今回の事で時系列が前後変わって過去に戻るということに意味があると証明したのです。あなたのやっていることは間違ってない。あともう少しです」
案内人の言葉にまだ希望が見えてきた。
時系列はばらばらに過去に飛ばされたけど、自分がやってきたことには意味がある。
私は残りのタイムソウルキャンディ見つめた。
小瓶の中には水色とピンク色が入っていた。しばらく考えた後、覚悟を決めて水色の方を先に取り出した。ピンクは矢野恵都の好きな色だから、最後にとっておきたかった。
大丈夫。必ずできる。そう信じて案内人に振り向いた。
「では行ってきます」
そして口に放り込む。シュワシュワが始まると同時に歯を食いしばってザブーンと時間の海へ自らダイブする。
今度こそ、今度こそ変えてやる。
私も生きて矢野恵都に会うために――。
そして辿りついたとき、私はストローを指で押さえてソーダ水を飲んでいた。気がついたらそれにむせて咳き込んでいた。
「恵都、大丈夫?」
お絞りを持って利香が隣であたふたしていた。
「ゴホッ、ゴボ、コホン、コホンっ、だ、大丈夫。ごめん」
向かいには私服を着た由美里と清美が心配そうに見ている。テーブルには食べた後のお皿とグラス。周りにも食事をしている人たちがいて、がやがやと賑わっていた。どうやらファミレスに居る様子だ。
肌にひんやりとした空気を感じ、自分も半袖の服を着ているところからして季節は夏だ。そして多分夏休みだ。
「それ結構炭酸きついでしょ。慌てて飲むとそうなるんだよね」
清美が笑っていた。なんか安心する。
「ドリンクバーで飲み放題なんだから、全部の種類試したくなるじゃん。お代わりしたくて、つい早く飲んでしまう気持ちはわかるな」
由美里はにーっと笑って擁護してくれた。気持ちが和む。
「なんか私、子供みたいだね」
情けない感じを出しつつ、心配されて内心はほんわかしていた。
「恵都らしくて、それでいいんだと思う」
利香は矢野恵都の全てを受け入れている様子だ。それが嬉しくて涙が出てきそうになってしまう。こんなに仲がいいのに、どうして矢野恵都は仲たがいしてしまうのだろう。
どうしてもその原因がわからない。
私の目の前で、由美里はズズーっと飲み物を飲み干し、ふーっと息を吐いた。
「でもさ、夏休みもこうやってみんなで会えるのは嬉しいな」
「由美里は、宿題見せてもらうのが目的でしょ」
清美が由美里の頭をコンと軽く叩いた。
「いいじゃない。助け合うのが友達なんだからさ」と由美里。
どうやら、夏休みになって宿題を持ち合ってみんなで集まっている様子だ。新学期も近いのかもしれない。どうせならご飯を食べる前にタイムスリップしたかった。
そんな暢気なことを思っていた時だった、絵梨がテーブルに現れた。
「どうしたの? 私がトイレに行っている間、なんかあったの?」
当たり前のように利香の隣にすべる様に入ってきて座る。そういえばこのベンチシートは長く三人は余裕で座れる大きさだった。これは六人がけのテーブル席だ。
「恵都がさ、炭酸水でむせてただけだよ」
清美が言った。
「気管にはいっちゃったんだね。あれは苦しい。私もよく、やる、やる」
私と顔を合わせる絵梨。
私はへへへと笑ったけど、内心穏やかじゃなかった。
「じゃあ、私ももう一回ドリンクバーお代わりしてこようかな。絵梨ごめんね、折角座ったところなのに」
利香が立ち上がろうとすると、絵梨も一緒になって立ち上がった。
「大丈夫、大丈夫」
利香が飲み物を取りにいっている間、絵梨は私の隣につめてきた。
「恵都、あとで英語の訳、コピーさせてね」
「あっ、私も」
同時に由美里と清美も身を乗り出した。
「構わないけど、間違ってても知らないよ」
矢野恵都はまじめに英語の宿題を終えている様子だ。
「私もその辺は適当にごまかして写すから、間違ってても気にしない。これは宿題をやってきましたっていうことが大切で、正確さは関係ないから」
清美が力説する。
「そうそう、担任の佐賀だって、全員の訳を読むわけないしさ。ぱらぱらってノート見ておしまいだと思う」
由美里も清美に同感だ。
「恵都は本当に優しいからありがたいよ。これが和久井さんだったら、絶対見せてくれないもん」
絵梨はまだ紗江のことを持ち出す。
「あーわかる。あの人、ちょっと自分が勉強できるからってできない人を馬鹿にするよね」
由美里まで言い出した。
「私も人のこと言えないけどさ、和久井さんは結構性格きついところがあるよね。あれじゃ人に好かれない気がする」
清美がこんなこというなんて私には信じられなかった。いつだって中立だったのに。
どうして絵梨はここにいない紗江のことをわざわざ悪く思われるようにいうのだろう。言わなければ由美里や清美もわざわざ紗江の悪いところなんて口にしないのに。例え紗江が嫌いでも、そういう風に話題に持っていくところが私は好きじゃなかった。
矢野恵都だったら同じようにこの話題に便乗したのだろうか。中学で英一朗と仲良くなってからかなり紗江から嫌がらせをされていたように思う。
「恵都も大変だったよね。和久井さんを虐めてるって本人から責められて。全然関係ないのにね。私もやめるように言っておいたからね」
絵梨は何と言ったのだろう。そして紗江は今どんな感じなんだろう。紗江の様子が気になる。言い方次第では矢野恵都に逆恨みをしてまた嫌がらせをしそうだ。
夏休みが過ぎたら、九月の新学期。十月二十五日のあの光景へと続く何かがそろそろ起こるはずだ。
その時、利香がグラスを持って戻ってきた。てっきり絵梨がまた立ち上がって、利香を先に座らせるのかと思ったら、利香はそのまま椅子の端に腰をかけた。
「絵梨、いいからそこ座ってて、私ここに座るから」
絵梨にまた立たせるのが悪いと思ったから遠慮しただけだと思っていても、私はこんな些細なことにもやっとしてしまった。絵梨が入ったことでかき乱される心。
私は絵梨に対してあまりいい印象を持っていない。絵梨が邪魔だと感じている。
矢野恵都は絵梨が加わってどんな気持ちだったのだろう。絵梨がこのグループに入るきっかけを作ったから、案外気にしてないのかもしれない。それよりも仲のいい友達が増えて喜んでいるのだろうか。
でも絵梨を見ていると、利香、清美、由美里と違和感なく溶け込んで、まだ仲間になって間もないのにこの三人と波長がすごく合っている。今まで紗江を率いるグループと一緒にいた事の方が違和感だ。絵梨はうっすらと化粧をして、さりげなく自分をきれいに見せている。野球部のマネージャーをしているといっていたが、それだけでキラキラ光る世界にいる人だ。矢野恵都なんかよりもよほどこの三人にふさわしい存在に思える。
後から入ってきた絵梨に今更ながら私は劣等感を抱いている。自分の居心地よかった場所を盗られるような不安。私は矢野恵都じゃないのに、彼女の中に入っているうちに、この友達関係が大切になっていた。
いつまでも仲良く友達でいたい。矢野恵都を通じて、自分の思いが芽生えていつしか学園生活を楽しんでいる自分がいた。
私は矢野恵都を救うためにいるのに、私情を挟んでどうするのか。
でも利香、私、あなたのことが大好きだよ。絵梨なんかに盗られたくない。
利香は私の気持ちなど知らずに、何事もないようにストローで飲み物をすすった。そしてコホっと軽く咳き込んだ。
「ほんとだ。これ炭酸きつい。恵都がむせたのもわかるわ」
利香は身を乗り出して私に微笑んだ。
「でしょ」
そんな些細なやり取りでも私は嬉しかった。
「それで、みんな何話してたの?」
再び炭酸飲料を利香は口にする。
「和久井さんのこと。あの人きついねって話になって、恵都も因縁つけられたから、私もちゃんと言い返しといたって言ってたんだ」
利香に説明する絵梨。
「絵梨は和久井さんと長いこと一緒だったもんね。絵梨も嫌な思いしたんじゃないの?」
「うん、あの人すぐに文句言うし、特に恵都のこと悪く言ってたな」
絵梨は苦笑いして私に振り向いた。
「えっ、恵都の悪口言ってたの?」
由美里が反応した。
清美も「えっ」と顔を歪ませて驚いていた。
「何でも、中学三年の時に仲良かった幼馴染を奪って、そしてポイ捨てしたとか。自分と張り合ってくるとか言ってた。そんなのもちろん嘘だよね、恵都」
絵梨が半信半疑に訊いてくる。私は思いっきり首を横に何度も振っていた。
他にどんなことを聞いたのだろう。その幼馴染が同じクラスの水瀬英一朗のことだと知っているのだろうか。
「それ嘘だから、自分が被害者にならないと気がすまない感じの人なの」
絵梨とは仲いい友達だと思って、調子に乗って紗江は言ったのだろう。同調してくれる人が欲しかっただろうし、矢野恵都を貶めたかったのもあるだろう。そしてあとはストレス発散だ。
でも紗江の方が結果嫌われてしまった。自分が何しているか気がつかないから自業自得だけど、矢野恵都への恨みが紗江を狂わした。哀れだ。だけど、なぜか少しだけ紗江の気持ちがわかってしまった。絵梨がグループに入ったことで生じた気持ちと少し似ていたように思えたからだった。
「そんなの嘘だってわかってるよ。ねぇ」
利香は由美里と清美にも同意を求め、ふたりも「うん、うん」と私の方を見ていた。
「恵都も和久井さんにされたことここで言えば?」
絵梨は私に悪口を言えといっている。絵梨も一緒になって言いたい感じがする。
「ううん、いいよ。もう終わったことだし」
紗江の悪口なんて言っても何も変えられない。そんなことを言うために私はここにいるんじゃない。
「恵都って、まじめなんだね。それとも、本当は和久井さんが言ってることが正しくて、隠したいとか?」
「えっ?」
思わず絵梨を見てしまう。一瞬、絵梨の悪意を感じた。
「なんてね。へへへ。あまりにも真面目だからからかいたくなっちゃった」
「あまり恵都を虐めないでよ」
由美里がかばってくれる。
「あんた、人の事言える? あんたも結構恵都をよくからかってると思うよ」
清美が注意した。
確かに由美里は気が強いしすぐ顔に出る。由美里は思ったことをはっきりと口にするから、矢野恵都もたくさんきついことを言われてるのだろう。矢野恵都はいじられキャラの立ち居地だから、誰からもそんな仕打ちを受けやすいのかもしれない。でも矢野恵都はわかってるはずだ。そこに愛情があるか否か。
みんな笑ってるけど、少なくとも私は絵梨の言葉で心穏やかじゃない嫌な感じがした。冷房が効きすぎていることもあって、ぶるっと身震いしてしまった。
「そんなのわかってるって。だから、恵都もさ、いつも我慢してないで思ってること言っていいんだよ。私がいつも言ってるでしょ」
由美里はもっと恵都に心を開いて欲しいと思っている。それは由美里と清美がふたりで話しているのを聞いたからわかっていた。
「私、そんなに我慢しているのかな?」
少なくとも私は彼女たちに溶け込もうとしている。
「恵都はうちらと違って、遠慮して一歩引いている感じがするからね」
笑っている清美だから、別に嫌味で言ってるわけではないのはわかる。
「由美里も清美も遠慮なく前にでてきたら、恵都に限らず私だって引くよ」
利香がいうと、どっと笑いがした。
「恵都はじっといつも物事を見てるよね。心の中では色々と思うところはあるんでしょ」
絵梨が笑って突っ込んでくる。でも彼女に関しては心が開けない。だから詮索されていい気持ちじゃない。
「それは誰だって思うところがあるでしょ。絵梨だってそうでしょ」
言い返したら、一瞬絵梨は言葉に詰まったように、「そ、そうだね」と言ってから薄く笑った。
「でもね、私、みんなからしたらどんくさくてじれったいとかイライラさせるかもしれないけど、私はみんなと一緒にいられて本当に楽しくて、これからもずっとずっと友達でいたいって心から思うの。この先、何があってもこの気持ちは変わらない」
この後で矢野恵都には辛いことが待っている。それを知っていても、私はこれまでの友情が本物であることを信じてる。
「わかってるよ」
ふっと抜けるように笑う利香から、そんなの当たり前だと言われた気になった。
「恵都は真面目だからさ、うちらはそれで助かってるってところがあるもんね」と清美。
「そうそう、恵都がいなかったらいつも私たち意見のぶつかりあいで喧嘩ふっかけてそうだよね」
由美里が豪快に笑うとみんな釣られて一緒に笑う。
矢野恵都、みんなあなたのことが好きなんだよ。この後、嫌なことが待ってようとも、絶対解決できるはず。負のエネルギーに簡単に飲み込まれちゃだめ。
私があなたの中に入ってきたことで、その変化に気づいているでしょ。あなたなら、絶対に考え直せる。勇気を出して、そして恐れないで。
シュワシュワが起こり始めていた。最後まで諦めたくない。でも何か言いたくても私の声は泡に消されていく。
テーブルに座っているみんなの姿が遠くなって、私は矢野恵都の中から追い出された。




