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去りゆく夏の輝き

作者: サエキ タケヒコ

「もう夏も終わってしまうのか」

 僕はグラスの底に残ったビールを飲み干した。

 底に溜まっていた泡が少し苦かった。

「何を言っているんだ。まだ6月だぞ」

 バーのカウンターの隣に座っているアキラが反駁した。

 だが、僕にはわかっていた。

 待ち合わせをしていたこのバーに来る途中、渋谷の街を歩いた。午後6時半を回り日中の熱気を夕方の風が吹き飛ばし、ガラス張りのビルに反射した夕日でストリートが輝いて見えた。

 でも、明日からは日が短くなってゆく。

 僕は夏が好きだ。

 だが、夏がゆっくりと去ってゆく時間が嫌いだ。

 長い冬と予感の春を経て、やっと来た夏は、時間をかけて消えてゆく。そのだんだん短くなってゆく日照を見るのが嫌だった。

「始まりは、終わりに近づくことなんだよ」

 ボソリと僕は言った。

「あんたはいつも訳のわからないことばかりをいう」

 アキラはバーテンダーにおかわりを頼んだ。

 訳の分からないのはアキラもだ。

 中学時代からの友達なので、もう付き合いは四半世紀以上に及ぶ。

 お互いの恋人や配偶者も紹介しあい、親友というか家族のような関係だ。だが、僕とアキラは若い頃に一度ベッドを共にしている。

 ちなみにアキラは女だ。

 言葉遣いも、見かけも男だが、正真正銘の女だ。だが彼女は同性愛者ではない。もっともパートナーと一緒にいる姿は別の意味でゲイに見える。ちなみにアキラというのはあだ名で本名は有紀(あき)だけど、その名前で呼ばれることをひどく嫌がった。

「それより、お前、少し太ったんじゃないか」

 アキラがビール樽のような僕の腹を見て言った。

「年相応だよ。だけどアキラは変わらないな」

「一応、まだ現役だからな」

 そう答えたアキラの顔が曇った。ちなみにアキラは空手家だ。鬼姫と呼ばれ大会で優勝もしている。現役というのは今も試合に出ているということだ。

「どうした。なんだか元気がないな」

「最近、空手をやっていることに疑問が生じた」

「なんでだ」

「勝てなくなってきている」

 アキラはフルコンの空手をやり日本一に輝いてた。

「そりゃ、若いやつには負けるだろう」

 アキラは首を振った。

「自分の年齢だと、もうマスターズにしかエントリーできないから、大会ではまだ若手だ」

 アキラは一般の部で優勝し続けたが40歳を超えてからはマスターズの部門での参加になるので、若手に戻り、まだ不敗なのだという。

「じゃあ、何を悩んでいる」

「若くてピークのときの自分にはもう勝てない」

「なんだそんなことか」

「そんなことだと!」

 珍しくアキラは怒った顔をした。

「どれだけ練習をしたかわかるのか? それでやっと身につけた技術、体力が、いくら練習を積んでも、一日ごとに少しずつこの体から抜けてゆくんだぞ。それがどんな気持ちだかお前にわかるのか」

 僕はため息をついた。

 確かにそうだ。人間は一人前になるのに時間がかかる。最低でも18年、中には30年くらいかけて一人前になる。だけど、残酷にも40歳を超えると、苦労して身につけた知識やスキルが体からこぼれ落ちてゆく。肉体は弱くなってゆき、若い頃のように飲み食いしたり、楽しめなくなってもゆく。

「それはみんな同じだよ」

「じゃあ、何のために苦労して努力するんだよ」

 アキラがこんなふうに絡むことは今までなかった。

「何のためって言っても……」

 正直分からなかった。

 でも、僕は突然理解した。去りゆく夏を僕が見たくないのと同じように、アキラは自分のアスリートとしての衰えを受け入れたくないのだ。

 僕は毎年夏の終わりをどう過ごしていたのかを思い出そうとした。

 子供の頃は、湖の近くにある別荘に行っていた。

 そこで、湖面に映った月を見ながら夏の葬送をした。

 その別荘のある村にはある伝説があった。

 月夜の晩の湖畔に鬼が出てきて人を拐うという神隠しの伝説だ。

 幼い日の僕は、夏が過ぎゆく前に鬼に拐われてこの世から消えることを密かに想像した。

 不思議にそれは怖くなかった。

「なあ、僕の家の別荘を覚えているか?」

 アキラが顔を上げた。

「ああ」

「昔、一度、泊まりに来たよな」

「うん」

「また一緒に行かないか」

 ふと、僕はアキラと鬼に拐われてみたいというおかしな衝動に駆られた。

「えっ!?」

 アキラは動揺して頬を少し赤らめた。

 それを見て僕は、アキラと一度だけ躰を重ねたのはその別荘での夏の日の午後だったのを思い出した。

「それ、本気か?」

 いまさら否定もできず、質問の意味もよくわからないが僕は頷いた。

「そうか。考えておく」

 アキラが言った。

 それから会話は弾まず、僕らは店を出た。

 渋谷の街外れの路地裏にあるバーを出ると、街の喧騒が遠くで聞こえる夏祭りの囃子のように伝わってきた。

 僕はアキラに「なあ、秋もいいかもしれないぞ」と言った。

「お前、その名前で僕のことを呼ぶつもりか」

 アキラが反応した。

 しまったと思った。

 アキラの本名は有紀(あき)だ。彼女は僕が本名で呼びたいと言ったのだと誤解をしてしまったようだ。

 否定しようとするとアキが僕の肩に頭を寄せてきた。

「でも……そういうのもいいかもしれない」

 期せずして始まりそうなアキとの第2章に戸惑いながらも、手をつないで渋谷の坂道を二人で下って行った。


ほかの動物と異なり人間だけは後天的に学習して多くのこと(知識や技能等)を獲得しますが、それをゆっくりと失ってゆき、最後には死にます。努力して苦労して得たものを、しかもゆっくりと失うのが老いなのでしょうか。そんなことをふと考えているうちに降りてきたのがこのナラティブです。

ちなみに超高齢者社会を迎え、みんながよりよく生存するためには高齢者は「死ぬこととみつけたり」と姥捨て山のように消えるべきと言った知識人がいましたが、昔から一定以上の人口を食わしていけない共同体では間引きのようなことが行われていました。そのひとつが神隠しの伝承とも言われます。不要な人間を処分したとは言えないので、神隠しにあったとして、ある日その共同体から役に立たないとみなされた弱者が消えるというマジックです。そんなことを色々考えながら、なんとなく書いて、なんとなく投稿しました。相変わらず『なろう』らしくない作品ですが、こういうダイバシティの許容と読んでくれる読者がいることも『なろう』の魅力です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] じっくりと何度も読んでしまいました。 こういう結末で締め括られても何ら違和感も不可思議感もない、素敵な作品だと感じました(^O^)☆ 「なろう」は、とにかく異世界や転生ばかり比重が高すぎ…
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