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「お帰りなさい。浮かない顔をされてますね」
案内人がいつものように出迎えてくれた。
「自分の望む展開じゃなくて、不安のままにタイムスリップしてしまったからだと思います」
「そうですか。今回はどのようになったのですか?」
案内人に説明する前に、私は矢野恵都に振り返る。
やはり何も変わっていない。
この瞬間のがっかりがとてもやりきれない。
「すみませんけど、お線香を焚いていただけますか」
自分からリクエストしてしまった。
「何かお好みの匂いはありますか?」
「気持ちが安らぐものがあると嬉しいです」
私が言うやいなや、ラベンダーの匂いが鼻をくすぐった。お花畑に居る気分だった。
しばらく堪能した後、私は一部始終を報告した。
「そうですか。紗江がまずクラスで問題になってたんですね。そこから、絵梨が恵都のグループに移ってきた。なるほど」
ホワイトボードに情報が追加された。
「絵梨が加わってグループが五人になるなんて思わなかったです。遠足のバスの中で、前の座席から絵梨が話しかけてきたんですけど、私それを邪魔に思ってたんです」
「友達関係でよくありますね。好きな友達をとられたくない独占欲がでて、新しく来た者が鬱陶しくなってしまう。でもこの場合、恵都が先に仲良くなって架け橋になった感じですね」
「そうなんです。矢野恵都は今まで紗江が苦手でもその気持ちは内に秘めて誰にも言えなかった。そこに自分と同じ気持ちを抱く絵梨と知り合い、同じ思いを共有して親しみを抱いてしまった」
「共通の話題で仲良くなるのもよくあることです。特に嫌いな人が一致するほど気持ちがすかっとすることはないでしょう。そこでつい自分が紗江にされたことを言ってしまった」
悪口で盛り上がる――。矢野恵都は露骨に紗江の悪口を言ったとは考えにくい。でも聞いたものは紗江に対する十分嫌いな気持ちを汲み取っただろう。
矢野恵都が絵梨に紗江の嫌なところを言ったせいで、自分だけじゃなかったと思った絵梨が我慢することを止めて紗江を無視し始めたとしたら原因はやっぱり矢野恵都にある!? まさか。
思わず口元を覆い隠してしまった。
「どうされましたか?」
「矢野恵都は紗江の虐めのきっかけになってしまった可能性があるかもしれません。やはり紗江は根にもって、後に恵都に何かを仕掛けて矢野恵都の虐めに繋がるのではないでしょうか」
「そういう可能性も否定はできませんね」
紗江との関係を修復しなければならない。仲良くなれとは言わないけど、お互い干渉しないように普通を装えるだけでいい。
タイムソウルキャンディは少なくなっている。これに失敗するわけにはいかない。私は一粒を取り出す。黄色だった。
それを握り締め、紗江と話し合いができるようにと願う。
「どうか、紗江と問題が解決できるための機会を与えて下さい」
私が願うと、案内人も一緒になって祈ってくれていた。
そして黄色の玉を口に含んだ。
「今日の授業はここまで。今日やったことはテストに出るぞ」
白衣を着た男性が黒板の前で叫んでいた。見慣れない教室。ビーカーやフラスコといった実験器具が目についた。化学室だ。
「恵都、何ぼーっと座ってるの? 教室帰るよ。早く筆記用具しまったら?」
隣に利香がいる。
「うん、今片付ける」
慌てて、シャーペンと消しゴムを筆箱に入れた。教科書とノートを重ね、それらをまとめて抱えて席を立つ。
出口を見れば、ちょうど紗江が出ていくところだった。
「利香、ごめん。ちょっと用があるんだ。先に行くね」
「どうしたの、そんなに慌てて」
私は一目散に走って紗江に追いつこうとした。廊下を出れば、人が溢れている。人と人の間のその向こう側に紗江を見つけた。
「すいません、通ります。ごめんなさい」
人を掻き分けて紗江に近づく。
「和久井さん!」
私が呼ぶと、紗江が後ろを向いた。隣には絵梨がいたけど、お構いなしに紗江にフォーカスする。
「あの、ちょっと話をしたいんだけど」
私は今すぐにでも話したかった。もうお互い意地を張るのはやめよう。少しでも歩み寄って、関係を改善しようといいたかった。
「今から、購買でパンを買いに行くんだけど」
もしかしてお昼時?
「あの大事な話なんだけど」
「じゃあ、こんなところでなお更、話せないよね。それに私も一度矢野さんとゆっくり話したいと思っていた。でも、中間試験前でしょ。今は勉強に集中したいから、中間試験が終わった日に一緒に帰りながら話すってどう?」
あれ? この約束なんか既視感?
「えっ、ああ、うん……」
戸惑いながらそう返事するしかなかった。
「それじゃ、その時に」
紗江はすたすたと歩いていった。
もしかして、これって五月の中間テストよりも前の日ってことなの? 私が中間テストが終わった日に紗江と一緒に帰る約束をしたってことになる?
結局、このタイムリープはなんの意味もない。
なんてもったいない。
「ああ、どうしよう」
「どうしたの矢野さん? なんかあったの?」
絵梨が声を掛けてきた。この時はまだ『矢野さん』なんだ。
「いえ、なんでもないんだ」
私は仕方なく教室に戻ろうとそのまままっすぐ歩いた。
でもクラスの表札が二年となっている。ここは二年生の階だ。
「あっ、君!」
前から私に向かって走ってくる男性がいる。見たことがあるようで思い出せない。
「この間は本当にごめんね。打ち身とか青あざとかなかった?」
「ああ! もしかして職員室の前でぶつかった人!?」
野球部のエース、飛鳥先輩だ。
「うん、思い出してくれた? あの時、俺、先生ともめてむしゃくしゃしててさ、それで気持ちが抑えられなくて勢いつけて飛び出したんだ。全然前を見てなった。本当にごめん」
「いえ、あの、大丈夫です」
痛かったのは矢野恵都だ。
「でも、君とぶつかったことで頭を冷やしたよ。君に痛い思いをさせたことで自分の間違いにも気づけて、君は痛かっただろうけど、僕はお陰で目が覚めたよ。本当にすまなかった」
「大丈夫ですから。気になさらないで下さい。ぼーっとしてた私も悪いですし」
手をひらひらと何度も振ってしまう。
「お詫びに何かしたいんだけど」
「いえ、そんな。あの、滅相もないです。そ、それじゃ失礼します」
「ちょっと、待って。せめて名前くらい教えてくれても」
「いえ、名乗るほどの者では……ハハハハ」
慌てて飛鳥先輩から離れるも、ごまかし笑いで間抜けな感じがした。
よく知らない人との接点を増やしたら矢野恵都が出くわした時に困惑してしまう。ここで終わりにしたい。私はすたこらさっさとひたすら逃げた。
自分の教室に戻ってきた時、黒板を見れば日付は五月十二日となっていた。この時に私が紗江と話し合う約束をして、飛鳥先輩に廊下で謝罪を受けていた。そしてそれを絵梨が見ていた。
まさかこんなことになるなんて。この後のことへと全てが繋がっている。
呆然としてしばらく教室の後ろで突っ立っていた。利香たちはまだ教室に戻っていない。
「腹減った。弁当食おうぜ」
化学室から戻ってきた人たちが弁当を取り出して食べ始める。
そこに英一朗の姿もあった。私がもしここで声を掛けたらどうなるのだろう。じっと見つめていると英一朗の周りにいた男の子が先に気がついてこそっと英一朗に耳打ちした。
でも英一朗は私の方を見ることはなかった。どうでもいいことのようにお弁当を食べ続けていた。友達から指摘されたら、なお更素直に私の顔が見られなくなったのだろう。ただの偶然、気のせいだよということにしたのかもしれない。
過去に戻っているうちに何かを変えたい。英一朗の助けも欲しい。でも彼の母親が矢野恵都のことを悪く言った時、英一朗は何もしなかったように、今話したところで何も変わる気がしなかった。
十月二十五日に英一朗と久しぶりに話がでてきても、彼は自分の羞恥心から矢野恵都に責任を半分なすりつけた。英一朗は矢野恵都が派手な友達と一緒にいて高校生活を楽しんでいることに複雑な思いを抱いている。どこか手が届かなくなってしまった存在に悲しくなったことも考えられる。口に出さなくても両思いだとお互い感じ取っていた中学三年の頃、それが一気に崩れて溝がどんどん深くなってしまった。
矢野恵都も利香たちと一緒に過ごすことで精一杯で英一朗のことに気が回らない。
だけど矢野恵都は英一朗と一緒に写った写真を大切に机の中にしまっていた。ただふたりはお互いどう歩み寄っていいのかわからないだけだ。
よりを戻したいと思う気持ちがどこかにあると信じたい。
ふたりのもどかしさと切なさに私も目を逸らした。煮え切らないふたりの関係にじれじれとして、もやもやしてしまう。
その時シュワシュワが始まった。自分も何もできないまま、無駄なタイムスリップに思えてイライラしていた。
どうして上手くいかないのだろう。シュワシュワとはじける炭酸水の時間の中で手足をばたばたしてもがいていた。




