恋の自覚
初日に街へのデートをした後も、ちょくちょくとビセット公爵と一緒に出掛けた。きちんとしたドレスを着て人気の芝居を見に行ったり、庭園で散策をしたり。
初めての経験が多くて、戸惑いも大きい。それでも、不思議とビセット公爵は嫌な気持ちにさせなかった。どちらかというと、次にどこに行けるのかとワクワクするほど。
研究は課題を見つけて、少しずつクリアしていく楽しさがあった。そういう達成感ではない楽しさに、気持ちがふわふわしてしまう。それに、女性にだらしないかもしれないと思っていたけれども、こうして会い続けていると、そうではないことがわかる。モテるのは確かだけども、軽そうな笑顔を見せつつ、常に女性と距離を作っている。
その態度を知っているから、こんな風に気を遣われると、変な気持ちになってしまう。
もしかしたら、って。そんなことないのに。
今までの婚約者たちはこんな風にわたしを連れ出してはくれなかった。話を聞いて、時々お花やお菓子をプレゼントしてくれただけ。それでも十分だと思っていたけれども、こうして二人で出かける楽しさを知ってしまえば、あれは婚約者に対する態度ではなかった。極端な話、取引先に状況伺いに来たようなもの。
「がっかりな対応だったのかもしれない」
「まあ、ようやく自覚したのね」
久しぶりに遊びに来ていたセシリーは呆れたように同意した。
「わたしって、やっぱり金づるだったのかしら」
「それしかないでしょうに。実際、あなたの研究を支援しているから、コーデリアはそう思わなかったのかもしれないけど。まあ、コーデリアも表面ばかり見ていて、婚約者として考えていなかったとは思うけれども」
すっぱりと言い切られて、凹んだ。婚約者の態度が、という前に、わたしの態度もひどいものだった。確かに研究を褒められて嬉しかったのもある。だから、聞かれるままに研究について熱心に語った。相手がそれをこれっぽちも楽しいと思っていないのに。
どれだけの苦痛だろう。
わたしだって、興味のない馬の毛艶をさも楽しい話題のように延々と語られたら、うんざりしてしまうのに。婚約者たちがわたしの研究を聞いて楽しくないと思っているなんて、少しも思い至らなかった。だから貴族としては有用な結婚であっても、破棄されてしまうのだ。一緒にいたいと思えないから。わたしだって、馬の毛艶を朝から晩まで熱く語る旦那様と一生過ごせない。
自分のことを客観的に見られるようになると、恥ずかしくて仕方がなかった。地面に穴を掘って埋まってしまいたいぐらいに。
「うう、居た堪れない」
「それで? ビセット公爵とは婚約するんでしょう?」
「婚約?」
言われていることがよくわからなくて、瞬いた。
「それだけデートをしているんですもの。二人は恋人同士でいいのよね?」
「え……?」
「わたくし、あなたが心配で公爵のことを少し調べたの。容姿も身分も派手だから、噂にならないようにうまく女性関係を作っているのかと思っていたけど。そうでもなかったわ」
そう前置きして、調べたことを教えてくれた。
ビセット公爵は元々は公爵家の分家に当たる伯爵家の四男で、聖職者として大教会でお務めをしていたそうだ。だけどビセット公爵家の一人娘だった王太子妃が嫁ぐことになり、跡取りになるために還俗して養子に入ったとか。
「還俗?」
「そう。女好きという噂は、さらに踏み込んだ関係になろうとした女性たちが拒絶されてあることないこと言いふらしているせいね」
夜会で覗き見た様子を思えば、確かにプライドの高い女性たちはビセット公爵を貶める噂を流すだろう。自分が見向きもされなかったというよりも、軽い男だから落とせなかったと思われた方がよっぽどましだ。
「だからね、何度もデートしているコーデリアは特に注目されているの」
セシリーの恋バナを期待するような眼差しに、思わず目がうろついた。
「……ビセット公爵とは何でもないの」
「どういうこと?」
「だから、わたしが王太子殿下に近づいたから、理由を聞かれて。それならば、上手く交流できるようになった方がいいからと」
セシリーに今までのことを説明した。話しながら、彼と一緒に出掛けることがどれほど楽しかったのか、実感する。そしてそれは決して永遠に続くものではなくて。
思わぬ形で現実を理解してしまった。茫然としていれば、タイミングよく侍女が入ってくる。
「お嬢さま、お届け物でございますが、いかがいたしましょう」
「ここに運んでもらえばいいわ。わたしは気にしないから」
セシリーがいつものように答えれば、侍女はすぐに大きな箱を持ってきた。一緒に手紙を渡されて、胸が跳ねる。
ドキドキして箱を開ければ、出てきたのは美しい布を使ったドレスだった。今流行りのボリュームを抑えたデザインで、コーデリアに似合いそうな落ち着いた淡いピンク色。
「まあ、すごく綺麗。きっとコーデリアによく似合うわ」
嬉しくて、にこにこしながら手紙の封を切る。そして入っていたカードを見た。何度か短い文面を読み、そしてドレスの箱に手紙を入れて蓋をした。
「どうしたの、コーデリア? 何が書いてあったの?」
「王太子殿下が参加する夜会へのお誘いだったの」
「まあ、良かったじゃない。王太子殿下に紹介してくださるのかもしれないわ」
「そう、ね」
ビセット公爵が紹介してもいいと思ったら、きっと引き合わせてくれるとは思っていた。元々、わたしの目的を聞いていたし、そのための話題作りができる様にと色々なところに連れて行ってもらっていたから。
わかっていたことなのに、どうしてか胸が苦しい。気持ちが一気に落ち込んだ。
「――コーデリア、ビセット公爵のことが好きなのね」
「好きじゃない」
胸の奥から込み上げてきた塊を吞み下す。鼻の奥がツンとしたけれども、涙は流さなかった。
ビセット公爵にはわたしへの気持ちはない。それに、わたしが頑張ったところで、身分差がどうしようもなかった。
「泣いていいわよ」
「絶対に泣かない」
強がってみたものの、どうしても我慢できずに目からはぱらぱらと涙が落ちてきた。セシリーは俯くわたしの頭を優しく撫でた。
「まだ失恋と決まったわけじゃないでしょう? 告白してみたら? 言わないと気持ちなんて伝わらないわ」
「拒否されたら、二度と立ち直れないもの」
夜会で見た冷たい彼の様子を思い出し、ますます涙があふれてきた。あんな風に冷たく突き放されてしまったら、きっとこの世から消えてしまいたくなる。
彼への恋心の自覚したのはいいけれども、とても辛くて苦しい。
めそめそしていれば、ぎゅっと鼻を摘まれた。驚いて顔を上げれば、いつもよりも少し厳しめの顔をしたセシリーが目に入る。
「セシリー?」
「いじけていてもいいことはないわよ」
「いじけてなんて」
思わず反論が口をついた。セシリーは眉根をぎゅっと寄せた。
「コーデリアはビセット公爵のことが好きなら、自分を見てもらえるようにしようという気持ちはないの? 彼は独身既婚問わず人気のある男性だし、色々と魅力的なの」
セシリーは一息ついてから、強い目でわたしを見つめた。
「何もしないうちに嘆いているだけの女性に魅力なんてあるわけがないじゃない。可哀想なお姫さまは幸せになる努力をしているからこそ、助けてあげたいと思うのよ」
息が止まりそうだった。セシリーの言葉はただただ痛くて、ぽろぽろと涙が落ちた。
苦手だからと社交から逃げているのも、自分のやりたいこともはっきりと言えずにお父さまと話し合うこともしていないことも。
このままではいけないことはわかっている。
わかっているけれども。
「だって怖いもの。わたしが出来損ないだってわかっているけど」
「出来損ないじゃないでしょう? どうしてそう思うのよ。おじさまにそう言われたの?」
優しく聞かれて、封印した昔の記憶を覗き込む。どうしてそう思ったのか。親戚たちが集まるパーティで、いつもいつもハンパ者だと言われていて。
そのときのお父さまの顔は? お兄さまたちの様子は?
ぎゅっと固めて心の奥底に押し込んだ記憶を恐る恐る解いていく。
「……何も言われていないかも」
「そうなの? てっきりこんなもの止めろとか言われたのかと思っていたのだけど」
「お父さまたちというよりも、叔父様たちが」
そうだ。いつまでも遊んでいるなと言ってくるのは、お父さまの弟の叔父様で。それに同調するのは従兄弟たちだ。お父さまも、お兄さまも、わたしの研究には口を出したことはない。ただし、肯定する言葉も聞いたことはないけども。
「……コーデリアの思い込みもありそうね」
「そうかもしれない」
でも今さら、どんな風に聞いたらいいの?
用事があるのならいくらでも話しかけられるけれども。
「もう少し、気楽なところから手を付けた方がよさそうね」
「気楽なところ?」
「そう。夜会のためのドレスを用意してくれたのでしょう? 容姿を磨くのは当然だけども、他にもダンスや仕草とか。確認すべきところは沢山あるわ」
「確かに、ダンスのおさらいなら取り組みやすいかも」
セシリーはうんうんと頷いた。