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立之絵梨にあげたアーモンドチョコが彼女の手のひらから零れ落ち、「あっ」という声を上げた時には足元に転がってさっと視界から消えた。
「うわぁ、ごめん」
座席の背もたれから後ろを向いている絵梨は申し訳なさそうに悲しそうな顔をする。
「いいよ、大丈夫だよ。まだあるから」
私はお菓子の箱を彼女に見せ、今度は自分の手で直接取ってもらった。
入学したての頃、クラスで自己紹介をしたけども、紗江の前に座っていたこともあっておぼろげに立之絵梨のことは覚えていた。
今は十回目のタイムリープを果たした訳だが、ここに来る前もピンク色のタイムソウルキャンディを落としたばかりだった。
屋上内の自分の動ける範囲が決まっていたから、遠いところに転がったものは取りにいけなかったし、案内人も汚れたものだから使えないと言って諦めざるを得なかった。
無駄にしてしまったことを非常に後悔し、泣く泣く新しく水色のタイムソウルキャンディを小瓶から取り出して口にしたら、みんなでバスに乗っているところにタイムリープしてきた。
隣の窓際の席に利香が座り、通路を挟んだ反対側には清美と由美里が座っている。
そして私の前に立之絵梨が座っていて、彼女が後ろを振り返り私に親しく話しかけてきた。
その絵梨の隣には紗江がいたのには驚いたけど、紗江はバス酔いをするらしく窓に頭をもたせ掛けて目を閉じていると絵梨が小声で教えてくれた。
私の意識がはっきりとした時にはすでにアーモンドチョコの箱を手にしていて、絵梨に話しかけられて状況がよくわからずとりあえずチョコを分け与えたのだけども、それがバスが揺れた反動で落ちたということだった。タイムソウルキャンディと続けてまた落としたから非常にもったいない気持ちが強く残る。
どこに落ちているのか足元を見ていると隣の窓際の席に座っていた利香が「バスを降りる時に拾えばいいよ」と声を掛けてくれた。
「本当にごめんね、恵都」
絵梨はとても申し訳なさそうだ。だけど、呼び捨てで名前を呼ばれたところを見ると、矢野恵都は彼女とすでに面識がある様子だ。私はそれに合わせる。
「気にしないで。拾っておかないといけないかなって思っただけだから」
あまりもったいないと思われても嫌だった。
「もうそろそろ着くけどさ、フラワーガーデンは今どんな花が咲いているんだろうね」
利香が窓を見て言った。
どうやら遠足でそこに行く様子だ。
「花だけじゃなく、遊園地だからジェットコースターがあるらしいよ」
絵梨が答える。
「楽しみだね、恵都」
利香は私に向いてにこっと微笑んだ。
窓から流れる景色は青空が広がっていた。
「いい天気でよかったね」
私も同じように微笑んだ。
「六月だからさ、梅雨も始まるでしょ。雨降るかなってちょっと心配だったけど、見事に晴れたね」
後ろを向いたまま絵梨はまだ会話に入ってくる。それで段々と状況が飲み込めてきた。
「今日は六月何日だっけ」
さりげなく質問してみた。
「六月二日じゃないの。恵都ってなんかぼけっとしてるよね。前にもぼんやりしてて上級生と職員室の前でぶつかって尻餅ついたって聞いたよ」
そうだ、由美里と清美のあとをついて廊下を歩いていたらシュワシュワが始まって、倒れそうになっているのに矢野恵都の中から強制退去させられたんだった。あれからどうなったのか気になっていた。
「絵梨、恵都をからかうのやめてあげて。あれは相手が勢いつけて出てきたのも悪かったんだよ」
向こう側の隣にいた清美が擁護してくれた。
「私、あの時、失礼なことしてなかったかな。びっくりして咄嗟のことに訳がわからなかったと思うんだけど?」
きっと矢野恵都は何が起こったか状況が飲み込めてなかったはずだ。
「恵都が思いっきり後ろに倒れこんだからさ、私たちもびっくりしたよね」
清美は由美里に話を振った。
「うん。恵都は強くお尻を打ったみたいで、しばらく痛くて放心状態になってたよね。そしたら相手の男性が何度も謝ってたっけ」
「それで動けなかった恵都を抱き起こしてさ、リアルでそんなのを見たらさ、ちょっとキュンってしちゃった」
清美は頬に手をあて乙女チックに首を傾げてポーズをとった。
「我に返った恵都は真っ赤になって、『すみませんでした』って走って逃げたんだよな。チャンスだったかもしれないのに」
由美里は身を乗り出して私をからかう。
「チャンスって何よ。折角忘れてたのに、勘弁して」
少しすねたふりをしたけど、内容を知ってほっとした。とりあえずは上手くかわせた様子だ。
「なかなかのイケメンで、学校でも有名な人じゃなかったかな。顔は見たことあったように思った」
清美が言うと、「それ、野球部の飛鳥先輩でしょ」と絵梨が口を挟んだ。
「ああ、野球部のエースか。でも絵梨、なんで知ってるの?」
清美が不思議がる。
「だって私、野球部のマネージャーだよ。飛鳥先輩の話は耳に入るもん。それで、飛鳥先輩、恵都と廊下で会って謝罪したでしょ。それ私見てたんだ」
そういうことになってたのか。
「そうだったね」
はっきりとわからないから俯いてごまかした。
「ああ、その態度もしかして、恵都、飛鳥先輩のこと好きになっちゃったとか?」
絵梨は冗談っぽく聞くけど、目が怪しんでいた。
「ええ、そんなことないよ」
英一朗のことで色々と悩んでいる矢野恵都が、ぶつかったことでその男性を好きになるなんて考えられなかった。
そういう英一朗はこのバスのどこにいるのだろう。通路側に体を乗り出して前の様子を窺えば、少し先の通路側に座っているのが見えた。もしかしたら聞き耳をたてているかもしれない。体がいやに通路側に傾き過ぎていた。矢野恵都のことを隠れて気にしているのかもしれない。
「恥ずかしがることないよ。飛鳥先輩もてるからまたひとり新たな女の子が好きになってもいつものことだからね。でも恵都みたいなタイプは飛鳥先輩の趣味じゃなさそうだけど」
絵梨が笑う隣で『好き』という言葉に反応した紗江が首を伸ばして私に振り返った。その目は冷ややかで軽蔑の気持ちがこめられているように見えた。
屋上で紗江と言い合いをしたあと、矢野恵都はどう対決したのか気になるところだが、あの紗江の目つきでは最悪のままで終わったのだろう。
私もこれ以上かかわりたくないと見て見ないふりをする。
「ねぇ、恵都聞いてる?」
前を向けば絵梨が首を傾げて私を見ていた。
「えっ? うん、聞いてるよ。だから私はそのことは忘れたいから」
忘れたいといえば、これ以上突っ込んでこないだろう。それに今は情報不足でそれについてあまりよくわかってない。避けるのが無難だ。
せめて時系列に沿ってタイムリープすればいいものを、どうしてこうややこしく飛び飛びに進んだり戻ったりするのだろう。
「恵都、ほら見て、目的地が見えてきたよ」
利香が私の肩に触れて知らせてきた。
「本当だ」
私も笑って答えたけど、よく考えれば一番目のタイムリープで利香に仲間はずれされている場面に出くわしたんだった。そこには清美と由美里も居て、矢野恵都を毛嫌いしていた。
「もう着いたの?」
清美が体を私に近づけて、利香側の窓を見ようと身を乗り出してきた。清美と体が触れ合う。
「もう、清美何してんだよ。恵都が押しつぶされてるだろ」
由美里が清美を引っ張りあげた。
「へへへ、ごめん」
清美が謝ってくるけど私は嫌じゃなかった。自分が好かれているとすら思えて、清美からのアプローチは仲がいいサインに思えてならなかった。
「恵都もいつまでもされるがままになんじゃないよ。清美は遠慮ってもんがないんだから」
由美里に注意されるけど、その言葉の裏に矢野恵都を守ろうとしている心遣いが見えてくる。由美里は感情をすぐ顔に表して怒ったように見えても、それは恵都のためを思ってのことだと私には感じられた。イライラしやすい気質でもあるけど、理解している私は気にならない。
でも後に矢野恵都は大好きだったこの三人から疎外されてしまう。やはり先にそれを知っているから、この今の関係が浮き彫り立って色々と奥深く考えることに繋がる。
やはりランダムにタイムリープしているから、より一層過去で何が起こったのか考える羽目になっているのかもしれない。お陰でこっちは苦労が耐えないけど。
「恵都ってさ、この三人からなんか振り回されてない?」
絵梨はまだ後ろを向いて輪に入ろうとしてくる。隣に紗江がいるからつまらないのかもしれないけど、今はあまり自分のグループに入ってきてほしくないと思ってしまった。
でも矢野恵都はきっとそういう気持ちを押し殺して笑うのだろう。「そんなことないよ」とソフトに言うイメージが頭に浮かんだけど、でも私は敢えて言いたい。
「うん。思いっきり振り回されてるよ。でもすごく楽しいから、大歓迎!」
私は利香の腕をとって絡ませた。
「もしかして遠足ハイになってる?」
冷静で落ち着いている利香だったけど、私の態度を拒むことなく笑ってくれた。
「おう、上等じゃん、恵都。今日は思いっきり振り回してやるぞ」
清美もノリに合わせてくれる。
「それで結局、後で疲れても我慢して無理するんだよね。いつものパターンなんだから、だから嫌になったらはっきりいうんだよ。正直な気持ち隠してたら怒るからね」
由美里はいつもお説教じみてるけど、彼女のよさがわかると心配されてるみたいで嬉しい。
私たちの様子を見て絵梨は入ってこれないものを感じたのか、やっと自分の席にきっちりと座り前を向いた。
それを見てほっとした。
そしてバスはまもなく目的地に着こうとしていた。
先生からの注意事項を聞いた後、午後三時まで自由行動となりそれぞれ班に分かれて好き好きに過ごすことになった。
外は晴れ晴れとしていたが、初夏の暑さも感じていた。
園のゲートを潜り、整って植えられた鮮やかな色合いの花が最初に目に飛び込んでくる。
日差しの下でそれらがキラキラと美しく見えたのは、今自分が矢野恵都の中に入っているお陰だとつくづく思う。
「どこを先に回ろうか」
地図を手にしながら利香が言う。
清美と由美里はそれぞれ意見を出し合っていた。
彼女たちは周りの花にまだ目がいかない。限られた時間で効率よく回れるかの方が大事だった。
限られた時間――。私もいつまたシュワシュワが起こるかもしれない。それなら私が一番したいことは、花の景色の中でみんなと一緒にお弁当を食べたいことだった。
「あのさ、まだ早いかもしれないけど、先にお弁当食べない?」
意見を言っていた。
「恵都、お腹すいてたの? 朝、食べてこなかったんでしょ」
利香に言われて「うん」と頷いた。本当のところは知らない。
「恵都がやりたいことを自分から言うって珍しくない?」
由美里が清美と顔を合わせる。
「うん、そうだよね。じゃあ、先に腹ごしらえから済ませるか。食べながらゆっくり計画するのもいいよね」
これでみんなの意見が一致した。
「ほら、見て、ここの花、すごくきれいに咲いてるよ。色とりどりの花に囲まれて、みんなと美味しく食べたいな」
私が花のことを言えば、初めてそれを知ったように三人はそのきれいな景色に関心を示した。
「本当だ、よく見たらすごく手入れされてて、きれいに咲いているよね」
利香はスマホを取り出す。
私たちは自然に利香の元に集まり、頬を寄せ合って写りこんだ。
清美と由美里も自分のスマホを手に持っていた。
「あれ、恵都はスマホ持ってきてないの?」
利香に言われて、私は背中からリュックサックを下ろして、中を覗きこんだ。
十月二十五日の何度もタイムリープしたあの時、矢野恵都の部屋から見つけたスマホはひびが入って画面が無残に割れていた。この時点ではどうなのだろう。
リュックサックの中からスマホが出てきた。そこにはひびは入ってない。
指紋認証で簡単にロックが外れ、待ち受けにまだ私が見たこともない四人で映った画像が出てきた。みんなそれぞれパステルカラーのマカロンを手にしている。
「ああ、その画像、待ち受けにしてるんだ」
側で見ていた利香が指摘した。
「それ、いつ撮ったやつだっけ。まだなんか私たち初々しくない?」
清美が覗き込む。
「ほら、うちらが初めて四人のグループになった時じゃん。入学して間もない頃だったよ。清美がお菓子作ってきてくれてさ、それを通りかかった恵都が『おいしそう』っていって、それで一緒に食べようってことになったじゃん」
由美里がいうと清美がはっと思い出す。
「そうか、思い出した。あの時、恵都が『本当に手作りなの?』ってびっくりしてさ、結構私得意になっちゃったんだった。お菓子作って学校に持っていったことすっかり忘れてた」
「私もあんな難しいお菓子が作れる清美にびっくりしたよ」
利香も言った。
私はその場面を知らない。知らなくても画像を見れば情景が目に浮かんでくるから不思議だった。
矢野恵都の一言でこのグループができあがるきっかけになったとは驚きだ。だからその時撮った写真は矢野恵都にとってかけがえのない大切なものだったのだろう。
「ねぇ、また作ってきてよ、清美」
私はお願いしてみる。
「オッケー、まかしときな」
好きなことを催促されて得意げになっている清美。
「そういえば、恵都はパステルピンクが好きっていってたね」
待ちうけ画像にもその色のマカロンを手にしていた。
その笑顔は遠慮がちに口元をほころばしている様子から、まだぎこちないものが窺える。でもそれが精一杯の矢野恵都の喜びだったのが私にはわかる。
恥ずかしい。私なんかこの人たちと一緒に居ていいのだろうか。嫌われたらどうしよう。うまくやっていけるかな。でも一緒にいられるのが嬉しい。だけど緊張する。
友達になりたくても、相手にどう思われるのか気になって、ちょっとしたことで変な風にとったり、喜んだりと本当に気持ちが一喜一憂になってしまう不安定な友達になりたての頃。
それが痛いほど伝わってくる。
矢野恵都にはみんなと繋がるきっかけになれたことが特別だった。そうじゃなければ、この時の写真を待ち受けにしなかっただろう。
でもこの後、このスマホは画面にひびが入ってしまう。その時の理由を知る時が来るのだろうか。もしかしたらその理由を知るためのタイムリープは起こらないかもしれない。それはあまりにもランダムでその順序に全く意味がない――。本当にそうなのか、それは自分自身で組み立て、意味を作るべきなのかもしれない。
自分で考えて意味を持たせる。
今、自分はこの状況をもっとプラスに考えて、矢野恵都が虐められない未来を作れるかもしれない。
ほんの些細なこと、小さな気づき、変えようとする少しの努力、他にもまだ何かあるかもしれない。
そうだ。『生きる』だ。生きようと思わなければ、矢野恵都は助からない。
矢野恵都、周りをよく見て。目に映るものには意味が隠れてるんだよ。意識しないとそれはみえてこない。角度を変えてみて。素晴らしいものはすぐ近くにいくらでもあるから。もっとみつけよう。必ず生きていてよかったって思うから。
風に揺れる花を見ながら私はまた強く胸に刻む。
「ねぇ、この辺でご飯食べようか」
利香がピクニックテーブルを見つけた。
私たちはそこに座りそれぞれのお弁当を広げる。
私がお弁当の蓋を開けたときだった。
「うわぁ、恵都のお弁当、すごく気合入ってるね。それキャラ弁でしょ」
利香が言った。
私もびっくりしてじっと見つめてしまった。
ご飯の上に海苔がかぶさって切り抜いたチーズやハムで耳と目がついていて黒猫に見えた。おかずは卵焼きとソーセージ、そこにブロッコリーとプチトマトが入ってるだけだったけど、ご飯の部分が黒猫に見えるせいで手をかけているように見える。
矢野恵都の母親は毎日の家計の予算の中で少しでも見栄えのいいものを作ろうと工夫してくれている。
「恵都のお母さん、こういうイベントのために娘を喜ばせようとしてるんだね。いいお母さんじゃん」
清美はそう言うけど、前回タイムリープしたときはきつい感じに見えていた。肉じゃがを作っていた時も、嫌そうだった。でもそれは本来作りたいものじゃなかったのかもしれない。家にある素材から作れる物しか作れない。工夫してのおかずだったのだ。
だけと肉じゃがの味は本当に美味しかった。もっとそれを伝えていたら、母親も喜んだかもしれなかった。
このお弁当の中には、矢野恵都の母親の見えない気遣いが詰まっている。それはみんなのお弁当も同じだ。作った人の愛情――。
「みんなのお弁当だって美味しそう」
「私のおかずは冷凍食品をチンしただけだよ。お母さんの作るお弁当はいつもそれ」
由美里が言う。
「由美里のお母さん、仕事してるし忙しいでしょ。それに最近の冷凍食品なめたらあかん! むちゃくちゃ美味しいんやで」
清美が凄みを利かせて関西弁で言うから、みんな笑ってしまった。
「じゃあさ、みんなでおかず交換しようか」
利香の提案で、それぞれ交換しあう。自分のお弁当のおかずはそんな大したものが入ってなかったけど、利香は卵焼きを取った。
「あっ、この卵焼きすごくふわふわできれいに焼けてる」
そして一口かじった。
「出し巻き卵だ。味もだしがしっかり利いてすごくおいしい」
利香の目が見開く。
そんなに美味しいのだろうか。私も食べてみた。利香の言う通りだった。
定番で当たり前のおかずだと思ったけど、矢野恵都の母親の工夫がここにも隠れていた。矢野恵都は母親の努力に気がついただろうか。
人から言われないとわからない気づきがある。よく見てないと毎日はあっという間に過ぎ去っていく。
この日、みんなでお弁当のおかずを交換しながら食べたことも、周りに美しい花が咲いていることも、私は矢野恵都にずっと覚えていて欲しいと思った。そしてその時いつものシュワシュワが訪れる。
矢野恵都、今日をしっかりと楽しんで。
強く願いながら私は早く矢野恵都にこの瞬間を譲りたかった。




