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「ちょっと、あなた、またやりましたね」
「えっ、な、何を?」
はあはあしながら応えていた。
「一度に二粒食べたでしょ。あれをすると体力を極力消耗するんですよ」
どうりで今とても苦しい。
「だけど、二粒一度に食べちゃいけないって言わなかったじゃないですか」
「ふつう、一回ごとに戻るでしょ。回数も決まっているのに、無駄な使い方なんてしないと思ったからです」
「ふたつ食べたらその分、過去での滞在時間も長くなるかなって思って」
「タイムソウルキャンディは一粒でひとつの過去に戻るためのもので、時間を延ばすものではないです。結局、連続して過去に戻ったんじゃないんですか?」
「はい、そうでした」
「あのですね。あなたは自分の魂のエネルギーも使って過去に戻ってるんです。一度ここに帰ってくると、僕の発するエネルギーでチャージされてまた新たに過去に戻れるんです。それを立て続けにしたら、あなた自分のエネルギー使いすぎてへたしたら消滅してましたよ」
「ええ!」
だからとても疲れた気分だった。
「いつもいつも無茶をしてくれるからびっくりです。それで、今回はどうでしたか」
案内人は気を利かして甘いキャンディの香りの線香を焚いてくれた。それが美味しく感じるから複雑だった。
「色々とわかってきたことがありました」
椅子に腰掛け、甘い香りを時折吸い込みながら淡々と報告する。案内人は興味深そうにうんうんと唸って聞いていた。
「そうでしたか。この紗江という人物は恵都を敵視してるんですね。そして英一朗の母親も息子かわいさに守ろうとしたのかもしれませんが、酷いですね。それに対して反論しない英一朗もアレですけど」
「矢野恵都は当て付けにメガネからコンタクトレンズに変えたと思います?」
「さあ、どうでしょう。でも、好意を抱いていた男の子が、母親に何も言えずに黙って帰るのは見ていてショックを受けたでしょうし、情けなく目に映ったかもしれません。英一朗はそれが恥ずかしくて、恵都と話せなくなる気持ちもわかりますね」
「でもずっと尾を引いて、やっと謝れたのに、矢野恵都が歩み寄らなかったことも長引かせた原因にします? しかも、友達選びに失敗したから虐められたみたいなことを言ってましたよ?」
「英一朗はまだ恥ずかしいんでしょうね。精一杯に言い訳をしているんですよ。本当は素直に謝りたかったけど、メガネを外した恵都が突然遠い存在になってしまった。その原因を作ったのは自分であるけど、それを無言で責められているように感じ、それならはっきりと恵都の口から言ってほしかったんですよ。はっきりといわない恵都も意地悪に感じたのかもしれません」
「うじうじとじれったいですね」
本当はすぐに解けるような糸だったのだろう。でも思春期という複雑な思いがそれらを絡み合わせてしまった。
矢野恵都はやっぱり英一朗に対して怒っていたのかもしれない。その気持ちがメガネを外させたことに繋がっても自然な気がしてきた。
そこにきれいになりたいという気持ちもあっただろうし、嫌なことを忘れようと奮闘していたかもしれない。春の陽気とこれから始まる高校生活への期待にわくわくもして、彼女はいろんな思いを抱いていたはずだ。
私は矢野恵都に視線を向ける。
矢野恵都の中に入れば入るほど、彼女の気持ちを知ろうとして私も同じように戸惑い苦しくなってくる。徐々に状況を理解してきたけど、成果は上げられず一向にあの場所から彼女を遠ざけられない。
まだあなたの気持ちを解してあげられない。辛い気持ちは私が変わりに受け止めてあげれば、その分、飛び降りる行為から少し遠ざかりますか?
私は小瓶の蓋を開け、手のひらに傾けた。ピンク色がコロンと出てきた。
「体力が回復したみたいですね」
案内人は微笑んでいた。
最初出会った時は面倒くさいと態度が投げやりだったけど、私が矢野恵都を知っていくと案内人も彼女の人生に踏み込んで後には戻れない気持ちになっている。
私が彼女の過去を変えられるか、仕事の面倒くささを抜きにして、素直にそうなってほしいと願っている様子だ。
私も案内人も、矢野恵都という人生を通じて色々と感じるところがあるようだ。
「では八回目行ってきます」
ぱくっとピンクの玉を口に入れた。そうして、過去に戻ったとき、私は由美里と肩を並べて廊下を歩いていた。
「ちょっと、恵都、聞いてる?」
「えっ、ああ、ごめん、なんだっけ」
「だから、あんたさ、もう少し自分の意見はっきり言った方がいいよ」
由美里が呆れた目を向けている。
何があったのだろう。今は一体いつなんだろう。きょろきょろとして、どこかの組の教室の窓から黒板が見えた時、四月二十四日になっていて時系列がこんがらがった。これは四月二十一日の放課後みんなに構ってもらったときから数日経った時だ。時間は三時半、放課後だ。虐めはまだ起こってない。少しほっとした。
でもなぜ私は由美里と行動をしているのだろう。
「ほら、また聞いてない」
頭を軽くコツンと叩かれた。
「ごめん」
「そうやってすぐに謝るのも悪い癖だよ」
怒ったような顔をしたあと、頬を緩めて微笑んだ。からかわれているだけだ。
由美里についてはまだよくわからない。でも三人の中できつさが一番漂っているような気がする。
利香はリーダーシップがあって落ち着いて頼もしい存在だ。美人だから、本当にかっこよくみえる。清美は姉御肌でサバサバとしてさっぱりとした印象がある。
由美里といえば、前回は三つ編みをしてくれて、手先が器用な印象があった。今話をしてみてわかったけど、気持ちが顔に出やすそうだ。
様子を窺いながら私はへへへと微笑んだ。
「とにかくしっかりしてよ」
そうしているうちに一年四組の教室に戻ってきた。
教室に入ると清美が声を掛けてきた。
「お帰り。恵都も大変だったね、ごみ捨てに付き合わされて」
ごみを捨てて戻ってきただけか。
私は辺りを見回した。数人残っていたけど、利香の姿が見当たらない。
「利香は?」
「急いでるってさっき先に帰ったけど」
「帰っちゃったのか」
今のうちにもっと利香と過ごしたかった。
「何か用事あったの? 今なら走ったら昇降口で追いつけるんじゃない?」
清美に言われて、私ははっとして教室を飛び出した。
だけど、昇降口から外を見ても利香の姿は見当たらなかった。仕方がないので、再び教室に戻ってきたものの、廊下から由美里の声が聞こえて足が止まった。
「恵都ってさ、うちらと合わなくない?」
この時、私の胸がドキドキとして息苦しくなっていた。怖いという感情が湧き上がってくる。自分の居ないところで何かを言われることほど、悲しいことはない。例えそれが面白がってひとりが悪気なく言ったとしても、それに便乗する人が出てくるとそこから仲間はずれの種ができてしまう。そうやって排除が始まる。私は固唾を飲んでさらに聞き耳を立てていた。
「そうか。素直でいい子じゃん」
幸い清美は同じ意見じゃなかったのでほっとする。
だけど、まだこの時点で四月下旬だというのに、由美里はすでに矢野恵都に違和感をもっていることはとてもショックだった。
「いい子過ぎるっていうかさ、いつも笑顔なんだけど、時々何考えてるんだろうって思うんだよな」
「それは由美里がもっと恵都と仲良くしたいのに、恵都が心開いてないって思うだけだろ」
「そうなんだ。さっきも言ったんだよ。もっと自分の意見を言えって。はっきりといわないから見てると時々もどかしいんだよね」
「ただ単に由美里の気が短いだけだって。私だってあんた見てるとさ、もうちょっと落ち着けって思う。あんたすぐ嫌だと思ったら顔にでるでしょ。機嫌悪い時なんか近づくの怖いもん」
「あっ、ひどいな、清美は」
でも由美里は大いに笑っていた。
清美が由美里に意見してもあとくされなくさらっと終わって笑い合う。ふたりのやり取りはいい関係だった。
由美里は思ったことをすぐに口にして、嫌なことはすぐに顔に出る。それだけ自分に正直なのだろう。清美はそれを理解して根に持たない。
対照的に恵都は慎重なだけだ。嫌われるのが怖い。だから自分の思ったことはそのまま口にしない。いつも様子を窺ってこの三人と付き合っている。好かれたい一身で笑っているんだと思う。
でもそれっていい子を演じているようにも見えて、由美里のようなはっきりと物をいうタイプには鬱陶しく目に映るのかもしれない。
前回のタイムリープで英一朗も言ってたけど、恵都はこの三人と無理をしてつきあっているのだろうか。だから嫌われた……。
ここで由美里の感じ方を変えられないだろうか。中途半端にしてしまえば、あとで私が消えた時、また辻褄が合わなくなってくるから、加減が難しい。
でもここはやるしかなかった。
「あっ、由美里も清美もまだ教室にいたんだ」
今走って戻ってきたふりを演じる。
「利香に会えなかったの?」
清美が訊く。
「うん。それで、鞄持って帰るのも忘れちゃった」
「何それ、受ける。恵都ってぼんやりしてるから」
由美里が笑った。
「そうなんだ。いつもぼんやりして困ってる。でも由美里や清美、利香が導いてくれるから私すごく助かってるんだ。いつも本当にありがとう」
「急にどうしたの?」
清美は照れくさくて笑みがこぼれる。
「これからも、どんどん導いて。あんまり私思ったこと言えないかもしれないけど、だけどみんなの側にいるのがすごく楽しいんだ。この間、由美里は三つ編みしてくれたでしょ。あれ、すごく嬉しかった。清美も、リップ塗ってくれてドキドキしちゃった」
「何言ってんだよ。なんだったら、また塗ってあげようか」
清美がポケットからリップを取り出す。
私は喜んで唇を突き出した。ちょっと調子に乗ってやりすぎたかな。でも面白がって清美は塗ってくれた。
「ねぇ、恵都の前髪、ちょっと伸びすぎてない? 少し切ってあげようか」
由美里は鞄の中からはさみを取り出した。
「えっ、ちょっとそれは」
「大丈夫だって。これでも美容師の卵なんだ」
得意そうにハサミを持ってにっと笑う由美里に親近感を覚えた。夢を語っているときの由美里の表情は輝いて眩しく見える。魂になっている自分としてはそれがしっかり生きていることに思えた。
自分の気持ちよりも今は矢野恵都だからどう応えようかと考えていると、それを戸惑いと思われ清美が促すように会話をフォローする。
「私も時々由美里に切ってもらうんだ。だから大丈夫だって」
「清美も? それじゃあ、信頼しちゃおうかな」
失敗したらという不安はつきまとうが、とりあえずそこにあった椅子に腰掛けた。
由美里は真剣な眼差しを向けさらさらっと私の前髪を触ると、丁寧に毛先を切っていく。
そんなにたくさん切ったわけじゃないが、目に毛が入らなくなってすっきりとした。
「さっきとあまり変わってないけど、この辺がすっきりしたよ」
由美里がコンパクト鏡を見せてくれた。全然目立つほど変わってはなかった。でも由美里が手を加えてくれたことは素直に嬉しい。
「うん、ありがとう」
お礼を言ったとき、由美里はとても満足そうに笑っていた。
「ちょっと整えたい時はいつでも言って」
由美里は矢野恵都の髪に触れながらアドバイスをしてくれる。好きなことを話している由美里は生き生きとして、とても得意げになっていた。側で清美が茶化すけど、漫才を見ているみたいにおかしい。
雰囲気に飲まれていたのもあるけど、私は噴出してしまう。
「恵都、笑ったな。なんなら前髪ズバッと切っちゃうぞ」
「それはダメ。由美里ごめん!」
冗談だとわかっていても、私は前髪を隠した。
傍から見れば、馬鹿馬鹿しいと思うかもしれない。でも羽目をはずしておどけられるのは本人たちにとったら楽しいひととき。相手が乗ってくれるからできることだ。
私は矢野恵都じゃないけども、このひと時に触れて心がほんわかとしてくる。自分も生前はこんな風に友達と楽しんだのだろうか。きっとそうだと心に言い聞かせてみる。その時、いっそう笑顔になれた。
ねぇ、恵都、由美里や清美はもっとあなたと絡みたいんだと思う。だから恐れずに心を開いてみて。
直接本人には言えないけど、この関係がいつまでも続いてほしいと強く強く心に訴えかけた。
何気ない日常に広がるありふれたことは、常に色んな色がついていて、じっくり見なければ見えてこない。
自分はこの世から切り離されようとしている魂だからそれがよく見えるのかもしれない。それも矢野恵都の中に居るからで、本当ならすでに全てを忘れて消えていた。
生きているから見えるもの――。
だから矢野恵都もこの先のずっと続く未来で、色んなものを見つけてほしいと願わずにはいられなかった。
十月は暗雲がたちこめて矢野恵都は虐められてしまう運命へと流れていくけども、彼女の中で私が体験したことできっと何かが変わると私は信じたい。
由美里と清美がそろそろ帰ろうとして立ち上がる。私も乱れた机と椅子を整えている時だった、その机を見た由美里が何かに気がついてふと呟いた。
「そういえばさ、恵都って和久井さんと同じ中学だったの?」
なぜ急に紗江の話になったのかと思ったが、私も触れている机を見て気がついた。これは紗江の机に違いない。
前回は一方的に紗江に責められたことを思い出す。時系列からすればこの後に起こる出来事になるけど、彼女の嫌な部分を先に見たせいで名前を聞くだけで顔が引きつった。
「うん、そうだけど……」
「彼女さ、中学の時どんな感じだった?」
「どうして、由美里がそんなこと気にするの?」
「それがさ、英語の宿題で前置詞がわからなくて、側にいたから気軽に訊いたんだけど、ちゃんと教えてくれたのはいいけど、その後『そんな簡単なこともわからないの?』って言われたんだ。なんかさもやったんだ」
由美里にそんな口が利ける紗江に私は驚く。
「何言ってんだよ、あんたも男子に向かって『邪魔、どけっ』て言ってるくせに」
清美は自分を棚に上げるなと言いたかったのだろう。
「それは、私の机にお尻乗せてたから、当然の報いってもんだ」
口を尖らせて言い訳する由美里。
「彼女はちょっと強気なところがあるかもね」
当たり障りなく私も言った。
はっきり言えば嫌なタイプだ。自分のいいように嘘までついて相手をコントロールしようとする狡さもある。でもここでは濁した。
「やっぱりそうか。和久井さんがいるグループを見てたらなんか周りがギクシャクしててさ、ちょっと嫌われてる感じがしたんだ。特に立之さんが和久井さんの後ろで露骨に嫌な顔してたの見ちゃった」
リツノさん? 自己紹介の時、紗江の前にそんな名前の人が居たような気がする。でもはっきりとどんな人か思い出せなかった。
クラスに誰がいるのか飛び飛びにここに来る私にはまだ全員と馴染みがない。
適当に「ふーん」と聞いていると、由美里はまた言った。
「時々、うちらの方に向かってきつく睨んでるようにも見えることがあるし」
「メガネ掛けてるから視力悪いだけでそう見えるとかなんじゃないの?」
清美はよく知らないからわからないのだろう。
紗江は矢野恵都が英一朗を横取りしたと思い込んで憎んでいる。矢野恵都が見てないところで後ろから睨みを利かせている様子が私には容易に目に浮かぶ。
「別にどうでもいいんだけどさ。細かいことよく見てる人だから、この机きれいにしておかないとね」
由美里は紗江の机の表面を軽く手で払っていた。
いい気分で楽しく過ごしていたのに、紗江の名前で水を差されてしまった。でも気にしたら負けだ。
「帰ろうか」
清美が言うと、私と由美里は後をついて行く。
三人で昇降口に向かって廊下を歩いている時、通りかかった職員室のドアから男子生徒が勢いよく出てきた。偶然その前に居た私はぶつかると思って身構えてよろけてしまう。「あっ」と声を出したその時、シュワシュワも同時に起こってしまった。
手を私に差し伸べ慌てている男子生徒の顔を見ながら、私は泡に包まれそこから遠のいていく。
矢野恵都はこのあと大丈夫だろうか。その時は大したことではないと思いながらシュワシュワに飲まれていた。




